037 闇の咆哮
貴賓席の中でも最も見晴らしの良い席に座した国王は、己が目にしている光景を信じられなかった。
「炎よ、壁となれッ!!」
響き渡った声と共に炎が広がり、ドワイトの放った剣撃から観客席を守る。
勇者の仲間であり、伝説の騎士と謳われたドワイトの攻撃を防いでいるのは、たった一人の灰髪の少女だ。今にも押し切られてしまうだろうと思われたが、予想に反して少女は長く持ち堪えている。
「へ、陛下! ここは危険です、早く中へ!」
「何者だ、あの少女は」
「そんな些細なことを気にしている場合では!」
「かの重騎士ドワイト・ダーモットの斬撃を防げる、あの少女は何者なのかと問うているのだ!!」
国王の叫びに、彼を退避させようと集まってきた側近たちが動きを止める。
「陛下、疑問はごもっともですが、今はまず御身を守ることだけをお考えください! 王妃様は陛下が退避されないのなら自分も残るとおっしゃっておいでです!」
「ラスタが? ⋯⋯分かった、皆も早く避難を! それから勇者! 勇者はどこだ!?」
「わ、分かりません! 先ほど、席を離れてからは誰もお姿を拝見しておりません。マルガリータ様もいらっしゃらず⋯⋯」
「踊り子風情はどうでもいいが、勇者レインナートは必ず見つけてこい! 分かったな、大臣!」
「分かりました、分かりましたから早く避難を! あの少女が死んだら次は誰が狙われるか分からないのですから!」
「待ってくださいっ!」
わらわらと集まってきた護衛の騎士や側近たちに国王が押されていると、ふいにまだ幼さの残る声が割り込む。声を上げたのは、人混みをかき分けて貴賓席の端からやってきた茶髪の少女だった。
「なんだお前は! 陛下の退避を邪魔するな!」
「アタシは従騎士のジョアンです! お願いです、アタシの話をっ、」
「従騎士? 陛下の護衛ならここにいる正騎士共で充分だ、非番の従騎士如きに出る幕はない!」
「違う、そうじゃなくて! あそこにいるのは──」
「いいからどけ! それ以上邪魔立てするなら反逆罪にするぞ!!」
「っ、そんな⋯⋯! 待ってください、お願い! あの子を、アタシの幼馴染を助けて──!」
なおも言い募る少女を側近が鬱陶しそうに押し退け、国王を退避させる。
混乱に陥る観客たちを押し退けながら、国王とその側近たちは観客席を離れた。
「ど、どういうことですか、これ!? これも試合の一部なんですか!?」
「俺に言われても困るよ! 俺はただの司会なんだから!!」
魔術拡声器を手にした司会は、周囲の観客に詰め寄られながら困り果てていた。ドワイトが突然観客席に剣を向けたかと思うと、それを一人の少女が凌いでいるだなんて俄には信じられない。
タランチュラ戦の後にも隠し試合があったのか? だがそんな話は聞いていない。司会役である自分すらも巻き込んだ盛大なドッキリという可能性もあるが──
「⋯⋯いや、どうやら試合じゃないらしい。陛下が退避を始めた」
「ええッ!?? じゃあ早く逃げないと!」
「逃げるってどこに!?」
「クソッ、どうやってこの人数を退避させれば⋯⋯っ」
「避難経路を指示しろよ、その拡声器は飾りか!?」
「ああもう! うるせえな、やればいいんだろやれば!!」
好き勝手に声を上げてくる観客に囲まれた司会は、やけくそになって拡声器に向かって叫ぶ。
『これは試合でも余興ではありません! 観客の皆さんは落ち着いて、最寄りの階段から地下に避難してください! 繰り返します──』
◇◆◇
司会の声がこだまし、人々が騒然となって押し合いながら地下への階段を目指し出した中、アリソンは未だ炎でドワイトの剣から放たれた衝撃を防いでいた。だが、それももうすぐ終わる。
「アリソン!」
「分かってます!」
ラズの呼びかけに答え、アリソンは炎で眼前を薙ぎ払う。衝撃を受け止め切った炎は、役目を終えて霧散する。消えた炎の向こう側にこちらに殺気を向けて佇むドワイトの姿を認め、アリソンは剣を構え直す。
ちらりと横目で周囲を確認すれば、階段のある方向へと向かおうとしているものの、人数が多すぎて大混雑している。逃げ遅れて、まだアリソンたちの近くにいる人も少なくない。
「⋯⋯ラズ、」
「ラズさんはみんなの避難のお手伝いをお願いします〜、っていう話なら断るけど?」
「⋯⋯」
「沈黙は承諾として受け取るわね」
短剣をそれぞれの手に握った彼女と共に、アリソンはドワイトを見据える。鉄兜越しでは表情は分からないが、少なくとも穏やかな顔ではないことは確かだろう。殺気の重さや量で言えば、彼は勇者のそれよりも遥かに上だ。
どうして彼が急に襲ってきたのか。レインナートが何か伝えていたのか、そもそもどうやってこの人でひしめき合う闘技場の中からアリソンとラズを見つけ、明確に狙ってきたのかも分からないが、彼が周囲の観客への被害を考えずに攻撃してきたことは、アリソンにとっては予想外の行動だった。
英雄を名乗るのであれば、民衆を守ろうとするものではないのか──やはり勇者一行は英雄などではなく、ただの卑劣な悪党でしかないのだ。
試合中は相手が踏み込んでくるのを待っていたドワイトだったが、どうしてもアリソンたちを殺したくて仕方がないらしく、頭より右に高く剣を構えるとすぐさま突撃してくる。切先を牛のツノのようにこちらに向けた、いわゆる雄牛の構え。
それを見て取ったラズが、視線をドワイトから動かさぬまま声を下げる。
「崩すわよ、いけるわね!」
「はい、合わせます!」
アリソンが左から右に向かって斬りつけ、ドワイトの構えを崩す。それと同時に後ろに回っていたラズが鎧の隙間を狙って毒塗りの短剣を打ち込むが──
「ッ固い⋯⋯!」
見るからに要塞のような重鎧、だがそれだけではない。攻撃した時に鎧の表面に浮かび上がった光。
「防壁魔術付きの鎧なんて、さすが英雄は良いものを使ってるわね⋯⋯!」
「ラズっ、来ます!」
「分かってる!」
ドワイトが大剣を垂直に振り下ろして地面に突き立てると、周囲の地面が砕けていく。退避で躱したものの、砕けた座席の破片が宙を舞い、灰が煙のように立ち昇る。
煙が霧散するより早く追撃が来る──と思われたが、ドワイトはこちらが踏み込んでくるのを待つことにしたらしい。会場の真ん中に立ち尽くした彼を、二人は椅子と椅子の間にしゃがんで身を隠したまま見据える。
「あーあ、民衆の前で英雄殺しなんて滾るわね」
「向こうから殺そうとしてきたんだから正当防衛では⋯⋯?」
「まあね。でも、こっちが殺したら過剰防衛になるのよ。この場を穏便に収めたいのなら、ドワイトを気絶させるか、騎士団の人と交代するのが一番良いと思うけれど」
そう言って、後方に目をやるラズの視線を追うと、確かに、先ほどの団体戦に出場していたのだろう騎士たちや、警備にあたっていたのであろう騎士たちがいるが──
「⋯⋯誰も協力してくれそうにないんですが」
「でしょうね」
彼らもどうすれば良いのか分からないのだろう。互いに何かを言い合ったり、こちらに向かおうとしては躊躇したりと右往左往している。指揮をとる人間がいればまた違ったかもしれないが、そもそもドワイトが彼らのトップに当たる人間であるのだから、立ち往生してしまうのも無理はない。
こんな事態になるだなんて誰が予測できただろうか。
先ほどの爆発で飛んできたらしい円形の盾を拾い上げたアリソンは、それを左腕に装着しながらドワイトの様子を伺う。相変わらず彼は立ったままで、こちらが間合いに飛び込んでいくのを待っているようだ。
攻撃を誘い込んでのカウンターが彼の得意とする戦い方なのだということは、試合をしばらく見ていただけでも分かっている。しかし、現状では遠距離から彼を攻撃する手段が少なく、確実に彼を倒すには罠と分かっていても飛び込むしかない。
「そもそも、なんで襲われたんでしょうか。私そんなに殺意飛ばしてました?」
「さあ。レインナートから聞いていたか、じゃなきゃ⋯⋯」
「⋯⋯? じゃなきゃ、なんですか?」
「⋯⋯いえ。とにかく、手を出してしまった以上あたし達がどうにかしなきゃいけないみたいね」
じっとアリソンを見つめたかと思うと、ついと視線をドワイトに戻してしまったラズに疑問を感じつつも、そんな場合ではないとアリソンもドワイトに向き直る。
男から放たれる殺気は凄まじく、けれど、殺したいのはお互い様だ。目の前にいるのは人々を守る英雄ではなく、魔術で強化された巨大タランチュラの足をもぎ、甚振って殺した男。あの日、アリソンの家族とイグニスを虐殺した勇者レインナートの仲間。
「だったらやってやりましょう、英雄殺し!」
覚悟を決めたアリソンは、剣を握り直して立ち上がる。
一緒に立ち上がったラズもまた迷いのない様子で「決まったわね」と不敵に微笑む。
「ところで⋯⋯ひとつ提案があるんだけれど、ちょっと聞いてくれる?」
そう言って、ひそひそと耳元で囁かれた作戦に、アリソンは力強く頷いた。
◇◆◇
アリソンとラズが観客席の最前列でドワイトと対峙している頃、殆どの人が避難し終えてまばらになった貴賓席では、少女と少年の諍いの声が響いていた。
「お願い、ミゲル! このままじゃアリソンが死んじゃう⋯⋯っ!」
「駄目だ。君は謹慎中だ、武器は渡せない」
「ッ、ひどい⋯⋯そんなの時と場合によるじゃん! このままアリソンが死んじゃうところなんて見てろって言うの!?」
「そういうことじゃない」
感情的になり、目に涙を浮かべてミゲルを睨みつけたジョアンと対照的に、彼は至って冷静で淡々とした態度を崩さない。そんな様子もまた、ジョアンの火に油を注ぐ。
「なにがそういうことじゃないの!? 誰も助けに行かないからアタシが行くって言ってるのに、それもダメだなんて見殺しにしろってことじゃない!」
「落ち着くんだ、ジョアン」
「落ち着けるわけないじゃん! パパのせいでアリソンが魔人を匿った罪人扱いされてるのに、これ以上アリソンを裏切りたくないよっ!!」
泣きながら叫んだジョアンに、ミゲルはふーっと息を吐くと、もう一度「落ち着くんだ」と低い声で言う。
「友達思いなのは君の美点だ。だけどアレは、本当に君の言う幼馴染なのか? 少なくとも僕には、ただの村娘の戦い方には見えない」
「何を言って⋯⋯」
「落ち着いて、もう一度よく見るんだ。君の幼馴染は、故郷の村で生まれ育ったそのアリソンとやらは、あんな風にドワイト様と渡り合える人間なのか?」
「それは⋯⋯でも、あんな灰色の髪、見間違えるはずない。あれはアリソンだよ!」
「本当に?」
静かに言葉を重ねるミゲルに、ジョアンがたじろぐ。
幼馴染のアリソンは、機織りが得意で、時々家族の畑仕事も手伝っていて。だけど運動神経が良いと思ったことはないし、木の枝で騎士の真似事をして遊んだ時も勝つのはジョアンだった。
押し黙ったジョアンの肩にミゲルは手を乗せる。
「もちろん、あの少女ひとりだけに戦わせる気はない。僕も他の騎士と合流して加勢する。彼女が君の幼馴染であろうとなかろうとも、国民を守ることが騎士の仕事だから。でも、」
「でも、アタシには武器を渡してくれないんだね」
「⋯⋯分かってくれ、ジョアン」
「⋯⋯」
「君に武器は渡せない。君は、逃げ遅れている観客の避難誘導をしてくれ。戦いに巻き込まれる人がいなくなれば、僕らも加勢がしやすい」
「⋯⋯分かったよ。その代わりアリソンのことは絶対に、絶対に助けて。お願い」
「約束するよ」
真剣な目をしたジョアンに頷いてみせて、ミゲルはどうするか話し合っているらしい騎士の集団に向かって駆けてゆく。
残されたジョアンは、祈るような気持ちで炎と踊る灰色の影を見やったのち、ミゲルと反対の方向へと足を向けた。
◇◆◇
剣から広がる炎を操り、アリソンはドワイトの頭上に流星を降らせながら観客席を駆け抜けていく。自分が操作したよりも炎の勢いが強いのは、ラズが風の魔術で援護してくれているからだろう。
「でやぁあああああッ!!」
『⋯⋯!』
炎と共に切り掛かったアリソンだが、ドワイトの巨体はびくともせず。蝿を追い払うように振って落とされる。
迫り来る炎は鎧の防壁魔術でアリソンの攻撃は武器でしのぐドワイトは、一言も発することがない。鉄兜で表情が見えない分、目と鼻の先に相手がいるというのに息遣いすら聞こえない状況は、彼をより不気味に演出する。
ギリギリと押し合っていた剣が、徐々にこちらへと傾く。単純な力ではどうしても押し負ける。腕力、体格、そして性別の差から見てそれは当然のことだけれど。
「残念、こっちが本命よ!」
彼の後ろに回り込んでいたラズが手を伸ばし、パキン、と硝子の割れるような音が響いてドワイトの鎧が防壁を失う。
アリソンの派手な炎で撹乱し、その隙に防壁魔術を解除し一気にダメージを与える。それがラズの提案した作戦だった。
背後のラズが放つ毒塗りの短剣を薙ぎ払い、ドワイトは振り向きざまに切り伏せてくる。回避して斬りかかったアリソンの剣は防がれるが、流星のように降り注いでいた炎いくつかは彼を直撃。さらにはラズが至近距離から風の魔術を放ち、ドワイトの体勢が崩れる。
「これで終わりですっ!」
『グゥ、オォオオオオオオッ!!』
よろめいた彼の首を狙うアリソンだったが、同時にドワイトが雄叫びと共に大剣を地面に突き刺す。大剣が刺さった地点から衝撃波が発せられ、四方八方に地面が割れて砕けていく。
地面についた足が浮きそうになりながら踏みとどまろうとしたものの、あまりの圧力に体の骨が軋み出す。耐えたところでしばらく動けなくなるに違いない。ならば。
「っ、ラズ!」
「あたしは防壁を展開する! アンタは好きなように動きなさい!」
ラズが防壁を無事に展開したところを確認してから、アリソンはあえて吹き飛ばされることにした。宙を舞う浮遊感の中、ふいにある光景が目に入る。
不安に泣き叫ぶ幼い子供を庇う金髪の少年と、今にも崩れそうな瓦礫の山。幼子の顔が上げられ、その丸い空色の瞳にアリソンの姿が映り込む。
不安げな顔と目があった瞬間、アリソンは。
「ッ、フランベルジュ──!」
アリソンは咄嗟に剣を投げ出し、炎の旋風で瓦礫を弾き飛ばしていた。
剣を失いながらも、無事に受身を取って着地したアリソンが子供がいた位置まで走っていくと、幼児を抱きしめていた金髪の少年が顔を上げる。
「大丈夫ですか!? 怪我は⋯⋯!?」
「あ、ありがとうございます、ボクは大丈夫です」
「良かった⋯⋯そっちの小さい子は? あなたも大丈夫?」
金髪の少年が手を緩めると、腕の中にいる泣き止んだばかりの幼子は、じっと食い入るようにアリソンを見つめてくる。
あまりに返事がないが、放心しているのかもしれない。最寄りの階段から地下に避難するようにと、司会者の言葉を繰り返して、アリソンはフランベルジュを拾い上げる。ラズの元へ戻ってドワイトを倒さなくては、とその場から去ろうとすると、くいっとスカートの裾を引かれた。
裾を掴んだ幼子は、大きな目でじっとアリソンを見上げて、一言。
「おねえちゃん、かっこいい⋯⋯」
目を丸くした後、アリソンは幼子と視線を合わせるためにしゃがみ込む。
亡くなった弟のルノーと同じぐらいの歳だろうか。
「うん。『お姉ちゃん』だからね」
「おねえちゃんだから?」
「そう。私、弟がいるから。お姉ちゃんだから、かっこいいの」
幼子の頭を撫で、アリソンは「早く兄弟を連れて逃げてください」と少年に伝える。
「いや、ボクは⋯⋯」
「フィリップ殿下!」
声に振り返ると、階段の方から燕尾服の老人が駆けてくるのが見えた。
その後ろから数人の騎士がついてきているのを見て、もうここは安全だろうと判断したアリソンは幼子の手を優しく剥がす。
「どうして来たの? 危ないよ、爺や」
「殿下、それは爺やの台詞です! 突然飛び出すのはおやめ下さい、殿下に何かあってはと爺やは、爺やは⋯⋯っ」
「爺やは大袈裟だなぁ。それに、ボクがいなくなったって困る人なんて、」
「私が困りますよ」
思わず少年の言葉に被せるようにして言ったアリソンに、彼らが振り向く。
「私はあなたと初対面ですけど、それでも目の前で死なれたら困りますよ。そちらの、えっと、ジイヤさん? のことを大切に思うなら、その人のためにも自分を大切にしないと駄目ですよ」
「あ⋯⋯」
「それじゃあ、私はこれで。その子を連れて、安全なところにいてくださいね!」
「ま、待ってよ! お姉さ──」
少年の呼び止める声に振り返ることなく、アリソンは半壊した観客席を駆け降りていく。
視線の先には、攻撃を待つ姿勢に入ったドワイトと、何やら騎士たちと揉めているらしいラズの姿があった。
「戻るのが遅くなってごめんなさい! どうしたんですか?」
「お前がさっき、ドワイト様の攻撃を炎の魔術で食い止めたやつか! ガハハ、やるなぁ! だが、この場は我々が食い止めることになった! お前ら二人とも避難してこい!」
「えっ⋯⋯」
先ほどまで立ち往生していたのに、どうして急にそんなにやる気に溢れ出したのだろう。
アリソンが困惑しつつもラズに視線を向けると、「勝算がありそうだからよ」と呆れ半分に囁いて教えてくれた。
「あの男もだいぶ弱ってきたようだもの、今なら数の力で押せるかもしれないって思ったみたいよ」
「ええっ、それって横取り⋯⋯」
「横取りではない! 民間人を守ることが俺たち騎士の仕事だ!!」
「でも⋯⋯」
「いや、その必要はない」
──でも、どうせ彼は私たちの仇なので殺したいですし、と言うわけにもいかず。
ラズと目を合わせていると、どこかで聞いた覚えのある透明感のある声が遮った。緑の髪に糸目の少年騎士は、反論しようとする他の騎士たちを静かにさせ、アリソン達に向き直る。
「よく食い止めてくれたね、ありがとう」
「あっ、あなたは確か⋯⋯」
「ミゲル・ハンフリーだ、また会ったね。⋯⋯君たちの腕を見込んで協力を要請したい」
「いいのか? 見たところ、彼女達は騎士でもなんでもない一般人だろう? そういうの、上は⋯⋯」
「構わない。僕が責任を取る」
「⋯⋯ハンフリーがそう言うならいいが」
自分よりも年配の騎士を説得したミゲルは、「よろしく頼む」と会釈してくる。
ドワイトが待ちの姿勢に入っているとはいえ、随分と緊迫感のない会話だなと思いながらアリソンも軽く頭を下げる。
「ところで、ひとつ聞かせて欲しいんだけど。⋯⋯君の名前は、アリソン? それともアリス?」
◇◆◇
一方その頃。
地下の通路で、壁に背中を預け目を閉じていたレインナートは衣擦れの音に目を開けた。
「気は済んだかい、マルガリータ?」
「⋯⋯レイ」
「安心してくれ、俺以外はいないよ。目眩しをかけておいたからね」
路地から出てきたマルガリータの姿に、彼は目を細めて微笑む。
「だけど、今度から息抜きをしたい時は前もって言ってもらえると助かるな。さっきも、うっかり新米騎士が誘われて迷い込むところだったよ」
「ごめんなさい、次からは⋯⋯」
「謝らなくていいさ。困ったときはお互い様だろう? 俺たちは仲間なんだから」
マルガリータの頬についた返り血を拭い取ったレインナートは、彼女の背後を横目に見る。真紅に染まった薔薇と、動かなくなったであろう男の手のひら。
死んだ男が地位のある人間であったなら面倒だなと思うものの、まああったところでさしたる問題でも無い。この世界において、勇者よりも権力を持ち得るものなど、どこにもいないのだから。
「⋯⋯あなたは変わらないわね。いつでも私を救いあげてくれる」
「勇者だからね」
「いいえ。あなただからよ」
優しく目を伏せた彼女に、レインナートは肯定も否定も返さない。
「息抜きが終わったのなら、そろそろ戻ろう。これ以上目眩しをかけていたら、給仕係も流石におかしいことに気づいてしまうかもしれないからね」
目眩しの術は初歩的ながら、極めると強力だ。給仕係からただの観客まで、この通路に最も近い階段のことは誰の認識からも隠されている。この通路の先は厨房だが、今は厨房に行くために最短のルートではなく、遠回りのルートしか存在しない状態だ。さらに、上階の喧騒まで遮れるおかげで、マルガリータの息抜きが終わるのを待っている間、静かに物思いにふけれた。
とはいえ、数時間程度なら誤魔化せるが、流石に長引けば何かがおかしいと気づく人間も出てきてしまうのは難点だ。あまりに強くかけすぎると洗脳になってしまい、精神がやられてしまう人間もいる。いずれも今までの失敗から学んだ経験だ。
「ああ、あそこの階段から全部かけていたの? ごめんなさいね、私⋯⋯」
「謝らなくていいと言っただろう? 行こう、マルガリータ」
「ええ、レイ」
彼女の少しぬるい手を取り、魔術を切ったその瞬間、なだれ込むように人の波が階段から現れ、同時に熱狂とは違う喧騒が場を包み込む。
──なんだ、この異様な人の数は?
階段から現れた人々のうち一人が、レインナートの姿を見てとった瞬間「大変です!」と叫びながら突進してくる。眉を顰め、あからさまに不機嫌を顔に出したレインナートだったが、それでも相手が止まることはない。
「レインナート様、こんなところにいらっしゃったのですか!? ああ、どうか早くお戻りを! ドワイト様がご乱心なさり、観客に剣を⋯⋯!」
「ドワイトが観客を⋯⋯? まさか。あり得ないよ、そんなことは」
「あり得るあり得ないではないのです! 起こっているのですよ!!」
どういうことだ?
マルガリータと顔を合わせるが、彼女も困惑している。当たり前だ。ドワイト・ダーモットはそのような男ではない。今でこそ無口で無愛想で鉄仮面が手放せないが、彼は信心深く、面倒見の良い騎士団長で。
そりゃあ、今はレインナートの血を定期的に摂取させる必要はあるが、それでも──
「とにかく、早くなんとかして鎮めてください! 死傷者も出ているんです、このままでは反逆者として処刑すると陛下は仰せです!」
「処刑だと──!?」
たかだかその辺の石ころを殺した程度で処刑だと?
ふざけるなと怒鳴りつけたいのを堪え、レインナートはマルガリータの手を離して走り出す。上階から避難してきたのだろう群衆を乱暴にかき分け、レインナートは仲間を救うために階段を駆け上った。
◇◆◇
「でやぁあああああっ!!」
キイイン、と耳障りな金属音が闘技場に響き渡る。
隊列を組んだ騎士達の連携のとれた突撃に、ラズによる遊撃、そしてアリソンによる炎や剣撃で、ドワイトは押され始めていた。
『ぐギィイイイイイイ!!』
「っ、なんなの、この声⋯⋯! 耳が割れそうだわ」
顔を歪めたラズの言葉は、ドワイトと対峙する者たちの戸惑いを代弁していた。
意味があるとは思えない、不気味で、おどろおどろしい唸り声。自分達がいま戦っている相手は人間じゃないのではと錯覚させるような。
「とにかく、なんとかして気絶でもさせないと⋯⋯」
息を切らした騎士の言葉を聞きながら、アリソンはその心臓を射抜こうとするようにドワイトを見据える。
確実にドワイトにダメージを与えているという確信はあった。だけどまだ足りない。流星だけでは駄目だ。もっと、もっと強くて美しい炎がいる。
「君、毒を使った? 毒の成分と効果は?」
「⋯⋯ただの痺れ薬よ。体が大きいから時間はかかったけど、動きが鈍くなったし効いてると思うわ」
「分かった。次で決めたい、合わせられる?」
「はい!」
「いけるわ、任せなさい!」
ミゲルの言葉に頷き、騎士たちは攻撃陣形を、ラズはその合間を縫って魔術と短剣による臨機応変な攻撃を、そしてアリソンは炎を。
「──炎の竜!!」
より強く、美しい炎をイメージしたアリソンの火は、流星ではなく、異なる形を取り始める。強靭な牙、恐ろしい爪、硬い鱗、今にも飛び立てそうな翼。
「あれは、セネカ様の魔術じゃないか⋯⋯!?」
「すごいな、あの人以外にも使える魔術師がいたのか!」
騎士の間に広まるどよめきも気にならないほど集中していたおかげか、炎の威力は絶大だった。いつかセネカが展開した魔術に似た炎で形作られた竜は、そのひと吹きでドワイトの巨体を包み込む。
『グギャアアアアアア!!!!』
つんざくような絶叫が響き、ドワイトが動きを止める。頑強な鎧はヒビが入り、所々崩れ落ちていく。
止めの一撃として振り上げたアリソンの剣が、その鉄仮面を打ち破る。
誰も知らない、ドワイトの素顔が白日の下に晒され──
「⋯⋯え?」
「お、おい⋯⋯嘘だろ⋯⋯」
「そんな、あれは⋯⋯」
ひび割れだらけの硬い岩のような皮膚、額から生えた角、白目が黒く反転した瞳。
それはどう見ても人間ではなくて。
人間というよりは、まるで──
「ど、ドワイト様が⋯⋯魔人になっちまった⋯⋯」
「ドワイト様、正気に戻ってくださいよ⋯⋯!」
口々に悲鳴や絶望の声を上げ始めた騎士たちの声を聞きながら、アリソンはラズを見やる。彼女もまた目を見開き、目の前の出来事に動揺していた。
『菫コ縺ッ莠コ髢薙□、菫コ縺ッ莠コ髢薙□縲∵ョコ縺励※縺上l──!!!』
そして、騎士たちがあげた悲鳴に応えるように、ドワイトの口から世にも耐え難い不気味な咆哮が放たれた。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
今回の章も終わりに近づいて来ましたが、ぜひ引き続きアリソンとラズの物語にお付き合い頂けると嬉しいです。
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