9.ルピナス視点*巻き戻る前の私
就寝時間。私は花の小屋の中で花魔法を使い、フワフワな花ベッドを作り眠る準備をした。ヴェルゼとエアリーは外で眠るという。
「おやすみなさい」
「ルピナス、結界を張ってあるから何も起こらないと思うが、何かあればすぐに鈴を鳴らせ」
「ルピナス様、それではよい夢を」
ふたりは外に出ていった。小さなランプの明かりを消すと真っ暗。そして、しんと静まる中で遠くから獣の吠える音がした。けれど外にはふたりがいるから不安はなかった。
エアリーが、ヴェルゼの過去の記憶を送ると言っていたから、ベッドに座り待機する。
しばらくすると、キンと頭の中で音がした。するすると映像が頭の中に流れてくる。今流れている映像はヴェルゼの視点? だとしたらこの街は魔界だろうか。暗めだけど、人界でもありそうな街並みで、いくつも建物が立っている。目の前に、今日花魔法で作ったものよりも小さな花の小屋が現れた。それが炎の魔法でぼうっと燃え、一瞬で消えた。それからしばらくすると、とても大きくて立派な石造りの建物に入ってゆく。目の前にはひとりの女がいた。その人は私と同じ顔をしていた。時間が巻き戻る前の、ヴェルゼの元へ嫁いだ私だろう。表情は暗い。「無駄に魔力を使うな。あの小屋は消しておいた。花が嫌いだ。あの見た目も匂いも……目の前にあるだけで虫唾が走る」とヴェルゼが冷たく言い放つ。映像の中の私は、はっとした表情をした。だけど何も言い返さない。
――酷すぎる。私はともかく、花をあんな風に燃やすなんて……。
それからふたつ、冷たいヴェルゼのシーンが映し出され、パチンと映像が閉じた。と、同時にリアルでは外から光が。急いで外に出ると、エアリーがモフモフにされていた。
「くそっ」と言い、ヴェルゼは舌打ちをした。
「なんでこいつは我に催眠魔法を……我の魔力が戻ってきているから効き目は一瞬だったものの」
一瞬ではなかったけれど……もしかして、映像を観ていた時間、ヴェルゼは睡眠魔法にかかっていた……?
「裏切りか……こいつも」
ヴェルゼはエアリーに魔法をかけようとした。私は間に入り、それを止めた。
「何故邪魔をする」
「エアリーは私に、あなたの過去の事実を伝えるためにあなたを眠らせたのです」
「な、なんだと? では、そなたは見てしまったのか? 我の、そなたに対する酷い態度を」
「えぇ、見てしまいました。しっかりと」
「な、なんと……そんな……」
「あなたは『花が嫌いだ。あの見た目も匂いも。目の前にあるだけで虫唾が走る』とおっしゃいました。あなたは花がお嫌いだったのですね」
「いや、それは……」
「あの映像を見るからに、私は本当に醜い扱いを受けていました……ただでさえ悪魔と人間の間には距離があるというのに」
「あれは、本当に反省している」
「私があんな扱いを受けていたなんて。想像よりも酷くて。私はともかく、花をあんな風に扱うなんて。私はあなたと一緒になるのが不安です。もしも本当に私に選択肢が与えられるのなら、あなたの元へは嫁ぎたくはないです」
「いや、それは……」
一緒に過ごしているうちに、ヴェルゼのことを優しく感じ、共に過ごすのもよいかもしれないと気持ちが少し揺らいでいた。けれどもやはり、悪魔は噂通りそのままの悪魔なのか。
「本当は、悪魔なんかに嫁ぎたくない。なんで私が行かないといけないのでしょうか? 私は優しい人間と結婚して、あんな映像みたいな生活なんかじゃなくて、本当は平和に、幸せに過ごしたいのです。特別なものはいらない。ただ平凡な幸せの中で過ごしてみたかった……」
今まで心の底に閉じ込めていた、誰にも、お母様にさえ言えなかった言葉が溢れ出てきた。もしかしたら魔界では今よりも素敵な人生が送れて、幸せになれるかもしれないと思い込むようにしていた。本当は、魔界は噂通りに人間にとっては最悪な場所だと考えると怖い。映像をみて、更にその思いは深まる。
頭の中に流れた映像は、時間が巻き戻る前に実際起こった出来事で、今生きている私に起こったわけではない。けれどまるでリアルに体験したような感覚になってきた。映像での出来事が私の心に突き刺さり、今の心の痛さと映像の中にいた私の心の痛さが同化する。