第三話 覚醒
信事からその知らせが届いたのは、ほんの数分前の事だ。例の戦いから帰還してから一夜明けるが、紅葉はまだ目覚めておらず、知らせは午前の十時に入ってきた。
「…紅葉を部屋に隔離する。牢獄じゃなくていい。むしろ牢獄に入れるな。取返しがつかなくなる。しばらく紅葉の様子を見る。今は彼のそばにいてやるしかできることは無い。」
紅葉を隔離。つまりは、しばらく拘束するという意味だ。それを聞いて、私は目眩がしてしまい、私は部屋で休憩していた。紅葉は今、自分の部屋で寝込んでいる。寂しくはないのだろうか。いくら自我を失ったとはいえ、あの行動は本心ではなかったはずだ。どうして紅葉はこうなってしまったのか、私には見当がついていた。直後、ドアからコンコンという音が聞こえた。
「華林ー?入っていいー?」
「沙羅?いいよ。」
「失礼しまーす。」
そう言って沙羅が部屋に入ってきた。
「…何を考えていたの?」
「私、紅葉に何かしてやれることがないかなと思ってさ。」
「…華林らしいね。何か案があったの?」
「…そばにいてやることしか…。」
「信事も同じこと言っていたけど。でも止めておきな。起き上がったら何されるか解らないよ。…ねぇ華林?聞いてる?」
「ちょっと、信事に相談してくるわ。」
私は部屋を出る。
「ちょ、ちょっと。…はぁ、愛って怖いねぇ。」
「ひゃっ。」
そこに、華林の短い悲鳴が響いた。
「人の事言えないだろ。」
「…はい?どうしてここに信事が?盗み?変態?」
「ちげぇよ!」
「じゃあ何故ここに?」
「君らに相談したいことがあったんだよ。」
「紅葉について?」
沙羅が即答する。
「その通り。お前はどうしたい、華林?」
「どうして私?」
「お前が一番、華林に近しいからだ。お前の意見が聞きたいんだ。」
「私は、紅葉が目覚めるまで、隣で座っていたい。…あの時のように。」
私は信事を睨みつけた。
「ハハハハ、君ならそういうと思ったよ。だが、一つ問題がある。」
「目覚めた時の危険性…でしょ?」
「解っているよな。殺されでもしたらひとたまりもないぞ。」
「…殺されてもいい。要はそれだけの信頼だったってことでしょ。」
「お前なぁ、死なれたら困るんだよ。」
「…殺されてたまるか。意地でも止めてやる。」
私は再び信事を睨みつけた。
「…いいだろう。紅葉の部屋をお前用に開放してやる。他人は入れるなよ。他言も無用だ。」
「解った。」
私と信事は紅葉の部屋に向かった。
たどり着く。ドアの前で私は深呼吸をした。
「いいか?まだ紅葉は眠っている。扉を開けてから三十秒後に外鍵をする。外に出たくても出れない。三日後にここにまたくる。食料は扉エレベーター側のポストから入れる。」
「了解。三日後、健康な紅葉と笑顔の私を見舞ってあげる。」
「期待している。…今の紅葉は敵だ。くれぐれも油断するな。」
「あいよ。覚悟はできてる。いつでもゴーだよ。」
「…開けるぞ。」
ギィーと音をたてて扉が開く。
「行ってきます。」
「健闘を祈る。」
私は廊下を突き進み、リビングを抜けて寝室に向かう。そこに、蹲って悪夢に魘されている紅葉の姿がいた。その呻き声は時折不気味で、紅葉の苦しさを直に感じるものであった。
「…暑‼」
まず室温の高さに驚いた。私は紅葉を起こさぬようにベッドの反対側にある窓を開けた。
「…大丈夫かな。…とりあえず暗い。健康に悪い。」
私はリビングに戻り、この部屋で一番広い窓のカーテンを開けた。ついでに窓も開けた。
「…何からしようか。まずは紅葉の様子見から…?」
誰もいなく、とても不安な状況だとつい独り言が出てしまうのは私の癖なのかもしれない。
「そんな癖、いやだなぁ。」
とは言え、認めろ、私。
としあえず、その場にあったタオルに冷蔵庫から取り出した保冷剤を巻く。
「これって…あの時のだ。」
私が風邪をひいて紅葉に看病をしてもらっていた時を思い出す。
「懐かしいな。あの時は確か、祭りがあったんだっけ。紅葉、覚えてるのかな。」
私はそれをもって再び寝室に戻った。紅葉の額に手を当ててみる。
「やっぱり熱いか。」
私は紅葉の眠るベッドの脇に座り込み、紅葉の体を仰向けにさせて保冷剤を額にあててやった。
「…お願い。戻ってきてよ、紅葉。どうして私から離れていくのさぁ!」
思わず私は眠る紅葉の左手を両手で握ってしまった。
暗闇だ。しかしとても明るい。絶望だ。だが幸せがある。ここはどこだ。現実ではない。現実の俺は何だ…?俺は。……殺し屋…だ。その瞬間、俺の中に様々な記憶が流れ込んでくる。本当に様々な記憶だった。邪魔だ。俺の中から出ていけ。邪魔だ‼
「…して……離れて…のさぁ‼」
…誰の声だ。…解らない。思い出せ。思い出せる。記憶だ。どこかに、この声の主が居るはずなんだ。思い出さなければいけない。思い出せ。…無理だった。だって俺には、中二からの殺しの記憶しかない…いや違う。
何度も何度も同じ記憶を見た。夢じゃない。確かだ。この記憶は、俺たちが埠頭の戦いから帰還したときのだ。…いないのだ。大切な存在だったはずの彼女がいないのだ。名前が思い出せない。赤色がかった茶色の短髪の少女だったハズ…。そうだ。思い出せ。…無理だった。俺の頭では、もう何も思い出せないのだ。…いや違う。
何度も何度も同じ夢を見た。記憶じゃない。確かだ。この夢は、なんだろう。上手く言い表せない。とても大切な存在だったはずなのに、敵なんだ。本当は敵の味方になったのだ。それで今、俺の目の前にいる。そして俺は、手に持ったHK-USPがその少女に奪われてしまい、Cz-75の引き金を引くのだ。力強い発砲音は辺りに響くことなく、朽ちていった。この少女はいったい誰だ。思い出せ。…無理だった。どうしてこんなにも苦しむのか。解らねぇよ。俺にはもう。…いや違う。
何度も何度も同じ記憶、何度も何度も同じ夢。同じ少女がいて、いなくなるか殺されるかして、大切な存在が遠のいてゆくきがした。いや違う。何度も何度も繰り返していた…?俺の記憶には、人殺しの記憶だけじゃない。あの時は幸せだった。信事の心が壊れてしまっても、立ち直ってくれるように願い、彼の陰として改進軍をまとめて、みんなからも信頼されて、俺も皆を信頼して、幸せに…幸せに。そこに、彼女はいないけど。…改進軍は…。改進軍…?そうだ、俺は改進軍の味方になって、その後、その後…どうした?平和団に入って、その統領になって、そうして、そうして…裏切った。敵は俺だ。改進軍に入った俺の目的は何だった?…俺の正義を貫くため。その正義とは…?殺さない平和もある。…その正義を裏切ったのは…?信事と和夜。そして心を動かされたのは…?俺。そのまま殺人衝動に抗えずにズルズルと泥沼を這いつくばっているのは…?俺。結局俺じゃないか。敵は、俺なんだ。俺たちの正義は身勝手だった。殺せば何とかなるって。事実だし、正しいけど、無意味な殺しがあって何が平和だよ。無意味に殺しをするなよ。無駄死にさせるなよ。和夜たちがしめしたのは、そういうことだろ?有意義な殺しならしても良いというわけではないが、それでも無駄な殺しだけはするなよって意味じゃなかったのか?…殺人衝動に二度と駆られるものか。絶対に抗って見せる。この記憶からも。この夢からも。目覚めろ。目覚めろ、俺‼
彼が目を覚ましたのは、唐突だった。二日目の早朝六時。私は信事のベッドの隣に、以前泊っていたときの様に布団をしいて寝ていた。だが、紅葉が起きたことで、私も飛び跳ねてしまった。
「…紅葉…?起きれたの…?」
「…これが、現実か…。なぁ、華林。」
「紅葉ぁ」
私は思わず抱き着いた。
「どわ!華林、何して⁉」
「よかったぁ、起きてくれたぁ。」
どうしようもなく私のめから涙がこぼれた。殺人鬼としての目覚めではなかったことへの安堵か、目覚めたことへの歓喜か。解らないが。
「華林…心配かけてごめんな。」
「うん。よかったぁ。本当に良かったぁ。」
「…ど、どいてくれ。水が飲みたい。」
「は、ご、ごめん。」
私はその場を退き、思わず目を背けてしまった。紅葉はフッと息をためて立ち上がろうとするが、立ち上がる事は無理だった。
「…無理か。なぁ華林、俺はどのくらい眠っていた?」
「丸二日。無理ないよ。私が持ってくるよ。」
「…ありがとう。」
「お腹もすいたでしょ?ラーメンがあるからそれ食べよ。」
「頼むよ。」
私はその場を立ち去った。
あの娘はずっと俺の隣にいたとは考えにくい点がある。まず、俺はあの時、華林にナイフを向けてしまった。いくら自我を失っていたとは言え、華林に恐怖を与えてしまったのは他でもない俺だ。華林が俺の攻撃対象であると喋ったようなものだ。信事なら、俺が倒れた直後は華林を隣に置くことはしないだろう。信事にも同じ事が言える。正直、沙羅以外は俺の攻撃対象となっている可能性があるわけだ。自我がない状態でそんな指示を信事が出すだろうか。信事はいつも、行動者の意思を尊重している。となると、華林自ら俺の目の前に姿を現したのか…。いや、むしろ俺は華林に助けられたのか。華林がいなかったら俺はあの悪夢から目覚めることもなく、目を覚ました俺は問答無用で再び暴走していただろう。俺は多重人格に近い精神状況に陥ってしまったのかもしれない。あの時、聞こえたのは彼女の声だった。…皮肉な話だ。俺が一度殺そうとした相手によって救われる。…彼女は強いな。一度俺に殺されかけても、俺の事を信用した。もう大丈夫だよ、華林。君が何時からこの部屋にいるのかは解らないが、感謝している。
目を覚ましてくれた。紅葉だ。間違いない。紅葉だった。鬼でも殺人魔でもなく、他の何でもない紅葉だった。ただ純粋に紅葉だった。そう感じる。
「お待たせ。」
私は笑顔を作ってから寝室に入り、脇の机にカップラーメンを置き、水を紅葉の口に含ませた。
「ありがとな。華林。起こしてくれて。」
「…?起こしてないよ?」
「お前の声が聞こえた。お前の思いが届いた。だからこそ、あの悪夢を断ち切れた。」
「…そう、なんだ。」
何となく察せる。あの独り言を聞かれていたか。紅葉、眠っていてもよく効く耳よ、恐るべし。
「手は動く?」
「多分無理。」
「じゃ、体を上げるよ。」
「へーい。」
私はゆっくりと紅葉の上半身を持ち上げた。まだ手は器用に動かせるわけではなく、箸を掴むこともできなかったので、私がラーメンを食べさせてやった。
「…俺はどうしたらいい?」
「明日迎えがくる。まずは立てるように力を取り戻そう。」
「それには?」
「今食べたから寝る。それだけ。」
「寝飽きた。」
「我儘言わない。」
「…はい。」
そう言って体を横に倒す紅葉。久しぶりの覚醒で疲れたのか、案外すぐに眠ってしまった。
「まだ七時か。」
ゴトンという音が玄関先でした。食料配給の時間である。取りに行くと、そこには二人前のガーリックバタートーストがあった。
「…美味しそう。あとで頂こ。」
そういってリビングにもらったパンを置き、寝室に戻った。そこで異変に気付いた。
「…?揺れてる。」
私はその揺れが強くなるのを感じた。
「地震…?いや、違うのか?」
窓を開けて絶望した。地震ではなかった。
「どうして。そんなぁ、まさか!」
敵襲。その二文字はこの部屋の中まで届くことは無かった。ただそれだけの事だった。




