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村娘Aが勇者を殺すまで  作者: 藤森ルウ
第2章 聖都編
24/76

020 その未来はまだ遠く



『つまるところ、聖女の心臓の代わりに、大司教とやらの心臓で代用したい、と』


 聖都で起きた一連の出来事を聞いたエリザベスの問いに、アリソンは「はい」と頷いた。


「魔力量の多い人間なら、誰でも良いんですよね? なら、ヒナコのじゃなくてこの人のでも出来ると思ったんですけど、もしかしてだめでした⋯⋯?」

『いいえ? 貴女の言う通り、魔力さえ多ければなんでも良いんですのよ。貴女がそれでいいのなら、問題なんてどこにもありませんわ』


 井戸の中の水面に映ったエリザベスがそう言うのを聞いて、アリソンはホッと胸を撫で下ろす。

 聖都に魔術をかけ、住人や訪れた人々の記憶を改竄し、聖女の存在を偽っていた大司教。それだけでなく、なんの罪もない子供を、己の快楽のためだけに虐待し、殺していた恐ろしい男。そんな悪人の心臓で家族を生き返らせることができるのだと思えば、凝り固まった頬ですら緩みそうだった。


「えっと、それでどうやって心臓を受け渡せば⋯⋯? 抉り出して、ここに投げ込めばいいんですか?」

『あら、体ごと投げ込んでも構いませんわよ。そういう処理はわたくし得意ですもの』

「そ、そうですか⋯⋯?」


 よもや心臓をくり抜くのが得意という意味ではないだろうが、なんとなく背筋が寒くなる言葉だと思いながら、アリソンは地面に転がしていた大司教の体を引っ張り上げる。死人の体は硬く、そして重たい。それをなんとか力を振り絞って井戸に持ち上げ、そのまま力任せに突き落とす。本来聞こえるはずの水音はせず、水紋に吸い込まれるようにして大司教の死体は消えた。


『あらあら、首がないんですのね』

「あっ。すみません、首は落としちゃって⋯⋯いりますか?」

『フフッ、手間が省けて助かるという意味ですわよ。⋯⋯さて、あんまりに長く離れていては、ラズに怪しまれてしまいますわ。また次の街で会うとしましょう、アリソン』


 エリザベスが別れの言葉を口にすると、井戸の底に映る魔界の景色がかすみ出す。それを見たアリソンは、慌てて「エリザベスさん!」と声を張り上げる。


『ベティで良いですわよ』

「べ、ベティさん。あといくつ心臓を集めれば、家族を生き返らせられますか?」

『そうですわねえ、貴女の家族はご両親と弟の3人でしたから⋯⋯弟の病も治したいのであれば、やはり最低でもあと4人必要ですわ』

「そうですか⋯⋯あと4人も必要なんですね」

『たったの4人、ではなくって? 勇者レインナートに、そのお仲間のセネカ、ドワイト、マルガリータを加えれば、ちょうどいい数でしてよ?』


 くすくすと笑ったのち、彼女はふいに目を細めた。


『ねえ、アリソン。今回はその大司教とやらで代用しますけれど──やはり、勇者やその仲間に勝る魔力を持つ心臓はありませんわ。ですから、やはり勇者を殺すのが一番良いと思うんですのよ。家族を殺した人間の心臓で、その家族が生き返る。それとも、例え家族のためでも、例え相手が憎い仇でもどうしても殺したくないというのであれば、わたくしが貴女のためにできることは何もありませんわ』

「そんなことっ! あんな男を殺したくないなんて、そんなわけないです! それで家族が取り戻せるなら、なんだって、なんでもします!!」

『そう。その言葉、ゆめゆめお忘れなきようお願いしますわね』


 最後に釘を刺すようなことを言って、優雅な女性の姿は井戸の中から消える。

 井戸のふちにかけていた手を離すと、指先が少し赤くなっていた。いつの間にか、随分と力を入れて掴んでしまっていたらしい。

 ラズは目敏いから、気づいてしまうだろうか。もし気付かれたらどうやって誤魔化そうかと考えながら、アリソンは井戸を背にして歩き出した。



「おかえりなさい」


 ラズは、先ほど別れた地点で変わらずに待っていた。足を組み、頬杖をついて座った彼女に、一瞬なんと返せばいいか言葉に詰まる。

 お帰りなさい、だから、ただいま? だけど、瓦礫と屍の積み重なるこの場所には相応しくない気がして、アリソンは少し考えてから返事をした。


「⋯⋯えっと、遅くなってごめんなさい?」

「なんで疑問系なのよ。なに、何か面白いものでもあったの」

「あっ。いえ、ベティさんに頼まれてたことをついでにやってました」


 アリソンの顔をじっと3秒間見た後、ラズは「そう」と呟いた。


『嘘をつく時はあんまりに事実と違いすぎることは言わない方がいいわ。真実にほんの少しの嘘を混ぜる、ぐらいが一番良いの』

『あとは嘘じゃないけど本当でもないことを言う、とか』


 聖都に入る時、うまく巡礼者のフリができるか不安だった自分にラズが教えてくれたことを、まさか当の本人相手に実践するなんて思わなかった。

 エリザベスに頼まれたこと──魔界と人間界を行き来できるように彼女の一部を水辺に垂らすこと──をこなしていたのは嘘ではない。ただ、大司教の死体を魔界に投げ込んだことを言っていないだけで。


 嘘はついていないけれど、やはり隠し事をすると言うのは気分の良いものではないなぁ、とアリソンは目を伏せる。

 初対面の時からずっと親切にしてきてくれたラズを相手に、とんでもない隠し事をしているのだからなおさらだ。胸に重くのしかかる罪悪感が痛い。この後ろめたさごと全て言ってしまえたら、どれだけいいか。


「疲れてるところ悪いけど、ヒナコとルークのところに寄ったらすぐにここを発とうと思うの」

「えっ、すぐですか?」

「そうだけど。これ以上この街に用はないでしょ」

「それはそうですけど、でも⋯⋯ううん、そうですよね。用事を済ませたら、先を急ぎましょう」


 少しぐらい休んでからでも良いのではないか。そう思う気持ちもあったが、先を急ぎたい気持ちはアリソンも同じだ。

 頷いて承諾したアリソンに、ラズは立ち上がる。


「それじゃ、行きましょ」


 ヒナコたちの場所を知っているらしい彼女の歩みを追って、アリソンは歩き出した。



◇◆◇



「──という内容で、問題ないわね?」

「な、ないですっ」

「私もないです。読んでくれてありがとうございます、ラズさん」


 荘厳な大聖堂の、破壊を免れた裏庭でアリソンとヒナコは、ルークがどこからか運んできたテーブルを挟んで向かい合って座っていた。

 文字をまだあまり読めないアリソンのため、魔術契約書の内容を読んでくれたラズに礼を言うと、彼女は「どういたしまして」と微笑む。


「ルーク、あなたも文字が読めるのよね? 今あたしが読んだ内容とここにある内容に違いがないか、確認してくれるかしら」

「おいおい、俺もヒナコも、今さらアンタが内容を書き換えるようなヤツだとは思ってねーぞ?」

「あら、随分信用されてるわね。でもこういう事はちゃんとするのがお互いのためよ。言いにくいことは最初にきっちり精算して、すっきり契約しましょ」

「ふーん。ま、そういうことなら見してもらうぜ」


 ざっと目を通したルークは、すぐに「いーぜ」と返してくる。


「じゃあ、二人はサインを。その後、あたしとルークが保証人欄にサインするわ」

「分かりました」


 羽ペンを取り、アリソンとヒナコは交互に書類にサインを書いていく。

 お世辞にも綺麗とは言えない自分の筆跡と比べて、みんなのサインはとてもじゃないが同じ文字とは思えないほどに綺麗だった。村にいた頃は文字を読めないことも書けないことも当たり前で、恥ずかしく思うことではなかったのに、身を置く環境ひとつでこうも感じ方が変わるものなのか。

 4人全員がサインを書いたところで、契約書が白い光に包まれる。その上に手を乗せるよう促され、アリソンとヒナコはそれぞれの利き手を乗せた。


「あとはアンタらが『契約成立』と言えば、これで契約は完了だ。⋯⋯問題ねえな?」


 ルークの言葉に、アリソンとヒナコが顔をあげる。お互いに顔を合わせ、小さく頷くと、二人は異口同音に唱えた。契約書に乗せられたアリソンとヒナコの手を駆け登るように白い光が走り、パチンという音と共に弾けて消える。

 一瞬の出来事に目をぱちくりさせるアリソンに、「成立ですよ」とヒナコが声を掛ける。


「それにしても、思い切ったことをしたわね。もしも今後も勇者に与するようなことをしたら自分の心臓を止める、だなんて」

「保険みたいなものです。わたしは弱いから、それぐらいしないと、また強い方に流されて間違ってしまうと思ったから。⋯⋯もう間違えないための契約だから、ちょっとぐらい思い切った方がいいんです」


 ラズにそう語るヒナコの顔は、少しすっきりしたように見える。


「ま、あなたに関しては、アリソンが納得してるならあたしはそれでいいわ。⋯⋯これで本当に良かったのね?」

「はい。手伝ってくれてありがとうございました」

「⋯⋯大したことじゃないわよ」


 そう言ってそっぽを向いてしまったラズと並んで、アリソンは「ルーク君もありがとう」と彼にも礼を伝える。


「こっちこそ、聖都を助けてもらっちまってんだ。あと何回手伝ったって釣りがくるぜ」

「そうかなぁ⋯⋯それより気になってたんだけど、ルーク君その髪どうしたの?」

「⋯⋯見なかったふりしろよ、最後まで」

「ご、ごめんね⋯⋯」


 はあ、とため息をつきながら顔を覆ってしまったルークに、アリソンは申し訳なく思いつつも、彼の髪から目を離せない。

 赤い長髪は、会うたびにポニーテールだったり、下ろされていたり、はたまた三つ編みになったりしていたものの、今日は耳の下辺りで二つ結びになっていた。

 もう少し結ぶ位置が高かったら、ラズみたいなツインテールになっていたんだろうなぁと思って彼女を見やると、彼女も同じことを考えていたのか、手で覆われた口がプルプル震えていた。絶対に笑いを堪えている顔だ。


「しょうがねえだろ、スラムのチビ共が俺の頭で遊ぶんだから。他に娯楽もねーし、やめろって言いにくいのを知っててお願い〜なんて言ってくるんだから、あいつら本当にしたたかだぜ」

「さ、さすがルークの弟分と妹分たちですよねっ」

「ヒナコ、それフォローになってねえからな?」


 ヒナコを小突く彼を、アリソンは微笑ましい気持ちで見やる。

 文句を言いながらも決して髪を解かない辺り、彼は本当に良い兄貴分だ。子供達が慕うのも分かる。


「っと、先を急ぐんだったよな? ヒナコから大体の事情は聞いてるよ、復讐の旅なんだってな」

「⋯⋯うん」

「復讐は何も生まない、なんて言うんじゃないでしょうね?」

「ははっ、まさか! アンタらの手を借りて大司教に復讐した俺が、んなこと言う権利ないだろ。⋯⋯けどさ、復讐した後にどうしたいかは考えておけよ」

「復讐した後、どうしたいか⋯⋯?」


 おうむ返しにしたアリソンに、ルークは頷く。


「復讐ってのは、果たした後に笑うためにするんだろ。だから考えとけ、絶対」

「⋯⋯ルーク君は? これからどうするの?」

「今までと変わんねーよ、スラムのガキの子守り。⋯⋯って言いてーとこだけど、ヒナコの手伝いもしなきゃだよな」

「スラムの改革には、実際にそこに住んでいたルークの力が必要だと思うんです。あ、あの、でも無理にとは言いませんので、嫌なら全然っ」

「誰も嫌とは言ってねーっての! まあとにかく、アンタも今から何したいか考えとけよ。復讐終わったら何もねー、なんてことにならないようにな」


 復讐が終わったら──ルークの言葉をアリソンは反芻する。

 そうしたら、アリソンの家族は生き返る。人間の世界で暮らすことはできないだろうから、魔界で暮らすことになるのだろう。

 

 ──だけど、ラズは?

 最愛の人が生き返らないラズは、それを見て、何を──


「悪い、ちょっと急すぎたか。まあ、まだ旅は長いだろうからゆっくり考えろよ」

「あ⋯⋯うん」


 アリソンの反応が鈍いのを心配したのか、声を柔らかくしたルークに、上の空気味で返事をする。


「あ、そういえば⋯⋯これを受け取ってくれませんか?」


 そう言ってヒナコが取り出したのは、一冊の本だった。

 幼馴染のジョアンの家でしか見たことのない「本」の厚みに、緊張しながらアリソンはそれを受け取る。分厚く、ずっしりとした重みのあるその本は、何度も捲られたことがあるためか、ページの端がぼろぼろだった。


「これは⋯⋯?」

「その、勇者様⋯⋯勇者が、この街を発つ前に残して行ったものなんです。大司教に防壁魔術をかけて保管しておくように、と言って。でも大司教は⋯⋯」

「魔術をかけなかったのね?」

「⋯⋯はい。わ、わたしも、中身が何かは分からないんですけど、勇者が残して行ったものなので、何かお役に立つかもしれないと思って。かさばるかもしれませんけど⋯⋯」

「ううん、ありがとう。旅の途中で読むね」


 本を受け取ると、ヒナコはホッとしたように肩の力を抜く。


「それじゃあ、えっと⋯⋯お元気で」

「うん。ヒナコとルーク君も、頑張ってね」


 行くわよ、と腕を掴むラズに連れられて、アリソンは二人と手を振って聖都を後にした。



 来た時と同じ長い街道を、二人は並んで無言で歩く。次の目的地もそこに至る道もアリソンには分からないが、ただラズと歩けばどんな場所へもたどり着けるだろうという信頼がそこにはあった。

 そんな風にして数十分は歩いた頃、ふいに子供の声が聞こえた。

 どうやら後ろから近づいてきているらしい声に振り向くと、高価そうな服をまとった子供と、薄い布切れをまとった子供が駆けてくるところだった。


「知り合い?」


 ラズに問われ、アリソンは頷く。

 一人は大聖堂と宿屋で会った子供で、もう一人はスラムでルークと一緒にいた子供キッドだった。


「良かった、追いつけて。ボク、お姉ちゃんたちにお礼が言いたくて」

「オイラも! 大司教のところから助けてくれて、ありがとう」


 野花を差し出してきたキッドに、目を見張った後、アリソンは「こちらこそありがとう」と苦笑する。ラズにも受け取るよう促すと、彼女は少したじろぎつつも子供から花を受け取った。


「あの、ボクもこれ⋯⋯お姉ちゃん、文字が読めないって言ってたから」


 そう言って、もう一人の子供が差し出したのは、皮張りの本だった。真新しいそれは、新品であると分かる。


「これ、ボクの好きな絵本なんだ。これで練習したら、きっとすぐに読めるようになるよ!」

「わあ、ありがとう二人とも。わざわざこれを届けるために来たの?」

「だってお姉ちゃんたちのおかげなんでしょ? 大司教をやっつけてくれてありがとう!」


 子供たちの笑顔に、温かい陽だまりの記憶が過り、胸が暖かくなる。

 アリソンは子供たちの頭を撫で、もう一度優しく礼を言い、「遅くなる前に帰るんだよ」と付け加える。


「うん、わかってる。お姉ちゃんたちも気をつけてね!」

「ありがとう。ルーク君によろしくね」


 明るく笑って駆け出していった子供たちの姿は、あっという間に見えなくなる。

 その姿を見送るアリソンに、ラズがふいにくすりと笑う。どうしたのか、と見やると、彼女はどこかおかしそうな顔をしている。


「アリソン、実はあたしからも渡すものがあるんだけど」

「え?」

「まさか子供たちに先を越されるなんてね。内容が被ってないといいんだけど」


 ラズに渡されたのもまた、一冊の本だったが、それは皮張りではなく、紙を束ねて製本されたもののようだった。


「わあ、ありがとうございます! えっ、でもいつの間にこんなもの買ってたんですか?」

「聖都に着いた時、しばらく別行動してたでしょ。その間に買ってたの。聖都には魔術を使った製本がないから、出発するまでに間に合わないんじゃないか心配だったけど、間に合って良かったわ」

「そうだったんですね⋯⋯嬉しいです、頑張って読みますね!」


 子供たちにもらった本とラズにもらった本を、ヒナコに渡された本と一緒にカバンの中に仕舞っておく。本が3冊も入ったことでカバンの重みが一気に増したが、贈り物にこめられた気持ちを思えば気になるほどではない。

 

「ヒナコに渡された本、ちょっと見てもいいかしら? 歩きながらでいいから」

「もちろんですよ。どうぞ、ラズさん」


 3冊の中で最も分厚く、年季の入ったそれを手渡すと、ラズは宣言通り歩きながらそれをパラパラと捲っていく。

 捲るたびに眉間にシワがよるのを見て、一体どんな内容なのか聞くと、「くだらない内容よ」とラズは答える。


「えっと⋯⋯?」

「ただの日記よ。読むだけ時間の無駄ね」


 そんなにひどい内容だったのか、と思いながら、アリソンはラズから本を受け取り、カバンにしまい直す。

 しかし、ただの日記であったのなら、どうしてレインナートはわざわざ大司教に防壁魔術をかけて保管するよう、言いつけたのだろう。もしかして彼の個人的な日記だったりするのだろうか。

 ぼんやりと考えながら、「そういえば」とアリソンはラズに向き直る。


「これからどこへ向かうんですか?」

「⋯⋯分からないで着いてきてたの? 変なところで置き去りにされても知らないわよ」

「やだな〜ラズさんはそんなことしないじゃないですか」

「⋯⋯」

「えっ、なんで黙るんですか? しないですよね!?」

「ふふっ。さあ、どうかしらねえ?」


 そんなまさか、でも。

 そう少し不安げに眉根を下げたアリソンに、ラズは意地悪そうにニヤリと笑った。



◇◆◇



「⋯⋯行っちゃいましたね」

「そーだな」


 去って行ったアリソンとラズの背中を見送り、ヒナコとルークはぽつりと言葉を交わす。

 会ってからの時間は間もないが、それでも1年、いや数年程度の密度のある時間を過ごしたと思う。旅の原因を作った一人である自分に言えることではないかもしれないが、二人の旅路の先に笑顔が待っているといい。


「あ、そういやアンタの偽物の正体、聞きそびれちまったなぁ」

「イライザさんのことですか?」

「誰だ、それ」


 首を傾げたルークのその幼い所作に、ヒナコの顔に思わず微笑が浮かぶ。


「わたしの代わりに聖女になっていた人です。大司教の姪御さんだそうですよ」

「姪っ子?」


 アリソンから聞いたことをそのままルークに伝える、途端に彼の顔が訝しげに変わる。


「そりゃないだろ。だって、大司教は一人っ子だぜ?」

「え?」

「隠し子がいたってことは聞いたことはあるから、それを姪だって嘘をついたのかもな。いやでも隠し子は息子だったような──」

「せ、聖女様ー! すみません、また重傷の方が見つかりました! 手伝ってもらえませんかー!?」

「わわっ、い、今行きますっ」


 遠くから自分を呼ぶ声にハッとして、ヒナコはルークの手を掴んで走り出す。

 聖都の行く末を照らすように、雲間からは一筋の光が差し込んでおり、半壊した建物の中をいつまでも照らしていた。




 同時刻。

 復興と負傷者の手当に追われる聖都の路上。そこにうずくまる青年が、静かに身じろぎする。

 ──気付かれていない。まだ、誰にも。

 そのことにひどく安堵し、息をついた時、背後の瓦礫からヌッと手が伸び出る。


「う、うわぁあ! バケモ──うぐっ!?」

「静かにしなさい! なんなのよ、化け物を見たような悲鳴をあげるなんて。失礼だわ!」


 思わず悲鳴をあげ、逃げ出そうとした青年の口を塞いだその手の主は、桃色の髪を揺らしてため息をついた。口を塞ぐ手の感触は生きている人間の体温があり、ハキハキした喋り声は、いかにも生者のものだ。化け物でもなければ、死体がまた動き出したわけでもない、と理解し、青年はようやく落ち着いて手の主を仰ぎ見る。

 桃色の髪、背に当てられた柔らかな身体の感触。少し煤で汚れているものの、着ている服の装飾は非常に豪奢で、一目で貴族か、高位の聖職者であることが見て取れる。


「なんだ、驚かすなよ。それにしてもお前、どっかで見た顔して⋯⋯あっ!?」


 脳裏に蘇ったのは、バルコニーから手を振る可憐な聖女の、いや、偽の聖女の姿。

 思わず声を張り上げた青年の口を叩き、女は「大声を出さないで!」と詰め寄る。


「大人しくしなさいよ! あなただってここで正体がバレたら困るはずよ、殺人犯さん」

「お、俺は殺してない!」


 聖女──いや、聖女だと信じ込まされていた女の言葉に、青年は声を抑えながらも噛み付くように答えた。


「俺はただ、友人を探しに行っただけだ! それが何故か薔薇の上で死んでて、それで、俺が犯人だなんて⋯⋯くそっ、何で誰も信じてくれねえんだよ!」

「そんなの、あなたが犯人だということにしておいた方が都合が良かったからでしょ」

「⋯⋯どういうことだ?」

「これ以上は言えないわ。とにかく、私にとってもあなたにとっても、今ほどの好機はない。さっさとここを逃げなきゃ、お互い捕まるわよ」


 それはそうだ。

 このままのんびりしていたら、青年は再び牢屋に連れ戻されるだろうし、聖女を騙っていた女もまた、大司教に加担していたかどで捕まるに違いない。家族や知り合い、住居を失って気が立っている人間も多いのだ。腹いせに殴り殺される可能性だってある。


「⋯⋯分かった、もう騒がないよ。さっきは悪かった」

「分かったなら良いのよ」


 利害は一致しているものの、行動を共にする理由もない。聖女だった女と別れ、青年は街道に出ると迷いなく走り出す。目的地は決まっていないが、とにかく聖都から遠くへと逃げるために。


 一方、男の背を見送った聖女だった女──イライザは、周囲に誰もいないのを確認すると、フードを深く被り、そっと小さな声で魔術の式を組み立て始める。


「早く、マルガリータ様に報告しなくちゃ⋯⋯っ」


 式を唱える合間、焦燥に駆られた声で呟いた彼女の姿を、黒い鳥が静かに木々の上から見下ろしていた。



最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

久々の更新となりましたが、今回で聖都編もひと段落ついたので、次回から新章開始となる予定です。ぜひ引き続きお付き合い頂けると嬉しいです。


次回更新日:8/15予定

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