039 隣人の毒を愛せよ
「食事の時って、外から使うんですよね?」
「ええ、カトラリーは外側に置いてある物から音を立てないように使うのよ」
「か、カトラリーってなんでしたっけ?」
「ナイフとかフォークのことよ⋯⋯って、さっき教えたばっかりじゃないの!」
王宮の一室の中、ため息まじりに告げてくるラズに、アリソンは「うぅ」と弱々しい声を零す。
御前試合、そしてドワイトの一件から数日後。王宮内で来賓として扱われているアリソンとラズは、晩餐会に出席するよう招待を受けた。
招待と言っても、国王夫妻からの招待なので、実質のところ通達事項のようなものである。もちろん、アリソンだってそのことに不満があるわけではない。ただ、国王夫妻との食事なんて、うっかり粗相でもしたら牢屋行きなのではないかと気が気じゃないだけである。なにしろ、ただでさえ慣れない服を着ているのだから。
ラズは左右の裾の長さが非対称になった、背中が大きく開いたデザインの深い紫のドレスを身にまとっており、対するアリソンはふんわりとした丸いパフスリーブが可愛らしい黄緑色のドレスを身につけている。いずれも庶民には手の届かない素材で作られていることは間違いなく、また当然のことながら、大事な借り物だ。汚しでもしたらどうなるかは考えたくない。
「えっと、食事の時って、」
「それを聞くのが何回目なのか覚えてる? もう、しっかりしなさいよ。ほら、部屋の中をうろうろしない!」
椅子に座っているラズに一喝され、ちょうど部屋の中央を行ったり来たりしていたアリソンは反射的にピシッと背筋を伸ばして固まる。
「で、でもっ」
「緊張しすぎ、肩の力を抜きなさい。どうせあたし達に一流のマナーなんて期待されてないわよ、最低限こなせればいいの。主役は騎士たちだし」
今夜の晩餐会には、アリソンたちのほかにも、ドワイトの討伐に関わった騎士たちも招待されているらしい。知り合いらしい知り合いはミゲルぐらいなものだが、それでも顔見知りがいる分、少し気が楽になるようなそうでもないような。
伸ばしていた背筋を丸めて猫背になるとラズの視線が突き刺さり、アリソンは慌ててまた背筋を伸ばす。
「もう、少しは落ち着きなさいって──」
「失礼します。アリス様、ラズ様、準備が出来ましたのでご案内いたします」
ノックの音に、二人は揃って扉へと目をやる。
「アリス」はアリソンが王都で使っている偽名で、本名と似ているから万が一間違えてもケアが効きやすい、とはラズの談であるが、いまだに自分の名前であるという気がなかなかしない。
「分かった、今行くわ」
返事をしたラズは、喉をごくりと鳴らしたアリソンの手を軽くリードするように引いて歩き出す。
「戦いに行くわけじゃないんだから、落ち着きなさい。緊張しすぎるとかえって上手くいかないわ」
「は、はい⋯⋯!」
そう、戦いに行くわけじゃない。
それでも、ラズが服の下に器用に武器を滑り込ませたことをアリソンは見逃さなかった。よくそんな余裕があるなぁ、と少々ズレた感嘆の息をもらして、アリソンもラズの歩幅に合わせて一歩を踏み出した。
◇◆◇
正装した人々が列をなして食事をする光景は、たとえ彼らがにこやかな表情を浮かべていても、家族団欒の食卓の場とは何かが違って見えて身が竦む。鮮やかに並んだカトラリーを前に、外から、外から、と念じながら食事に臨んでいると、目の前に座る貴族の男が「美味しいかい?」と話しかけてくる。
「は、はい! 母のつく──ッあいたっ!」
「ん?」
「い、いえ、えーと、つまりその、美味しすぎて痛いぐらいだなぁと!」
「ははは、面白い比喩だね」
朗らかに笑って男が隣の女性と談笑し始めたのを見て、そっとアリソンはラズを見やった。左隣に座ったラズはすまし顔で、切り分けた野菜を口に運んでいる。貴族たちには及ばないものの、程よく洗練された所作は彼女を優雅に飾っており、今のラズはとてもじゃないが机の下で足を踏んでくるような人には見えない。
ちらちらとアリソンから向けられる視線に耐えきれなくなったのか、ラズはそっと口をナプキンで拭くふりをしてさりげなく体をこちらに傾けて囁いた。
「母の作る料理の味と似てる、って言うのはやめておきなさい」
「えっ、褒めてるのに?」
「あなたが褒めてるつもりなのは知ってるわよ。でも、やめておいた方がいいわ」
「は、はあ⋯⋯」
要領を得ないラズの説明に首を傾げつつも、彼女の忠告は覚えておくことにして、アリソンは止めていた食事の手を再開する。
代わる代わる運ばれてくる皿の数と綺麗に並べられた食事から、似ても似つかないはずの母の料理の味がするのは不思議な気持ちだった。まるで夢の中に迷い込んだようで、地に足がつかない心地になる。
本当はまだ自分はドルフ村の家にいて、長い夢を見ていただけなんじゃないか──なんて、未練がましい考えが頭を掠め、思わず自嘲が顔に浮かぶ。
聖都で大司教の死体を井戸に放り込んだ時の重さも、みんなが寝静まった頃にセネカの死体を掘り返したことも、誰もいない闘技場に忍び込んでドワイトの心臓を抉り出した時の感触も、アリソンの手は全て覚えている。
こうしてカトラリーを握っている今でも、ふとした時に肉と血の感触が肌を這い上ってくるというのに、今さら全部夢だと? そんな甘い話、あるわけがない。
あれは確かに現実で、確かに自分が手を汚し、手を下したことだ。
暗い回想に意識が沈みかけた時、ふいに「そうそう、アリスさんといえば」と偽名を呼ばれて、アリソンは顔を上げる。
「アリスさん、あの魔術式について教えてくれませんか?」
「え⋯⋯っと」
「ああ、私はラッセルと申しまして、王宮に仕えている魔術師なんですけどね。いやあ、あの炎の竜は天才魔術師と名高いセネカ様の十八番でしょう? 魔術学院の教授の誰もが解明を諦めた式なのに、ああも鮮やかに再現できるとは! ぜひ、どんな式なのか聞かせて頂きたいんですがね」
そう言ってきたのは、整然と並んだ貴族たちの中でもとりわけ目立たない男だった。式典用と思わしき豪奢なローブは、確かに魔術師らしい身なりだ。
男の質問でいつの間にか晩餐会中の視線が集まり、アリソンは喉が一気に乾くのを感じる。
どうしよう、そもそもあれは魔術ではなく魔人の異能で、でも当然それを言うわけにはいかないから魔術で通すしかなくて、でも、でも。
でも、アリソンは未だに、ただの火を灯すだけの魔術にすら、成功したことはないのだ。
デタラメな式を偽ろうにも基礎もなっていない素人に、どんな嘘がつけよう。
目の前がぐるぐるし出したアリソンに、ラズがくすくす笑いながら口を開く。
「いけないわ、ラッセル様ったら。他人の魔術式を第三者から聞き出すなんて、条約違反よ。そこはセネカ様に聞かなくちゃ」
「いやぁ、バレてしまいましたかー。あのセネカ様の魔術式を再現、いや、少しアレンジも加わっていたかね? そんな芸当ができる人が目の前にいたものだからついね! 今日だけの無礼講ということで許してくれ!」
「もちろん。晩餐会の席での、ちょっとした冗談だもの。⋯⋯ね、アリス?」
いつもとは少し違う様子のラズに目を見張った後、睨みつけるように細められた蒼に慌ててコクコクと頷く。
「全く、何を言い出すかと思えば⋯⋯アリス殿が式を明かしていたらどうなっていたんだ」
「そうですわ。ラッセル様ったら、ご冗談がお好きなんですから」
周りの朗らかな空気を見るに、自分はラッセルにからかわれたらしい。
何はともあれ、ラズのおかげで助かったな、と胸を撫で下ろすと、ポツリと彼女が零す。
「試されてたわね、今」
「えっ?」
「アンタが馬鹿正直に式を明かすかどうか、試されてたのよ」
「⋯⋯ちなみに、明かしてたらどうなってたんです?」
怖いもの見たさのアリソンの質問に、ラズは「そうねえ」と呟くと、口端を歪めて答える。
「名もなき英雄から、牢屋の住人に転職かしらね。発明者の許可なく式を解明して再現するのは許されるけれど、その式の内容を許可なく他者と共有したり、公開するのは罪に当たるから」
「え、えぇ⋯⋯」
「気をつけなさい。ここは、腹に何か隠してる人間ばっかりよ」
腹に何か──それは、親切にしてくれたミゲルも同じなのだろうか。
少し離れたところに座る糸目の少年を見やり、アリソンは闘技場でのことを思い出す。
『君の名前は、アリソン? それともアリス?』
そう問いかけきた彼に、アリソンは自分を「アリス」だと言い張ったけれど、何故彼はアリソンの本名を言い当ててきたのか。
それにあの時、闘技場で一瞬聞こえた、自分とミゲルの名を呼ぶ声。
聞き間違えるはずがないあの声は──
「おお、次は口直しのデザートですか!」
「うむ。ラスタの⋯⋯妃の好物の、桃のシャーベットだ。皆、溶ける前に食べてくれ」
「王妃様は残念でしたね、体調が優れないとは」
「そういえば勇者様たちも同じような理由で断られていましたね。風邪が流行ってるのでしょうか」
「いや、勇者様の場合は⋯⋯」
国王と側近たちが話しているのを聞いて、アリソンは我に返り、運んできてくれたメイドに礼を言ってスプーンに手をかける。
シャーベットなんて、見たことも聞いたこともなかったけれど、キラキラしていて美味しそうだ。
一口すくって、口に運ぼうとした時──ふいにその手をラズが叩き落とす。パシン、とその場に乾いた音が響き、広間が静まり返る。
「な、なんだね、一体何を⋯⋯」
「食べないで! 毒があるわ!」
「えっ⋯⋯」
「なんだと!?」
目を見開いたアリソンの目の前で、ラズは苦しげに眉間に皺を寄せると、喉元を掻きむしるように胸元を掴む。噛み締めた唇からごぽりと血が溢れ、ふらりと上体が傾く。考えるよりも先にか細い身体を受け止めたアリソンは、震える声で彼女の名を呼ぶ。
「ラズっ、ラズ!? しっかりしてください! だ、誰か! 癒し手の人を⋯⋯!」
「ッ、だ、いじょうぶ、耐性、あるから⋯⋯それより、他の人は⋯⋯っ、」
「他に食べた人はいるか?」
「ぼ、ボクが⋯⋯でもなんともないです、今のところ」
「じゃあ彼女だけが毒を盛られたのか?」
「いくら陛下のご招待を受けているとはいえ、ただの旅人を狙う奴などいるものか! 狂言ではないのか?」
ざわめく周囲から上がった疑いの声を、アリソンはキッと睨みつける。
「ラズはそんなことしません! 見てください、こんなに苦しんでいるんですよ!?」
「だ、だからなんだ! 演技かもしれないだろうが!」
「なっ⋯⋯」
なんてことを言うのだ。彼女がこんなにも息を荒くし、弱々しくアリソンの袖を掴んでいるのが見えないのか。口元を抑える手の間から血が今も零れているのが見えないとでも?
頭の中が真っ赤になり、自分の心臓の音が痛いぐらい大きく脈打つのが聞こえる。
どうしよう、ラズが死んだらどうしよう。
恐怖を怒りで抑え込み拳を握り締めた時、「待て!」と先ほどのラッセルと名乗った魔術師が声を上げる。
「彼女の使ったスプーンをよく見るんだ、変色しているぞ!」
「あっ⋯⋯!」
「王宮で使われている食器は、すべて銀製だ。そして銀は毒で変色する。つまり、彼女のものにだけ毒が盛られていたんだ!」
大きくなるどよめきの中、アリソンはただ腕の中のラズを注視していた。
息を整えた彼女は、口元を拭うと顔を上げる。
「ごめんなさい、騒ぎを大きくして」
「も、もう大丈夫なのか?」
「ええ。以前、誤って毒を口にしたことがあるので、耐性があるんです。⋯⋯大丈夫、一口程度じゃ死にません。でも、ずいぶん強い毒だったわ。あたし以外の人だったら危なかったでしょう」
そう言ったラズに、誰もが息を飲む。
まだ少し呼吸の浅い彼女が体を離そうとするのを、アリソンは無意識にぎゅっと強く引き寄せて拒む。いつまでも自分のことを離そうとしないアリソンの様子に、ラズは困ったように微笑み、その手を撫でる。
「大丈夫よ。知ってるでしょ、あたしが勇者のせいで毒に耐性があることは」
耳元でそう囁かれたからと言って、易々と彼女を手離せるアリソンではない。譲る気がないことを感じ取ったラズは、アリソンの腕の中でラズは諦めたように力を抜く。
「⋯⋯ラズ殿、危険に晒してすまなかった。今回の犯人は捕まえる、必ず。また、貴殿の滞在中にこのようなことがないよう、毒味を徹底させよう」
「感謝いたします、陛下」
「やはりまだ顔色が悪いな、別室で休むと良い。誰か、ラズ殿を部屋に案内せよ! 癒し手も早急に向かわせろ!」
「あっ、私が運びますから大丈夫です」
ラズの身体に触れようとした使用人の手をやんわりと防ぎ、アリソンはラズの背中と膝の下に手を入れる。ちょっと、と抗議するような視線を向けられるが、そんなものはまとめて無視して一気に抱き上げた。スレンダーな見た目に違わず、予想通り軽い身体を落とさないようしっかりと力を込めて抱える。
「そ、それではこちらへどうぞ。癒し手の方もすぐに到着いたしますので⋯⋯!」
「はい、ありがとうございます。皆さんすみません、お先に失礼します」
「本日はお招き頂きありがとうございました。どうぞ良い夜を」
最低限の礼儀だけを示し、アリソンは踵を返す。先導してくれている使用人を追い抜きかねない速度で廊下を歩きながら、アリソンの脳裏には苦しげに呻くラズの声がこだましていた。
誰が、何のためにラズに毒を盛り、そしてなぜ彼女は──
心ここに在らずとばかりに思索に沈むアリソンと、彼女に抱き抱えられて居心地悪そうにするラズ。
そんな彼女らを一瞥したのち、国王は人々に晩餐会の中止を告げる。残りの食事に毒が盛られていない保証もないのだから、人々は当然異論なく挨拶もそこそこに広間を後にしていく。きっと明日には王都中に毒のことが伝わっているだろう。
「おい行くぞ、ハンフリー」
「⋯⋯ああ」
その場に最後まで残っていたミゲルを先輩騎士が突っつき、早く出るように促す。
ラズが座っていた辺りをしばらく見つめた後、ミゲルも広間に背を向け、すでに去っていった人々に倣って部屋を出ていく。
アリソン、ラズ、ミゲル、国王、貴族たち、そして毒を盛った「誰か」──それぞれの思惑を載せて、夜は更けていくのだった。
◇◆◇
「で、アンタはまだ安心できないわけ?」
あてがわれた一室の中、堅苦しいドレスを脱ぎ去り、下着のような格好でベッドに座ったラズは開口一番にそう言った。
対するアリソンは、彼女の前にドレス姿のまま突っ立って、拳を握り俯いている。
「癒し手の人も言ってたじゃない、身体に残った毒を解毒したからもう問題ないって」
「⋯⋯心配したらだめですか?」
「あなたね⋯⋯いつからそんなに心配性になったのよ? 癒し手が犯人とグルなのを疑ってるんじゃないでしょうね? 流石にそれはないわよ、実際に身体がさっきよりも楽になってるんだから。ほらそんなことより、アンタもさっさとその窮屈なドレスを脱いだら? まさかそのまま寝るつもりじゃ、」
「わざとですよね」
唐突なアリソンの言葉に、ラズは息を止める。
「⋯⋯何が?」
「毒を飲んだの、わざとですよね」
確信を持って口を開いたアリソンは、自分の靴を見つめながら握った拳に力を込める。
そうであるに違いない。だけど、そうであって欲しくない。
けれど、そんな矛盾した願いは聞き届けられることなく、「そうね」とあっさり肯定されてしまう。
「確かにあたしは、毒があるのを承知の上で口に含んだわ」
「なんでそんなこと⋯⋯っ! 一歩間違えれば死んでたかもしれないのにっ!」
くしゃりと顔を歪めたアリソンに、ラズは苦笑する。
「大袈裟ね。言ったでしょ、一口ぐらいじゃ死んだりなんかしない、って。ちゃんと量は考えて口にしてたわよ。あたしの身体のことはあたしが一番よく分かってるもの」
「だからって⋯⋯っどうしてわざわざ自分の身体を危険に晒すようなことをするんですか!」
アリソンの言葉に、ラズはきょとんとした顔をする。
無防備な子供のような表情に嫌な予感を覚えるよりも早く、ラズはその表情のまま口を開く。
「血を吐くぐらいでレインナートへの疑いの種を蒔けるなら、やるに越したことはないでしょ」
「は⋯⋯」
「一歩間違ったら自分があんな風に苦しんでいたのかも、死んでいたのかもと思わせるには、スプーンの色が変色するところを見せるぐらいじゃ足りないわ。目の前で血の一つでも吐いてこそ、彼らは恐怖を覚える。そして必ず疑うわ。次は自分がこうなっているかもしれない、って」
「それが目的だったんですか? そのために危険を冒して⋯⋯?」
「そうよ。自分が死んでたかもしれない、そう思わせなきゃ誰も本気で犯人を追い詰めてくれないもの。ましてや犯人がアイツなんだから」
「犯人って、まさか⋯⋯」
「決まってるでしょ、レインナートよ」
迷いのないラズの返答に顔を上げると、彼女は「予想してなかったわけじゃないでしょ」と言う。
「簡単じゃない、今この城であたし達を殺す理由があるのは勇者だけだもの。まあ、あの男のことだから誰か魅了した女にでもやらせたんでしょうね」
「⋯⋯それで、レインナートを捕まえさせるためにこんなことを?」
「いいえ、アイツはすぐには捕まらないわ。何しろ人間が魔人に対抗する唯一の手段、聖剣フォルティスを扱える勇者なんだもの。例え実行犯の女が自白したとしても、レインナートのことはもみ消されるわ。今はね」
「だったらなんで!」
「言ったでしょ、疑いの種を蒔いたんだって」
疑いの種?
意味が分からず困惑するアリソンに、ラズは淡々と続ける。
「さっきも説明したけど、あたしはあの場にいた全員に、もしかしたら自分が殺されてたかもって思わせたかったのよ。勇者は魔人だけじゃなくて人を狙うんだ、もしかしたら狙われていたのは自分かもしれない、そうでないとしても次は自分かもしれない⋯⋯まずはそう思ってもらいたかったの。本当にレインナートが他の貴族を狙うかは知らないわよ? ただ、そうやって心に蒔かれた疑いの種が芽を出せば、勇者の立場を少しは揺らがせると思って。だって、四六時中自分を殺してくるかもしれない相手とは手を取り合えないでしょ?」
「⋯⋯そんなうまくいくんですか?」
「さあ、どうかしらね。こういうのは、いくつも種を蒔いてそのうち一つでも芽が出れば良いと思ってすることよ。ほら、納得したならそろそろ寝なさいよ。体に悪いわよ」
その、夜ふかしがしたいと言う子供を諌めるような物言いに、頭の奥がカッと熱くなる。
ラズは分かっていない。どうしてこんな話をしているのか、どうして自分が怒っているのか、ちっとも分かっていないのだ。
「だったら、私が同じことしてもいいですよね?」
「は? アンタは駄目よ。毒に耐性がないアンタが飲んだりしたら、下手をすれば死ぬでしょ。でもあたしは違う。あの男に、勇者に飲ませられた毒はこんな程度のモノじゃない。だから⋯⋯」
「ッ、いいわけない! 何でそうやって、私にはさせないくせに、自分のことは蔑ろにするんですか? もっと自分のことを大切にしてくださいよ⋯⋯!」
「⋯⋯自分を大切に、ね。そんなことしてなんの意味があるの?」
「え⋯⋯」
「自分の命なんかを捨てさえすればレインナートを殺せるんだったら、あたしは喜んで差し出すわよ」
──ラズが復讐に懸ける想いの強さを、知っていたつもりだった。けれど、轟々と燃える蒼い瞳を前に、アリソンは彼女の覚悟が想像以上のものだったと思い知る。
そうだった。彼女はそうやって、自分を簡単に投げ出せてしまえる人なのだった。いつだってどこかへ消えてしまいそうで、「置いていかない」と言ってくれるくせに、そうやって事もなげに口にしてしまう。ラズがいなくなったらと思うと、アリソンはこんなにも不安になるのに。
「言っておくけど、アンタに同じようにしろだなんて思ってるわけじゃないわ。イグニスが最期に助けたアンタには生きてて欲しい。だけど、あたしには同じことを望まないで」
「っ、なんで⋯⋯私だって、ラズに生きていて欲しいですよ⋯⋯!」
「⋯⋯あたしも、こんなところで死ぬつもりなんてないわよ。だからいい加減、安心してちょうだい」
そう、「こんなところで死ぬつもりはない」のだ。けれど、「生きるつもりがある」とは言ってはくれないのだ。
自分だってアリソンの未来を望んでいるくせに、アリソンが同じようにラズの未来を望むことには、応えてくれない。
アリソンにだって分かっている、大切な人が亡くなった世界で生き続けろと言われることがどれだけ残酷なことなのか。それでも、どうしたって望んでしまう。同じ悲しみを背負い、同じ男を殺そうと共に駆け抜けてきた彼女の未来を。そして願わくば、この先も共にいられることを。
「⋯⋯平行線ね」
「平行線ですね」
互いの表情から、考えていることはなんとなく分かった。きっとどちらも、譲れない。
しばらくの間無言で顔を見合わせた後、アリソンは彼女に背を向け、扉に手をかけた。開いた扉の隙間から、夜の冷たい風が部屋の中に流れ込む。
「頭を冷やしてきます」
「あまり遅くなるんじゃないわよ」
「はい、分かってます」
「⋯⋯遠くに行かないようにね」
「それも分かってます。子供じゃないんですから」
苦笑いを浮かべて、アリソンは扉を閉める。
しんと静まり返った夜の空気が、鼻の奥をツンとさせる。自分から外に出たのに、まるで閉め出されたような気持ちになってしまい、ため息をつく。
「だめだめ、考えない考えない!」
ペシンと自分の頬を叩き、アリソンは顔を上げる。
ぐるぐる考えたって仕方ない。きちんと頭を冷やして、気持ちを切り替えなくちゃ。そのためにわざわざラズを一人残して出てきたんだから。
ぐっと大きな伸びをしたアリソンは、ペタペタと庭園に面した廊下を歩き出す。
湖の中央にある王宮は、その中央に広い庭園があり、庭園に面した廊下は壁がないおかげで開放的な造りになっている。しかも、この時間は別の場所を見回っているのか、衛兵がほとんどいないため礼儀に気を使う必要もない。おかげで欠伸も伸びも自由にできて楽だ──わだかまりを抱えたままの自分の心以外は。
「あっ、まんまるお月さまだ。綺麗⋯⋯」
柱と柱の間、庭園の真上に見える黄金の円に向かって戯れに手を振ってみる。母が作ってくれた焼き菓子の色によく似ていて、美味しそうだ。
そんなことを考えながら歩いていると、ふいに庭園を挟んだ向かい側の屋根の上に不自然な影を見つけた。鳥にしては大きく、しかし煙突や飾りのようにも見えない。何より、時折動いている。
「⋯⋯もしかして、屋根の上に誰かいる?」
行くべきか、行かざるべきか。
数秒悩んだ後、アリソンは庭園の土を踏みしめた。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
次回更新日:12/4予定 → 12/11予定 に延期いたしました。詳しくは活動報告をご覧ください。




