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村娘Aが勇者を殺すまで  作者: 藤森ルウ
第2章 聖都編
22/76

018 奈落より、願いを込めて



 大司教の竜巻から押し出され、落ちた先が壊れかけた屋根だったのは不運というべきか、それでも直接地面に叩きつけられなかっただけ幸運だったというべきなのか。落下物という衝撃を受けた屋根は大きく崩れ落ち、アリソンは身を立て直す暇もなく、屋根ごと再度落下した。

 立て続けに起きたため、自分の身に起きたことを理解するのには少し時間が必要だった。数度の瞬きの後、アリソンは痛む体を引きずり身を起こす。

 あれほど爽やかに晴れ渡っていた空はどこへ行ったのか、見上げた空は足の先までどんよりするような、重苦しい曇天に変わっている。軽やかにツタからツタへと飛んでいけた足が、酷く痛むように。


「⋯⋯っ」


 背中が、肩が、腰が、足が、体の至る所が痛い。それでも、軋んだ指がフランベルジュの柄を決して離さずに握っていることに安堵した。

 立たなくては。立てるはずだ、まだ。そう思って足に力を入れる。ラズはまだあの竜巻の中、襲いくる死者の残留思念にも負けずに、大司教と一人で戦っているはずだ。だから急いで戻らなくては。戻って戦わないと。守らないと、あの人を。

 けれど、意に反して体は動かない。悲鳴のような軋む音が鳴るだけで、立ち上がることすらできない。


「だめ、立たなきゃ⋯⋯! わ、たしは⋯⋯っ」


 ぐっと膝に力を入れるが、ほんの少しも体は浮かなかった。だめだ、早く戻らなきゃいけない。何よりも、イグニスにラズを託されたのに、その彼女をひとりあんなところで戦わせるわけにはいかないというのに。

 無理に動かそうとした骨が軋む。肺が苦しくて、吐き出した息に血が混じっている。どこぞの骨が刺さりでもしているのかもしれない。あるいは、崩れた屋根の破片が刺さっているのか。それでも、と軋む体に鞭打って、立ち上がろうとするアリソンの耳に、人間の足音が聞こえた。

 味方か、それとも。焦りに揺れる目に映ったのは、鮮やかな赤だった。


「アリソン、無事か!?」

「⋯⋯ルーク、君? それに、ヒナコ? どうしてここに⋯⋯っいたた!」

「む、無理に体を起こさないでください! いま、あの、治しますから⋯⋯!」


 ルークもヒナコも、服のあちこちが汚れたり、ほつれたりはしているものの、大きな怪我はなさそうだった。二人の無事な姿に、ほんの少し、肩に入った力が抜ける。

 ヒナコとルークがほぼ同時にアリソンに手のひらを向ける。手のひらから放たれた白い光がアリソンを包み、体のあちこちの痛みが少しずつ緩和されていく。ふわふわした光に包まれていると、体だけでなく、心まで軽くなるようだ。


「アンタ、あの竜巻から押し出されたみてーに見えたけど、何があったんだ?」


 ルークの問いに、アリソンは竜巻の中に入った経緯と、その後のことをかいつまんで話した。

 ラズが残留思念の異能(アビリティ)を持っていることは伏せたが、それでも充分、彼女が今危ない状況にあることは伝わったはずだ。


「そりゃ、大変だった⋯⋯いや、現在進行形だから、大変だな、か? けど、とにかく無事で良かったぜ」

「うん、ルーク君たちも無事で良かった。⋯⋯えっと、みんな無事に避難できた?」

「おう、大方は終わって、今は街道の辺りで待機してもらってるぜ。本当はもうちっと離れてた方がいいんだろーが、あんまり街から離れると今度は魔物を引きつけちまうからな」

「魔物を?」


 アリソンが首を傾げたのと、治療が終わったのは同時だった。白い光が消え、体の痛みが完全に引いたアリソンは、ルークに手を貸してもらいながら立ち上がる。先ほどと違い、どこも痛むことなく立ち上がれた体は今にでも走り出せそうなほど軽い。まだ戦えることに、安心して息を吐く。


「え、えっと、街には魔物除けの術があって、でも、外にはないんです。だからあんまり離れると、魔物に襲われてしまうかもしれなくて⋯⋯」

「そーそー。大司教と魔物に挟み撃ちになるのはイヤだろ? だから、つかず離れずのところで待機してもらってる。まだみんな混乱してっけど、相手があんなデカブツだからな。素直に避難してくれて助かったぜ」

「そっか⋯⋯良かった。それと、本当にありがとう。すごく助かったよ」


 大司教と無関係の人たちまで巻き込まれるようなことがなくて、本当によかった。胸を撫で下ろし、アリソンは改めてルークとヒナコに治療の礼を言う。

 お安い御用だ、と笑うルークと、恐縮な様子のヒナコから視線を動かし、遠く離れた未だ肥大化を続けている竜巻を見据える。


「それじゃあ、私はあそこに戻るね。ルーク君とヒナコも避難した方が⋯⋯」

「あっ、待て待て! 悪い、急がなきゃいけねーのは分かってっけど、その前に一個だけ手伝ってもらえねーか?」


 慌てたようにアリソンを引き止めたルークが、ポケットから何かを取り出す。

 内側から白く眩い光を淡く放つ透明の球体は、まるで占い師の使う道具のように見える。つるんとした光沢のある表面に、間抜けな顔のアリソンがくっきりと写り込んでいた。



◇◆◇



『孤軍奮闘、と言うわけですか? 涙ぐましいですねえ』

「ハッ、一騎討ちと言って欲しいわね」


 楽しくて楽しくて仕方がないのだろう、大司教の笑い声が竜巻の中に響く。踏むたびにジャラジャラと音を立てるしゃれこうべの上で、ラズは顎についた汚れを拭う。もちろん、両手に握ったナイフは離さずに。

 折れることのなく睨みつけてくる蒼の双眸に、大司教は忌々しげに顔を歪めたのち、またにやりと笑う。


『あなたがもう少し歳の幼い子供であれば、その強がりも可愛く思えたんですがねえ。残念ですよ』

「本っ当に性根が曲がってるわね。アンタこそ二枚目とまでは行かなくたって、もう少し整った顔をしてたら、後世で絵画にでもして飾ってもらえたかもしれないのに、残念ねえ?」

『⋯⋯そうやって人の劣等感を煽ろうとしても無駄ですよ』

「あら、そうかしら? その割には今一瞬、狙いがブレたけど?」


 軽口を叩き、互いに挑発し合いながらも、刃と魔術は止まることを知らずに交錯し続ける。

 ラズが大司教の放った風の刃を打ち消してナイフを投げつければ、大司教がすぐさま別の魔術でそれを弾く。悔しさなんて微塵も感じられない微笑を浮かべ続けたまま、ラズは魔術と踊るように、次のナイフをどこからともなく取り出す。対する大司教もまた、そのことに何ら動揺することなく、余裕のある笑みで次の一手を放つ。堂々巡り、あるいは根性比べ。

 彼自身は近接戦に向いていなくても、近づかせてもらえないのは難題だ、とラズは思う。アリソンが戦線離脱させられたため、彼は攻撃を分散する必要がなくなり、集中砲火を受けている状態だというのに、さらにナイフの間合いに彼を引き摺り込むなり、こちらから飛び込まなくてはならない。


 ──だが、それがなんだ。

 この程度の困難に打ちひしがれるような、そんな女をイグニスは愛したわけではなかろう。瞬きの刹那にラズは思い人の姿を克明に瞼の裏に描き出す。今はアリソンへと受け継がれたあの炎のような瞳と、生きている限りもう二度と聴くことのない彼の低く穏やかな声がラズの背を押す。

 背後に迫るツタを振り向きざまに斬りつけ、ついでに、先ほど弾かれたナイフを掴み取り走る。消滅する寸前のツタを足場に飛び、真上から首を掠めようとしたナイフは雷で軌道変更を余儀なくされる。

 難なく着地したラズから十分な距離を取りながら、大司教は『理解できませんね』と人間ではあり得ない角度にギギギ、と首を傾げて言う。


『あなたは、あのもう一人の小娘ほど周りが見えていないわけではない。よもや本気で、たった一人で、この私に勝てると思っているわけではないでしょう?』

「多数決じゃあるまいし、勝敗を決めるのが数だとでも? アンタがふんぞり返って座ってた教会だって、他宗教に信者数で負けていたのを、全員殺して今の栄光を手に入れた歴史を持つのに? それとも不勉強なのかしら?」

『よく回る口ですねえ。⋯⋯あァ、それともそうですか、あのもう一人の小娘があなたを救うために英雄さながら戻って来てくれるとでも信じて、健気に純情に哀れな時間稼ぎをしているつもりですか!? 今にもあなたを見捨てて、尻尾を巻いて逃げているかもしれないというのに!』

「⋯⋯ハァ?」


 パキン、と何度目になるか分からない式の解除をしたラズは、心底呆れ返った声を出す。

 それは今日、大司教と交わした煽り合いの応酬の中で、唯一、彼女が素の反応をさらけ出した瞬間だった。


「戻ってくると信じて戦ってる? そんなわけないでしょ。だってあたしは──」

 

 呆れ。次いで、なんだ、と言うような嘲り。

 なんだ、こいつそんなこと考えてたの? ラズは煽るためではなく、心底おかしいと、滑稽だという思いから自然な笑顔を浮かべる。



「あたしは今まで、一度たりともア(・)リ(・)ソ(・)ン(・)の(・)こ(・)と(・)を(・)信(・)用(・)し(・)た(・)こ(・)と(・)は(・)な(・)い(・)わ(・)」


 

 アリソンのことを守りたいとは思っている。イグニスの恩人で、そして彼が最期に命に代えて守った存在だ。その遺志を継ぎたいと思うし、好きか嫌いかで言えば嫌いではないとも思う。

 だが、それと彼女を信用するかどうかは全くの別の問題だ。赤の他人をそう易々と信用できるものか。 


 なぜ、彼女が戻ってくると信じて戦っているなんていう、お花畑のような結論に至るのだろう。案外、目の前の男は夢見がちなのだろうか。

 たったひとり? 無謀な戦い? 孤軍奮闘? だからなんだ。そんなことはレインナートを殺そうと思った時から分かりきっている。

 大司教の首の傾げ方を真似て、ラズは男を嘲笑する。


「あの子が戻ってくるかどうかなんて、そんなことどうでもいいじゃない。戻ってきたら助かるといえば助かるけど、逆に戻ってこなかったとしてもやることが変わるわけじゃあるまいし。どちらにせよ、あたしにデメリットはないでしょ」

『⋯⋯この後に及んで強がりですか? 救えませんね』

「強がり? いいえ、本音よ。そもそも、どうして誰かが自分のために戻ってくるなんて馬鹿げたことを信じられるのかしら。理解に苦しむわね」


 訝しげな色さえ浮かべたラズに、大司教がわずかに動揺する。彼女が語る言葉のどれもが掛け値無しの本音だというのが分かったからだ。

 言葉の応酬を重ねながらも、双方とも攻撃の手は緩めない。魔術を放っては消され、ナイフを放っては弾かれるということが幾度となく繰り返される。


『ははっ、随分と呑気ですねえ! 状況を分かっていないのですか? あの小娘が戻らないということは、あなたは裏切られたのですよ!?』

「違うわ。裏切りっていうのは、信頼している人間相手じゃないと通用しないでしょ。信じてもいない人間が戻って来ないのは、裏切りでもなんでもない。むしろ、戻ってこないことに安心すらするわ」

『⋯⋯本気ですか? あなた、自分が何を言っているのか分かってます?』

「意識はハッキリしてるわよ。そっちこそ、首を傾けすぎて頭がおかしくなったんじゃないの? ──隙だらけよ!」


 獣のように高く跳躍したラズが、そのあり得ない角度に傾げられた首にナイフを突き立てる。踵のヒールが大司教の胸に当たり、大司教は斜めに体のバランスを崩す。



 アリソンは戻ってくるのだろうか。

 もし今、他の人間といるのなら、そのまま逃げて戻ってくるな、と心から伝えたい。

 聖女を殺せなかった時から分かっていた事だ。あの子に復讐は向かない。いや、本当はそれよりもずっと前からわかっていた。何を食べても母親の料理と同じ味がすると言い、苦笑を浮かべることはあれど、喜びや楽しさからの笑みを見せたことなんて一度もないあの子。本来のあの子はきっと、ふにゃふにゃした緊張感のない笑みが似合うただの村娘だった。

 そんなあの子には、イグニスの記憶を通じて垣間見た彼女の故郷のような穏やかでゆったりした生活こそがふさわしい。

 逃げたその先で、そうやって平穏に生きてくれたら。大司教の首をナイフの先端で貫きながら、ラズはそう願った。



◇◆◇



「えっと、つまり⋯⋯この水晶玉が、大司教に大量の魔力を供給している、かもしれないってこと?」


 ルークとヒナコから説明を受け、戸惑いながらもアリソンはそう聞き返した。


 いわく、避難誘導の際、どうして大司教の魔力が一向に切れる気配がないのかが話題に登った際、ヒナコがある光景を思い出したのだという。それは、人付き合いを好まないセネカが唯一、聖都の権力者である大司教とだけは懇意にしており、聖都を立つ前、人目を避けるようにしてひっそりと大司教に何かを渡していた場面だ。最初は何ら関連のない出来事のように思えたが、その後大司教がそれに厳重に結界をかけて保管していたこと、ちょうどルークが「貯蔵庫でもあったりしてな」と冗談で言ったことから、その可能性に辿り着いたらしい。


「でも、本当にそんなことできるの?」

「理論上は可能だぜ。今まで成功したやつはいねえけど」

「じゃあ⋯⋯」

「で、でも、これを作り上げたのはセネカさんです。あの人は、テレポート⋯⋯えっと、転送術も作れるぐらい頭がいいそうだから、きっと、できると思うんです。それに、それだけじゃなくて⋯⋯あの、感じませんか? この水晶玉の中に込められてる大司教様の魔力が、あの竜巻の中、大司教様の本体に向かっているのを」


 渡された水晶玉を反射的に握ると、ほんのりと暖かく、言われてもれば何かが渦巻いているようも感じる。だが、それが大司教の魔力なのかはよく分からない。ルークは感じ取れたらしく、ヒナコに同意している。

 もしも、ここにいたのがラズなら。

 たらればのことを考えても仕方がないが、きっと彼女なら分かるのだろうとアリソンは思った。どころか、「壊す」ことだって一瞬で出来るはず。何たって、ラズは魔術を解除できるのだから、水晶玉の真偽も破壊も赤子の手を捻るようなものに違いない。

 だけど今ここに彼女はいないし、それに、何から何まで頼りっきりでいいはずがなかった。


「難しいことはよく分からないけど⋯⋯これを壊せば、大司教は今のまま戦い続けるよりも、もっと早くに魔力切れになるの?」

「ああ。つーか、今のままだと大司教の魔力が切れる前にこっちが限界を迎えるだろうな」

「分かった。じゃあ壊せるか試してみるから、少し離れてて」


 水晶玉を地面に置き、ルークとヒナコが離れたのを確認して、アリソンはフランベルジュを振りかぶる。

 しかし、全身全霊の一撃は水晶玉にぶつかった瞬間、青い魔法陣に阻まれた。


「っ、防壁魔術⋯⋯!」


 固くてびくともしないそれは、予想していたものだ。魔力の貯蔵庫に何の守りもつけないなんてこと、いくら大司教が愚かな男だとしても、あり得ないことは分かっていた。

 ラズがいたら、と思う。そうしたら彼女はあの涼しい顔で「しょうがないわね」とでも言いながら、大司教の魔術を解除してくれるのだろう。その彼女は今、大司教と一騎打ちの最中だ。アリソンが不甲斐ないばかりに。自分が、あんなところで転ばなければ。

 だから今、こんなところで「ラズさんがいたら」なんて考えている場合では無いのだ。


 力任せに剣を押し付ける。バチバチと火花が散る。ヒナコの戸惑う声が聞こえたような気がするが、今は構っていられない。

 アリソンにはラズのような魔術は使えない。彼女のような器用さも知識もない。故に、力任せにやるしかない。


「わ、れろおおおおおおぉッ!!」


 刀身に纏った炎がアリソンの感情に引きずられるようにして大きく唸りを上げて、そして──空を切った。


「だ、だめみたい⋯⋯」

「あーアンタの剣でもダメかぁ。アンタの剣からは魔術以外の力も感じるし、それならいけるんじゃねーかなって思ったんだが」


 魔術以外の力、という言葉にどきっとするが、特に怪しまれているわけではないようなので、そっと不審にならない程度に息を吐く。

 それにしても、全力で斬りかかったというのに、小さなかすり傷しかつかないとは。何度か繰り返せば穴ぐらい開けられるかもしれないが、どれだけの時間を必要とするか、あまり考えたくない。そもそも、そんな時間はない。

 顔を上げると、ルークもヒナコも揃って困り果てた顔をしている。自分も二人と同じ顔をしているんだろう。3人よればなんとやら、という言葉があるらしいが、どうすればいいか分からない人間が3人集まっても、いい解決策は見つからなかった。


「すみません、そちらに誰かいますか? 手を貸して欲しいんですが⋯⋯」


 気まずい空気の中に割って入ったのは、若い男の声だった。

 制服を着ていないから衛兵ではなさそうだが、もしかしてみんなが非難するのを手伝うために残ってくれた有志の人間だろうか。


「ど、どうしました? 誰か怪我を⋯⋯」

「ああ、シスターさんもここにいましたか、ちょうどよかった。実は先程、避難を誘導した住民のうち何人かが戻ってきてしまって⋯⋯」

「ハア!? 馬鹿かよ、なんでわざわざ戻ってくるんだよ!」

「お、落ち着いてください。その、彼らも不安なんだと思うんです。僕は以前、こちらのシスターさんに怪我を治して頂いたことがあるので、あなた方の言い分を⋯⋯つまり、あそこにいるのが大司教様であることをすぐに信じることができましたが、あなた方の人となりを知らない人にとっては、その⋯⋯」

「⋯⋯アレが大司教だなんて、とても信じられない、ってことか?」

「ええ。それに、その、こんなことはあまり言いたくないのですが、赤毛のあなたはスラムの出身者でしょう。スラムの人間のことを信じられない人も一定数いて⋯⋯」


 すみません、と申し訳なさそうにする男に、ルークは「今更気にしねーよ」と笑うが、不愉快であることには変わりないだろう。背中に隠した手が、悔しそうに服の裾を掴むのが見えた。


「俺が信用できねーのは分かるよ。けどせめてヒナコの言葉は信じてくれよ、そもそもこいつが本物の聖⋯⋯」

「ルーク、その話は今は⋯⋯!」

「けどよ、悔しいじゃねーかよ! この期に及んで、みんな俺らの命なんかなんとも思ってないクソジジイの方を信じるってんだぜ!?」

「で、でも、大司教様の術が掛かっている状態なんだから、しょうがないよ⋯⋯それより、戻ってきちゃった人たちをもう一度説得しなくちゃ」

「どうやって説得すんだよ。あーもう、俺らの言葉がそんなに信じられねーっていうなら、もう勝手にさせた方が──」

「あのー」


 言い争う二人と、その様子をオロオロと見守っていた若い男に、アリソンは口を挟んだ。思ったよりも大きい声が出たせいか、3人の視線が一度に集まる。突き刺さるような視線にたじろぎながらも、アリソンは自分の考えを口にする。


「もう、全部話しちゃった方がいいんじゃないかな。ヒナコのことも、大司教がみんなを騙してたことも」

「そ、そんなの無理ですよ! それこそ信じてもらえるわけがないです⋯⋯証拠もないのに、記憶を改竄されてる人たち相手にどうやって⋯⋯」

「それなんだけど⋯⋯この水晶玉、壊すんじゃなくて、再利用ってできないかな?」

「再利用⋯⋯?」

「魔術が使える人はいる? あ、魔術って練習すれば誰でもある程度は使えるんだっけ、じゃあこの言い方じゃ変だよね。えーと、使えるっていうか、式を読んだり書くのが得意な人はいる?」

 

 アリソンの問いかけに、ルークとヒナコが返事をするよりも早く、傍らの若い男がおそるおそるといった様子で手を挙げた。


「一時期、王都で魔術を学んでたので、式を書くのは人より得意だと思います。色々あって中退したので、難しい式は自信がありませんが⋯⋯」

「ううん、多分大丈夫です。この水晶玉に魔術があると思うんだけど、分かりますか?」


 水晶玉を近づけると、男は最初こそ不思議そうに首を傾げていたが、すぐさまハッとして頷く。

 やはり彼にも分かるらしい。すぐに、「あの竜巻の中へ流れていく魔力を感じます。式で流れる先を固定されているのか⋯⋯?」と、考えるようにぶつぶつと呟き出す。アリソンには魔力の流れとやらも、式があるということもさっぱり分からないが、ヒナコやルークのように、分かるものには分かるらしい。


「その式の、魔力の流れる先を書き換えて欲しいんです。⋯⋯できますか?」

「ええ、できると思いますが⋯⋯しかし人の式を勝手に書き換えるのは禁じられて、⋯⋯いや、そんなことを言ってる場合じゃないですね。やってみます。あなたに流れるようにすればいいんですか?」

「いえ、ヒナコに、こちらのシスターに流してください」

「ひぇっ!? わ、わたしですか!?」

「ちょっと待て、アリソン。アンタ、何をするつもりだ?」


 驚いたように悲鳴を上げたヒナコと、心配そうに顔を伺ってきたルークに、アリソンは「どうもこうも」と水晶玉を男に受け渡しながら答える。


「最初に言ったでしょう。全部話しちゃった方がいいんじゃないかな、って」

「⋯⋯もしかして、その魔力を使ってコイツの言葉を拡声させる気か」

「うん。魔術なら、声を遠くに聞こえるぐらい大きくすることもできるんじゃないかなって思ったんだけど。どうかな」

「ああ、そんなに難しい魔術じゃないぜ、俺でもできるし。⋯⋯なるほどな、貯蔵庫の魔力を使っちまえば、魔力が供給されなくなったアイツは魔力切れを起こすし、それでこの街に掛かってる洗脳魔術も切れる。そうすれば、最初の説得を信じなかったやつでも、聖女を見たことさえあればそれが真実だってことが分かるし、こんだけ遠くに避難してれば、新しく誰かを取り込んで魔力源にすることもできねー。⋯⋯考えたじゃねえか」


 そんな魔術はない、と言われたらどうしようと思っていたのだが、問題はないらしかった。

 前向きな様子を示したルークと対照的に、ヒナコは「で、でも」とより戸惑った声をあげる。


「そ、そんなことしても、きっとわたしなんかの言葉じゃ、信じてもらえないです。わたしじゃだめですよ」

「どうして?」

「ど、どうしてって、だって、わたしなんか⋯⋯」

「あなたが本物の聖女なのに?」


 式を書き換えている最中の男がびっくりしたようにヒナコを見やるが、口を挟まないと思った方がいいのか、何かを問われることはなかった。

 ぐっと唇を噛み、俯いたヒナコは「そういうことじゃないんです」と小さな声で言う。


「聖女なんて、そんなの名ばかりで、何もできなかったって、アリソンさんだって知ってるじゃないですか⋯⋯っ」

「だからなんですか」


 ヒナコの震える声を一刀両断し、アリソンは彼女の頬を掴む。逃げるように逸らされた目を自分の目と合わせさせて、問いかける。


「だったら、どうして私の手を取ろうと思ったの?」

「⋯⋯っそれは、だって、」

「あなたは、大司教に言われるまま、子供たちを見殺しにしたくなかったんでしょう。変わりたかったんでしょう。変えたかったんでしょう。なら、『自分なんか』はもう終わりにしようよ。聖都のことも自分のことも、ここで変えようよ」


 すぐに俯いてしまう栗色の瞳に光が灯るのが見える。見間違いかもしれないと思ってしまうほどに小さな火は、だけど灯った。それを、アリソンは信じてみたいと思ったのだ。

 大司教のところに辿り着くまでに、様々なものを見てきた。半壊した建物、瓦礫に押し潰されて死んだ人、大司教に魔力を吸い尽くされ、不要とばかりに竜巻から放り出された骸や体の一部。

 家族を生き返らせる、そのために大司教の心臓が欲しくて、そのために大司教を殺したいと思っていた。だけど、今はもうそれだけじゃなかった。

 自分が家族を理不尽に奪われたあの日のように、今日という日に大切な誰かを失った人たちが、きっと沢山いる。その人たちのためにも、大司教を殺したい。気づけば、そんなふうに思っていた。

 だから。


「信じるよ、ヒナコ。あなたが変わりたいと思ったことも、あなたが自分以外の誰かのために心を砕ける人だということも、あなたの償いの決意も信じる。だからあなたも、自分を信じて。自分を何もできないと貶めるのは、もう終わりにしよう」


 水の膜が、うっすらと栗色の目の端にたまる。

 それから彼女はゆっくりと、けれど今までにないほど力強く頷く。そこには今までの、自分なんかと俯いて後ろを向いていた少女の影はなく、向き合った瞳と瞳には、互いの覚悟が静かに映り込んでいた。



◇◆◇



『ぐ、ぅアあ゙あ゙ぁあ゙あ゙あ゙!!』


 断末魔と共に、大司教の首が千切れる。傾いた力の抜けた体は、自然とそのまま倒れていく。だから、その上に飛び乗った形のラズはそのまま男の体を踏んだまま、静かに着地できる。

 ──はずだった。


『ハハハハハハッ!!! この程度で! この私が! タンブルウィードが! 死ぬとでもお思いで!!?』


 踏みつけた体は、ゴキ、と骨の折れる音を立てて歪む。凄まじい匂いと共に、急速に大司教の肉体が溶けていく。

 しまった、と己の失敗を悟ったラズが彼の体から離れる前に、溶けた肉の間から現れた肋骨が中心を開き、彼女を捕らえた。ゴロゴロと転がり落ちていったはずの頭にくっついた首はぐんと伸びて、真新しい大司教が現れる。ついさっきまで大司教だったモノに囚われ、身動きのできないラズを見下ろした彼は耳まで裂けた口を大きく開けて笑う。


『この空間全てが私なのですよ!? たかが本体の首を切ったところで、死ぬはずがないでしょう!』

「っ、しぶといわね。大人しく死んでくれないかしら!」

『おやおやぁ? 先程までの威勢の良さはどうしましたぁ? 随分ともがいてるみたいですけど、まさかそこから出られない? これはこれは、困りましたねえ? アッハハハハハハ!!』


 もがけばもがくほど、骨はギチギチと体を締める。苦悶に思わず顔を歪めたラズに、大司教は高ぶりを抑えられないようで、ひたすらに笑っている。


『そのまま押し潰されて死ぬといいでしょう。大丈夫、あなたは私の一部となって生き続けますよ』

「あ、は⋯⋯っ! 油断大敵って言葉、知らないの、かしら⋯⋯! そうやって笑ってられるのも、今のうち⋯⋯よ」

『はははっ、今度こそ強がりでしょう? 掴めてきましたよ、あなたの言動が』

「く⋯⋯っ! アンタなんかに、理解された気になられる、なんて⋯⋯溜まったもんじゃ、ないわ⋯⋯っ!」


 宣言通り、押し潰そうと閉じる骨に挟まれたラズは歯を食いしばりながらも、笑いながら大司教を睨み返す。式の解除は先ほどから試みているが、不必要に複雑な式を組まれているせいで、なかなか進まない。あんまりに魔術を無効化されれば対策を講じもするだろう。それを読めなかった己の失策だ。

 あと少しで解除できるはずだった。だが内臓が、体が圧迫感に負けそうになる。それでも、悲鳴ひとつあげてなるものかと噛み締めた歯を鳴らしながら、ラズは目を閉じ解除に集中する。


 あと少し。あと少しで──


『ははっ、残念でしたねぇ!!!』

「ッぁ⋯⋯っ!?」


 鋭い痛みに、解除も忘れて目を見開く。ラズを絞めあげている肋骨の隙間を縫うように、ラズ自身のナイフが、胸元に突き刺さっていた。

 大司教に向けて放ったあと、ほぼ全てのナイフは回収していたはずだったが、そういえば本数が少し足りなかったなと思い出す。


『ひとつのことに気を取られているからそうなるんですよ。もっと周りをよく見なくては』

「っせっかくの助言、だけど。そっちこそ、二兎を追う者は、一兎をも得ずって言葉⋯⋯知らないの、ね」

『⋯⋯可愛げのない口ですね。死ぬ前には少しぐらいしおらしくなるかと思いましたが、いいでしょう。今度こそ握り殺して差し上げましょう。私の手を煩わせた分、ゆっくりとね。私の魔力として、新たな生を受けられることを光栄に思いなさい』


 力が入らず、何か言い返してやることすらできない。口の端からこぼれた血を拭って、あるいは吐き捨てて、そう上手く行くかしらと勝気にいってやりたかったのだけど。

 骨がミシミシと甚振るようにゆっくりと隙間を閉じていく。途中で集中を切らしてしまったせいで、解除は最初からやり直しだ。

 それでも、こんなところで死ぬわけにはいかない。まだ何も、何も成せていないというのに。どれだけ無様で生き汚くても、復讐を果たすまで死ねるものか。よりによって、勇者ですらない、こんな雑魚に毛が生えたような奴に負けるなど、ラズの矜持が許さない。


 ⋯⋯ああ、でも。ここで死んだら、イグニスに会えるのか。

 一瞬の気の緩み。僅かな諦念に全身が支配されかけたその時。



「遅くなってごめんなさいっ、ラズさん!」



 無駄に大きな声に、上空を仰ぎ見る。いつものんびりと、おっとりと間延びしているのに、それがどうして今は、曇りきった空を吹き飛ばすように叩きつけてくるのか。


『何っ!? 貴様ら──』


 ラズの視線の先を追い、驚愕に目を見開いた大司教を業火が覆い尽くす。それと同時に、大司教の干渉が解けたためか、ラズを締めていた骨がバラバラに砕けて消え、上空からはフランベルジュを携えた灰髪の少女が降ってくる。

 その姿に、ラズは己の祈りが通じなかったことを悟った。


「──なんで」


 乾いた唇で、ラズはひとりでに呟く。


「なんで、戻って、」

「遅くなっちゃってごめんなさい。ここからは私も、ううん、私たちも一緒に戦う。もう絶対、ひとりで戦わせたりしません! ルーク君、ヒナコ、ラズさんの怪我の手当てをお願い!」

「おうよ! ってうわっ! アンタやべー傷じゃねえか!」

「だだ、だいじょうぶですか⋯⋯っ!?」


 上から降ってきたのはアリソンだけではなかった。彼女の後ろから駆け出してきた聖女と赤毛の少年──ルークの姿に、ラズが驚きを口にするよりも早く、彼らは手を伸ばしてくる。白い暖かな光がラズを包み込み、体の傷を癒していく。

 そしてアリソンは、彼らとラズを大司教から守るように立ち塞がっている。


『おやおや、全員で飛び込んで来てくれるとは嬉しいですねえ』


 焼かれたはずの大司教がずるりと立ち上がる。再生しているのだ、だが──

 ぼとり、と大きな音を立てて、彼の右腕は崩れ落ちた。


『ッ!? なに、何故⋯⋯!』

「あなたの魔力貯蔵庫は壊させてもらいました」

『なっ⋯⋯バカな! アレには強固な防壁魔術をかけたのだ! 解除するにしても、こんな短い間にそんなことは不可能なはず⋯⋯!』

「うん、壊せませんでした。だから、貰うことにしました」

『嘘だ! そんなことができるはずがない! できたとしても、代わりのいくらでもいるような、貴様らのような人間にできることではない!』

「嘘じゃないですよ。ねえ、ヒナコ?」


 振り返ることなく声をかけたアリソンに、ラズの傷を治しながらヒナコは頷く。


「⋯⋯はい、嘘じゃない、です。これでもう、あなたは元々の自分の身体にある魔力しか使えません。再生できるのはもうさっきので最後でしょう。あなたが、守るべき子供を嬲り、彼らの未来を奪ったこと、その罪をここで終わりにする時が来たんです!」

『黙れ、黙れ黙れ黙れ!! この痴れ者どもがッ! 私に跪け!! 私に許しを乞え!!!』

「許しを乞うべきなのはあなたでしょう、大司教」


 放たれたツタはアリソンに近づく間も無く炎でかき消された。

 いつになく冷たい彼女の声に、これは本当にアリソンなのか、もしかしてこれは死の間際の自分が見ている幻なのでは、などという馬鹿げた考えがラズの中で頭をもたげる。だが、ラズにはアリソンのその、イグニスから炎と共に受け継いだその目がどんな風に揺らめき、どんな風に燃えているのか手に取るように分かっている。幻なんかじゃない。

 良くも悪くも、アリソンは戻ってきた。戻ってきて、しまったのだ。


「よくも私の恩人を──私の大事なラズさんを、ここまで痛めつけてくれましたね。今度はあなたが悪夢を見る番です。地獄の業火なんて生ぬるい、本当の悪夢を、あなたに教えてあげます」

『ほざけ、小娘が!!』


 追い詰められた大司教が吠えたて、風が巻き起こる。


 それを合図に、この地での最後の戦いが幕を開けた。



最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

聖都編も終盤となりました。良かったら引き続きアリソンとラズの物語を見守って頂けると嬉しいです。


次回更新日:6/6予定

※近々引っ越しをする予定なので、更新日が変更になる場合があります。変更になった場合には、活動報告にてお知らせしますのでよろしくお願いします。

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