第30話 護衛依頼
「……暇だ」
護衛依頼開始初日。暖かい昼の日差しを一身に浴びながら、王牙は呟いた。周囲に日を遮るものはなく、王牙は貯水タンクの上で横になりながら湧き上がってくるあくびを噛み締めている。
ここはヒカリの学校。その屋上であった。
なぜここにいるのかは言わずもがな、護衛のためである。この場所は本来鍵がかかっており、一般生は入ることができないので、絶好の潜伏場所だ。
ならどうやって入ったのかって? よじ登ったに決まっている。
「ったく……今回はしかたねえが、これは俺の性に合わねえ依頼だな」
王牙はそんなに気が長い方ではない。このようにいつ来るかもわからない襲撃犯を延々と待ち続けるのは非常に退屈だった。スマホも持ち込んではいるが、さすがに朝から何時間も弄っていればバッテリーも少なくなるし、単純に飽きてくる。
こういう時、暇を潰せる話相手でもいればいいのだが……。
目線をちらっと横にズラす。そこにいたのはガラス玉のような瞳を持った一羽のカラス。連絡用の式神『応務鴉』である。
夜美は現在ここにはいない。昼になったところでシャワーを浴びに行ってしまったのだ。いかんせん昨日泊まった倉庫は埃が多く、風呂もないので女子である彼女にはかなりのストレスがあったのだろう。
ここまで聞けば無責任と思えるかもしれないが、そうではない。そもそも護衛と言っても王牙たちも無限に動き続けられるわけではないのだ。だからこそ交代でそれぞれの休憩時間を作ろうと言ったのは彼女だった。つまり彼女が帰ってくればこの後王牙にも熱いお湯に浸かる時間が与えられるというわけだ。
それに彼女は何もせずにここを離れたわけではない。
貯水タンクの上から王牙は学校を見渡す。すると東西南北にうっすらとだが霊力を感じられた。それは光学迷彩のように体が景色に溶け込んでいる。たぶんあらかじめ位置を知っていなければ見つけることは困難だろう。
あれは順式の式神『人面樹』。
本来は森に生えている木のような大きさと形をした式神だ。違うのは枝が爪のように鋭いことと、幹に悪魔の顔を思わせる模様が浮かんでいること。単純な戦闘能力は三級相当。周囲の景色に溶け込むカモフラージュ能力と鋭い枝や根を槍のように伸ばす攻撃が特徴的で、これが四体もいれば襲撃を受けても十分時間を稼げるのだとか。
と、そんなことを考えていると応務鴉が突如くちばしを動かし始めた。
『そろそろ戻るわ。そっちはどう? 何か問題はあった?』
「いいや。特には。そっちこそどうなんだ? たしか虫くらいのサイズの式神をヒカリにつけてるんだろ?」
『『盗音虫』ね。こっちも特に異常はないわ』
――式神順式『盗音虫』。
こちらは蚊やハエサイズの極小な式神だ。持っている能力は名が示す通り盗聴機能。逆にこれしか持っておらず、最低限のリソースしか分けられていないため、非常に脆い。それにもかかわらず順式に分類されるのは、単純にこのサイズの式神を作るのはそこそこの技術を要するかららしい。
以上が学校時の防衛体制だ。休憩時間以外はそこに王牙と夜美の二人も揃うことになる。
そしてこの後は何事もなく、放課後を迎えるまで学校での警護は続いたのであった。
♦︎
「学校が終わったらすぐにレッスンか……」
「でも、やりがいはありますよ。私、歌うのも踊るのも大好きですから!」
そう彼女は握り拳を作って笑った。
現在の彼女は制服姿だ。しかし普段のアイドル衣装ではないことと、隣に目立つ夜美がいることで視線のほとんどがそちらに吸い寄せられており、ほとんど目立っていない。たまにナンパしてくる命知らずもいるが、その時は心臓麻痺が起きてもおかしくないほど冷徹な視線と毒舌によって泣きながら帰っていくので問題ない。
「……昨日から思ってたんだけどよ。無理に敬語はつけなくていいぞ?」
「へ? いやでも……」
「高二ってことは、俺たち同い年だろ? だったらいらねえだろ」
「ちなみに私は今年で18よ」
「……お前、歳上だったのか……」
「ということでこれからは敬語を使うべきよ」
「誰が使うかばーか」
こんな仕事以外ダメダメで毒舌持ちの女など、死んでも敬いたくはないね。
というかそもそも王牙は敬語は使わないようにしている。人によって口調や態度を変えるなど、自らを偽る行為でしかないからだ。だから王牙としては誰にでも素の状態で話したいし、話してもらいたいと思っているわけだ。こういうところも、彼が社会不適合者である理由なのだろう。
王牙と夜美のいつもの小競り合いが始まり、ヒカリはクスッと小さく笑った。
「じゃ、じゃあ、今後は私も普通に王牙と話すことにするね。……これでいいの?」
「おう。やっぱお前はそっちの方が似合ってるよ」
「ちょっと待ちなさい。なんで私だけ除け者になっているのかしら?」
「だって夜美さん、歳上ですし。それに敬語使えって……」
その言葉に夜美は一瞬固まっていた。顔にはあまり出ていないが、よっぽどショックだったように思える。
ここぞとばかりに王牙は生暖かい笑みを浮かべながら彼女の肩を叩いた。
「さすが氷の女王様だなぁ。お友達を作るのがよっぽどお上手と見える(笑)」
「黙りなさい社会不適合者。学校で変態以外に露骨に避けられているあなたに言われたくないわ」
「ちょっ、なんでそれ知ってんだ……そうか、盗音虫か! やられた! ええいこのストーカー女が!」
「誰があなたみたいなダメ男をストーカーするのよ。頭のネジをそのはねた髪ごと抜き取ってやるわよ?」
人目も気にせず、もはや取っ組み合いになりそうな勢いで喧嘩し合う。それをヒカリは仲裁しようとするが、オロオロするだけで終わってしまう。
そうやって歩きながら、三人は事務所とレッスンルームがあるビルにたどり着いたのだった。
♦︎
「はいそこ腕の振りをもっと大きく!」
「は、はい!」
「回転の速度が落ちてるよ! キープしてキープ!」
「はい!」
一面鏡となっている壁の前で、二人の女性が音楽に合わせて激しく踊っていた。
一人はもちろんヒカリ。もう一人はそのトレーナーである。
現在、王牙たちはその部屋の隅に置いてあるベンチに座っていた。ヒカリが紹介すると、驚くほどあっさり通してくれたのだ。そして今こうやって見学しているわけである。
「へぇ……初めてダンスなんて見るけど、すごいな。なんつーか、見てるだけで興奮してくるぜ」
「なかなかやるわね。神楽にも引けを取らない踊りなんて初めて見たわ」
「神楽?」
聞き覚えのない名前が出てきて王牙は首を傾げた。夜美はどこか苦々しい顔をしながら天井に目をやる。
「……前言ったアイ研の会長よ。頭と性格はともかく、歌と踊りに関しては光天京一だったわ」
「あー、アイドル研究会ね」
アイドル研究会。夜美が言うところによると陰陽師院最悪のテロリスト集団らしい。現役時代は彼女も相当手を焼いていたようで、この話題を話す時の彼女はだいたい胃に穴が空いたような顔をしていた。
そうやって雑談していると、部屋に流れていた音楽が終了する。同時にトレーナーがパァンと両手を打って大きな音を鳴らした。
「はい、十分休憩! 水はきちんと飲んでおくんだぞ」
「は……い……トレーナー……」
どうやらレッスンはしばらく休憩ということになるようだ。ヒカリは萎びた果実みたいにヨレヨレになって床に寝転がっていた。
「アイドルってのもけっこうハードなんだな」
「そりゃそうだ。大声で歌いながら激しく踊るんだぞ? 消費する体力はバカにならん。特に女子アイドルは性別や骨格の問題で体力がつきづらいってのもあるからな……。数年ちょっとのトレーニングじゃまだまだ足りないよ」
王牙の呟きに、いつのまにか近寄ってきていたトレーナーがそう答えを返してきた。
たしかに、アイドルになる女子は全員華奢な体型ばかりだ。王牙のような筋肉バカにはあまり実感が湧かないが、体力トレーニングというものは相当キツイものであるのだろう。
トレーナーはヒカリが休むことに集中してこちらを見ていないことを確認すると、ひっそりと王牙に耳打ちしてくる。
「……あんたらが例の独立術師なんだろ? ちょっと話がある。来い」
「なっ……!?」
なぜそのことを? と聞き返す前に、彼女はレッスンルームから出て行ってしまった。
王牙は夜美に目を向ける。彼女は兎の幻魔だ。耳は隠形術で隠してあるとはいえ、その声を聞き取っていたようだ。無言で頷いた。
彼女の正体はなんなのか。推測を立てながら、王牙たちは部屋を出て、トレーナーについていくことに決めた。
案内されたのは別の一室だった。ロッカーが並んでおり、どうやらレッスンルームを使う人用の荷物置き場となっているようだ。トレーナーはドアが閉まっていることを確認すると、さっそく本題に入ってくる。
「さて、気づいてはいるかもしれないが、私がヒカリに独立術師への依頼を提案した者だ」
「ってことは……」
「そいつは妖怪よ」
「御名答」
突然、彼女の体から煙が湧き出た。そしてそれが晴れた時、王牙は彼女の頭と尻に猫耳と尻尾が生えている姿を目に入れる。
「ね、猫?」
「化け猫ね。数十年生きた猫が妖怪化したものよ。実力は四級程度。ま、典型的なFラン妖怪の一種ね」
「酷い言い草だな。ま、否定はしないが。それよりもそっちの男はともかく、あんたは最初から私を見ていたな。もしかして気づいていた?」
「ええ。種族まで全部わかってたわよ。私を騙すなら最低でも一級以上になることね」
「……そりゃ頼りになる言葉だ」
どうやら夜美には初めから全てがわかっていたようだ。こう言う時の彼女は本当に心強い。欠点があるとすれば、コミュ障の気があるせいで情報をほとんど共有してくれないことだが……。
「化け猫か……夏転と似たような種族なのか?」
「いいや、猫であることは変わりないけど夏転先輩とは種族も重ねた年月も違うよ。私はせいぜい90年程度しか生きてないのに比べて、あっちは戦国時代から生きてるみたいだしな」
「戦国時代っつーと……ええと、何歳になるんだ?」
指折り数え始める王牙に、夜美が呆れたように手で顔を覆う。
「戦国時代は15世紀から17世紀よ。だからざっと考えて400から600歳くらいになるんじゃないかしら?」
「げっ!? あんなバカっぽいのに……!」
「ちなみにヤオは1000歳を軽く超えてるわよ」
ヤオこと八百比丘尼牙が生まれた年代は、日本民俗学の祖こと柳田國男によると7世紀から9世紀初期であるとされている。八百という数字はあくまで彼女が入定するまでの時間であり、精霊として現代でも生きていることを考えると、その年齢は最低でも約1200、最大で約1400となるだろう。
そこまでの数字を説明されて、王牙は時間の間隔がおかしくなりそうになった。90年というのは十分長いように感じたが、たしかに彼女らと比べたら一瞬に等しいものだろう。そこまで生きても四級という評価にも納得だ。
「ちなみにあなたは今回の手紙の件、どう考えているの?」
「……相手は間違いなく術師か妖怪だろうな。ただ、はっきり言って私じゃなんもわからなかった。唯一わかることは、私なんかよりも数十倍も強いってことだな」
「根拠は?」
「弱者の勘ってやつだ。あの映像を見た途端、身体中の毛が逆立って、本能が逃げろって叫んでいた。取り乱さずにいられたのは近くに教え子がいたからだな。だから私は震えを必死に押さえて立っていられた。だけどありゃ、どうやっても私たちのような木端妖怪が関わっちゃいけないもんだ」
トレーナーは例の犯行現場の映像で王牙には読み取れなかった何かを感じたのだろう。こうして話して思い出すだけで、彼女の腕に鳥肌が立っていることに気がつく。
「だから独立術師に依頼したわけだが……さすがはヤオ様だ。頼りになりそうなのを呼んでくれたじゃないか」
「任せておきなさい。仕事は完璧にこなしてみせるわ」
「おう。困ってるやつは助けてやらねえと」
「ああ。頼んだよ。あの子、本当にアイドルになるのが夢だったんだ。その夢を守ってやってくれ」
レッスン中のヒカリは一切の妥協をしていなかった。スポーツマンでも根を上げそうなほど激しいトレーニングなのにも関わらず、文句一つも言わずにやり遂げていた。その時瞳に宿っていた情熱の光から、彼女がどれだけ次のライブに思いを託しているのかが感じ取れた。
それを失敗させるなんて絶対だめだ。夢を諦めること。それはすなわち自分に嘘をついていることとなる。それはとても悲しいことだ。
だから、あの少女の本気の願いを叶えてやりたい。
今日のレッスンを見て、王牙は自然にそう思うようになっていた。




