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君と僕等を、繋ぐ線。  作者: 中め
5/7

乱線。



 -----------今日、上川出版のヤツが謝りに来るらしい。


 畑田とか言う、あの失礼な女も来るのだろうか。


 何とも腹が立つ、あの女。


『桜沢さんが活動休止する直前のツアーの最終日にも行きました』


 秋が生きていた最後の日、秋が見ていた俺のライブに、あの女もいた。


 最高に楽しくて、最悪に苦しかったあの日。


『音楽が嫌いになって音楽ごと辞めるのではなくて、曲は作りたいけど歌は歌いたくないなんて、解せない』


 あの女は俺を見透かしているのか。


 だから、あんなにも腹が立ったのか。


 秋が死んで、悲しくて、寂しくて、苦しくて。


 なのに、俺の頭は曲を作ることを辞めなかった。


 ちゃんと悲しみに浸れていない様で、そんな自分自身にも嫌気が刺した。


 それでも曲を奏でてしまう、俺の脳みそ。


 だって、音楽が大好きで大好きで。


 でも、やっぱり自分だけ夢を見続けるなんて出来なくて。


『音楽で一旗揚げる』という親との約束もあるし。


 いや、この言い訳は狡い。


 音楽を捨てられない俺は、【歌わない】ということで、表舞台に立たないことで、秋への禊をした気になりたかったんだ。


 歌を歌わなくなって、ボカロPになって。


 誰にも何も聞かれたくなくて、そんな気持ちを事務所も汲み取ってくれて、メディアからフェードアウトした。


 ボカロでもそこそこ曲は売れたけれど、ボカロを聞く層はロックを聞く層に比べると明らかに狭い。


 ボカロ界で売れたとしても、やっぱり【桜沢悠斗】としてロックを歌っていた頃に比べると、格段に売り上げが落ちた。


 そんな俺を、事務所もレコード会社も良く思うわけもなかった。


『お前には才能がある。自分で歌わないのであれば、バンドのプロデュースをしろ。桜沢悠斗プロデュースを前面に押し出せば絶対に売れる。そろそろメディアにも少しずつ出ろ。あれから3年経ったんだ。そろそろ気持ちを立て直せ』


 会社の命令に、反抗なんか出来なかった。


 バンドのプロデュースを断ってしまえば、音楽を続ける場所がなくなってしまう。


 歌えない俺は、本当は自分で歌いたかった曲を、その新人バンドに提供した。


『自分で歌った方が良いな。とは思いませんでしたか?』


 思ったよ。思ってるよ。今だって。


 地の底に埋めたい思いを平気で掘り起こすから、あの女に尋常じゃなくイラついたんだ。



 約束の時間に、上川出版の人間が事務所を訪ねて来た。


 取材の時と同じ記者。畑田もいた。


 菓子折りを差し出しながら、必死に頭を下げるその女。


 俺の隣にいたマネージャーが「次からは気をつけてくださいね」とアッサリ謝罪を受け入れた。


 そりゃ、そうだ。


 この業界は持ちつ持たれつ。


 曲を売るには雑誌の宣伝が必要。雑誌を売るのも、話題性のあるアーティストの記事が必要。


『今後NGで』なんて大口叩いた自分が、物凄く恥ずかしい。


 俺にそんな力なんかないのに。


 これ以上話もないし、カッコ悪い自分が情けなさ過ぎるしで、その場から離れようとした時、


「あの‼ 桜沢さん‼」


 畑田に呼び止められた。


「……」


 無言で畑田の方を見ると、


「秋さんの非公式のブログ、見たことありますか?」


 畑田が思いも寄らぬことを言い出した。

 

「何を言ってるんですか⁉ そんなブログは存在しません‼ 我々も探しましたがありませんでした。畑田さん、本当に反省しているんですか⁉ どうしてそんな、桜沢の気持ちを乱す様な事を言うんですか? 北村さん、畑田さんを連れてどうぞお引取り下さい」


 さすがにキレるマネージャー。


 秋が死んで、どうにか俺に歌を歌わせようと、マネージャーは四方八方手を尽くして、何も言わずに去った秋の言葉を捜してくれた。


 でも、何一つ出て来なかった。


 なのに、この女は何を言っているんだ。


 だけど、本当にもうひとつ秋のブログがあったとしたら……。


「あるんです‼ あったんです‼」


 必死に食い下がる畑田の横で、


「畑田の話、聞いてください‼ お願いします‼」


 北村という男も頭を下げている。


「警備員呼びますよ。帰って下さい」


 けれど、マネージャーは2人を突っぱねた。


 しぶしぶ帰る準備をする、上川出版の2人。


 帰り際、畑田が何かを訴える様に、俺を見つめてきた。


 ……コイツは、本当に秋のブログを見つけたのかもしれない。


 畑田たちが事務所を出て行ったすぐ後に、マネージャーも俺がプロデュースする新人バンドの売り出しの為に、どこかへ移動した。


 その隙に、前に畑田に貰った名刺を探す。


 ……どこにやったっけ。


 あの時、イライラしすぎて捨てたか?


 色んな引き出しを漁りまくり、


「……あった。見つけた」


 畑田の名刺を発見した。


 電話を手に取り、名刺に書かれている畑田の携帯番号をプッシュする。


 5コールした後、


「はい。上川出版、畑田です」


 畑田が電話に出た。畑田の携帯なんだから当然か。


「桜沢です。さっきの……。秋のブログのこと、教えてくれないか? 今、どこ? ウチの事務所、戻って来れない? これから何か仕事入ってる?」


「今、車で移動中で、もうすぐ会社に着きそうなんですけど……」


 畑田が隣で運転しているだろう北村に、「どうしましょう。今から戻ると、次の取材の時間に間に合わないかもしれません」と俺の電話の内容を説明しながら相談する小さな声が聞こえた。


『それ、俺が代わりに行くわ。俺の約束の方、多分時間ずらせるから。畑田さん、1人で大丈夫だよね?』『はい‼ すみません、北村さん。ありがとうございます‼』2人のやり取りは丸聞こえで、畑田の返答は予想出来たけれど、


「今から伺います‼」


 嬉しそうに返事をする畑田に、これまでの嫌悪感が少し薄れた気がした。


 20分くらい待つと、畑田が事務所に戻って来た。


 畑田をスタジオに通す。


「そっちのソファにどうぞ。何か飲む? コーヒーと水くらいしかないけど」


 何故か髪の毛が乱れている畑田をソファに座らせ、飲み物を伺う。


「すみません。じゃあ、お水をください」


 謎に息をあげては、喉を渇かせている様子の畑田。


「車で戻って来たんじゃないの?」


 冷蔵庫からペットボトルの水を取り出し、畑田に手渡すと、


 「桜沢さんの事務所の前の道路って一通じゃないですか。車で入って来ちゃうと、ウチの会社に引き返すのちょっと面倒なんで、もう1本奥の道から走って来ました。なので、ちょっと時間かかっちゃいました。すみません」


 そう言って畑田は、勢い良く喉を鳴らせながら一気に半分くらい飲み干した。


 ……コイツ、嫌なヤツなんかじゃないのかもしれない。


 良いヤツなのかもしれない。


「あの、秋さんのブログのことなんですけど……」


 呼吸も整っていないくせに、早く聞きたがっているだろう俺を思ってか、畑田がペットボトルから口を離し、話し出した。


「秋さんの本名って、【シュウ】ではなく【アキ】さんですよね? 秋さんの死亡記事に本名が載ってました」


「……そうだよ」


 秋は【シュウ】なんて男っぽい名前を名乗っていたけれど、見た目も性格も可愛い女のコだった。


「秋さんは【逢澤アキ】という名前でブログを書いていました」


 真剣な顔で話す畑田が、冗談を言っている様には思えないけれど、


「……何それ。何でそれが秋のブログって分かるんだよ。全く別人のブログじゃないの?」


 畑田の話を、簡単には信じられない。


「私、桜沢さんに『何も知らないくせに、知った様な口利くな』って言われて、その通りだなって思ったんです。私、桜沢さんのこともそんなに知っているわけではありませんが、秋さんについては全く知らなかったんです。だから、秋さんに関わるあるだけの資料、全部読んだんです。もちろん小説も」


「ホントかよ。じゃあ、秋の小説で1番好きな話は何?」


 話が逸れてしまっている畑田を試す様に質問すると、


「正直、全部ハマりました。……が、敢て言うなら【君と僕等を、繋ぐ線。】ですかね」


 畑田が答えたその小説は、書籍化はされなかった。


 すごく良い話だったのに、除々に書けなくなっていた秋の人気が落ちはじめ、ファン離れが進んだ頃に発表されたものだったから、注目もされなかった。だけど……。


「俺も1番好きな小説」


 畑田はきっと、本当に秋の全ての資料を読んだんだ。


「桜沢さん。秋さんが対談した時、何を話したか覚えてますか?」


 畑田の本題ではない話が続く。


「覚えてるよ」


 鮮明に覚えている。だって、あの時俺は秋に恋をしたのだから。


「秋さん、桜沢さんのことを『オウサワさんって読むのかと思った』って言っていましたよね? 女子ってやりがちなんですよ。好きな人の苗字に自分の名前くっつけるの。ただ、そのままくっつけただけでは見つかり易い。だから彼女は【オウサワ】と読み方を変え、逢瀬の【逢】に旧字体の【澤】で【逢澤】と漢字をも変えて、名前もカタカナにして、見つからない様にしたんです」


 秋を知ろうと懸命になってくれた彼女には、充分に説得力があった。


「私は本物だと思いました。でも、そうじゃないかもしれない。桜沢さんが見ればきっと分かる。本物なのか、違うのか。見てみてください」


 畑田が、近くのテーブルに置いてあったパソコンを指差した。


 畑田に促されるまま、パソコンを開き【逢澤アキ】を検索する。


 畑田も一緒にパソコンを覗き込み、「コレです」と逢澤アキのブログを人差し指で示した。


 畑田の指の先にあるブログを開く。


 何ヶ月分もある、そのブログ。


 とりあえず、1番初めのブログを開こうとした時、


「桜沢さん。【足音】をリリースした日っていつだったか覚えてますか?」


 畑田が、何故今そんなことを聞くのか分からない質問をしてきた。


「いちいち覚えてないよね」


 3年以上前のことだし、ボカロやプロデュースした曲を含めたら、俺がリリースした曲は相当数ある。


 覚えてなどいられない。のに、


「もーう。自分の曲でしょうが。10月10日ですよ。10月10日‼ 【トントンの日】ですよ。トントンの‼ 開いてみてください」


 畑田に呆れられながら、10月10日のブログを見る様に指示された。


 ……てゆーか、何。トントンの日って。


 ファンの間ではそう呼ばれていたのかよ。やばい。ダサイ。てか、トントンの日に発売してしまった俺が、なんかダサイ。


 10月10日に発売したことを薄っすら後悔しながら、その日のブログをクリックする。


 その日のブログは『今日は少し寒かった』とか『実家から柿が届いた』とか、何気ない日常が書かれていた。


 普通すぎるその日記。


 秋が書いたのかどうかも分からない。


 それでも、秋の手がかりを探す様にじっくり文章に目を通していると、


「下の方にカーソルを引っ張ってみてください」


 まだ読み途中の俺に、畑田がまたも指示を出す。


 言われるがまま、マウスを動かす。


「……これ」


 手が震え、マウスが左右に揺れた。


『肌寒いけど、コートを着て散歩に行こうかな』という文の下に、見覚えのある秋のお気に入りだったスニーカーの周りに音符のスタンプが押してある写真が添付してあった。


「この写真、【足音】を表現してるんじゃないかと思うんです」


  畑田の言う通りかもしれない。でも、違うかもしれない。だって、このスニーカーは珍しいものじゃない。どこにだって売っていた。


「これだけじゃ、秋だという確証は持てない」


 まだ疑ったままの俺に、


「そうですよね。じゃあ、【恋歌】の発売日は覚えてますか?」


 畑田が『だから知らねぇって言ってるだろうが』という質問を再度してきた。


「何で同じことをまた聞くのかな、畑田さんは。『いちいち覚えてない』って言ったよね?」


「なんなんですか、もー。2月1日でしょうが。『バレンタインに間に合う様に作りました』って自分で雑誌インタビューに答えてたじゃないですか」


 たかが曲のリリース日を覚えていなかっただけだというのに、「何っにも覚えてないんだから」と俺を何もかもを忘れた人間扱いする畑田。


 そんな畑田に少々の苛立ちを覚えながら、2月1日のブログを開いた。


 この日のブログには、『何か面白い話はないかな』等、秋であることを薄っすら臭わす1文はあったけれど、それ以外はたわいのない事が書かれていた。


 そしてまた、カーソルを下げる。


「……ッ」


 思わず息を呑んだ。


 下の方に貼られていた写真は、秋の左手とオ俺の右手で作られたハートマークだった。


 この手は、間違いなく秋の手。


 だって秋の親指には、あの日秋が握り締めていた、俺がプレゼントしたサイズの大きい指輪がはまっていたから。


 あの指輪を、見間違えられるはずもない。


 この写真を撮った時のことも覚えている。


『恋歌発売記念に』と秋に半ば無理矢理やらされたんだ。


 浮かれてるカップルみたいで恥ずかしかったけれど、でも楽しかった。 


 満足そうに、嬉しそうに笑う秋は、物凄く可愛かった。


 これは、間違いなく秋のブログだ。


「桜沢さん、カーソルを1番下まで下げてみてもらえませんか?」


 秋の本物のブログと確信して呆然としてしまっている俺に、畑田が更なる指示をした。


 言われた通り1番下までカーソルを持って行くと、ひと際小さい文字で『明日は書けるといいな』と書かれていた。


 秋が思う様に小説を書けなくなってしまった頃、俺が気休めみたいに何度も言っていた、その言葉。


「後半の方のブログには、秋さんの苦悩が抽象的ではあるんですけど、ちらほら書かれていて『明日は書けるといいな』は、必ずブログの終わりに打ち込まれていた言葉なんですけど……。最後に書かれたブログだけ違うんです」


 畑田が、頭の悪い子みたいな事を言い出した。そりゃ、そうだろ。最後のブログで『明日は』なんてありえないだろ。だって……。


「……秋は、【明日】を迎える気がなかったからな」


 喉が痛い。 辛い言葉を発したからなのか、首を絞められたかの様に苦しい。


「秋さんの最後のブログ、見てみてください」


 畑田が真剣な目で俺を見た。


 秋の最後のブログ。


 少し読むのが怖い。でも、秋の最後の声が聞きたい。


 畑田に頷き、最後のブログを開いた。


『大好きな人との夢を叶えられなくてごめんなさい。私には才能なんか無かった。お父さん、お母さん。自慢の娘でい続けられなくてごめんなさい。みんなには、こんなどうしようもない私のことで悲しんで欲しくない。私なんか、最初からいなかったものとしてキレイに忘れて、いつまでも笑って幸せでいてほしい。私の夢は途絶えてしまったけれど、大好きな人はずっと夢の中にいられますように。大好きな人の夢が、ずっとずっと続きますように』


 これが、秋の最後の言葉だった。



「……あ、き」


 声にならない声で、パソコンに映る秋の文章を指でなぞりながら秋の名を呼ぶ。


 キーボードに涙が垂れ堕ちる。


『私なんか、最初からいなかったものとしてキレイに忘れて』


 だから秋は、遺書も残さず、何も言わず、俺らの前からいなくなったんだ。


 --------------そんなの無理に決まってるじゃないか。


 秋を忘れることなんて、一生出来ない。


 忘れたくない。


 秋は何にも分かっていなかったんだ。


 秋は小説を書けなくなったって、お父さんやお母さんの自慢の娘だったに違いないのに。


 書けなくなって、自分に価値がないとでも思い込んでしまったのか。


 ……俺のせいだ。俺が、そうさせたんだ。


「桜沢さんが歌わないのは、秋さんの意に反してしるとは思いませんか? 秋さん、言ってるじゃないですか。『大好きな人は、ずっと夢の中にいられますように』って。『大好きな人の夢が、ずっとずっと続きますように』って」


 泣き崩れる俺の傍に、「今日まだ使ってないので大丈夫です。綺麗ですよ」と畑田がハンカチを置いた。


 無理だよ。それでも歌えない。


 だって、俺が秋を……。


「……自分の活動が好調だったからって、調子に乗ってどうしてあんな夢を秋にまで背負わせてしまったんだろう。夢なんか、自分ひとりで見てれば良かったのに。俺が、秋を追い詰めたんだ。俺が秋を苦しめて……死なせた。秋が生きていてくれるなら、2人の夢なんかどうだって良かったのに」


 畑田のハンカチを握り締め、奥歯を噛んだ。


「違う‼ 秋さんの文章に、桜沢さんを責めたり恨んだりしている言葉はひとつもなかった 秋さんは誰のことも恨んでなんかない。秋さんは、頑張りきったから、疲れきってしまったから、命を絶ったんだって私は思います」


 畑田が俺を気遣ってか、俺が傷つかぬ様に綺麗事を吐いては、俺の言葉を否定した。


 畑田の優しさは嬉しい。


 でも、コイツは俺らとは全く無関係の人間。


 そんな人間に……。


「お前に何が分かるんだよ‼」


 握っていたハンカチを畑田に投げつけた。


「……分かんないですよ」


 畑田がゆっくり床に落ちたハンカチを拾い上げ、


「何にも分かんないですよ‼ 分かるわけがないでしょうが‼ 私は秋さんじゃないんだから‼ でもだったら、桜沢さんは秋さんのことを全部知ってるんですか⁉ 桜沢さんの言っていることだって、憶測にすぎないじゃないですか‼ 秋さんの気持ちは、秋さんにしか分からないでしょうが‼」


 俺に投げつけ返した。


 畑田が何故か、悔しそうに涙を浮かべていた。


「なに涙目になってんの? ……あぁ、秋のブログを見せれば、簡単に俺がまた歌い出すとでも思ってたんだろ。残念だったね。お手柄逃しちゃって」


 どうして素直に『ありがとう』と言えないのだろう。


 畑田は、俺やマネージャーが血眼になって探しても見つからなかった、秋の言葉を見つけてくれた。


 畑田だって、容易に発見出来たわけではないだろう。


 苦労して探してくれただろうに。


 分かっているのに。


 俺はきっと、秋が最後にどんな言葉を残そうとも、歌を歌うことは出来なかったと思う。


 秋に申し訳なくて。


 本当は歌を歌いたい。


 でも、誰かに背中を押して欲しかったわけじゃないんだ。


 歌いたいけど歌えない。だから、これ以上歌いたい気持ちを膨らませて欲しくなかった。


 だから、畑田に苛立ち当たってしまうんだ。


「……なんでそうなるんだよ」


 畑田が溜息と一緒に涙を一粒だけ落とした。


 目に溜まった残りの涙は鼻水と一緒に啜り上げ、一瞬俺を睨むと「仕事に戻ります」と、『これ以上何を言っても無駄だ』と言わんばかりに、カバンを拾い上げると肩に掛ける畑田。


 ドアノブに手をかけ、部屋を出て行こうとした畑田が立ち止まり、俺を見た。


「秋さんが叶えたかった『2人の夢』って何ですか?」


 畑田は、2人の夢が叶えば俺が歌を歌うとでも思っているのだろうか。


 2人の夢は叶わない。秋はもういない。


「秋が書いた小説が映像化した時、俺が音楽を付けること」


 秋は死んだ。もう、小説は生まれない。


 俺の言葉に、諦めた様子で畑田は静かに部屋を出て行った。

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