第32話 本当の友達
「いやー、遊んだ遊んだ。久しぶりのショッピング、楽しかったなー!」
「……そうね。ちょっとは楽しかったかもね」
「お? デレた? 夜美さんデレた?」
「だ、抱きつくのはやめなさい!」
百合百合しく二人はじゃれ合う。口では嫌がってはいるものの、夜美の雰囲気は柔らかくなっていた。それだけ楽しかったということだろう。二人は今日だけでずいぶん打ち解けたのだと見ればわかる。
「……お前ら、俺を忘れてるわけじゃねえよな?」
その後方で王牙は納得いかない顔を浮かべながら歩いていた。その両手と両腕には片方ずつに四つ、合計八つの大きな紙袋がぶら下げられている。その内訳はヒカリが二つで、夜美が六つだ。
なぜスーパーアイドルで稼いでいるヒカリよりも、借金まみれな夜美の荷物の方が多いのだろうか。王牙は訝しんだ。
「それにしても『久しぶり』ってのは意外だな。金はあるだろうし、そんなに好きなら誰かしらと行ってると思ったんだが」
「あー……」
何気なく尋ねたことだが、彼女は若干言いにくそうにほおをかいていた。
「その……私がアイドルになってから、周りの人たちがあまり近寄ってくれなくなっちゃってね。中学時代の友達とももう連絡取れてないの」
「そういうもんか? アイドルなんてクラスの人気者になれそうだが」
「そういうものよ。あまりに有名すぎると、人は勝手に壁を作って遠ざかっていくものなのよ。『あの人は特別、自分たちとは違う』ってね。よしんば近付いてくる人がいても、それはその人よりもその名前を利用としてくる連中が大半になるの」
夜美はまるで自分のことのようにそう語った。答え合わせにヒカリの顔を見るが、苦笑いを浮かべていることから概ね合っているのだろう。
出雲家は光天京で最高貴族と呼ばれるほどの名家だ。そんな家に生まれた彼女は、現代のどんな国の姫よりもお姫様らしい扱いを受けてきただろう。
片やスーパーアイドル。
片や由緒正しき姫君。
二人の馬が合ったのは、どこか似たような部分が二人にあったからなのかもしれない。
「だからね、最後にもう一度だけ、こうやって友達と遊んでみたかったの。王牙と夜美さんはそれを叶えてくれた。本当にありがとう」
それは他人から見ればささやかでも、彼女にとってはとても重大な願いだったのだろう。彼女は本当に満足げな笑みを浮かべていた。
しかし王牙はその笑顔に陰りがあることに気づいていた。それを見ていると、王牙は何か胸にもやもやする思いが出てきて……気がつけば彼女の手を取っていた。
「……ほら。次の遊び場に行くぞ」
「へ? えっ?」
「なぁにが『最後』だよ。初めての遊びの後にもう絶縁宣言するバカがいるか」
「で、でも、王牙たちは仕事で私に付き合ってるんでしょ?」
ヒカリは途端に虚飾の笑顔を取り消して、不安げな顔になった。王牙は彼女の言葉を聞いてわざと耳に入るように大袈裟なため息をつく。
「やっぱバカだろお前。たしかに最初は仕事で来たが、それだけだったらショッピングなんて付き合うわけねえだろうが」
「じゃあ、なんで……?」
「お前も言っただろ。俺らとお前が『友達』だからだ」
「っ……!」
ヒカリは今回一緒に遊んだことで、逆に不安になっていた。この新しい人間関係が、依頼の終了とともに崩れ去ってしまうことを。
だからその時にできる限りダメージを受けないように、自ら彼らとの仲に線を引こうとしたのだ。
だが王牙はその線を超えて、彼女を彼らのいる場所に引っ張っろうとしていた。
「わかったらさっさと行くぞ。最後なんて絶対言わせねえ。この後も一ヶ月後も来年でも、お前が拒まない限り俺はお前の友達でいてやる」
「本当に……私の友達でいてくれるの……?」
「おう。俺は嘘はつかねえ」
一瞬の迷いもなく、王牙はそう言い切った。
その瞳は爛々と輝いており、微塵も疑わせるような思いを抱かせない。本気なのだという感情が、見ているだけでヒカリに伝わってくる。
「夜美、お前もそれでいいよな?」
「……ええ。私としてもあなたは嫌いじゃないし」
「素直じゃねえなぁ」
「あなたは脳死で正直なだけじゃない」
「んだとぉ?」
「あら?」
気がつけば二人は彼女をほったらかしにして額を突き合わせ、睨みあっていた。そんな一触即発の、しかし何度も繰り返される場面を見ていると、ヒカリはなんだか人間関係について悩むのがバカらしくなり……気がつけば大笑いしていた。
「アハハハハ!!」
「な、なんだよ? 何がおかしいんだよ?」
「べ、別にっ。二人は本当に仲がいいんだなって……アハハッ!」
「このシーンに友情を感じ取れるのだったら、あなた眼科に行った方がいいわよ」
笑われたのが恥ずかしくなったのか、二人は途端に弾けるようにそっぽを向くと、ツカツカと歩き出してしまった。
「そ、その……ありがと」
溶けゆく雪のように小さな声で、そうつぶやく。
その言葉は二人には届いていなかった。しかしそれでよかったのだ。
ヒカリは晴れやかな気分になると、笑顔を浮かべて二人の後を追った。
♦︎
「……で、なんでカラオケなの?」
「友人と遊ぶ場所っつーなら、カラオケと相場が決まってる」
狭いカラオケボックスの一室に三人はいた。
カラオケは安く、長時間遊べるということで最もコスパのいい遊びだと個人的に王牙は思っている。貧困気味な下竹とケチな倉伏と付き合っているとだいたいここで遊ぶことになるので、王牙はもう遊ぶと言ったら真っ先にカラオケが浮かぶほど慣れきっていた。
逆に夜美は初めて来たようで、興味深げにあちこちを眺めている。
「そういえばお前ってなんか歌えるのか?」
「む。バカにしないでくれるかしら。私だって和歌なら歌えるわよ」
「カラオケでんなもん歌うわけねえだろうが!」
もはや『歌』の概念そのものが違っているようだった。とりあえず夜美はしばらくは見ててもらうことにしよう。一応テレビは見ているようだし、そのうち慣れて一曲ぐらいは歌える曲が見つかるかもしれない。
「ま、とりあえずだ。この機械を弄って、こういう風に押せば……ほら出た」
「あ、一番バッターは王牙なんだ」
「こういうの、最初って手出しづらいだろ?」
「だから俺がやるんだ」と言いながら、王牙はマイクを手に取り立ち上がる。選曲は数年前に流行ったバラード系のもので、五分と若干長めのを取っておいた。これなら十分曲を選択する時間は稼げるだろう。
そんなことを考えていると、スピーカーから音楽が流れてきたので、それに合わせて王牙は歌い始めた。
そして結果は……。
「85点。微妙ね」
「歌が下手なわけではないんだけど、特別上手なわけでもないんだよね……」
「やかましいわ!」
平凡な歌で悪かったな!
せめてもの慰めを求めて、王牙は次々と流れていく分析画面に目を向ける。
『気持ちが入りすぎです! 変なアレンジは加えずに、まずはしっかり歌いましょう!』
「このポンコツジャッジが! アレンジなんざ加えてなかっただろうが!」
「まあまあ。カラオケボックスのコメントなんて当てにならないし……そもそもこの機種って90以上いくのが難しい採点になってるしね」
「問題ないわ。私が手本ってものを見せてあげる」
そう啖呵を切って歌い出した夜美。選曲は……知らない歌だ。王牙が首を傾げている一方で、ヒカリはその曲を聞いて嬉しそうに反応していた。
「あ、私の歌だ! 夜美さん聴いてくれてたんだね!」
「護衛対象について調べていた時に、ついでで聴いただけよ。……まあいい歌なのは認めるけど」
「えへへ……ありがとう!」
嬉しいにはにかむヒカリにソッポを向けながら、夜美が歌い始める。その曲はヒカリのイメージとは反対の、少しダークでクールな印象のある曲調と歌詞だったが、夜美はそれを完璧にマスターしていた。あんなこと言って、おそらくはかなりの回数聴いていたのが察せられる。
そして歌い終えた後、モニターに点数が表示された。
「95点……高ぇ……」
「巫女だもの。神楽を筆頭に一通りの芸能は治めているわ」
当然と口では言うものの、彼女はかなりのドヤ顔をしていた。そこにイラッときたが、今何か言っても負け犬の遠吠えになるので何も言い返せなかった。
対してヒカリはぴょんぴょん跳ねて握手をしながら、大盛り上がりしていた。
「スゴイスゴイ! もうこれ天性の歌声だよ! 夜美さん私とユニット組んでアイドルしようよ! 絶対人気出るよ!」
彼女がそう言う気持ちもわかる。認めたくはなかったが、彼女の歌は初めてとは思えないほど上手かった。ただ声が綺麗なだけではなく、その時その時の抑揚が究極的であり、まるでどう歌えば人間の心が揺れ動くのか熟知しているかのようだった。
「残念だけどそれは無理よ。私は陰陽師だもの」
「そっかぁ……残念」
ヒカリは本気でユニットを考えていたのだろう。ガックリとうなだれた。
王牙はそんな彼女にマイクを渡す。
「ほら、次はお前だぞ。なんだかんだで聴いたことがなかったからな……楽しみにしてるぜ。ヒカリの歌ってやつをな」
「むむ……これは新規ファン獲得のチャンス! ふふん、いいでしょう! 今日は特別に、あなたのためだけに歌っちゃいまーす!」
王牙の何気ない一言が火をつけたのか、ヒカリは急にテンションを上げ始めた。これが舞台の上での姿、アイドルモードなのだろう。
音楽が流れ出す。聞き覚えのない曲だ。アイドルらしく、軽快で明るい気持ちが溢れてくる。王牙は画面に映ったその曲の名を読んだ。
「『キリエ・エレイソン』?」
「桐絵ヒカリの十八番ともされる歌よ。元ネタはキリスト教のグレゴリオ聖歌ね。『憐れみの讃歌』とも呼ばれるもので、あちらではかなり重視されているらしいわ」
「あー……ヒカリが天使っぽい服着てるのって、そういう繋がりだったのか」
テレビで見た時の彼女の服装を思い出す。たしかに彼女の容姿なら、天使と見間違われてもおかしくないだろう。そしてその二つ名は決して過大でもなんでもないということを、次の瞬間王牙は悟った。
彼女が声を出した途端、カラオケボックス内の空気が一変した。解き放たれた美声は空気を震わせ、聴いている人間の心の奥底にまで入り込んでくる。
これが本当に同じ人間が歌っているものなのか。王牙は片時も目を、耳を離すことができなくなっていた。
聴いているだけで心臓が脈打ち、血液が沸騰したかのように熱くなってくる。まるで魔法だ。
(王牙。アイドルの肩書きに囚われず、私だけを見てくれた男の子。そんな彼に私のことをもっと知ってもらいたい。もっと見てもらいたい。だから……!)
ヒカリは狭い空間にも関わらずターンするなどして踊り出す。しかしその目だけは王牙を離れることはない。
もはや二人にはお互い以外何も映らなくなっていた。壁も机もなく、ただただ白い空間にヒカリが舞い歌い、王牙がそれを眺める。その時間は天上の音楽を味わったように二人にとって心地のよいものだった。
だがその時間は永遠には続かない。とうとう最後のサビを歌い終わった彼女が最後に指を突きつけるような決めポーズを取って停止した。
同時に音楽が止み、一瞬の間静寂が訪れる。その沈黙を破ったのは、画面に表示された『100点』という数字と効果音だった。
「……マジか」
「圧巻ね……」
正直、二人はそれしか言うことができなかった。あの至上の歌をこれ以上の言葉で表す力を持っていなかったからだ。それだけヒカリの歌は言葉に尽くし難い魅力があった。
「あ、あはは。ちょーっと気合い入りすぎちゃったかな? ドン引きしてない?」
「……いや。その……今回初めてお前の歌を聴いたわけだが……正直、スッゲー感動した」
「ええ。『力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲をも和らげ、 猛き武士の心をも慰むるは歌なり』なんて言葉があるけど、まさにその通りだって今日初めて思ったわ」
「へっ?」
まさか真正面からそんな照れ臭いことを言われると思っていなかったのか、ヒカリの顔は一瞬停止してしまう。
彼女は職業柄、おだてられることに慣れていた。しかし今目の前にいる人たちの目には微塵も虚飾がない。本当にまっすぐな目で、本心のまま喋っている。
王牙は一度口を開いたら止まらなくなったのか、言葉の整理もつかないまま次々と口を開いた。
「心を揺さぶられるってああいう感じなんだな。聴いてるだけで胸が熱くなってきてさ。心がシンクロっつーか、なんつーか、ものすごい盛り上がるんだよ。声も澄み切っていて、かと思えばものすごい感情的でさ。なんつーか、なんつーか……」
「はいそこ、下手な食レポみたいなこと言うのやめなさい。せっかくまだ耳に残っている歌がゴミに聞こえてくるじゃない。あなたみたいな語彙力のないバカは一言『すごかった』で済ませればいいのよ」
「あ、あう、あうあうあ〜……」
プシュー、と空気の抜けた風船のように彼女は顔を赤ながら座り込んでしまった。だがその理由に気づけたのは夜美だけだった。当の原因である王牙は張り切ってマイクを握っている。
「よっしゃ! テンション上がってきたぜ! このまま俺も90点台に行ってやらぁ!」
なお、その後の評定では『気持ちが入りすぎです! 変なアレンジは加えずに、まずはしっかり歌いましょう!』というコメントが再び表示されるのだった。
そんなふうにして王牙たちは四時間、熱中しながら歌い続けた。




