021 予兆
「あーあ、これはもう駄目ね⋯⋯」
諦めに満ちたラズの言葉に、アリソンの喉がひゅっと鳴った。
ふふ、と厭世的な笑みを浮かべ始めたラズにしがみつきかねない勢いで、アリソンは首を振る。
「あ、諦めたらだめですよ! こんなのだめです!」
「ふふ、なんであなたが必死になるのよ。関係ないじゃない」
「でも、でも⋯⋯だって!」
わなわなと両手を震わせ、アリソンは叫ぶ。
「そんな高そうな服を返り血だらけで放置するなんて、絶対だめですっ!!」
キーン、と耳鳴りすらしそうな大声に、驚いた鳥が数匹、木の上から飛び立つ。
他に人気のない、街道から少し逸れた森の中。川の近くに佇んだ二人の傍らには、所属不明かつ意識不明の、野盗と思しき男達がひっくり返っている。
聖都を発って数日。
王都に向かうという商人の荷馬車に乗せてもらったまでは良かったが、道中で荷馬車を狙った野盗と遭遇。野盗と戦闘を繰り広げたアリソンとラズの服装は、お世辞にも綺麗とは言い難かった。
「大袈裟なのよ、たかが服の一枚や二枚。大体あなたの服だって血だらけじゃない」
「私はいいんですよ、大した素材じゃないし、汚れなんて農作業で慣れてるんですから。でもラズさんの服はだめです! せっかく良い素材を使った服なんですから、汚れたままなんてもったいないです!」
「アンタがそうやって文句言うから、さっきからこうやって川の水で洗ってるんじゃないの。それでも落ちないんだから仕方ないでしょ」
それを言われると弱い。うっ、と呻いたアリソンを横目に、ラズが川の水に浸していた裾を引っ張り出す。水浸しになった裾を絞る彼女に、アリソンは「じゃあ魔術とかないんですか? どんな汚れも落とせる魔術とか」と食い下がる。
「そんなご都合魔術があるわけないでしょ。あったとしても、あたし水系とは相性が悪いんだから会得できないわよ」
「相性⋯⋯そういうのもあるんですか?」
「あるわよ。まあ、あなたは相性関係なく魔術全般に縁がないみたいだけど」
「うぅ⋯⋯」
今度こそ撃沈したアリソンは、膝を抱えてため息をつく。
ラズのように、限定的とはいえ相手の魔術を解除するだとか、そんな大技を自分ができるとは思っていない。だけどせめて、ランプに火を灯すような魔術ぐらいは使えるようになりたい──そんな願いも虚しく、アリソンは未だに魔術の発動に成功したことがなかった。
魔術の式が間違っているのなら正せばいい。けれど、どれだけ正しかったとしても発動しないのでは、もう手のつけようがなかった。
「魔力欠乏症、ってわけでもないのにね」
ちらりと、鞘に仕舞われたフランベルジュを見やりながらそう言ったラズに、アリソンも頷く。
魔界でエリザベスからもらった、炎の波紋を模した不思議な剣。刀身が纏う炎はアリソンの魔力に反応しているらしく、魔力が切れれば炎もまた消えることは聖都にて実証済みだ。
「体内に魔力がないわけでもない。なのに式が発動しないなんて、前例がなさすぎてどうしようもないわ」
「す、すみません⋯⋯」
「別に責めてるわけじゃないわよ、あなたのせいじゃないでしょ。それに、あなたにはイグニスの炎の異能があるんだから問題ないわよ。魔力が切れたら、マッチでもなんでも火さえつければどうにかなるでしょ」
フォローのつもりなのだろう、少し滑舌が早くなった彼女に「はい」と答えて、木々の間から空を見上げる。
黄昏時。
夜は魔物が活発になる上、そもそも視界が暗くてろくに動けない。そろそろ野宿する場所を見つけないとまずいだろう。
「あ、あの〜お二人さん? もうそっちに行っても大丈夫かい?」
気弱な声に振り返ると、アリソンたちを荷馬車に乗っていくよう誘ってくれた、人の良い商人の男が顔を覗かせていた。大丈夫だと伝えると、彼は辺りに倒れ伏した野盗におっかなびっくりしながらやって来る。
「お二人さん、強いんだねえ。たった二人で野盗共を懲らしめちまうなんて」
「そんなことないですよ。それより、もう暗くなってきましたし、そろそろ野宿する場所を見つけないとまずいですよ」
「あ、それなんだけどね。実はこの先に小さな町があるんだよ。馬車に乗ればすぐそこだから、そこで一泊してから王都に向かおうと思うんだけど、お二人さんもどうだい?」
野宿は嫌いではないけれど、やはりベッドで安心して眠れる方が良いに決まっている。
が、自分の一存で勝手に決めるわけにもいかない。ラズを見やると、彼女は訝しげに「この辺に町なんてあったかしら?」と眉を顰める。
「ああ、昔は小さな漁村だったんだよ。けど最近、妙に活気づいてきてね。人口が増えたもんで発展も進んで、町になったのさ」
「ふうん⋯⋯そうだったのね。それじゃあ、お言葉に甘えようかしら」
「ようし、そうこなくっちゃ! 野盗を倒してくれた礼に、宿泊代は僕が払うよ」
「えっ、いいんですか? ありがとうございます!」
願ってもない申し出に礼を言って、二人は再び荷馬車の中に乗り込んだ。
◇◆◇
商人のいうところの「小さな町」に着く頃には、すっかり日が落ち、ぽつぽつとした窓の明かりや街灯だけが照らす道の中を、荷馬車がカラカラと車輪を回しながら進んでいく。
聖都も海が見えたが、あちらは絶壁の上に立っていたこともあって海は見下ろすことしかできなかったが、元は漁村だったためか、この町の海は随分と近く、暗闇の中でも揺れる波間を見ることができた。昼間になったらきっとはっきりと、光を受けて煌めく波間を捉えることができるだろう。
宿屋の前で荷馬車が止まる。馬車から降りると、宿屋の人間らしき若い女性が入口に立っていた。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
「一人部屋をひとつと、二人部屋をひとつお願いできるかな」
「はい、もちろんですよ。どうぞ中へお入りください。馬車は後ほど、宿の者に移動させますから」
ニコニコと愛想よく微笑んだ主人に案内され、アリソンとラズは部屋に辿り着く。
角部屋で、窓は小さく、内装も聖都の宿屋と比べると質素だが、一晩寝る分には問題ないだろう。
「朝食はこちらでお召し上がりになりますか? それとも一階で?」
「一階で頂くわ」
「では、そのように手配しますね。ご質問などはございますか?」
「特にないわ。⋯⋯あなたは?」
「私もないです」
「かしこまりました。それではごゆっくり⋯⋯あっ、忘れるところでした。よろしければ、こちらをどうぞ」
ことり、と音を立てて女性が盆を備え付けの小さなチェストに置く。
盆の上には、アリソンの見たことのない不思議なフルーツがある。
「あら、柘榴じゃない。珍しいわね」
「最近とれるようになったんです。とても美味しいので、ぜひお召し上がりになってください」
そう言って、最後に軽く会釈をして女性は出ていった。壁が薄いのか、彼女が階下に降りる足音がはっきりと部屋の中に響く。
隣の部屋から大きないびきも聞こえてきて、思わず苦笑が浮かぶ。
「私たちもそろそろ寝ましょうか」
「そうね」
ひとつ頷いた後、ラズが徐にチェストの上の柘榴を見やる。
「せっかくだし、これを食べてからにするわ。あなたもいる?」
「えっと、はい。どうやって食べるんですか?」
「適当に切って齧るんじゃないかしら。あたしもあんまり食べたことはないけれど」
そう言いながら、ラズは柘榴と共に置かれていたナイフで器用に半分に切り裂く。
厚い皮の中から、密集した種子が現れる。透き通った、血のように赤い種子。それらがひしめき合う様に、受け取るために浮かしたアリソンの手が固まる。
「あら、食べないの?」
「えっと、すみません。見た目が、あの、びっくりして」
「珍しいわね、あなたが食べ物を見た目で避けるなんて。⋯⋯ああ、もしかしてトライポフォビアなの?」
「トラ⋯⋯?」
「集合体恐怖症、とでも言えばいいのかしら。こういう、密集したものが苦手な人のことよ」
「な、なるほど。うーん⋯⋯そうなのかもしれません」
「ふうん。まあいいわ、食べないならあたし一人で貰うわね」
「ど、どうぞ」
確かに、自分でも珍しいと思う。今まで食べ物の見た目で選り好みしたことなんて──そもそも選り好みできるような環境にはいなかったけれど──そんな行いをしたことは一度もなかったのに。
けれど、赤い種子がひしめき合い、密集、あるいは集合している様を見ていると、背筋がゾッとしてしまう。どうしても、それを己の口に入れている姿を思い浮かべることができない。
人の好意を無下にしているようで嫌なのに、どうしても、どうしてもできないのだ。
なんとなく気まずい気分のまま、アリソンはラズが柘榴を食べるのを黙って見守った。
◇◆◇
「えっ、荷馬車の車輪が壊された?」
あくる日の朝。
朝食のため1階に降りたアリソンとラズを迎えたのは、商人の残念な知らせだった。なんと、宿で寝ている間に、馬車の車輪を何者かに壊されてしまったというのである。
「幸いなことにね、腕のいい職人さんを紹介してもらったし、宿の方でも見張りをつけてくれるということなんだけど、どうしても今日中に出立するのは難しそうでね⋯⋯」
「そんな! 商人さんのせいじゃないですよ」
「そう、それじゃあ仕方ないわね。観光でもするわ」
すまない、と頭を下げる商人にあたふたするとアリソンと対照的にラズは至って冷静で、なんなら通りがかった宿屋の女性を呼び止め観光スポットまで聞き出している。
やっぱりラズさんは頼りになるなぁ、と感心しながらその様子をぼうっと眺めていると、商人が微笑ましい顔をしていることに気がつく。
アリソンが首を傾げると、彼は「ごめんごめん、つい」と頭をかきながら笑う。
「その、僕にも娘が二人いるものでね。ちょっと思い出してたんだ」
「そうだったんですね。娘さん、私たちと同じくらい大きいんですか?」
「いやいや、全然! まだ5歳と6歳なんだけど、姉はしっかりしてるのに、妹はちょっとのんびりしててね」
「ああ、それは似てますね」
「だろう? あ、悪く言ったつもりはないんだよ、気を悪くしたらすまないね」
慌てて付け足した商人に、アリソンは首を振る。
人によっては気を悪くするのかもしれないが、アリソンはそうは思わなかった。のんびりしている、というのはドルフ村で暮らしていた頃からよく言われたけれど、そのどれもが悪い意味ではなかったからかもしれない。のんびりしていると言われる時、いつだってそれは単なる事実以上の意味を持たなかった。
安心させるように笑いかける代わりに、アリソンは一際力強く答える。
「大丈夫ですよ。私、のんびりするの好きなんです。だから、ゆっくり観光して、車輪が直るのを待ちますね」
「そうしてくれると助かるよ。ありがとう」
商人との会話が終わるのと、ラズと宿屋の女性の会話が終わるのはほぼ同時だったようだ。
聞き出した観光スポットのメモを上からひとつひとつ指差しながら教えてくる彼女と、彼女の声に耳を傾ける今の自分の姿は、しっかり者の姉とのんびりした妹に見えているのだろうか。
知り合いの他の商人と話をしていくという商人と別れ、アリソンとラズは貴重品だけ持って観光へ繰り出した。
当たり前だが、王都へ急ぎたいという気持ちがないわけではない。けれど、ここから歩いていくよりは車輪が直るまで待って、荷馬車に乗せて行ってもらう方が早いということも分かる。
だから今は、心から観光を楽しむ気にはなれなくとも、気持ちを切り替えるべきだ。
隣を歩くラズも同じ結論に達しているからこそ、最初から冷静だったのだろう。なんなら、商人の前で観光地を聞き出したのも、彼が気に病まないようにとの気遣いだったのかもしれない。
「⋯⋯同じ潮の香りでも、聖都とは少し違って感じられるわね」
「そうですね、聖都よりも海が近いからでしょうか」
風に煽られる髪を押さえたラズの呟きに、アリソンも同意を返す。
漁村としての歴史は長くとも、観光地としてはまだ歴史の浅い街であるため、聖都に比べれば人だかりは少ないが、それでも確かな熱気と活気を感じられる。
釣りの体験や工房の見学、新鮮な魚を使った料理など、観光客向けの店を渡り歩いているうちに、あっという間に時間が過ぎていく。
宿へ戻る途中、通りがかった広場では、帰り支度をする職人たちが建設中の像を取り囲んでいた。
「どんな像を作っているんでしょうね」
「さあ、そこまでは聞かなかったわ。⋯⋯気になるなら、聞いてみたら?」
歩き疲れたのか、少しアンニュイな様子のラズに背を押されて、アリソンは職人に話しかける。
観光客向けの店で勧められるままに購入した菓子を差し入れると、彼らは快く会話に応じてくれた。
「この像はなぁ、ウチから輩出した英雄様の像なんだ。あ、レインナート様のことじゃないぜ? あの人の故郷は確か、もっと南の方だったからな」
「あれ、勇者様って聖都生まれじゃなかった?」
「俺は小さい農村生まれだって聞いたけど」
「えー勇者様って王都生まれだろ?」
「いやいや、俺が聞いた話だと──」
口々に勇者の出身地で揉め出す彼らに、「結局誰の像なんですか?」とアリソンは口を挟む。
「ああ、セネカ様だよ。セネカ・レミントン。なんでも天才魔術師らしい」
「そんなに天才なら、自分の像もちゃちゃっと作ってくれりゃいいんだけどな」
セネカ・レミントン。
彼の炎で焼かれた我が家を思い出し、胸がキリキリと痛む。
努めて平静を装い、アリソンは「そうだったんですね」と言葉を絞り出す。
「ここって、その人の出身地だったんですね。知らなかったです」
「へへ、実は俺らも建設を命じられて初めて知ったよ」
「あんまり知ってる人いないもんな。本当にここで生まれたのか疑わしいぜ」
「故郷じゃ目立たなくても、王都に行った途端に有名になる奴もいるし、セネカ様とやらもそういうタイプだったんだろ」
「そう考えるとすげえよなー。人生って何が起きるか分かんねえもんだぜ」
アリソンの様子を疑うことなく、彼らは口々に話を進めていく。
それを傍らで聞きながらも、アリソンはチラリとラズを振り返る。木陰で木に寄りかかる彼女は、相当疲れているのか、こちらの視線に気づきもしていないようだ。
「あ、そういやセネカ様と話したことあるやつ、俺知ってるぜ」
「えっマジで?」
「ホントホント! なんでも家が近所だったとかでさ、ずーっと一人でブツブツ言ってて、何考えてるか分かんない子供だったらしい」
「ばっかお前、英雄様に向かって何つー不謹慎な」
「いやいや、やっぱ天才は子供の頃から凡人とは違ってたってことだろー?」
わいわいと盛り上がり始めた彼らの輪を、アリソンは適当なタイミングでそれとなく抜け出す。
木陰で待っていたラズの元へ戻ると、「遅い」と睨まれるが、眼光に鋭さがない。
「ごめんなさい、抜けるタイミングが掴めなくて」
「でしょうね、盛り上がってたみたいだし。で、誰の像だったのよ?」
「⋯⋯セネカの像だそうです。この街の出身らしくて」
「セネカ? ⋯⋯ああ、天才魔術師の? ふうん、そうなのね」
興味なさげに呟いたラズにアリソンもそれ以上言葉を重ねることなく、宿に向かって足を進める。
なんとなしに振り返ると、赤く染まり始めた空が広がっている。村で見たものとも聖都で見たものとも違って、昨夜見た柘榴の種子のような色だ。みっしりと集合した種子を思い出し、思わず顔が歪む。どうして自分がここまであのフルーツを嫌うのか分からないが、本能が生理的な嫌悪感を訴えてくるのだから仕方ない。なるべく空の色を見ないよう、下を向いて歩く。
宿の部屋に戻っても、ラズは疲れが取れない様子だ。元々おしゃべりな性格ではないが、いつもに増して口数が少ない。
ベッドに座り、ため息をついたラズを見つめていると、視線に気づいた彼女は薄く笑みを浮かべる。
「何よ、そんな泣きそうな顔して」
「えっ」
「自覚なかったの? アンタ、ひどい顔してるわよ。⋯⋯大丈夫?」
心配していた筈が、逆に気遣われてしまった。ここで「いえ、ラズさんが心配で」と言ったら、余計に気を遣わせて、疲れさせてしまうだろうか。そう思うと、何を言っても逆効果になってしまう気がして、結局アリソンは曖昧に首を振ることしかできなかった。
黙り込んでいると、もぞもぞとラズが布団の中に潜り込む。夕食は、と問うと「いらない」とだけ返事が返る。
山のようなスペアリブをいとも容易く胃袋に収めてしまう彼女が、食事を不要だと言うだなんて。どうやら本当の本当に、とても疲れているらしい。
一人で階下に降りて食べる気になれず、アリソンも彼女に倣って布団に入ることにした。湿った匂いのする布団を被り、部屋の明かりを消して目を閉じるとすぐさま睡魔がやってくる。疲れているのは自分も同じだったようだ。
一晩寝れば、きっとラズも元通り元気になってくれるだろう。
そう思って眠りについたアリソンだったが、翌朝、うめき声に目を覚ましたアリソンが見たのは、ベッドの上で苦しげにもがくラズの姿だった。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
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