第65話 姉の責務
「まずいわね……あの攻撃力。いくら頑丈な王牙でもこれ以上は持たないわよ……!」
木陰から顔だけ出して夜美は戦況をそう分析した。
このままでは勝ち目がない。だから夜美も加勢する必要がある。
そのためには、まず目の前の少女をどうにかしなくては……。
夜美は茫然自失して無気力に座り込んでいる静音の肩を揺らした。
「あなたはこれでいいの? あなたの妹が化け物になって、人を殺そうとしてるのよ? 止めようとか思わないの?」
「もう……ダメだよ……」
夜美は厳しい口調でそう問いただす。
しかしそれに対する彼女の返答は、悲壮に満ちた非常に気力のないものだった。
「うちは、どんなに苦しい時でもあんたのためならば頑張れた。でもあんたがいなきゃ……うちがもう頑張る意味なんて……」
彼女は絶望の底に落ちていた。
全てを投げ打ってでも助けようとした妹からの拒絶。そして呪いの如き恨み。それは彼女の心を壊すには十分だった。
「いい加減にしなさい!」
その時、怒号が落ちてきた。
静音はらしくなくびくりと体を震わせ、その発生源である夜美の顔を伺う。
「あれを見なさい!」
「あれ……?」
夜美は彼女の首根っこを掴んで、その顔を木陰から引きずり出す。そしてある方向を指差した。
「ガハッ……!」
「アハハハハッ! 死んで死んで死んで! 私の痛み、みんなにも味合わせてあげる!」
そこでは、血反吐を吐きながら戦う王牙の姿があった。その体は悲惨の一言に尽きる。斬撃痕はもはや数百箇所にも及び、胴体では血に染まっていない場所を見つけるのが難しいほどだ。
足元は大量の血が滴ってできた水たまりができている。それに足を滑らせてフラフラになるほど傷ついてはいるが、その目だけはまだ太陽の如き輝きを残していた。
「今あいつはあなたの代わりにあなたの妹を止めようとしているの! 命を懸けて! 全力で!」
「……っ!」
「妹が望まない暴走をしているのよ!? あなた恥ずかしくないの!? 散々助けるだとかなんとか言っておいて、失敗したらその後始末を他人に押し付けるなんて! それでよく姉を名乗れるわね!」
「っ……う、ちは……!」
「うずくまって泣いてるだけじゃ、何も現実は変わらないのよ!」
その一言が彼女の何かを動かした。
静音は再び王牙と……そして荒れ狂う天音を見つめる。
そうだ。夜美も言っていたはずだ。幻想召喚で召喚された幻魔は狂化されて凶悪化すると。
ならば今の天音は静音のせいで暴走し、人を殺そうとしている。
だったら、その責任は自分が取らなければならない……!
「……目が覚めたわ。あの子をあんなふうにしたのはうち。うちにはあの子を止める責任がある。たとえ殺してでも……!」
「理解できたようね。ま、大丈夫よ。幻魔は消滅すると、その依代となった物は元に戻るわ。人間の肉体は再び失うことになるけど、霊器が残っているのなら……またやり直せるわ。きっとね」
静音は頷くと、懐からとある鍵を取り出し、それを夜美を縛る殺戒錠に突き刺す。
「啖呵切ったところで悪いんだけど、霊器なくして、腹に穴も空いたうちにできることはあんましないと思う。だからうちに力を貸してちょうだい。あの子を止める力を……!」
「言われなくてもよ」
そうして枷が完全に外れた瞬間、夜美の体からは銀の霊力が噴き出した。ずっとせき止められていた分、心地のよい開放感に包まれる。が、彼女は自身の体の状態を理解し、少し眉をひそめた。
「……ダメね。殺戒錠を長い間つけていたせいでずいぶん霊力を吸い取られてしまったみたい。今の私では終式を一発撃てるかどうかってところかしら」
「ごめん……」
思ったより深刻なその告白に、静音は気弱に謝罪をする。
これが殺戒錠の厄介なところである。霊力を完全に封じるのと同時に、対象の霊力を吸い取るのだ。ゆえに万が一何かの拍子で外れてもすぐに捕縛が容易になるようになっている。さすがは神代の技術が使われた一品といったところか。
しかし夜美はそこまで悲嘆をしていなかった。いつものように冷静な眼差しのまま、余裕ありげに髪をかき上げる。そして一言、こうつぶやいた。
「……ま、今回の場合だとその一発で十分なんだけれど」
♦︎
(クソッタレ……もう前がほとんど見えねえ……意識を保つのでやっとだ……)
王牙は朦朧とした意識のせいでゾンビのように体をフラフラと揺らしながら、必死に腰が落ちないように踏ん張っている。
その顔は酷くずぶ濡れになっていた。汗ではない。血によってだ。彼の顔はその真っ赤な髪そっくりに真紅に染まっていた。
これは彼女が狙いを胴体から顔に切り替えてきたためだ。顔を何回も突き刺されたことで、顔面中から出血してしまっているのだ。
幸い、その刃を受けても王牙が即死することはなかった。
『駆動心音』による防御力の倍化は元の部位の強度に応じて差が出る。
例えば彼の拳や足、特に肘や膝から先の部位なんかはよく打撃や防御に使うため、強化する前から鋼鉄をはるかに超える硬さとなっている。格闘家の拳がレンガや瓦を割れるほど硬いのと同じ原理だ。だから彼は刃を腕で防御することができるのだ。
しかし胴体などは鍛えられてはいるものの、骨よりも肉が占める面積が多いため、強化しても拳ほど硬くはならない。静音や天音の刃が拳には通らなくて胴体に通るのはそれが理由だ。
人間の頭部は頭蓋骨に覆われていて、元から非常に硬い。王牙ならなおさらだ。この頭蓋骨が強化されているおかげで、何度も額を突き刺されても王牙は今も生きているというわけである。
だが、それも長くは持たない。このままじゃ頭蓋骨は貫かれないにしても出血多量で死んでしまう。もうすでに王牙はあまりに脳に回る血が出過ぎて、血液中の酸素が十分に脳に行き届いておらず、フルマラソンを一日に何回もこなしたような酷い疲労感と眩暈に襲われていた。
「あがっ……!」
「アハハハハ! しつこかったけどもう限界かな?」
助走をつけた天音の突きが王牙の額に直撃する。その衝撃で王牙は体を支えきれなくなり、前のめりに倒れ込もうとしていた。
天音はそんな瀕死の姿を見て、能力を発動して彼の無意識に潜みながら、トドメを刺そうと刀を振り上げる。
(……ん? あれは……)
その時だった。
倒れかかったその時、王牙は視線の先で何かを見つけた。回らない脳のせいで最初はそれを見てもボーッとしているだけだったが、その正体に気がついた途端、王牙は歯を食いしばって足に力を込め、上半身を起き上がらせた。
そして真横に渾身の左拳を突き出す。
「終わり! さよなら! ありがとう!」
「――テメェの命は、そこだァァァァッ!!」
「っ!?」
手応えはあった。
遅れてズバァァァン! という爆発したかのような打撃音が響き渡る。
天音はとっさに拳と顔の間に刃を挟み込んでいた。そのため直撃ではなかった。しかしそれでもなおその威力は凄まじく、彼女の体を浮き上がらせ、後ろに何回転も吹き飛ばした後、木の幹に背中から叩きつけられていた。
千載一遇のチャンス。追撃だ!
しかし意思に反して体は動いてくれない。今の一撃で王牙にも限界が訪れたのだ。足を一歩踏み出した途端、彼は崩れ落ちるように地面に膝をついてしまう。
(くそっ……! ようやく攻略の光が差したってのに……! 動け、動け動け動け動け!)
だがその願いに足は応えてくれそうにない。
しかしその時、一雫の水滴が王牙の顔に落ちてきた。
「……雨……?」
思わず王牙は疑問に思う。先ほどまでは雨雲などなかった。雨が降る予兆は見当たらなかったはずだ。
なんとなくそれが気になり、上を見上げて絶句する。
頭上遥か彼方。そこには光り輝く緑色の雨雲が、空を覆っていた。
「――『“竜紋刻む鱗雲
空の慟哭
旱天慈雨の慈悲を乞う
彼方の境
社の下にて天女舞い
ものの哀れに明王涙す”』」
「――祈祷終式『孔雀雨』」
夜美がそう唱え切り、周囲に浮いていた護符を全て光の粒子へと変換させる。
するとそれを皮切りに雨雲は輝きを増し、そこから緑色の雨を降らせた。
「……これは……!」
「傷が……消えていく……!」
それに当たった途端、王牙の体の傷はどんどん塞がっていった。それは夜美の近くに立っていた静音も同じ。雨に濡れたことで、天音に貫かれた穴は跡を残さず消えていた。
祈祷終式『孔雀雨』。
その効果は見ての通りの範囲高速回復。ただし、敵味方を問わず回復してしまうため、本来なら戦場では使われることのない術だった。
普通の祈祷術では考えられない回復速度だ。百以上はあった刀傷全てが消えており、王牙は力を取り戻したかのように自力で立ち上がる。
「助かったぜ。少し気怠い気もするが、これならまだまだ動けそうだ」
「気をつけなさい。『孔雀雨』は見ての通り範囲回復術。その対象は範囲内の全員となるわ。当然あなたが先ほどつけたばっかりのあの子の傷も癒えてしまっている」
「構わねえよ。所詮は直撃でもねえ一発だ。それに、お前がいればいくらでも取り返せる」
「あ、それは無理よ。私はこれで霊力を使い切ったから、もう今日は戦えないわ」
「はっ!?」
形成逆転と拳と拳をぶつけて息巻いていたところで夜美のトンデモ発言を聞き、思わず王牙は振り返った。
彼女は一仕事やり終えたとでも言うようなドヤ顔をしていた。そのあまりのウザさに思わず王牙は彼女に詰め寄る。
「バカか!? バカかお前!? 敵味方全員回復させて戦闘不能になるやつがいるかよ!?」
「落ち着きなさいバカ。この私があなたたちを助けるためだけに霊力を全部使ったと思う? ちゃんと逆転の種は巻いておいたわ」
「種って……」
王牙は周囲を見渡す。そこにあるのは雨で濡れた大地と木々だけだ。これで何を……。
……いや待てよ……。
王牙は何かに気づいたのか、手を顎に当て何かを考え始める。そして数秒後、その口の端をニヤリと歪めた。
「……そういうことか」
「あなたもなんとなくわかってたんでしょ? あの能力の攻略法が。ならあとは問題ないわね。――ここから先は、処刑の時間よ」
夜美が不敵にそう笑う。
実際に戦うのは王牙だが、その顔は自信に満ちている。勝つことを微塵も疑っていないのだろう。
「……詰め寄って悪かったな。やっぱりお前は最高の相棒だぜ!」
「っ……や、やるべきことがわかったのならさっさと潰してきなさい。これ以上は心配をかけさせないでよね」
「おう!」
最後にそう激励して、夜美は木陰に戻っていった。
彼女は最大限の仕事をしてくれた。なら、あとは勝つだけだ。
王牙は拳を握り、ゆっくりと前に進む。その先には回復した天音が刀を手にして同じように近づいてくる。
「私を潰す……? 冗談も程々にしてよ。私の能力は無敵! 誰にも私を捉えることはできないの!」
「……そうだろうな。『意識あるやつは誰もお前を捉えることはできない』だろうよ」
「……?」
その不思議な言い回しに天音は首を傾げる。しかしすぐに気を取り直して能力を発動するため、彼を睨みつける。
そうして王牙の視界から天音の姿が再び消えた。
音も気配も何も感じない。それでも王牙は取り乱すことはない。打ちやすいように拳を構えて、ただひたすらその時を待つ。しかし目だけは忙しくなく動いていた。
「今度はその生意気な目をくり抜いてあげる!」
その宣言は彼には聞こえていない。しかしそうしようと角度をつけて刃を突き出した瞬間、突如王牙の体が天音を真正面に捉えるように動いた。
「もういい加減飽きてんだよ……その能力にはよ!」
「なっ……ばっ!?」
突きを避け、同時に踏み込む。そして今までなぶられ続けた分の怒りの拳が、彼女の顔面を殴打した。その勢いのまま拳は突き進み、彼女の後頭部を体ごと地面に叩きつける。
「ブハッ……! な、なんで……!」
口と鼻から流れる血を押さえながら、彼女はうめく。
あまりの痛みと能力を看破された驚き。物理的と精神的なダメージが深く彼女に突き刺さった。
いくら彼女が過去に拷問まがいな仕打ちを受けたとしても、その精神年齢はまだ幼い。ゆえに動揺を隠しきれておらず、その目は非捕食者が抱く恐怖で震えている。
「あなたの能力はたしかに強力よ。でも無敵じゃない。いい例になったわね」
「くっ……! この……!」
木陰から姿を現した夜美の言葉に天音は逆上し、再び姿を消す。
しかし夜美は冷静に判断すると、その後ろ足を弧を描くようにして蹴りを放った。それは背後にいた天音の顎を蹴り上げ、彼女の体を宙に浮かばせる結果となる。
「ガハッ……!」
「空硯の能力をもっと詳しく明かすのなら、あの霊器は選んだ対象が放つ情報の一切を他者に認識できないようにすることができるの。それは姿はもちろん、その対象が放つ臭いや音すらも含まれるわ。それはあなた自身の能力である路傍石にも言えること。でも、それには抜け穴がある」
「抜け道……?」
天音は本当に心当たりがなかったようで、呆然としていた。
無理もない。天音は生前は術師でもなんでもなかったのだ。戦闘で能力を使う必要がない以上、その弱点を看破されることはない。知らなくても仕方のないことであった。
「あなたの能力は意識を操る。逆に言えば意識がないものは操れない。つまり、あなたの能力は非生物に影響を及ぼすことはないってことよ」
「それと何か関係が……!」
「大アリよ。だからぬかるんだ地面を踏んだ足跡は見えるし、水たまりにも姿が映る」
「っ……!」
そこで、天音は急いで周囲を見渡した。
そこには孔雀雨によってできた大量の水溜まりがあった。そしてその水溜まりの中には、天音の姿がばっちり映ってしまっていた。
「光の反射率の高い物質があれば、他の物でも視認することは可能よ。例えば鏡とかにも映るでしょうね」
「自分で作った血溜まりの中にお前の姿が映った時は驚いたぜ。その時はその原因はわかってなかったが、まさかそんなカラクリがあるなんてな」
「し、知らなかった……」
「なんで所有者のお前まで知らねえんだよ!?」
「だ、だってうちって負けたことほとんどないし、負けたとしても範囲攻撃で無理やり倒された経験しかなかったし……」
静音もまた夜美の解説を聞いて唖然としていた。
まあそれだけ無意識を操るという能力は強力だったというわけだ。
しかしタネが割れれば怖くはない。この周辺には一面に水溜まりが出来上がっている。場所を変えない限り、路傍石が機能することはないだろう。
当然、そうなると天音が取る行動は一つのみだ。
「に、逃げなきゃ!」
「逃さねえよ!」
彼女は慌ててこの場から逃げ出そうとした。しかしその行先には王牙がステップを踏んで先回りをしていた。
もちろん逃すわけにはいかない。彼女はここで仕留める。そのためにはまずは足を奪わなければ!
そして反動をつけて左拳を振り抜き――リバーブローを炸裂させた。
「ゴポッ……!?」
天音、悶絶。
リバーブロー。言ってしまえば肝臓打ち。
なぜボディーブローの中でこの技だけが特別視されるのか。それは肝臓の周りには大量の神経が集まっているからだ。それを打撃によって麻痺させることで信号を切断し、結果呼吸困難や足の痺れを引き起こすことができる。敵の動きを止めることができる。
しかし王牙のリバーブローは一味違った。それは臓器を守る骨を砕き、周囲の神経ごと肝臓を破裂させた。
「ア……ギッ……!?」
天音の口から滝のように血が噴き出される。同時に体を支える力が保てなくなり、沈むように上半身がガクッと落ちた。
もはや動くことすらできない。その状況を見て、王牙はありったけの霊力を右足に注ぎ込む。そして片足を持ち上げると、その足首を両手で捻り、エンジン音を撒き散らした。
「お前にも色々辛いことがあったんだろうよ。それは同情してやる。だがな。その苦しみを無関係のやつにも味合わせようとしてんじゃねえよ! その苦しみを意味のないものにしたくなかったんなら、誰かに同じ思いをさせるんじゃなくて、誰かに同じ思いを味わわせないようにしろよ! この大馬鹿野郎が!」
「ひっ……!?」
「――『王牙痛恨衝』!!」
そして吹き荒れるような桃紫色の霊力を纏った蹴りが、放たれた。それは天音の胴体に直撃。そして一瞬、音を置き去りにする。
次の瞬間、周囲が消し飛ぶほどの衝撃波がほとばしった。
蹴りは拳の三倍の威力を持つという。ゆえに、王牙会心撃の三倍以上の威力を持ったその技に、彼女が耐えられるはずがなかった。
彼女の体は空中を、二、三回転した後、水溜まりの中に墜落する。そして痙攣するばかりで、立ち上がることはなかった。
そうして、戦いに幕が降りた。




