022 暗転
アリソンが目を覚ましたのは夜が明ける前、未明のこと。
窓に風が打ちつけられる音で目を覚ましカーテンを開くと、雨で濡れたガラス越しに、強い風に煽られて斜めに曲がった木と、遠くの波が大きな水飛沫をあげて荒れる様が見えた。
大雨、いや、台風だろうか。
幼馴染のジョアンやルノーは台風が来るたびに興奮気味になっていたけれど、両親やトマスは畑のことや、家が壊れないか気を揉んでいたことを思い出す。
「う⋯⋯っ」
「あ、ラズさん起きました? 外すごい雨ですよ、台風みたいで風も波もすごく⋯⋯、ラズさん?」
小さな呻き声に、ラズも風の音で目を覚ましたのだろうと思い、窓辺に立ったまま話しかけるも返事がない。不審に思い振り返ると、隣のベッドで、彼女は小さく縮こまって苦しげにシーツを握っていた。
「ラズさん、ラズさんッ!? どうし⋯⋯っだめ、聞こえてない⋯⋯!」
汗ばんだ額に手を当てる。冷たい。これだけ体温が低いのに、枕が湿るほどの汗をかいている。きっと熱が出ているのだろう、それなのに体が冷たいのは良いサインではない。
それに、意識。
意識を失うほどの高熱なのか、それとも痛みを伴っているのだろうか。苦悶に歪みながら浅く呼吸を繰り返すラズの姿に、弟の姿が重なる。
最後に弟が激しい発作を起こして意識を失った時は、どう対処したのだったか。いやでも、ラズのこれは弟の時とは状況が違う。弟は病気だったが、彼女は病など持ってはいなかったはず。
──私じゃだめだ。医者か治癒術師を呼んで、専門的な判断を下してもらわないと。
「人を呼んできます! 少しだけ、少しだけ待っててくださいっ!」
彼女が自分で蹴り落としたのだろう布団をその細い体にかけながら、一声かけてアリソンは部屋を飛び出す。階下まで降りて事情を説明すると、すぐに近くの診療所の医者を呼んでもらうことができた。治癒術師はいないのかと聞くと、宿の女性は申し訳なさそうに首を振る。この町に治癒術を使える人は誰もいないのだという。
雨の中、大急ぎでやってきてくれた男の医者は、アリソンと同じぐらいに焦燥した様子で、目の下の隈も酷い。
未だ目を覚まさないラズを一目見て、彼は「やっぱり」と小さくしわがれた声で呟いた。
「くそっ、流行病だ! 観光の途中で、感染してしまったのか⋯⋯」
「流行病?」
「⋯⋯あまり大きな声では言えないんだが、実は今、この町にはおかしな病が流行っているんだよ」
「そんな! な、治るんですよね? ラズさんは、ちゃんと目を覚ますんですよね!?」
「この気づけ薬で患者が覚醒することは分かっているから、それは大丈夫だ。ただ⋯⋯」
診察を終えた医者は、薬草の調合をしながら声を落として言う。
「ただ、なんですか?」
「⋯⋯いや、なんでもない。彼女は若くて健康なんだ、きっと大丈夫だ。ちゃんと目を覚ますから安心してくれ」
医者の男はそう言って安心させてくれたが、アリソンはどうしても胸の内の不安を拭うことはできなかった。
「さあ、これが薬だ。これを彼女に飲ませてくれ、1時間以内に目が覚めるはずだから」
「ありがとうございます。あの、お代は⋯⋯」
「代金はいいよ。その代わり、私が流行病について口にしたことは黙っていてくれないか? 箝口令が敷かれているから、勝手に話したことがバレたら大変なんだ」
「カンコウレイ?」
「ああ、つまり、流行病が出回っていることについて他人に話していけないことになっているんだ。余計な不安を与えないようという町長の配慮さ」
本当にそれは配慮なのだろうか?
流行病があると知っていたら、きっとアリソンたちはここに長居しなかったはずだ。かつて漁村だったこの街は、今や観光業で成り立っている。もし観光客が誰も来なくなったら困るから、だから黙っていたのではないのか。
そう思ったが、ラズを診察してくれた医者に言うことではない。今は彼女が無事に目を覚まし、回復するのを祈るのが先だ。
医者を送った後、商人に事情を話すと既に話は聞いていたようで、気遣わしげに肩を叩かれた。
「まあ、この大雨じゃ出発もできないからね。この子が治るまでゆっくり療養しよう」
「⋯⋯はい」
柱の時計を見ながら、アリソンは頷いた。
薬のおかげか、苦悶に歪んでいたラズの顔色も少しは落ち着いているが、下がった体温は戻っていないし、熱も引いていない。意識だって戻っていないのだ。
それでも今は、目を覚ますのを信じて待つしかない。ベッドの横に座って、アリソンは待った。
あと50分、あと30分、15分、10分、5分──
「ぁ、ッひ──」
「ラズさん? ⋯⋯ラズさん!?」
汗ばんだ額を布で拭うと、彼女は苦しんでいるような、怯えているような声をあげて身じろぎした。思わず身を乗り出したものの、ラズの目は硬く閉じられていて、目を覚ます気配はない。
焦る必要はない。あと少し、あと少しで目を覚ますはず。
そう信じて見守り続けたが、薬を飲ませてから1時間が過ぎてもラズが目を覚ますことはなかった。
◇◆◇
「なんでラズさんは目を覚まさないんですか」
扉を蹴破る勢いで現れたアリソンに、医者は目を白黒させている。
宿や街の人間を片っ端から捕まえては聞いて回ったおかげで、彼の住処はすぐに特定できた。食事中だったらしく、サンドイッチを宙に浮かせたまま固まっている彼にずかずかと歩み寄り、衝動のまま胸倉を掴み上げる。
「1時間以内に目を覚ますって言ったじゃないですか! なんで少しも目を覚まさないんですか!」
「お、落ち着いてくれ! 多少の誤差があるだけかもしれな──」
「そう思って多めに待ちましたけど、ラズさんは相変わらず眠ったままなんです! どういうことなのか説明してください!」
「君がここに来るまでの間に目を覚ましてるかもしれないじゃないか!」
「私があなたを探していることは、宿の人も近所の人もみんな知ってるんですから、ここに来るまでの間に目を覚ましたなら誰かが呼びに来るはず。誰か来たんですか? 来てないじゃないですか!」
「わ、わかった! わかったから落ち着いて⋯⋯」
「落ち着けるわけないでしょう!?」
声を荒げて捲し立てるアリソンの剣幕に、医者はすっかりたじろいでいるが、アリソンにはそんなことを気にしている余裕がない。
「顔色だって、せっかく良くなっていたのにまた苦しそうになってて⋯⋯! 目を覚ますって言ったじゃないですか! なんで覚まさないんですか!? もしラズさんまでいなくなったら──」
ラズまでいなくなったら──?
自分で口にしておきながら、ゾッとするほど暗い未来像にアリソンは顔を青くする。
目の前で切り裂かれた弟の亡骸。重なって倒れた両親の遺体。ぐちゃぐちゃの肉塊になったイグニス。そこにさらに、眠ったまま目を覚まさないラズの姿が加わる。
燃える家の中に置いてきた記憶全てに襲い掛かられ、残った微かな理性が潰されていく。医者の胸倉を掴んでいた手がガタガタと震え、力が抜けていく。
「お願いだから、もうこれ以上奪わないで⋯⋯っ」
がくんと膝をつき、すすり泣き始めたアリソンに医者はおろおろと手を彷徨わせる。
迷った末、彼はサンドイッチを皿に置き、「落ち着いてくれ」と言いながらアリソンの肩に手を置いた。
「私が悪かった。全て包み隠さず話すから、聞いてくれ。⋯⋯大丈夫だ、彼女は死なないから」
死なない、という言葉に反応して顔を上げたアリソンに、医者は語り出す。
この街に蔓延る、流行病の真実を。
最初に病を患ったのは、とある働き者の青年だった。
ある日突然目を覚まさなくなった彼は、時折うなされているかのように呻いたが、どんなに揺さぶっても、どんなに耳元で大声を出しても目を覚ますことはなかった。
次に病に罹ったのは、彼の看病をしていた恋人。その次には、恋人と親しくしていた同僚が。
時同じく、彼らとなんの接点もない人間にもこんこんとと眠り続ける症状が出始めた頃、ようやく町長は異変に気がついた。町長に召集され、薬草師と医者は協力して新薬の調合に着手。研究と試作の末、気づけ薬が完成したのは最初に患った青年が眠り始めて半年が経ち、町の人間の10人に一人は眠りこけている状況になった頃である。
気づけ薬の効能は抜群で、何をしても起きなかった人間のうち8割は目を覚まし、二度とあのような昏睡状態に陥ることはなかった。
しかし──残った2割の人間は、相変わらず眠り続けたままだ。
しかし、時折苦しげにする以外で目立った変化はなく、目を覚まさない以外の症状もない。食事や水分を摂れないことによる影響もないようだ。
眠ったまま死んだ患者の症例もなく、目覚めない患者の共通点もなく、研究は完全に行き詰まっていた。
「一時は魔術師の仕業ではないかという噂も囁かれたが、秘密裏に来てもらった魔術師には、『魔術の気配はない』と断言されたから、病であることは確かなんだ」
そう締めくくった医者に、幾分か落ち着きを取り戻したアリソンは「つまり」と口を挟む。
「つまり、ラズさんはその2割だった、ってことですか?」
「そうなるな。しかし安心してくれ、我々は彼らの目を覚ますべく今も研究を続けて──」
「じゃあ、どうして最初から言ってくれなかったんですか? 気づけ薬を飲ませても、2割の人間は目を覚まさないって!」
「それは⋯⋯悪戯に心配させるといけないと思って、」
「心配? 違うでしょう。あなたはただ、自分に治せない可能性があることを言いたくなかっただけなんでしょう?」
「っ黙れ!!」
アリソンの言葉に、医師は弾かれたように目を開き、拳を震わせる。
「私を詰ったところで、患者がみな目を覚ますのか!? 私たちも日夜どうにか目を覚まさせてやれないか、大変な思いでいるんだ! 何もできないくせに、何も知らない弱者は引っ込んでろ!!」
追い立てられるように家を追い出され、アリソンは降りしきる雨の中、呆然と扉の前に立ち尽くす。
アリソンには医術の心得はない。弟の発作の対処法や看病の仕方は知っていても、それを治す方法なんて一つも知らなかった。病を治す方法に関しては、あの医者の言う通り、何もできない弱者でしかないのだ。
医者でも薬草師でもどうしようもない病。この街に治癒術師はなく、そしておそらく呼び寄せるつもりもない。
ならば、頼れるのはもう──
「ベティさんなら、もしかしたら⋯⋯っ」
頭に浮かんだのは、優雅に微笑む魔人の女性。
人間にはどうしようもない病でも、魔人ならば何らかの知識があるのではないか──そんな一筋のか細い希望は、けれど容易く折られることとなった。
『力になれなくて、申し訳ありませんけれど⋯⋯新種の病をどうにかする方法はわたくしも存じませんわ』
街外れの空き家に忍び込み、井戸越しにエリザベスと対面を果たしたアリソンが見たのは、申し訳なさそうにする彼女の姿だった。
「そんな⋯⋯っ何かないんですか、魔界の薬草とか⋯⋯!」
『無くはないですけれど、わたくしたちは基本的に自己治癒で大体の怪我や病気は治ってしまいますから、たいして研究が進んでいませんのよ。それに、魔界の薬草は魔人にとっては薬でも、人間にとっては劇薬──怪我や病気を治す以前に、発狂するか死んでしまうかのどちらかでしょう』
「じゃあ⋯⋯じゃあ、どうすれば⋯⋯っ」
『話を聞いたところ、その病は魔術が関わっているわけでもなければ、命に関わるわけでもないのでしょう? 新しい薬が考案されるのを待つのが一番良いと思いますわよ』
それでは、と言葉少なに消えてしまった彼女伸ばした手は水面にすら届かず、宙にぶらりと力なく浮く。
医者にも薬草師にもどうにもできなくて、魔人であるエリザベスにも見当がつかない病なんてどうすればいい? どうすればラズの目を覚まさせることができるのだろう。
新しい薬の考案なんて、一体いつまで待てばいい。彼女が目を覚ます保証なんてどこにもないのに、一体どうやって──
「私って、こんなに何もできなかったっけ⋯⋯?」
井戸に落ちる雨の水滴を見ながら、アリソンは呟いた。
そうだ、忘れていたのだ。魔界で剣の使い方を覚えて、フランベルジュをもらって、魔人の異能を使いこなせるようになって、聖都で暴走する大司教を倒せたからすっかり忘れていた。
ゴウッと、唸るような音を立てて風が通り過ぎていく。
井戸は雨と暴風のせいで、何の景色も映らない。当たり前だ、台風が来ているのだから。肌寒さに腕を抱え、アリソンは顔を上げる。
エリザベスと話していた時は気にならなかった雨や風の冷たさが、徐々に戻ってきている。くしゃみの一つも出そうな寒さの中、けれど宿に戻る気にはなれず──こんこんと眠り続けるラズの姿を認めたくなくて──アリソンは井戸に寄りかかって、台風に煽られる木々や屋根の上の飾りを眺める。
地上を根こそぎ洗い流そうとするような豪雨の中、自分がただの無力な村娘に過ぎないのだということを、アリソンは思い出した。
◇◆◇
「おはようございます。お食事はお召し上がりですか?」
「えっと、食欲がなくて⋯⋯」
「⋯⋯今日も摂らないんですか? もう3日ですし、そろそろ何か口に入れた方が⋯⋯」
「大丈夫です、ちゃんと水は飲んでますから」
「そうですか⋯⋯入用になりましたら、遠慮なく声をかけてくださいね」
「⋯⋯はい、ありがとうございます」
心配なのか、こちらをじっと見つめてから去って行く宿屋の女性の足音が聞こえなくなってから、アリソンは扉に鍵を閉めた。
ラズが目を覚まさなくなって、早3日。
荒れ狂ったように雨を降らしていた台風は去ったというのに、ラズは未だ寝台の住人だ。彼女が起きていた頃は言われなくても食事を摂れていたのに、今ではすっかり食欲が失せてしまった。
ベッドの上で時折うめき声を交えた寝息を立てているラズは、あれから何一つ変わらない。
「いっそ、眠ってしまえたら楽なのかな⋯⋯」
体温の低い彼女の白い手を握り、アリソンは呟く。
いっそ眠ってしまえたら。そうしたら、家族が死んだ現実や村が焼かれた現実から、そしてラズが目を覚まさない現実からだって逃げてしまえる。
例えその先に何も無かったとしても、何も無いからこそ、いっそ、逃げてしまえたなら楽なのかもしれない。
けれど、逃げてしまったら家族は生き返らない。勇者は英雄のまま生きて、魔人を殺して、笑って生きて死ぬ。
そんなことを許すわけにはいかない、だけど──
「ラズさん⋯⋯私、一人じゃ駄目になっちゃうみたいです」
魔界で目を覚ました時から傍にいてくれたラズ。亡き恩人の忘れ形見。何もかもを失くしたこの手にたったひとつ、落ちてきたひと。
彼女を守れなかったこと、彼女を起こす手立てを見つけられないこと、ただ無為に日々を過ごしていることに、かろうじて保ってきたアリソンの心は今にも折れそうだった。
──そんな風に、心が折れそうな隙間にこそ、悪魔は訪れる。
「あ、アリソンくんっ! ちょっとお邪魔してもいいかい!?」
激しいノックの音と共に名前を呼ばれ、アリソンはびくりと反射的に跳ねる。
よくよく聞くと、声の主はここ数日ですっかり聞き慣れてしまった商人のものだ。扉を開けると、急いで走ってきたのか、彼は息を切らして立っていた。
「どうしたんですか? 何かあっ⋯⋯」
「め、目を覚ましたんだ! 彼女のように眠ったままだった人間が!」
「えっ⋯⋯ほ、本当ですか!? ど、どうやって!?」
「それは⋯⋯」
息継ぎのため、商人が言葉を途切れさせた瞬間を狙ったように、その人物は現れた。
全身を不可思議な紋様の描かれたローブに身を包み、目より下をベールで隠し、さらにフードを目深に被るという怪しげな風体の、少し小柄な人物にアリソンは本能的に警戒をあらわにする。
しかし、商人は「あ、あなたは!」と喜色を見せた。
「アリソンくん、彼だよ! 彼が、『導師』が患者の目を覚まさせたんだよ!」
──本当に?
半信半疑ながらも、藁にも縋りたい気分だったアリソンはパッと顔を上げて、商人が導師と呼んだ人物を見やる。彼と呼ぶからには男であるのだろうが、全身をローブに包んでいるせいで、全く性別が判別できない。
まだ完全に信用したわけではないことが分かるアリソンの視線に、導師は目を細め、柔らかな声で「初めまして」と口を開いた。
「どうも、ここにもまだ目を覚ましていない人間がいると聞いて来たんです。彼女に会わせてもらえますか?」
「それは⋯⋯それはもちろんですけど、あの、どうやって目を覚まさせたんですか? これは流行病、なんですよね⋯⋯?」
「ああ、町の皆さんはそう思っているようですが、実際は少し違うんですよ」
「え?」
「おかしいとは思いませんでした? あなたは彼女の側にずっといたのに、何故感染しなかったのか」
確かに、それは思わないでもなかった。
頷きながらアリソンは彼らを部屋に招き入れる。
「彼らが眠ってしまったのは、ある"食べ物"のせいですよ。気づけ薬で目を覚ました人たちは、恐らくそれを完食しなかったため、完全な昏睡状態に陥らずにすんだのでしょう」
「食べ物⋯⋯毒が盛られてた、ってことですか?」
「というより、食べ物自体に毒性があったと言ったほうがいいでしょうね。何か心当たりはありませんか? 彼女は食べて、あなたは食べなかったものに」
ラズは食べて、自分は食べなかったものと言えば、思い浮かぶのはひとつしかない。
この街に来た日、宿の部屋に置かれていた赤い果物。
「柘榴⋯⋯!」
「ああ、やはりそうでしたか。この街で最近採れるようになったと聞きましたが、あれは毒のある新種の柘榴なんですよ。大きな都市ではまだ被害は出ていませんが、小さな農村などがいくつか被害に遭っています。僕は彼らを助ける旅をしているんです」
「そんな危険なものだったなんて⋯⋯あの、毒の効果はなんですか? どうやって解毒すれば⋯⋯」
「実はあれはそこそこ厄介な毒でね、身体よりも精神に深く入り込むんです」
「精神に⋯⋯?」
眠り続けているラズの顔色は苦しそうだ。シーツの上を彷徨う手を思わず握ると、導師がふっと笑う気配がする。
「あの柘榴は、食べた人間にとって最も苦しい記憶の再演を悪夢で見せ、苛むんです。目を覚まさせるには、彼らの『心の中』に入り、これは悪夢であると理解させ、現実に連れ戻す必要がある」
「こ、心の中に入るって⋯⋯そんなことができるんですか?」
「僕にならできますよ。ですが、心の中に入るのは相手にとって親しい人間であることが望ましい。いきなり知らない人間に心なんていう無防備な場所に入られて、拒絶せずにいられる人間はなかなかいませんからね。ですから、僕の術で、あなたを彼女の心に送るのが最も適切な処置でしょう。あなたが彼女の心に入り、彼女を迎えにいくんです」
できそうですか、と問いかけられるも、あまりに途方もない話に頭がくらくらする。
即答できないでいると、「行ってこいよ!」と声がかかる。
「嬢ちゃん、頑張れ! 俺もさっき、嫁さんの悪夢を見て来たんだよ。おかげで眠り続けてきたあいつが目を覚ました!」
不意に割って入った声援は、どうやら町の人間の声のようだ。導師と商人だけを招き入れたつもりだったが、扉を閉め忘れていたせいか、宿の人や町の人たちが野次馬として集って来ているらしく、それなりの人だかりができていた。
「私、何の力もないただの村娘なんです。それでも、ラズさんのことを助けられますか!?」
「もちろんですよ。むしろ、あなたにしかできないことです。無理強いはしませんが、彼女のために何かしたいと考えているのなら、どうか勇気を出してください」
力強く肯定する導師の言葉に、アリソンも覚悟を決める。
正直、ラズは自分の心に入るのがアリソンでも導師でも嫌がるような気がしたが、それでも、彼女には目を覚まして欲しい。
ラズを助けられるのなら何だってすると、心から思った。
「それでは、儀式を始めましょう。大丈夫、目を閉じてリラックスして、彼女の手を握っていてください。そう、そのまま⋯⋯」
肩の力を抜き、ラズの手に意識を集中させていると、段々と足が地面から浮いたような心地になる。
そのまま導師の言葉に身を任せていると、プツンと音がして、アリソンは自分の体が崩れ落ちるのを感じた。一方で、精神はどこか深く、違う場所へとたどり着いている。
冷たいような、暖かなような。
突き放されているようで、そこにいることを許容されているような。
相反する二つの感覚を探っていると、いつの間にか体の感覚が全くなくなっていることに気が付く。あんなにもしっかりとラズの手を握っていたはずなのに、手の中は空っぽであるように感じる。
きっと、ここが導師の言うラズの「心の中」なのだろう。
閉じたままだった目を、アリソンはゆっくりと静かに開いた。
◇◆◇
「あの子、大丈夫かなぁ⋯⋯」
「大丈夫だって。俺でも嫁さん連れ戻せたんだから」
「そうだね、あの子たちは仲がいいみたいだったし、きっと大丈夫だよね」
ラズの手を握って、頭をベッドに乗せて倒れ込んだアリソンを、町の人々や商人はあれこれ喋りながら見守っていた。
ベッド脇に立つ導師も、それを自信ありげに見ている。
「⋯⋯あれ、なんか、眠くなってきたような⋯⋯」
「私も⋯⋯昨日夜遅かったからかしら?」
「待て、これ何か⋯⋯」
ぱたり、またぱたりと、アリソンとラズを見守っていた人々が一人ずつ倒れ込んでいく。まるで流行病に──いや、柘榴を口にしたものたちのように。
「ど、どういうことだ!? あれは感染するものじゃないって⋯⋯まさか、」
驚愕に口を震わせた商人が倒れるのを最後に、部屋の中は静まり返る。
きっと町中が今、同じ静けさの中にいると導師は確信していた。
「君も、もういいよ。お疲れ」
倒れた人々を避けながらやってきた宿屋の女性を一瞥し、導師がそう声をかけた瞬間、メキメキと音をたてて女性の腹を黒い鳥が突き破って姿を現す。
導師を名乗った彼の、優秀な使い魔だ。
「やれやれ、まさかコイツが柘榴を食べなかったなんてね。おかげで予定より早く姿を表すことになったじゃないか。⋯⋯まあ、僕ならこの程度の予想外、全然対処できるけどね」
先程の柔らかな声とは、口調も声色も全く違う素の喋り方をしながら、彼は顔を隠していた窮屈なベールとフードを取り外す。肩まで届きそうな黒い髪に、中性的な容姿の少年は、ラズの手を握って無防備に意識を無くしているアリソンに蔑んだ視線を向ける。
部屋の中に佇むのは、人々を救わんとする導師ではなく、勇者一行の一人であった稀代の天才魔術師、セネカ・レミントンのみ。
小さな客室の中、昏睡する人々を足蹴にして立つセネカは、「はははっ」と少年らしい笑い声で人々を嘲笑する。
「見ていろ、証明してやる。あの勇者レインナートよりも、この僕こそが称賛に値する、真の英雄なんだと──!」
セネカは、眠ったままのアリソンとラズに近づき、手をかざす。
唱えた式によってその手から禍々しい黒い光が渦巻き出し、そして、全ては闇の中に沈んだ。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
始終暗澹とした回でしたが、ちゃんと好転する予定はありますので、ぜひ引き続きアリソンとラズの物語にお付き合い頂けると嬉しいです。
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