2話
これ以上ないほどに不愉快な話を聞かされたアリアは、休憩室を出た後すぐさま実家の馬車へと乗り込んだ。
苛立ちを多少紛らわせてきたとはいえ、もしアレがバレたらと思うと、今更ながらに後悔した。
(…いいえ、あれは仕方がない事よ。いきなりあんなこと言われれば、何かに当たりたくもなるわ)
当たられた『あれ』には申し訳なく思いつつ、自己弁明もそれで終わりにしておく。
問題はこれから。カルロスとの婚約破棄だ。
婚約破棄、大いに結構。アリアとしても望むべくもない。生涯独身も視野に入れていたアリアにとって、誰かの結婚を望んだことは一度もない。まして、あのカルロスなど眼中にもない。
噂は噂だと高をくくっていたが、実物はその通りだった。あんな男を伴侶に望む令嬢たちの気が知れない。いや、彼女たちはカルロス自身を望んではいないだろう。彼女らが狙うのは、『王族』の伴侶。カルロス自身はどんなに無能でも、彼と結婚すれば王族と縁続きになる。それが、どれだけ家に箔を着けることになるかくらいはアリアも分かる。
そう思えばカルロスが少し哀れにも思えてくるけれど、それは彼自身の問題でアリアの問題ではない。それは切り捨てて、アリアは現実的な打開策を考える。
(あの王子の言葉通りなら、もう両親は知っているはず。……父様は王族との結婚を望むほど野心家ではなかったと思うけど、母様が厄介ね)
本人が望まない夜会での結婚相手探しを強行させる程度には、両親は…特に母は…結婚を重要と考えている。その気が一切ない娘に湧いた、まさかの王族との婚約。両親がアリアの意思を尊重して婚約破棄に動いてくれるとは思えない。まして国王の意思だ。それに反するほどの度胸は父には無い…と思っている。
一応は話すとしても、望み薄なのは間違いない。となれば、この婚約を破棄できるのは一人しかいない。
この婚約を決めた国王、ただ一人。
(というかどうして国王様は私とカルロス王子を…)
そもそもそこからして謎だ。何故国王は、アリアとカルロスを婚約させるのか。アリアは国王とは面識がないわけではないが、それもデビュタントの際にお言葉を貰った程度だ。私的な会話をしたことなどない。そういう意味では、国王からすればアリアはただの伯爵令嬢にすぎない。フォンデーヌ家自体は伯爵家では裕福ではあるが、年頃の令嬢は公爵家や侯爵家にもいる。思い返せば、あのカルロスの取り巻きの中には、その令嬢たちもいた気がする。
次期国王とされる第一王子は、既に他国の姫を娶っている。二人は仲睦まじく、既に第一子も宿している。さらに、第一王子ははっきりと『愛妾は不要』と明言している。なので、年頃の令嬢たちにとって最も都合がいい相手が、第二王子であるカルロスというわけだ。
アリアにとって、相手が第二王子であることは考慮すべき事案でも何でもない。そんなものは相手を見極める上で何の役にも立たない、そう言い切る。
カルロス自身がどんな人間なのか、これ以外に考える点は無い。そして、だからこそはっきりしている。
(無い。絶対にない。カルロス王子だけは絶対に無い)
わずかな対面と会話だけでも、彼のひどさはよく理解できた。あんな男を伴侶にするなど、いくら王族という『おまけ』がついてきたとしても、お釣りどころか借金になりかねない。
「はぁ……」
思わず漏れたため息。この後の面倒さを思うと、いっそ馬車が屋敷に着かなければいいのに…そう思ってしまうアリアだった。
屋敷に帰ると、予想通り両親の手厚い出迎えを受けた。やはり婚約の話は伝わっており、両親としては万が一にも娘が夜会でカルロス以外の男とできてしまうのではないかと危惧していたようだ。そんなことはありえないと心の中で否定しつつ、アリアは一応、カルロスが婚約破棄を願っていることを伝えた。ところがその話すらも両親には伝わっており、国王はカルロスが婚約破棄したがっていることを分かったうえでこの婚約話を進めている、というのだ。
これにはアリアも眩暈がした。国王はなんとしてもカルロスをアリアと結婚させたいようだ。そこにはアリアの意思の介入が許されている余地は一切無い。あまりの強引さに国王にすら憤りを感じてしまう。
そしてさらに驚愕の事実。なんとカルロスはこの婚約から結婚となった場合、後家されるという。つまり、カルロスは結婚すれば王族から除籍され、さらにフォンデーヌ伯爵家の婿扱いになるということだ。
そこまでなると、アリアでも国王の真意が見えてくる。これはつまり……
(厄介者払い……よね)
カルロスという、王族としての責務を何一つこなさないお荷物。それを体よく追っ払おうというわけだ。その捨て先に選ばれたのがアリア。
「冗談じゃないわ!」
もうこれ以上婚約の話はしたくないと疲れたという言い訳で自室に逃げ帰ったアリアは、早々に憤りを言葉にした。部屋にいた侍女がびくりと身体をひるませたことに気付いて慌てて取りなす。
(誰があんなゴミ男なんか引き受けるもんですか!)
口にはできず、心の中で思いっきり叫ぶ。
アリアは男が嫌いだ。その理由は幼少期の頃にさかのぼる。
幼いころは、恋愛に心ときめかせ、結婚という姿を夢に見ていたこともあった。両親が仲睦まじくしている姿を見ていたのも影響していた。
しかしある日、幼い子供たちだけを集めた茶会で、ある男の子が放った一言がアリアの価値観をぶち壊した。
「女なんて、男の言うことを黙って聞いてりゃいいんだよ」
その一言が、恋愛へのときめきと、結婚という夢を瞬く間に粉砕した。同時に、男というものに嫌悪するようになった。それまで男性に優しくエスコートされる姿にあこがれを抱いていたアリアにとって、男の心中が実はそういうものなのだと分かったときの衝撃はすさまじかった。
以後、アリアは貴族女性が他の男の家に嫁ぎ、ただただ男の為に尽くすという姿の方が多いというに気付いて唖然とした。まだ幼かったアリアは結婚してからの姿を想像したことがなかった。結婚までの過程…恋愛や結婚…が素晴らしいものだからこそ、結婚後も素晴らしいものだと勝手に思い込んでいた。しかし現実は違う。それをアリアは理解した。
それからだ。アリアは貴族の令嬢としての教養を学びつつ、勉学にも勤しむようになった。そして、渋る父を説得し、父が手掛ける事業の一部を見学・手伝わさせてもらえるようにした。これらは全て女一人で生きるため。男に頼らない生活をするためには、自力で金を稼げる力を身に着ける必要があるからだ。
そうしていつしか、父の事業を手伝うことで事業そのものを学び、手伝いが事業に影響する範囲になってくると父からは給料が出るようになった。その給料を貯め込み、アリアはついに独立した。小さな雑貨店を営み始め、それまでに得た知識、父の事業で得た流通ルートを駆使して軌道に乗せていった。今では雑貨店を数店舗、さらにカフェも経営している。それらによって得た収益は、間違いなくアリアが自力で稼いだものだ。これでもう、どこぞのバカな男のもとに嫁ぐような真似はしなくていい。そう思い、結婚など全く考えない生活を送っていたというのに…
机の上には新店舗の計画案と、カフェの新メニューの資料が置かれている。本当は、さっさと夜会から帰り、この資料に目を通すつもりだった。もうそんな気力は残されていなかった。
今は寝よう。そう決めたアリアは、早々に寝支度を整えてベッドに潜り込んだ。
…明日の朝にはすべてが夢だったらいいのに、と現実逃避をしながら。