断線。
突然、秋が小説を書かなくなった。
ノートパソコンを開いても、微動だにしない秋の指。
----------スランプ。
秋が、書けなくなってしまった。
「スランプは誰にでも起こり得ること。この先、俺にだって降りかかるかもしれない。焦っても仕方がない 今はゆっくり休めばいいんだよ」
そう言って、秋の頭を撫でながら慰めた。
最初はそんなに深く考えていなかった。
秋が何ヶ月も書けなくなるなんて、思いもしなかったんだ。
秋が小説を書けなくなっても、俺の頭の中では音符が溢れては踊っていた。
秋とは正反対に、次々出来て行く作品。
この頃、秋のHPの書き込みには『頑張って下さい』『待ってます』等の応援メッセージと『秋はもう終わったな』『何を書いても駄作』等、心無い言葉も書き込まれていた。
「期待にも応えられないし、辛辣な言葉に言い返すことも出来ない」と、普段あまり弱音をはかない秋が、心を痛めていた。
それでも俺に心配かけまいと、俺の前では極力明るく振舞う秋。
それが余計に痛々しくて。
何となく秋に申し訳なくて、秋と一緒に居る時に曲を作るのを辞めた。
どうしても忘れたくないメロディーが浮かぶと、トイレに行って、秋に聞こえないように小声でスマホに録音した。
でも、その俺の不自然な行動に、秋が気付かないわけがなかった。
「私の前で仕事してくれなくなっちゃったね。淋しいな。気を遣われると余計に悲しい」
秋に苦しそうな表情でそんなことを言われては、こそこそなんて出来るはずがなかった。
また、秋の傍で曲を作る。
依然、秋は小説を書くことが出来ない。
当時、そんな秋に何を言えば良いのか分からなくて、
「明日は書けるといいな」
と、毎回別れ際に声を掛けていた。
俺に出来ることなど、これくれくらいしか思いつかなかったんだ。
そんな日々は数ヶ月も続いた。
秋は小説を書けないのに、俺の仕事はどんどん決まって行った。
念願の全国ツアーが決まる。
これまでに何度もライブはして来たけれど、大きい都市だけだったり対バンだったりで、単独で地方都市まで回るのは初めてだった。
嬉しいし、楽しみ。
だけど、秋と会える回数が減少するのは寂しい。
全国ツアーは、東京から始まる。
初日に秋も来てくれると言っていた。
頑張ろう。成功させよう。
ファンに、秋に、俺のカッコイイ所を見せたい。俺の音楽を届けたい。
時間を掛けてリハーサルを何度も重ねる。
-------------そして迎えた東京公演。
俺的に大成功。
観客も盛り上がっていたし、満足のいくパフォーマンスが出来たと思う。
秋も「カッコ良かったよ‼」と褒めてくれた。
他の公演も絶対に成功させる。
幸先の良いスタートを切れた俺は、これから地方を回ることになる。
秋に、会えなくなる日々が始まる。
秋とは会えなくとも、毎日連絡を取り合った。
毎日秋の声が聞きたい。毎日会いたい。いつも一緒にいたい。
それ程に、俺は秋のことが好きで好きで、大好きだった。
------------5ヶ月かけて回った全国ツアーも最終日を迎えた。
最終日も大盛況。有終の美を飾れたと思う。
楽しかったツアーが終わるのは淋しい。
だけど、また秋に会える事が嬉しくて仕方がない。
早く秋に会いたい。
最終公演は、東京から離れた都市だった。
だから、秋は呼ばなかった。
来て欲しかったけれど、小説を書けなくなってしまってから、秋は元々やっていたバイトのシフトを増やしていて、連れて来ることが出来なかった。
本当は、バイトなんかしないで俺のツアーに同行して欲しかった。
だけど、言えなかった。
多分、逃げたんだと思う。
秋のこと、大好きなのに、ずっと傍にいたいと思っていたはずなのに、正直、小説が書けずに苦しむ秋の姿を見るのが辛かったから。
秋に会いたくて会いたくて、会いたくなかった俺は、秋に会えなくて淋しい思いをしながらも、どこかでホっとしていたのだ思う。
それでもやっぱり、秋に会いたい。
どうしたって、秋のことが好きだから。
明日、秋に会える。
ツアーの成功と溜まった疲れを労いながら、居酒屋でスタッフたちと打ち上げで酒を酌み交わしている時だった。
俺の隣に座っていたマネージャーがテーブルの上に置いていた携帯が、音を立てて震えた。
携帯を手に取り、
「事務所からだ」
と言いながら立ち上がり、右耳に携帯を当てると、五月蝿い打ち上げ会場の声を遮断する様に、左耳に自分の人差し指を突っ込みながら会場を出て行こうとしたマネージャーが、立ち止まった。
そして、真顔になって固まり、俺の顔を見た。
マネージャーが俺の方へ引き返して来た。
「……秋さんが、飛び降りた。さっき、搬送先の病院で死亡が確認されたって」
……秋が、死んだ?
「はぁ? その冗談受け付けないわ。腹立たしい。全然面白くない」
ツアー終了後の達成感と高揚感で最高潮の俺に、センスのない冗談を通り越して悪趣味でしかないことを口にするマネージャーに怒りさえ覚える。
何、秋が死んだって。ふざけんなよ。
「冗談でこんなきとを言う訳がないだろ。病院、ここから10分くらいのとこだ。行くぞ、悠斗」
マネージャーが俺の二の腕を掴み、引っ張り立たせ様とした。
「なんで秋がこの近くの病院にいるんだよ。秋は東京にいる。今日はバイトの日。飛び降りたのは秋じゃない。人違い」
マネージャーの腕を振り払おうとするも、
「悠斗、秋さんと連絡取ってみろ。秋さんのバイト、もう終わってる時間だろ」
マネージャーは力を強め、俺の腕を放さなかった。
秋のバイトはファミレス。今日のシフトは20:00まで。今の時刻は25:00過ぎ。
出るに決まってる。
ポケットから携帯を取り出し、スクロールして秋のアドレスをプッシュした。
携帯を耳に当て、何コールか待つと、留守電に繋がった。
秋は電話に出なかった。
静かに電話を切ると、
「……出なかったか。とりあえず、行こう。悠斗」
秋が電話に出なかった事を悟ったマネージャーが、俺の腕を引っ張った。
「行かねぇわ。秋、誰かとシフト代わったのかもしれないし。まだ働いてるのかもしれないし。疲れて寝てるのかもしれない」
秋のバイトは24時間のファミレスだった。たまにシフトの交代や、突然休んだコの代わりに働くこともあった。
「病院に秋さんじゃないことを確認しに行くんだよ‼ 死んだのは秋さんじゃないんだろう⁉」
信じられないし、信じたくないし、信じていないから、一向に動こうとしない俺の両肩を、マネージャーが激しく揺すった。
秋じゃないにしても、人がひとり死んでいる。
俺の態度は違うのかもしれない。
「……分かった。行く。秋じゃないことを確かめる」
死んだのは、絶対に秋じゃない。
居酒屋を出ると、マネージャーが捕まえてくれたタクシーに乗り込み、病院に向かう。
病院に着き、救急受付にいた看護師に秋がいるという部屋を案内された。
部屋の前には警察の人間と、秋の家族がいた。
秋の家族に会ったことはないが、秋に写真を見せてもらったことがあるから、顔を知っていた。
写真の中で楽しそうに笑っていた秋の家族が、絶望に打ちひしがれながら嗚咽していた。
……気持ちが悪い。頭痛がしてきた。吐きそう。
死んだのは、本当に秋だというのか。
呆然と立ちすくんでいた俺に、号泣をしていた秋の母親が気付いた。
そして、秋の母親がゆっくり俺に近づいて来た。
「……桜沢悠斗さんですよね? 娘から話は聞いていました。……こんな形で挨拶をすることになるなんてね。今まで娘と仲良くしてくださって、本当にありがとうございました。……これ、娘が握り締めていたものなんですが……」
秋の母親が俺に、何かが握られている右手を差し出した。
それを受け取ろうと掌を広げると、そこに何かを乗せる秋の母親。
「……これ、私が持っていても良いものなのか、アナタに持っていてもらえば良いものなのか分からないんです」
俺の掌に、秋の母親の涙が落ちた。
俺の掌に乗せられていたものは2つ。
1つは、前に秋にプレゼントした、秋のサイズも聞かずに買ってしまった、大きすぎて秋の親指にしか合わなかった指輪。
もう1つは、血まみれになって文字が潰れてしまっている、今日のオレのライブチケットの半券だった。
----------秋は、俺のライブを見ていたんだ。
----------結局、秋の姿を確認することは出来なかった。
秋の母親が「娘のあんな姿、見せられない。ごめんなさい」と俺には会わせずに、司法解剖に回してしまったから。
吐き気も頭痛もするのに、涙が出てこない。
だって信じられない。受け入れられない。全然ピンと来ないんだ。
秋が死んだなんて。
嘘だろう? 冗談だろう?
秋がこの世にいないなんて。もう会えないなんて。
事実を受け止められない俺は、『これは何かの悪い夢で、寝て起きたら秋は元気に生きているはずなんだ』なんて、この期に及んで現実逃避を図る。
病院で頭痛薬と吐き気止めを処方してもらい、その中に入っている眠気を促す成分のお陰で、その日は眠れた。
だけど、寝て起きたところで事実は事実。覆るわけがなかった。
2日後、秋の母親からマネージャーに連絡が入り、秋の通夜と告別式の日取りが告げられた。
秋が、死んだ。
遺書は、無かった。
家族にも、俺にも。
秋は、何を思って死んだのだろう。
苦しむ秋から目を逸らした俺を、どう思っていただろう。
秋をツアーに連れて行っていれば、こんなことにならなかったのに。
何で俺は逃げてしまったのだろう。
後悔で頭がいっぱいになる。
「……会いたいよ」
会って謝りたいよ。今度は絶対に逃げないから。秋とちゃんと向き合うから。
会えないと分かっていても、それでもどうしても秋に会いたいんだ。
秋に会いたくて、会いたくて。
通夜に出て、告別式に行って。
そこにいた秋は、生前の姿に近い状態に戻してもらった綺麗な顔で、棺の中で眠っていた。
でも、寝息はなくて。
顔を触っても、凄く冷たくて。
会いたかった。顔が見たかった。
でも、違うんだよ。
どんな形でもいいから、生きている秋に会いたかったんだよ。
「……こんなの嫌だよ。もっとずっと一緒にいたかったんだよ。一緒に生きたかったんだよ。ゴメン。俺、もう逃げないから。だから、起きて。お願いだから」
棺の中の秋の顔に、俺の涙が零れ落ちた。
「……悠斗、行くぞ」
秋の傍から離れようとしない俺を見兼ねて、一緒に参列していたマネージャーが俺の肩を掴んだ。
ここにいたって秋は生き返らない。分かってる。
なのに離れがたくて。
でも、ずっとこうしていてもしょうがないことは分かっていて。
「好きだ」
秋にキスを落とし、秋の母親から預かっていた秋の遺品を祭壇に置いた。
俺が秋にプレゼントした指輪。秋が購入してくれたチケット。2つ共、秋に持っていて欲しいと思ったから。
秋の最後の寝顔を脳裏に刷り込み、マネージャーとその場を離れた。
秋との最後のキスは、一生忘れない。
あんなに冷たいキスは、一生忘れられない。
マネージャーと、告別式の会場のロビーにあるソファに座る。
散々泣いた俺に、
「ほら」
と、マネージャーがペットボトルに入った水を差し出した。
有難く頂き、出し切った水分を補う。
「……秋さんは、悠斗の事が本当に好きだったんだろうな。最期に悠斗の最高に輝いている姿を目に焼き付けて逝くなんてさ」
ポツリ、マネージャーが口を開いた。
「……」
落ち込む俺への気休めなのか、励ましなのか、慰めなのか。素直に受け取れなくて、無言でマネージャーの話に耳を傾けた。
「俺には秋さんの気持ちは分からない。分かるもはずないから、完全に憶測なんだけどさ。秋さん、本当はもっと前に死にたかったのかもなって。小説が書けなくなってしまって、ずっと苦悩してたんだろ? だけど、悠斗のツアー中に行動しなかったのは、悠斗の気持ちを乱したくなかったからなんじゃないかなって。わざわざツアー最終日を選んだのは、そういうことなんだろうなって」
「……」
やっぱりマネージャーの言葉は素直に入ってこない。だって、
「……ずるいよ、秋。自分だけ俺の姿を見て逝くとか。なんで教えてくれなかったんだろう。俺、秋が見に来てくれてたこと、知らなかった」
俺を好きなら、なんで秋は何も言ってくれなかったの? なんで俺から離れて行ったの? なんで俺を残して死んだの? 分からない。分からない。
「教えてたら秋さん、死ななかっただろうな。死ねなかっただろな。秋さんには、自分の死を誰かに止めて欲しいって想いが、もう微塵もなかったんだろうな。だから誰にも言わなかったんだろうな。苦しかっただろうね、秋さん。小説を書けなくなったことも。悠斗の傍を離れることも」
『苦しかっただろうね』マネージャーの言葉が刺さる。
秋はどんなに苦しみもがいていたのだろう。
秋が投身したのは、ツアー会場近くの15階建てのビル。
あんなに高い場所から。
どんなに怖かっただろう。
どんなに痛かっただろう。
苦しくて辛くて惨い死に方を選んでしまう程に、秋は追い詰められていたのだろう。
なんで俺は何もしなかった? どうして……。
考えたところで秋が息を吹き返すわけでもないのに、それでも『もしもあの時』と架空の過去を作っては悔しさで涙を垂れ流した。
---------------秋がこの世を去って1週間が過ぎた。
毎日秋のことを考えては、嘆き、自分を責め、秋の面影を探しては、泣く。
そんな中でも、俺の頭には五線譜が浮かぶ。
自分が嫌になる。
悲しいのに。悲しいはずなのに。なんで音楽が出来てしまうのだろう。
曲が出来ても、歌えない。
歌う気になれない。
秋を想うと、歌えるわけがなかった。
秋は人生最後の日、どんな気持ちで俺のライブを見ていたのだろう。
マネージャーの言う通り、俺を好きでいてくれたからだろうか。
秋から逃げた俺を、恨んではいなかっただろうか。
秋は、何で誰にも何の言葉も残さず逝ってしまったのだろう。
……本当に、何もないのか?
秋のアパートの部屋は、秋の家族がもう引き払っている。
行ったところで何もない。
ふと、机の上のパソコンが目に入った。
……ブログ。
確か秋はブログをやっていた。
パソコンを立ち上げ、秋のHPを検索する。
片っ端から読みふけるも、秋らしい前向きな文章が、最期の日まで綴られているだけだった。
ブログにも何も書かれていない。
何気なくコメント欄を開いた時、マウスを持つ手が震えた。
一瞬、息が止まった。
『秋さんのご冥福をお祈りします』『残念です』『安らかにお眠りください』等の追悼コメントの中に、『桜沢悠斗と付き合ってたって噂、本当かな?』『まじだったとしたら、私も死んじゃうかも』『俺も、秋の気持ちが分からなくもないかもなー』『確かにねー。自分は全然書けないのに、間近であんな才能見せ付けられたら、そりゃあ辛いわ』などの、秋の死を共感する言葉が並んでいた。
俺が、秋を殺してしまったの?
俺が秋を追い詰めて、見放して、殺した。
全部、全部俺のせい。
秋を苦しめて死なせておいて、自分だけがあのキラキラした世界に戻れない。
夢を、追えない。