幕間 勇者の嘆き、魔の凱旋
勇者の仲間であり、騎士団長でもあったドワイト・ダーモットが魔の力に侵され、多くの人々を襲ったこと、そして若き騎士と名も知れぬ少女たちによって討伐されたことは瞬く間に知れ渡った。
そのおかげで、王都ではいまや新たな英雄譚がもてはやされており、朝から雲が上空を覆い陰気な雨がじめじめと降り注いでいるこんな日でも、お喋りな鳥たちは噂話に花を咲かせている。
「それでね、その子はあのセネカ様と同じ魔術を使っていたんだって!」
「火の中にいる相手の上に飛び乗ったって話もあったよなぁ」
「うちの娘たちと同じぐらいの年齢だっていうのに、英雄様と渡り合うなんてすごい話よね」
「っていうか、王宮で働いてる友達に聞いたんだけど、その人たちって今さぁ──」
そんな彼らに気づかれないうちに背を向け、レインナートは人通りの少ない道を選んで目的地へ向かう。
ドワイトを「討伐」した、謎の二人組の少女の話題は街角から王宮まで、どこにいても耳に入ってくる。
誰もが言う、これ以上被害が広がる前に討伐されてよかったと。その言葉にどれだけレインナートが苛立ったのかも知らずに、勇者様が気づかないのも仕方のないことだから自分を責めなくていい、などと筋違いな同情を向けてくる者すらもいたぐらいだ。
誰もがドワイトの死を不幸中の幸いのように語ることを不愉快に思っているのが、自分、いや、自分たちだけだということが、レインナートには腹立たしかった。
「やっぱりここにいたのね、レイ」
「⋯⋯マルガリータ」
よく知る女性の声に、レインナートは振り返る。
雨に降られては瓦礫の撤去も進まず、放置された闘技場の中。ぼうっと立ち尽くしたレインナートの頭上に、傘を傾けながら赤毛の美女マルガリータは困ったように眉根を下げている。
「傘もささずに雨に打たれたら風邪をひいてしまうわよ? ⋯⋯それに、きっと彼も悲しむわ」
いつも蠱惑的に細められている紫色の目が、本当は優しく理知的であることをレインナートは知っている。
彼女が自分に向ける感情が、仲間としての親愛を超えるものであることも。
「俺は勇者だよ。そんな簡単に風邪をひいたりしない。君こそ、ここにいたら風邪を引くよ。早く王宮かどこかに──」
「レイ、私もあなたと同じ気持ちよ」
「⋯⋯」
「誰も彼もが、ドワイトのことを化け物だとか、魔人の成り損ないだとか言って顧みない。⋯⋯彼は確かに、私たちの仲間だったのに」
よく見ると、傘を持っているのと反対の手に、彼女は白いユリの花束を抱えていた。
白いユリはドワイトの妻が好きだった花だ。「俺に花など似合わんだろう」と言いながらも、花屋を通るたびに彼がちらちらと目をやっていたことをよく覚えている。
「⋯⋯なんでうまくいかないんだろうね。俺はただ、仲間をもう失いたくなかっただけなのにさ」
そう言って、レインナートは再び視線を下に向ける。
──雨晒しになった、ドワイトの変わり果てた亡骸。
彼の身体を堂々と弔うこともできないなんて、この世界はおかしい。間違っている。そんな思いがどうしても拭えない。
俺は勇者で、この世界を守るべき存在なのに。世界を呪ってしまうなどありえない筈なのに。
「ねえ、レイ。その、もう一度⋯⋯」
「もう一度生き返らせることはできないよ」
「⋯⋯」
「できない。ここには材料がないし、第一、時間が過ぎすぎた。ドワイトはもう二度と、生き返らない」
魔人と魔物の死体、そして勇者である自分の血でドワイトの命を繋いだあの日の奇跡を、今でも脳裏に思い返せる。かつてよく言葉を交わした男は、人の言語を失い、定期的に魔力を求めて喰らいついてくるようになったが、それでも仲間の命を救えたことに比べればそんなのは些細な問題だ。
角が生えてくるのなら切り落とせばいい。見た目が人間から遠ざかったのなら、魔封じの鎧と鉄兜で覆い隠してしまえばいい。暴走する危険があるなら、近くにいて止めればいい。
ずっとそうやって、上手くやってきていたというのに。どうしてよりによって、自分がそばにいない時に暴走した。魔人や魔物がすぐ近くにいて、彼の中の材料と共鳴したわけでもないのに。
きっと、運が悪かっただけなのだろうと、本当は分かっている。考えたって仕方がない。血を与えてから人前で武器を振るうまでの間隔が短すぎて、多分、何かの歯車が偶然狂ってしまっただけ。
こんなことが運命であったはずがないから、世界を呪っても仕方がないのだと、本当は分かっているのだ。自分は勇者なのだから、これからも愚かな人々を守って、導いてやらねばならない。
だがそれでも許せないことがある。
例えば救われる側の弱者のくせに弁えない男や女のこと。そして、
「レイ、あなたのせいじゃないわ」
やはり彼女は聡明だ。場末の酒場で踊り子なぞやっているべきではなかったから、あの時彼女を連れ出した自分の選択をレインナートは誇っている。多くの場合には、理解してもらえないけれど。
時折、あの頃のように昏い目をする彼女は、今は悲しみと愛情深さに満ちた眼差しを自分に向けていた。
それに甘えてしまいたい、と思う。
同時に、そうしてはならない、とも思う。
マルガリータは仲間で、俺に捧げられるべき弱者ではない。だから、必要以上に甘えてはならない。例え彼女がそれを許すとしても。
ぐっと拳を握って、レインナートはからりとした笑みを浮かべる。
「いいや、俺のせいさ。だってドワイトを殺したあの女共は、俺が見逃したんだから」
「──いつの事?」
「つい最近。奴隷商人を殺したところを目撃してね、俺が勇者だと知ってなお襲いかかってくる気概の良さが面白かったのと、あとはまあ、弱かったからね。これぐらいしたら見逃してあげるよ、って提示した条件を飲んだから、見逃してやったのさ。それがまさか、こんな⋯⋯」
こんな、から先のことは言えなかった。
俯いたレインナートにマルガリータがそっと手を差し伸べ、そして引っ込める。
かわりに彼女は、花束をドワイトの傍らに置く。甘いユリの花が、腐敗した肉の臭いに混じって雨の中に溶ける。
「恩は、仇で返されるべきじゃないわ。あなたのせいじゃない、絶対に」
「⋯⋯ありがとう、マルガリータ」
「思ったことを言っているだけよ。私が難しいことを考えられるわけないじゃない」
「そんなことないのに。自信がないのが君の唯一の欠点だよ」
微笑みながらそう言って、レインナートはマルガリータに「大丈夫だ」と言外に伝える。
大丈夫だ、だから慰めなくていい。甘やかさなくてもいい。
意図を正しく理解した彼女もまた、返事の代わりに微笑み返してくれる。
ああでも、仲間のよしみで一つだけ手伝ってもらわねばならないことがあった。
しゃがみ込んでドワイトの遺体に手を伸ばしたレインナートに、マルガリータが「レイ?」と戸惑いまじりに呼びかけてくる。
「いや、魔封じの鎧を外してやろうと思って。死んでまでこんな窮屈な鎧は身につけていたくないだろう?」
「⋯⋯それもそうね。ずっと外してやれなかったものね」
「そのうち、どこかにきちんと埋めてやりたいな。できれば奥さんと同じところがいいだろうけど⋯⋯場所を聞いておけばよかったなぁ」
もちろん、魔封じが施されていることに気づかれる前に鎧を回収してしまいたいという魂胆もあったが、ドワイトに窮屈な思いをさせてきた罪悪感ぐらいは持っているつもりだ。ほとぼりが冷めるまでこのまま野晒しにするしかないのなら、せめて少しでも安らかな眠りを彼にあげたかった。
マルガリータと二人で手を動かし、既に金具の切れている鎧を外してやる。
だが、そこで目にしたものに、レインナートは目を見開き、マルガリータは手を口に当てた。
「⋯⋯なんだ、これは」
一段低い声を出したレインナートは、ドワイトの遺体を凝視する。
胸の左側、心臓がある筈のところには歪で大きな穴が──鋭い武器で心臓を抉り出した跡があった。
◇◆◇
「お帰りなさい、ずいぶん遅かったわね」
「うひゃああっ!? びびっ、びっくりしたぁ⋯⋯」
こそこそと、やましいことを考えている盗人のように抜き足差し足で部屋に戻ってきたアリソンを、ラズは胡乱な目で見つめる。
美しい純白に染め上げられ、豪奢な棺のように堅牢な王宮。その中でも特別な客人にのみ入ることを許される貴賓室の中、扉を閉じて立ち尽くしたアリソンと、椅子に座ったまま腕を組んだラズの間に沈黙が流れる。
なぜ自分達が貴賓室にいるのかといえば、それは暴走したドワイトから民衆を守った功績があるから──というのは建前で、実のところ、これだけ手厚い招待を受けている本当の理由は、ドワイトから国王夫妻や貴族を守ったことにあるのだろう。国王がそれを告げた時のレインナートの凄まじい憎悪の目を思い出すだけでラズは背筋が震え、口端が吊り上がりそうになる。高みから見下ろしてばかりのあの傲慢な男にも、今日という日があろうとは!
それはともかくとして、まずは目の前の少女の事がが先だ。
うろうろと落ち着きなく視線を漂わせているアリソンに、ラズは「で?」と短く告げる。
「こんな雨の中、どこに行ってきたのよ?」
「ど、どこって⋯⋯出かける前に言ったじゃないですか。ベティさんに経過報告をするから、ちょっと行ってきますねって」
「ふうん、それだけ?」
「そ、それだけですよ⋯⋯」
ふうん、とラズはもう一度呟く。
水場に行ってエリザベスに報告をしただけなのに、左腕の包帯が血まみれになることがあるのか。
もちろん、本人は上手くやったつもりなのだろう。袖をまくり、汚れがつかないようにしたつもりなのだろうと言うことは、その出で立ちから分かる。ではなぜ、左腕の包帯のことが頭から抜けているのか。
それは、アリソンが左腕の怪我を認識できていないからだ。
今この瞬間まで、ラズはそのことに確信が持てなかった。だが、そう考えれば全てに納得がいのだく。聖都の宿で「怪我をしている人に手伝わせられない」と言われた時、心底何を言われているのか分からないという顔をしていたこと、今この瞬間も、ボロは一切出ていないと思っていること。
「⋯⋯アリソン」
「ひ、ひゃい!」
「何どもってるのよ。頭がずぶ濡れじゃない、拭いてあげるからこっちに来なさい」
ほっとした顔をして、おずおずとこちらに近づいてきたアリソンに椅子を譲り、ラズはタオルを持って背後から彼女の頭を拭きながらちらりと左腕を観察する。
そうしてざっと見たところ、彼女の包帯の血は外から付着したものであり、傷が抉れたり新しい傷を負ったりして包帯に血が滲んだわけではないようだった。
──ならいいか、別に。
誰かに襲われたとか危ない目にあったとか、そういうわけでないのならわざわざ嘘を暴く必要もない。自分の中で結論づけたラズは、アリソンの絡まった髪を解きながら「終わったわよ」と声をかける。
安心しきったのか、少し眠そうな目をしたアリソンは「ありがとうございます」といつもより少し弾んだ声を返してきた。
「なんだかやけに嬉しそうじゃない?」
「えっ、と⋯⋯そう、ですかね」
きっと自分では気づいていないのだろう、固い表情筋。眉根は下がったままだし、笑ってもいない。それでも、今はいつもより少しだけ緩んでいる。
そんな些細な違いに気づけるほど、長い付き合いになったのだと思うと──それだけイグニスの死から時間が経ったのだということに思い当たって、素直に感慨深くなれないけれど、それでも、アリソンとそれだけ一緒に歩いてきたのだということに悪い気はしない。
「えへへ、昔⋯⋯お母さんによくこうやって、髪の毛拭いてって甘えてたなーって思い出しちゃって⋯⋯」
「⋯⋯そう」
「あっ、ラズがお母さんみたいって意味じゃないですよ!? 歳も変わらないし⋯⋯!」
「そんな心配してないわよ。それぐらい気を許してもらえてるなら、あたしとしても⋯⋯」
あたしとしても嬉しい、なんて。
そんなことを素直に口にできる性格をしていないから、ラズは言葉を切る。切って、アリソンが首を傾げるよりも前に、彼女の手を引いて立ち上がらせる。
「ラズ?」
「⋯⋯濡れた服のままじゃ、気持ち悪いでしょ。着替えるの、手伝うわよ」
「えっ、じ、自分でできますよ!」
「いいじゃない、ほら、おままごとだと思えば。あたしがお母さん役ね」
「え、ええー⋯⋯?」
アリソンがそれを認識できていない以上、血だらけの包帯を替えてやるのはラズにしかできないだろう。適当なことを言って、ラズはさりげなく彼女の左腕の包帯を外していく。露わになった、黒い、引き攣ったような跡で出来た紋様に舌打ちが漏れそうになる。
ラズの頬にもある黒い傷跡と同じそれは、レインナートが聖剣で斬ったという紛れもない証拠だ。他人を甚振るのが好きな勇者らしい悪趣味な作品。そう考えると、アリソンが傷をつけられた時のことを思い出せず、認識もできないでいるのは不幸中の幸いなのかもしれない。辛い思い出は少ない方がいいに越したことはないのだから。
それにしたって、困惑した声を上つつもされるがままになるあたり、アリソンは素直すぎて少し心配になる。その方がラズとしては好都合なので、口をつぐむのだけど。
「や、やっぱり待ってください、ラズ!」
「何よ?」
流石に無理があったか、と思いながら返事をすると、アリソンは困ったような、それでいて少し恥ずかしげな顔をして言う。
「わ、私も、お母さん役の方がいいんですけどっ!」
「⋯⋯気になるのはそこなの?」
「あっ、でも、ラズがお母さん役の方が好きなら、お父さん役でも⋯⋯!」
「何の譲歩なのよ、何の」
やっぱり後で何とか言ってやらなくちゃ、と思いながら、ラズはアリソンの左腕に新しい包帯を巻いた。
◇◆◇
その頃、魔界の一室では、エリザベスが鼻歌を歌いながら大きな釜の中身をかき混ぜていた。
以前と同じ、ひどい異臭のする釜の中を見ながら、彼女は楽しそうに、待ち遠しそうに歌っている。
「ベティさん、ちょっといいですかい?」
「いいですわ、入ってくださいませ」
ノックと共に問われた言葉に、エリザベスは振り返らずに答える。
「長からの伝言──ってうわ、何作ってるんです? ソレ」
「フフッ、わたくしの可愛い愛玩物のための餌ですわよ。貴方も試したいのなら止めませんけれど」
「いやぁ、流石に遠慮させて頂くっすわー⋯⋯ちなみに材料は?」
その言葉に、エリザベスは初めて振り返ると、これ以上ないほど優美に嫋やかに溺れるような美しい微笑を浮かべる。
「⋯⋯やっぱり、答えなくていいっす。俺、モツは苦手なんで」
「あら、残念ですわ」
若干引いた顔をした彼を横目に、エリザベスは大釜の中に種々の調味料を投下し、味を仕上げていく。
それにしても、やはり新鮮な臓器は素晴らしい。多少混じってはいるものの、これでしか得られない栄養がある。
「あの子に調達を頼んだのは、我ながら正解でしたわね」
魔界へ通じる水面に餌の材料を投げ入れる瞬間、灰髪の少女が浮かべた表情を思い出して唇を舐める。
きっとあの少女の柔い体の中身も、これに負けず劣らず、芳しい香りがするのだろう。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
法要のため、少しお休みを頂きます。
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