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村娘Aが勇者を殺すまで  作者: 藤森ルウ
第2章 聖都編
23/69

019 収束




『魔術の解除もできない、力技で薙ぎ払うしかないあなたがどこまでやれますかねえ!』

「キャンキャン吠えないでください。犬じゃないんですから」

『なっ、犬⋯⋯ッ!? こ、小娘ごときが、私を犬扱いするなァッ!!』


 あれは確実に、「犬なら可愛いんだけどな」などと思っている顔だ、とラズは思った。

 直前の怒りを滲ませたまま、どこかうっとおしげな顔をして剣を振るうアリソンは、ラズに攻撃が届かないように上手く大司教を誘導していた。その隙に体を起こそうとすると、ルークとヒナコに押し返される。不満を隠すことなく睨みつけると、肝の据わっているルークはともかくとして、一瞬震えたヒナコでさえも、次の瞬間には臆することなく首を横に振ってくる。


「アンタ、まだ治療が終わってないだろ。もうちょい待てよ」

「もう大体塞がってるでしょ。いいから退きなさいよ」

「ダメだって、そのまま放置したら傷が残るんだぞ」

「そう言うアンタも傷がついてるみたいだけど?」


 どこぞで掠ったのだろう頬の擦り傷を突けば、ルークは「いや、俺は」と決まり悪げに身じろぐ。今まで気づいていなかったのか、ハッとした顔のヒナコが彼に手を伸ばそうとするのを止めながら、彼は尚も「俺はいい」と言う。


「ほら、俺は女の子でもねーし。女の子の体に傷が残ったら大変だけど、俺は別にいいだろ?」

「傷に男も女もないでしょ。あたしのことばっか見ないで、自分の傷も治しなさいよ」

「そ、そうですよ。ほら、ルークも傷を治そう? ⋯⋯お願い」

「う⋯⋯分かったからそんな目で見るなって」


 ヒナコの潤んだ目に絆されたルークを横目に、ラズは傷の癒えた胸元に手を滑らせる。跡すら消えてしまうと、最初から傷などなかったかのようだ。

 今度こそ立ち上がり、二人を振り向くことなくラズはナイフを構える。


「それじゃ、あたしは行くわ。アンタ達は巻き込まれないところに──」

「わ、わたしたちも戦います! 元はと言えば、聖都の問題なんですから、アリソンさんとラズさんにだけ背負わせるわけにはいきません!」

「⋯⋯武器は?」

「ここにくる前、ついでに拾ってきたぜ」


 弓を持ち上げてみせたルークと、星を象ったロッドを手にしたヒナコの姿に、ラズは「分かったわ」と頷く。

 魔力の貯蔵庫とやらを壊された大司教に比べて、こちらは傷の癒えたラズとアリソンに加え、治癒術の使えるルークにヒナコがいる。

 先ほどより勝機は格段に上がっているはず。もちろん、一人でも殺すつもりでいたが、今は彼らの手を借りるのも悪くないだろう。


『ええい、ちょこまかと飛び回って! この小娘共が!』


 横から奇襲を仕掛けられ、脇腹にナイフが深々と刺さった大司教の額に青筋が立つ。

 

「あたし達がちょこまかとしてるんじゃないわよ。あなたがノロマなのよ」

「ラズさん、そんなに挑発したら良くないんじゃ⋯⋯」

「あら、犬と比べたあなたがそれを言うのかしら? 説得力がないわよ、アリソン?」

「あ、あれは挑発じゃないですよ、思ったことを言っただけです」

『ええい、この小娘共が!! 馬鹿にするのもいい加減にしなさい! どうしてあなた達のような学のない田舎くさい無能な小娘ごときに、こんな屈辱を与えられなければならないのですか!!!』


 怒りに任せた魔術は、容易に狙いを外す。ドンと音を立てた稲妻に弾かれ、人骨の破片が舞う。尤も、まるで雪景色のようだと言うにはあまりに悪趣味な空間だったが。

 だが、その悪趣味な空間もそう長くは保たないはずだ。

 肥大化を続けていた竜巻は、明らかに減速している。このまま戦い続ければ、竜巻が止まるのもそう遠い話ではない。

 先程までは持久戦になれば有利なのは大司教だったが、それは既に逆転している。時間が経てば経つほど不利になるのは、今では大司教の方なのだ。


「ここまでくると、まるで消化試合ね」

『黙れ! 黙れ黙れ黙れ! 無知な小娘共も、私が寵愛してやった恩も忘れたそこの赤毛も! 全員、私の中に取り込んでやる!!』


 あまりの物言いにスッとルークの顔から表情が消え、そんな彼の手をヒナコがぎゅっと握りしめる。

 だが最初に反論したのは、ルークでもヒナコでもなく、アリソンだった。


「ふざけるな。黙るのはあなただよ、大司教。自分勝手な執着で、誰かを傷つけたり痛めつけて楽しむことを、愛なんて呼ばないで。⋯⋯虫唾が走る」


 いこう、と小さくアリソンは呟いた。


「終わりにしよう、ラズさん。私もうあの人の言葉をこれ以上聞きたくない」

「同感ね、耳が腐り落ちそうだわ。⋯⋯ここが正念場よ、気を抜かないで!」

「っ、分かってる! 後ろは任せろ!」


 弓を構えたルークの返事が想像よりもしっかりしていたことに安堵し、アリソンは前を向く。 

 もう言葉はいらない。必ず乗り越えて、この男の心臓を抉り出す、それだけだ。構えた剣を握り直し、大司教の手から放たれる魔術を見据える。


『愚か者共に神の裁きを!! ライトニング!!!』


 詠唱と同時に、雷が四方八方に落ちる。雷の当たった骨の破片が一瞬で塵になった。当たったら死ぬのは確実だ。ランダムな動きで落ち続ける雷を回避しながら、大司教へと距離を詰める。

 竜巻の分に回していた魔力を使ったのだろう、分厚かったはずの竜巻は外の景色が透けて見えるほど薄くなっていた。あと少しでこの男は終わりだ。

 男もそれを分かっているのだろう、だから一切の油断はない。焦りに狙いがブレることはあっても、こちらを弄び、ゆっくり甚振るような()を見せることはない。稲妻を上手く避けながら、こちらを喰らわんとするツタの化け物を炎で迎え撃つ。


「フランベルジュ!」


 名を呼ぶ声に従うように、剣を纏う炎が派手に広がって、ツタを焼く。炎に対して、植物は相性が悪い。いい加減分かっているだろうに、なぜ。

 やき消えていくツタの合間を潜って、ラズが大司教の元へ走る。作戦を立てたわけではないが、小回りのきく彼女が止めを刺すのが一番良い。後を追うアリソンを、ルークの矢が援護する。

 先に大司教に辿り着くのはラズだ。万が一、ないだろうが万が一、彼女が仕留め損なった時はアリソンが仕留める。それでも仕損じたとしても、まだルークの矢がある。大司教がこの流れを止める手立てはもうあまり残されていない。大司教まであと数歩の距離にラズがいるからだ。

 大司教の心臓を抉るまでの道筋は順調そのもの。順調すぎるぐらいだった。


 追い詰められた大司教が最後の悪あがきにツタを飛ばす。何度やっても同じことだ、焼き尽くすだけだ。

 ラズの道を切り開くため、アリソンがフランベルジュを掲げ、炎でそれらを吹き飛ばす──ことはできなかった。


「⋯⋯え」


 フッ、と呆気なく。まるで蝋燭の火がかき消えるように、剣に纏っていた炎が消える。何が起きたのか分からず、間抜けな声を発したアリソン目掛け、ツタが一斉に飛び交う。

 ラズに向かっていたのはあくまでもフェイント。真の狙いは、()()()()()()()()()()()()()だったのだ。


「っバカ! ぼさっとしてるんじゃないわよ、アリソンッ!」


 大司教の狙いに気づいたラズが、大司教の元へ向かいかけていた踵を返す。だが、アリソンが反応するよりもラズの手が届くよりも早く、ツタはアリソンを絞めあげ、空中へと勢いよく連れ去る。

 縛り上げられ、身動きの取れないアリソンが苦悶に顔を歪めるのを見て、ラズが顔を青くする。

 考えてみれば、魔力切れを起こすのも当たり前だった。フランベルジュの纏う炎は無限ではない、使い手であるアリソンの魔力に反応して炎を纏う。だというのに、今日は殆ど一日中フランベルジュを鞘から抜き、炎を纏わせた状態で振るっていた。アリソン自身には自分の魔力量など見当もつかないが、切れたとしてもおかしくはない。

 それでも、ラズもアリソンも、そのことを今この瞬間まで、すっかり忘れていたのだった。


『アッハハハハハハ!! ほらほらほら、どうしましたぁ? 先程までの威勢の良さを見せてくださいよ、できるものならねえ!!』

「っ、ラズ、さ⋯⋯」


 体に食い込むツタに呻きながら、アリソンはラズの名を呼ぶ。締め上げられた時に取り落としたのか、剣は既に手元にない。炎もない。アリソンの声に、ラズが「今すぐ行くから大人しく待ってなさい!」と声を張り上げて答えるが、違う。伝えたいのは、そういうことじゃない。

 体をよじり、大司教の高笑いに消えないよう、腹に力を入れて口を開く。


「ラズさん、大司教を⋯⋯!」

「⋯⋯アンタ、」

「わ、たしは、大丈夫、なので⋯⋯!」


 内臓が圧迫され、ギリギリと痛む。歯を食いしばって耐えていると、ラズがぎりりと奥歯を噛み締めるのが見えた。あんな顔をさせて申し訳ないなぁ、と頭の片隅で思う。

 思うけれど、どうしようもない。


「アンタは行け! こっちは俺らもいる!」


 アリソンの意図を正しく理解し、けれど汲むことをできずにいるラズに声をかけたのはルークだった。大司教の雷をヒナコの防壁魔術で防いでいるルークが弓を向けている。矢の先端には──炎。それを見たラズは、目を見開いた後、笑った。


「──分かった、アリソンのことは頼んだわよ!」

「任せろ!」


 ラズが背を向け、大司教に向かって駆け出す。同時に、遠慮なく締め上げてくるツタに向けてルークの放った火矢が飛ぶ。


『そんな矢如きでツタを砕けるとでも? 健気ですねえ!! ああ、そんなに健気で可愛らしいところもあると知っていれば、みすみす手放しはしなかったものを!』

「あいにくと、俺はもうアンタの下に戻る気はないんでね。せいぜい逃した魚のデカさにせいぜい後悔してろ、クソジジイ!」


 矢を撃ち落とそうと唸りをあげる細いツタは、何かに阻まれたように横に飛ぶ。ヒナコが何かしらの魔術を使ったのかと思いきや、よくみればそれは防壁魔術だった。本来は術者を守るためだけの防壁を、矢を守るために使ったのである。

 ルークとて、矢の一本や日本でツタを砕き、アリソンを救えるとは思っていない。本来は防壁でしかないそれを、攻撃に転用することで威力を増そうと考えたのだ。

 放たれる雷を避けながらラズが大司教の懐に飛び込んだのと、火矢がアリソンの胴体を締め上げるツタに突き刺さるのは同時だった。防壁魔術ごとツタに当たった矢は、その衝撃でツタにヒビを入れるが、切り裂くまでには至らない。薄く目を開けたアリソンは、目の前の今にも消えそうな小さな火に意識を集中させる。

 瞬間、爆発にも似た音と共に火は大きく増幅し、アリソンを捕らえたツタを焼き焦がす。


『なっ──!!? 何が起きて、』


 ツタを焼き切り、自由の身になったアリソンは地面に降り立つ。炎は止まるところを知らず、大司教がラズを食い止めようと放った新たなツタをも焼き切るだけでは飽き足らず、大司教の作り出した空間そのものを炎で包み込んでいく。大司教の作り出した竜巻は、もうとっくに機能していない。それにとって代わるようにして、炎は天高く渦巻き出す。

 大司教の首にナイフを当てたラズも、次の矢を射った姿勢のまま硬直しているルークも、その隣で口を覆うヒナコも、そしてこれだけの炎を巻き起こした張本人であるアリソンも、誰も言葉を発せないでいた。


『馬鹿な、魔力が切れたはずなのに、こんな大規模な魔術が使えるわけが──ッ、そんなまさか、ああ、まさか小娘、貴様は──』


 魔力が切れた人間に魔術が放てるはずもなく。たかだか火矢から、膨大な炎を作り出すような魔術もまた存在せず。たった一本の矢の炎を増幅させられるのは、魔人の異能(アビリティ)を除いて他にない。

 答えに辿り着いた大司教が、目を見開き醜悪に笑う。頬まで裂けたその口が言葉を紡ぎ終わるよりも前に、ナイフが首を切り、炎の剣が肺を貫いた。



◇◆◇



「どういうことなの!? 竜巻が弱くなったと思ったら、今度は火が出るなんて⋯⋯」

「あれも大司教様の仕業なのか? 瓦礫の下から出たと思ったら、次は火だるまにされるなんて俺は御免だぞ!」

「そんなことより、中にいる人たちは無事なのか?」

「えっ、あの中に人が!?」


 聖都の郊外で避難していた人々は、街の中心で炎が上がるのを見て口々に騒ぎ出す。疲労を隠せない衛兵たちが宥めても、それを聞く者は誰もいない。


「本当に聖女だったんだな、あの子」


 市場のような喧騒の中、後方で体を休めていた衛兵がぽつりと呟く。額に傷のある彼は、ツタとの応戦や避難誘導といった物理的な疲労よりも、精神的な疲労が勝っていた。

 そんな彼の独り言に、隣に座った青年が「そうですねえ」と答える。


「急に協力を頼まれた時はびっくりしましたが、まさか本物の聖女様だったなんて」

「ああ、そういやお前なんかやらされてたな」


 衛兵の言葉に、青年は苦笑する。


「ええ、まさか今さら王都で学んだ魔術の知識を活かせるとは思いませんでしたよ。あと一応言っておくと、無理にやらされたわけじゃなくて、僕の意思で協力してますからね?」

「⋯⋯良かったじゃないか。魔術、好きだったんだろ」

「まあ、好きでしたけどねえ。まさか他人の式を改竄する羽目になるとは思いませんでしたよ、とんだ違法行為です」


 魔術の心得がある、というだけでまさかあんなことを頼まれるとは。苦笑した青年が、けれど魔術に未練があったことを衛兵の男は知っている。

 聖都で生まれ育った二人は、昔馴染みだ。王都の魔術学院に入学できたと、心底嬉しそうに報告してきた青年の姿を、彼は今でもありありと思い出せる。


「校長にバレたら、永劫入学禁止にされそうだな」

「いいんですよ、もう学び直す気もありませんし。君こそ、いいんですか? それ、父に貰った宝物だって言ってませんでしたっけ」


 青年の言葉に、衛兵は答えない。

 ただ、手の中の砕けた水晶玉をしばし見つめたのち、炎が渦巻く街の方を見やり、力なく笑った。


「いいんだよ。もう、会うこともないからな」


 それにしてもおかしな縁だ、と彼は思う。

 この昔馴染みの青年の話によれば、あの炎の中で大司教と戦っているのは本物の聖女だけでなく、灰色の髪の少女や、赤い髪の少年もいるらしい。

 赤い髪の少年に覚えはないが、灰色の髪の少女には、思い当たる人物がいる。夜間外出禁止令が出て、仕方なく酒場の代わりに向かった食堂の併設された宿屋で出会った、よく言えばおっとりとした、悪く言えばパッとしない、いかにもな田舎娘。気の強い蒼い目の少女と連れ立って来ている様子だったが、まさか大司教を相手に戦う気になるような剛毅の持ち主だったとは。


「あーあ。宿屋で会った時には、ちょっと押せばいけるかなって思ったんだけどなぁ〜あんな逞しい娘だと思わなかったぜ」

「⋯⋯そういえば君、偽物の聖女にぞっこんでしたよね。つくづく見る目がないというか」

「いやいや、偽聖女はしょうがないだろ!? 俺は本物に会ったことないし、それにあのスタイルじゃ疑いようがないって!」


 青年と雑談しながら、男は自分が大司教の負けを確信していることに気づく。なぜだろう、周囲は渦巻く炎を見て不安がっていると言うのに、どうも大司教が勝てるとは思えないのだ。

 根拠はない、理由もない。だけど、あの少女が勝つと思った。

 仲間と逃げるのではなく、縁もゆかりもないこの地に残って戦うことを選んだ、あの少女ならば、きっと。



◇◆◇



「アリソン、もう炎は収束させていいわ。⋯⋯そいつ、もう息絶えたから大丈夫よ」


 ラズに肩を叩かれ、アリソンは我に返る。

 地面に倒れ伏した大司教は、もう動く気配がない。肺に風穴を開けられた上に、首を切り離されたのだから当然と言えば当然だ。


「⋯⋯あ、あの! お、お疲れ様、でした」


 取り囲んでいた炎を消すと、黄昏の空が広がっている。それだけ長い間、戦いを繰り広げていたのだ。ぼんやりしていると、ヒナコに遠慮がちに声をかけられる。


「ヒナコとルークも、お疲れ様」

「アンタ達が大変なのはこれからでしょ。街がこんな滅茶苦茶じゃ、復興するのにどれぐらい時間がかかるのかしらね」


 そうだ、大司教を倒して終わりではない。この街に生きている人々は、これからも生きていかなければならないのだから。

 そのことを思い出し、アリソンは嘆息した。


「とりあえず街の奴らに説明してやんねーとな。ってなると、ま、アンタが行くしかねーよな」

「う、うぅ⋯⋯そうですよね。わたし、もう逃げないって決めたんですから、頑張らないといけないですよね⋯⋯!」


 ルークに肩を叩かれたヒナコは、意外にも、両手を胸の前でぐっと握って気丈に笑った。

 

「じゃあ私は、みんなが戻ってくる前に死体(これ)をどうにかしてくるね」

「どうにかって?」

「野ざらしにしておくのも良くないかな、って」


 アリソンの言葉に、ラズが顔を顰め、ルークは少し目を見張る。


「そいつのした事を思えば、磔にされたって文句は言えないと思うんだけど」

「わざわざ死体を痛めつけるのはちょっと⋯⋯それに、その、残留思念で色々見えちゃったら嫌じゃないですか?」


 それに、の先をラズの耳元で囁くと、彼女は「それもそうね」と頷く。


「ラズさんはここで休んでてください、私が移動しちゃいますから。あ、どこに移動しておいた方がいいとかあるかな」

「あー、それなら大聖堂の裏手にある共同墓地がいいと思うぜ」

「裏手だね、分かったよ」


 ヒナコと、彼女に付き添うつもりらしいルークが聖都の住人達への説明のため歩き出すのを見送り、アリソンはよいしょと大司教の体を引きずる。


「あなた一人じゃ大変でしょ、頭ぐらい運ぶわよ」

「い、いいですよ! 残留思念が見えちゃったら大変でしょう? それに、ラズさんは疲れてるんですから、休んでてください!」

「は? 疲れてるのはあなたも同じでしょ?」

「で、でも、ラズさん一人で戦ってた時もあったじゃないですか。その分、私は楽をさせてもらったわけですから、これぐらいは私にやらせてください。それにほら、私は残留思念も読み取れませんし、適材適所って言うじゃないですか!」


 それでもなお、食い下がりたがるラズをなんとか宥めて、アリソンは大司教の体を引きずって歩く。


 あちこちに散らばった骨、肉片、遺体の一部、崩れた建物、瓦礫の山。聖都で暮らす人々が、これから先ずっと、この惨劇を背負って生きて行かなければならないのを思うと、暗澹な気持ちになる。

 大司教に嬲られ殺された子供達の、浮かばれない魂を思うと尚更だ。いったい彼らが何をしたと言うのだろう。

 だけど、そんなのは関係ないのかもしれない。

 傷つける側にとって、傷つけられる側が何をしたかなど、どうだって良くて。ただ目の前にいたから、それだけで嬲る理由は十分だと思うような害悪が、この世には存在するのだ。


「⋯⋯最低だなぁ」


 ぽつりと呟いて、アリソンは苦笑する。


 ルークに言われた共同墓地──ではなく、ヒナコが世話していた花壇のある裏庭にたどり着いたアリソンは、一息ついてからまた歩き出す。目的地は裏庭そのものではなく、そこにある古い井戸。一見、もう枯れているのではないかと錯覚するほどに井戸は古いが、花壇の世話をするのに水は欠かせない。彼女が一人この花壇の世話をしていたと言うのなら、まだ水はあるはずだ。

 古い井戸の底に目を凝らすと、普通の井戸と比べて浅くはあったが、水はあった。

 アリソンはポケットから小さな容器を取り出す。魔界を出るときにエリザベスからもらった、彼女の一部だとかいうあの水だ。中の青い水を一滴だけ井戸の中に垂らすと、水面の波紋が不自然に歪み、やがてそこに映るはずのない景色を描き出す。

 永遠の夜が支配する世界──魔界の景色を。


『あら、お久しぶりですわね』


 嫋やかな微笑を浮かべたエリザベスの姿を見て、アリソンはほっと息をつく。周囲に人影がいないのを確認してから、「お久しぶりです」と返事を口にする。


『それで、聖女の心臓は手に入りましたの?』

「いいえ。でも、大司教の心臓は手に入りました」

『⋯⋯あらあら、どういうことですの? 詳しいお話を聞かせてくださいます?』


 首を傾げた彼女に、アリソンは頷く。

 そして、ここまで引きずって歩いてきた大司教の死体を一瞥した後、口を開いた。



最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

長かった聖都編も、次回で最終話となる予定です。良かったらぜひ、引き続きお付き合い頂けると嬉しいです。


次回更新日ですが、前話の後書きで少し触れた通り、今月末に引っ越しを予定しております。そのため、次回更新までしばらくお休みを頂きます。

今後とも、アリソンとラズの物語をどうぞよろしくお願いします。


次回更新日:8/1予定

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