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放課後、屋上の宇宙人

作者: さらぎ
掲載日:2026/05/17

 もし明日、世界が終わるとしたら。

 それでもきっと、私たちはいつも通りに誰かと話して、コンビニで飲み物を買って、夕焼けを綺麗だと思うのかもしれません。


 この物語は、地球の終わりを観測しに来た宇宙人の少女と、屋上で彼女に出会った一人の少年の、最後の半年間を描いた短編です。


 派手な戦いも、世界を救う奇跡もありません。

 ただ、終わりが近づく日々の中で、二人が少しずつ同じ時間を過ごしていく話です。


 終わると分かっていても、大切にしたくなるもの。

 消えると知っていても、綺麗だと思えるもの。


 そんな感情が、少しでも残る物語になっていたら嬉しいです。

 高校二年になって最初の春、俺は屋上で宇宙人に出会った。


「この星、あと半年で終わるよ」


 そいつは、開口一番そう言った。


 昼下がりの屋上。

 フェンスの向こうでは、春の風に揺れる街並みが見えている。

 グラウンドからはサッカー部の掛け声が聞こえ、校舎のどこかから吹奏楽部の音階練習が漏れていた。


 銀色の髪。

 制服姿。

 やけに白い肌。

 そして感情の薄い目。


 そいつはフェンスにもたれたまま、まるで今日の天気でも告げるような声で、地球の終わりを口にした。


 俺はしばらく黙ってから、


「……宗教?」


 と聞いた。


「違う」


「陰謀論系?」


「違う」


「中二病?」


「近い」


 少女は真顔で言った。


「近いんだ」


「地球人の分類で言うなら、たぶん近い」


「そこは否定してくれよ」


 俺がそう言うと、少女は少しだけ首を傾げた。


「否定すると、説明が長くなる」


「じゃあしなくていい」


「助かる」


 変なやつだった。


 ものすごく変なやつだった。


 けれど、その日の俺はなぜか、屋上の扉を閉めて引き返すことができなかった。


     *


 俺、朝倉湊が屋上へ来たのは偶然だった。


 昼休み、クラスの連中がカラオケの話で盛り上がっていた。


 誰が歌が上手いとか、誰と誰が隣に座ったとか、次はどこの店に行くとか。

 別に嫌いな話題じゃない。

 むしろ普通に楽しそうだとは思う。


 でも、そこに自然に混ざれるほど、俺は器用じゃなかった。


 誰かに嫌われているわけじゃない。

 いじめられているわけでもない。

 友達が一人もいないわけでもない。


 ただ、教室にいると少し疲れる。


 みんな、楽しそうすぎるから。


 楽しそうにしていない自分が、そこにいるだけで少し浮いている気がしてくる。


 屋上の扉は本来、鍵がかかっている。


 けれど一年の秋、俺は偶然その鍵が壊れていることを知った。

 それ以来、たまにここへ来る。


 誰もいない静かな場所。

 空が近い場所。

 教室の声が少し遠くなる場所。


 俺にとって、屋上はそういう場所だった。


 だったはずなのに。


「ここ、俺の場所なんだけど」


 俺が言うと、少女はフェンスにもたれたまま空を見上げていた。


「地球人って、すぐ縄張り主張するよね」


「いや、普通だろ」


「宇宙では珍しい」


「宇宙人設定、まだ続けるんだ」


「設定じゃないから」


 少女はそう言って、手に持っていた缶を開けた。


 プシュッ、と軽い音がした。


 次の瞬間。


「……っ!」


 少女が顔をしかめた。


「なにこれ」


「炭酸」


「痛い」


「飲み物に対する感想じゃない」


 少女は涙目になりながら、缶の中身を睨んでいる。


「宇宙人なのに炭酸知らないの?」


「地球の文化全部知ってるわけじゃない」


「へえ」


「でも観測データでは人気って書いてあった」


「観測データ」


「地球人、炭酸好きすぎ」


「まあ好きだけど」


「理解できない」


 そう言いながら、少女はまた一口飲んだ。


 普通に気に入っているっぽかった。


「名前は?」


 俺が聞くと、少女は少し考えた。


「レナ」


「苗字は?」


「ない」


「ない?」


「個体識別に不便だから、地球用につけた」


「地球用」


「本当の識別名は、発音するとたぶん耳が壊れる」


「じゃあレナでいい」


「うん」


 会話のほとんどが意味不明だった。


 けれど、不思議と嫌ではなかった。


     *


 その日から、屋上へ行くとレナがいた。


 毎日。

 本当に毎日。


 昼休みにも、放課後にも。


 フェンスにもたれて空を見ている。

 たまに小さな端末みたいなものを触って、何かを記録している。


「何してるの」


「観測記録」


「何の?」


「地球」


「暇なの?」


「忙しい」


「絶対嘘だろ」


 レナは表情を変えずにこちらを見る。


「湊は、なんで毎日ここに来るの?」


「俺の場所だから」


「また縄張り」


「そういうんじゃないけど」


「じゃあ何?」


 聞かれて、少し困った。


 何でもない、と言えばそれまでだった。


 教室が苦手だから。

 一人になりたいから。

 空を見たいから。

 誰にも話しかけられたくないから。


 どれも正しいけど、どれも少し違う気がした。


「ここにいると、楽だから」


 結局、そう答えた。


 レナはそれを聞いて、しばらく黙った。


「楽、か」


「何」


「地球人の感情は、まだよく分からない」


「宇宙人だから?」


「うん」


「便利だな、その設定」


「設定じゃない」


 そのやり取りを、何度も繰り返した。


 レナは変だった。

 かなり変だった。


 でも、一緒にいると妙に落ち着いた。


 無理に笑わなくていい。

 話を合わせなくていい。

 沈黙していても気まずくない。


 誰かといるのに、一人でいるみたいに楽だった。


 それが、俺には珍しかった。


     *


 ある日の放課後、レナが突然言った。


「地球人って、なんで放課後に寄り道するの?」


「え?」


「真っ直ぐ帰れば効率いいのに」


「効率だけで生きてないから」


「非合理的」


「青春ってやつ」


「青春」


 レナは初めて聞く言葉みたいに繰り返した。


「それは重要?」


「たぶん」


「何をするもの?」


「知らん」


「知らないのに重要なの?」


「そういうもんだろ」


 レナは納得していない顔だった。


「じゃあ今日、教えて」


「何を」


「青春」


 そんなことを言われても困る。


 俺だって、青春をちゃんとやれている自信なんてない。


 けれどレナは本気らしく、じっと俺を見ている。


 俺は少し考えてから言った。


「コンビニ行く?」


「それが青春?」


「たぶん、かなり初級編」


     *


 レナはコンビニに入った瞬間、目を輝かせた。


「広い」


「普通だろ」


「同じ商品がいっぱいある」


「当たり前」


「この棚、全部飲み物?」


「うん」


「異常じゃない?」


 宇宙人に異常認定された。


 レナは店内をゆっくり回り始めた。


 雑誌コーナーで止まる。


「なんで犬の本こんなにあるの」


「人気だから」


「地球、犬強いな」


 次はアイスコーナー。


「種類が多すぎる」


「選ぶのが楽しいんだよ」


「合理性がない」


「だから楽しいんだって」


 レナは十五分くらい悩んだ末、ソーダ味のアイスを選んだ。


 店の外で並んで食べる。

 夕方の風は少し冷たかった。


「……冷たい」


「アイスだからな」


「でも美味しい」


 レナはそう言って、ほんの少し笑った。


 たぶん、初めてちゃんと笑った。


 その瞬間、胸の奥が小さく跳ねた。


 何だ今の。


 そう思って、すぐに考えるのをやめた。


「青春、どう?」


 俺が聞くと、レナはアイスを見つめたまま言った。


「甘い」


「雑な感想だな」


「あと、少し寒い」


「それはアイスだからだろ」


「でも嫌じゃない」


 レナはまた一口食べた。


「地球、思ったより面白い」


     *


 春が終わる頃、ニュースでは異常気象の話題が増えていた。


 原因不明の流星群。

 観測不能の重力異常。

 海外で起きた巨大地震。

 突然、渡り鳥が進路を変えたというニュース。


 ネットでは世界滅亡説が流行っていた。


 もちろん、ほとんどの人間は本気にしていない。

 俺も最初はそうだった。


 けれど、レナはいつも少し先にそれを言い当てた。


「来週、北の方で大きい地震が起きるよ」


 本当に起きた。


「再来月くらいから、夕方の空が赤くなる」


 本当に赤くなった。


「通信障害も増える」


 本当に増えた。


 偶然にしては当たりすぎていた。


 ある放課後、俺は屋上で聞いた。


「……本当に終わるのか」


 レナは静かに頷いた。


「うん」


「あと半年って、本当?」


「正確には、もう五ヶ月と少し」


「止められないの?」


「無理」


「お前ら宇宙人なんだろ」


「だからって万能じゃない」


 風が吹いた。


 レナの銀色の髪が揺れる。


「私は観測員だから」


「観測員?」


「滅びゆく文明を記録する仕事」


 さらっと言われた。


 まるで文化祭の係でも説明するみたいに。


「仕事なんだ」


「うん」


「最悪だな」


「よく言われる」


 レナは空を見た。


「宇宙にはね、終わる星がいっぱいあるの」


「……」


「戦争。病気。環境崩壊。恒星爆発。資源枯渇。色んな理由で文明は終わる」


「地球は?」


「自然現象」


 あまりにもあっさりしていた。


 台風の話でもするみたいに。


「だから最初は、地球もその一つだった」


「最初は?」


 レナは少しだけ黙った。


「でも今は、少しだけ嫌」


「え?」


「終わってほしくないって思ってる」


 その言葉に、胸が少し苦しくなった。


「それって、観測員として大丈夫なの?」


「大丈夫じゃないかも」


「いいのかよ」


「よくない」


 レナは小さく息を吐いた。


「でも、地球人は変だから」


「変?」


「終わるかもしれないのに、明日の宿題を気にする。空が赤いのに、アイスの新商品で迷う。ニュースで怖いことを見たあとでも、好きな人の返信に一喜一憂する」


「まあ、そうだな」


「変。でも、たぶん綺麗」


 綺麗。


 その言葉が、やけに耳に残った。


     *


 夏が来た。


 空は、夕方になると本当に赤く染まるようになっていた。


 最初は不気味だと騒がれたけど、人間は慣れるのが早い。

 一週間もすれば、クラスの女子たちは「写真盛れる」と言って赤い空を撮るようになった。


 レナは浴衣を知らなかった。


「動きにくい」


「そういう服だから」


「非合理的」


「でも可愛いだろ」


「……そう?」


 少しだけ照れたみたいに聞く。


 その反応がずるかった。


 夏祭りは人で溢れていた。


 屋台の匂い。

 浴衣の人混み。

 金魚すくいの水音。

 遠くから聞こえる太鼓。


 誰もまだ、本気で世界が終わるとは思っていない。


 いや、もしかしたら思っているのかもしれない。

 思っているけど、分からないふりをしているだけなのかもしれない。


 レナは綿あめを見て固まっていた。


「雲?」


「砂糖」


「砂糖を雲の形にする意味は?」


「楽しいから」


「またそれ」


 レナは綿あめを少しちぎって食べた。


「……消えた」


「口の中でな」


「不思議」


 次に金魚すくいをした。


 レナはポイを水に沈めた瞬間、全部破った。


「弱すぎる」


「そういう遊びだから」


「欠陥品では?」


「違う」


 射的では、レナが妙に上手かった。


 五発中五発命中。


 店のおじさんが本気で引いていた。


「宇宙人って射撃得意なの?」


「これは計算」


「可愛げないな」


「景品取れた」


 レナは小さな星形のキーホルダーを手に入れた。


 安っぽいプラスチック製の星。


 でもレナは、それを大事そうに見つめていた。


「そんなに気に入った?」


「うん」


「本物の星を見てるやつが?」


「本物の星は、持って帰れない」


 何気ない言葉のはずなのに、少しだけ寂しかった。


 花火が上がる。


 赤、青、黄色。


 夜空に咲いて、すぐに消える。


 レナは空を見上げたまま、呟いた。


「綺麗」


「宇宙でも花火あるの?」


「ない」


「意外」


「こんなにすぐ消える光を、わざわざ作らない」


「地球人は作るよ」


「うん」


 レナは花火を見たまま言った。


「だから、地球は変」


 そして少し間を置いて、


「でも、好き」


 と言った。


 俺はその横顔から目を逸らせなかった。


     *


 八月の終わり、俺たちは海へ行った。


 学校は臨時休校が増えていたし、親ももう細かいことを言わなくなっていた。

 世の中全体が、少しずつ終わりの支度を始めていた。


 電車は空いていた。


 レナは窓の外をずっと見ていた。


「海、初めて?」


「近くで見るのは初めて」


「宇宙からは?」


「何度も見た。青かった」


「雑だな」


「でも近くで見ると、音がある」


 駅から歩いて砂浜へ出ると、海風が強く吹いた。


 人はほとんどいなかった。


 夏休みの海なのに、どこか季節外れみたいだった。


 レナは靴を脱ぎ、波打ち際に立った。


 波が足に触れる。


「冷たい」


「海だからな」


「しょっぱい?」


「舐めるなよ」


「もう舐めた」


「早いな」


 レナは真面目な顔で言った。


「美味しくない」


「当たり前だろ」


 俺たちは砂浜に座った。


 遠くの水平線は少し赤く滲んでいる。


「湊は、地球が終わらなかったら何したい?」


 レナが聞いた。


「急だな」


「いいから」


 俺は少し考えた。


「普通に大学行って、普通に働いて、普通に生きる」


「普通好きだね」


「普通が一番難しいんだよ」


「そっか」


「レナは?」


「私は次の星へ行く」


「……そっか」


 胸が少し痛んだ。


 当たり前だ。


 レナは宇宙人で、俺は地球人。


 一緒にはいられない。


 そんなこと、最初から分かっていたはずなのに。


「ねえ、湊」


「何」


「地球人は、別れがあるって分かってても、誰かと一緒にいるの?」


「いるんじゃない」


「どうして?」


「一緒にいたいから」


「終わるのに?」


「終わるから、かも」


 レナは何も言わなかった。


 ただ、波の音を聞いていた。


 しばらくして、レナは小さく言った。


「私、それ苦手」


「何が」


「終わるって分かってるものを、大事にすること」


「宇宙人はしないの?」


「観測員はしない」


「そっか」


「でも最近、少し分かる」


 レナは俺を見た。


「湊といると、終わるのが怖くなる」


 その言葉に、何も返せなかった。


     *


 九月。


 空は赤いまま戻らなくなった。


 世界中で避難計画が始まった。

 けれど、全員が助かるわけではなかった。


 ニュースは少しずつ言葉を選ばなくなった。


 衝突。

 壊滅的被害。

 人類存続確率。

 選別避難。


 そんな言葉が、当たり前みたいに流れるようになった。


 学校もほとんど休みになった。


 それでも俺は、毎日屋上へ行った。


 レナがいるから。


 ある日、屋上に着くと、レナはいなかった。


 初めてだった。


 フェンスの前にも、給水塔の影にもいない。

 空だけが赤く広がっている。


 胸がざわついた。


 まさか、もう次の星へ行ったのか。

 何も言わずに。


 そう思った瞬間、怖くなった。


「レナ!」


 屋上で叫ぶ。


 返事はない。


 階段を駆け下り、校舎を探す。


 空き教室。

 廊下。

 昇降口。

 体育館裏。


 どこにもいない。


 最後に、校門の近くにある自販機の前で見つけた。


 レナは缶の炭酸飲料を持って立っていた。


「いた」


 俺は息を切らしながら言った。


「何してんだよ」


「炭酸を買ってた」


「それだけ?」


「うん」


「心配しただろ!」


 思ったより大きな声が出た。


 レナは少し驚いた顔をした。


「心配?」


「急にいなくなるから」


「少し離れただけ」


「そういう問題じゃなくて」


 そこまで言って、俺は言葉に詰まった。


 自分でも分かってしまった。


 怖かったのだ。


 レナがいなくなることが。


 世界が終わることよりも、その瞬間は怖かった。


 レナは缶を見つめながら言った。


「ごめん」


「……いや」


「心配されるの、初めてかも」


「観測員なのに?」


「観測員だから」


 レナは缶を開けた。


 プシュッ、と音が鳴る。


 もう顔をしかめなかった。


「炭酸、慣れたな」


「うん」


「地球人に近づいた?」


「たぶん」


 レナは少し笑った。


 俺も笑った。


 でも、その笑顔が少しだけ泣きそうに見えた。


     *


 十月。


 世界は、終わりを認め始めた。


 学校は正式に休校になった。

 街の店は閉まり、電車の本数は減り、夜になると停電が起きた。


 それでもコンビニだけは、なぜかしぶとく営業していた。


 俺とレナは、最後の営業日だというコンビニでアイスを買った。


 ソーダ味はもう売り切れていた。


 レナは少し迷って、バニラを選んだ。


「ソーダじゃなくていいの?」


「今日は違うのにする」


「成長したな」


「地球人っぽい?」


「かなり」


 店の外で食べる。


 街灯は半分くらい消えていた。


 遠くでサイレンが鳴っている。


「ねえ、湊」


「何」


「私、観測記録に嘘を書いた」


「嘘?」


「地球文明は、滅亡直前まで文化的活動を継続。情緒的価値を重視する傾向が強い」


「それ嘘なの?」


「本当。でも少し足した」


「何を」


 レナはバニラアイスを見つめたまま言った。


「美しい文明だった、って」


 胸が詰まった。


「それは嘘じゃないだろ」


「観測記録には、主観を入れない決まり」


「じゃあ怒られるな」


「うん」


「怖い?」


「少し」


「そっか」


 俺は赤い空を見上げた。


「でも、俺は嬉しいよ」


「どうして?」


「誰かが地球のことを綺麗だったって残してくれるなら、ちょっと救われる」


 レナは何も言わなかった。


 ただ、アイスを最後まで食べた。


     *


 世界が終わる前日。


 俺は家族と最後の朝食を食べた。


 母さんはいつもより豪華な味噌汁を作っていた。

 父さんは普段飲まないコーヒーを淹れていた。


 妹は泣きそうな顔で、スマホを握っていた。


 誰も、世界の終わりについて話さなかった。


 テレビはもう映らない。

 ネットもほとんど繋がらない。


 ただ、外の空だけが異様に明るい。


「今日も出かけるの?」


 母さんが聞いた。


 俺は頷いた。


「うん」


「屋上?」


 驚いて母さんを見る。


「知ってたの?」


「最近、毎日同じ方向に出ていくから」


「そっか」


 母さんは少しだけ笑った。


「大事な人?」


 俺は答えに迷った。


 友達。

 宇宙人。

 観測員。

 世界の終わりを告げた少女。


 どれも正しいけど、どれも違う。


「うん」


 結局、それだけ言った。


「大事な人」


 母さんは何も言わずに頷いた。


「行ってきなさい」


「いいの?」


「最後くらい、自分で決めなさい」


 父さんがコーヒーを飲みながら言った。


「帰ってこられるなら帰ってこい」


「うん」


「帰れなくても、ちゃんと生きてろ」


 変な言い方だった。


 でも、分かった。


「うん」


 俺は家を出た。


 玄関を閉める直前、妹が小さく言った。


「お兄ちゃん」


「何」


「ちゃんと告りなよ」


「は?」


「最後なんだから」


「いや、そういうんじゃ」


「そういうんでしょ」


 妹は泣きそうな顔で笑った。


「ばればれ」


 俺は何も言えず、玄関を出た。


     *


 学校は静かだった。


 校門は開いていた。

 誰もいない。


 廊下には、文化祭のポスターが貼られたままになっている。

 開催されるはずだった行事。

 提出されるはずだった課題。

 使われるはずだった教室。


 全部が途中で止まっていた。


 屋上の扉を開ける。


 レナはいつもの場所にいた。


 フェンスにもたれて、赤い空を見ていた。


「来た」


「来た」


 それだけ言って、隣に座る。


 空には、いくつもの光が見えていた。


 流星群というには大きすぎる。

 星というには近すぎる。


 終わりが、目に見える距離まで来ていた。


「怖い?」


 俺が聞くと、レナは少しだけ頷いた。


「少し」


「観測は慣れてるんじゃないの」


「慣れてる」


「じゃあなんで」


「今回は、湊がいる」


 ずるい答えだった。


 俺は何も言えなくなる。


 風が強くなった。


 街のどこかで、サイレンが途切れた。


「ねえ、レナ」


「何」


「地球が終わらなかったら、どうする?」


「終わるよ」


「もしもの話」


 レナは少し考えた。


「もう少し、コンビニに行きたい」


「そればっかだな」


「あと、花火をもう一回見る」


「うん」


「海にも行く」


「うん」


「湊の教室も見てみたい」


「つまんないよ」


「それでも」


 レナは俺を見た。


「湊がいた場所だから」


 胸が苦しくなった。


 言わなきゃいけないと思った。


 妹の言葉なんて関係ない。


 世界が終わるからでもない。


 ただ、今言わなかったら、俺はたぶん最後の瞬間まで後悔する。


「レナ」


「うん」


「俺、お前のこと好きだ」


 言った。


 言ってしまった。


 終わる世界の屋上で。

 赤い空の下で。

 宇宙人に告白した。


 レナは瞬きをした。


 それから、少し困ったように笑った。


「知ってた」


「知ってたのかよ」


「観測員だから」


「便利すぎるだろ」


「でも、言われると違う」


 レナは自分の胸に手を当てた。


「ここが、痛い」


「それ、たぶん嬉しいんだよ」


「嬉しいと痛いの?」


「たまに」


「地球人、面倒だね」


「今さらだろ」


 レナは笑った。


 そして、小さな声で言った。


「私も、湊が好き」


 その瞬間、世界の終わりが少しだけ遠くなった気がした。


     *


 夕方。


 空が白く光り始めた。


 遠くで何かが崩れる音がする。

 地面が小さく震える。


 街の灯りはほとんど消えていた。


 けれど屋上だけは、夕焼けみたいな赤い光と、終末の白い光が混ざって、不思議なくらい綺麗だった。


 レナは俺の隣に座っている。


 手を繋いでいた。


 冷たい手だった。


「ねえ、湊」


「何」


「観測記録、最後の一文を決めた」


「何て書くの」


 レナは空を見上げた。


「地球は、最後まで誰かを好きになれる星だった」


 俺は笑った。


「主観入りすぎ」


「怒られるかな」


「めちゃくちゃ怒られる」


「そっか」


 レナも笑った。


「でも、いいや」


 空の光が強くなる。


 風が止まった。


 音が消える。


 世界が息を止めたみたいだった。


「怖い?」


 レナが聞く。


「怖い」


「私も」


「そっか」


「でも」


 レナは俺の手を少し強く握った。


「悪くない半年だった」


「俺も」


 視界が白く染まっていく。


 何も見えなくなる直前、レナが言った。


「地球、綺麗だった」


 その声は、泣いているみたいで、笑っているみたいだった。


 俺は最後に、彼女の手を握り返した。


 そして世界は、光に包まれた。


     *


 観測記録、地球文明最終報告。


 対象惑星、現地名・地球。

 文明レベル、低〜中程度。

 文化活動、多様。

 感情表現、極めて複雑。

 終末直前まで、娯楽、対話、恋愛、食事、祭事を継続。


 特記事項。


 この星の生命体は、終わると分かっているものを大切にする。

 消えると知っている光を見上げ、溶けると知っている氷菓を味わい、別れると知っている相手の手を握る。


 非合理的。

 けれど、美しい。


 最終記録。


 地球は、最後まで誰かを好きになれる星だった。

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