第18話 宴もたけなわ
「……生きてるかしら?」
「な、なんとかな……」
「し、死ぬかと思った……!」
現実世界にて。王牙たちは鳥居前で寝転び、荒い呼吸を繰り返していた。
し、心臓に悪かった。逃げられたからよかったものの、爆風が来た時には生きた心地がしなかった。それは他の二人も同じようだ。もはや立つ気力も湧かないらしく、ひんやりした石畳の冷たさに浸り、ぐったりしている。
「と、とりあえず、これで一件落着ね……」
「そ、そうですね……。まだ巫女姫様のこととか色々ありますけど、それは後日にしましょう。今日はもう何もする気が起きない……」
それはそうだ。あれだけの激戦の後だ。王牙も今すぐ家に帰ってベッドに直行したい気分だった。
だが、王牙にはまだやるべきことがある。自力で動けないので情けなくはあるのだが、それでも約束を果たすため、二人に問いかけた。
「……なあ。無茶を承知で言ってるのはわかってるんだが……俺の体を治すことはできねえか? 俺はどうしても祭りに参加しなきゃならねえんだ」
「無理だ。いくら巫女姫様でも、そんな傷を一瞬で治すことはできない。いや、そんなことはどんな陰陽師にも不可能だ。悪いが今回は……」
「……一応、あるわよ。祭りに参加できるようにする方法」
「マジか!?」
もともと期待していなかっただけに、王牙の顔が希望一色に染まった。しかし反対に、それを口にした夜美はどこか苦々しい顔をしている。
「正直言うけど、これは本当に馬鹿げた方法よ。あなたは地獄以上の苦しみを味わうことになる。相応の覚悟が必要になるわ。それでもやる?」
「ああ。俺は俺のために絶対に嘘はつかない。約束を守れるんならなんでもしてやる」
「そう……。なら、せいぜい気絶しないことを願うわ」
夜美は手のひらをゆっくりと王牙にかざす。そして残り少ない霊力を消費すると、その術の名を唱えるのであった。
♦︎
「……遅い」
夢幻神社。その門前に立つこと三十分。
待ち人は未だ来ずという状況に、桜の隣にいた形見は痺れを切らしてそう漏らした。
「まあまあ。いくら王牙君でも、きっと空飛ぶ鴉に追いつくのは大変なんだよ。もしかして町の方にまで行っちゃったんじゃないかな?」
「だー! こっちは腹減って仕方ねえってのに、あのマヌケ! 戻ってきたらなんか奢らせてやる!」
「お、いいね。王牙って妙なところで律儀だし、断らないだろうね。この際ゆすれるだけゆすっちゃおう」
二人の外道な会話を聞いても、桜は微笑ましいというように口元を緩める。なんだかんだ言って、二人も王牙が戻ってくることを信じているのだ。それだけの信頼が彼にはある。だから桜は待つのに少しの不安も抱くことはなかった。
「……おーい! 待たせたなー!」
「っと、言ってる側から……」
声がしたのは下からだった。階段を歩きで登ってきている王牙の姿が見える。
「遅い! どこまで行ってるんですか! というか待ち人がいるのだから、ダッシュで来なさいダッシュで!」
「無茶言うなよ……さすがの俺でも山を往復はきついんだ。人がいるから能力も使えねえしさ。……どうした桜? ボーッとこっちを見て」
「へ? あ、いや、なんでもないよ!」
笑ってごまかすが、桜の目は再び王牙に向けられる。
……何か、違和感があるような。彼女はそう感じた。
それはほんの些細な違い。まるで灰色とねずみ色とを見分けようとするような、細かすぎるもの。
改めて王牙を顔から爪先まで眺めてみる。髪型が変わっているというわけでもなく、服もいつも通りの素肌白パーカーの上に黒いコートだ。だが、今日着てきたものと、今着ているものに、不思議な違和感を覚えてしまう。歩き方にしたってそうだ。桜は武人でもなんでもないので詳しくは言葉にできないが、歩幅や動きがいつもとは違うように思える。
「ほら、さっさと境内に入ろうぜ。たしかもうすぐ花火が上がるころだろ」
「遅れてきたあなたが仕切らないでください! さ、行きますよ桜」
「う、うん」
しかし桜はその疑問の全てを頭の片隅に追いやってしまった。楽しみにしていた王牙との祭りに、これ以上他のことを考えたくなかったのだ。
そうして全員は門をくぐり、賽銭箱の前までやってきた。
「えーと、賽銭賽銭っと。語呂合わせで五円でいいか」
「『いいご縁』ってやつだな。よし、俺もそうするぜ!」
「えー。僕払いたくないんだけどー」
「いや払えよ。お前どんだけがめついんだよ」
「「お前が言うな」」
雑談を交わしながら、全員が賽銭を投げ入れる。
ちなみに王牙と下竹以外の金額は、倉伏一円、桜二十円、形見千円だった。トリプルスコア以上の差をつけられて、全員唖然としてしまったのであった。
「で、金入れたらどうするんだっけ? 適当に頭下げんのか?」
「こ、こういうのは手を合わせた後に頭を下げるんだよ」
「正しくは二礼二拍手一礼ですよ。こちらは神社の作法で、お寺だと別になりますので注意するように」
「面倒くせーな。どうせどっちも似たようなもんなんだし、統一すればいいのに」
桜たちは全員揃って合掌した。そして目を瞑る。
祈るのは王牙のこと。彼は喧嘩が絶えない人だから、せめて怪我だけはしないようにと、一心に祈り続ける。……あと、少し恋愛運を高めてください。
そう手を合わせて念じること十秒。桜がようやく礼をすると、他のみんなはもう祈りを終えて賽銭箱から下がっていた。
「ずいぶん熱心でしたね。どんな願いにしたんですか?」
「ふぇっ!? そ、それは……秘密で……!」
ちらりと、視線が一瞬王牙の方に向いてしまう。しかし彼以外はその瞬間をバッチリ見ていたようで、ニマニマという生温かい笑みを浮かべて王牙と桜をからかい始めた。
「愛されてますなぁ。もうこの際くっついちまえよ。お前みたいなロクでなしの大馬鹿には二度とないチャンスだぜ?」
「なんのことだ?」
「そりゃもちろん、富士宮さんが――」
「わー! わー! そ、それは秘密だって! それよりもみんなはなにをお願いしたの!?」
顔を羞恥の色に染めながら、危うく口を滑らしそうになった二人を止める。日頃ロクな会話をしない二人のことだ。あることないこと話されて誤解されでもしたら大変である。それを防ぐために彼女は話題を強引に切り替えるようとする。
「俺は今年中に童貞卒業だな。できればよだれが出そうなほどエロいお姉さんとがいいなぁ……ぐへへ」
「金。その次に二次元美少女が僕の部屋に召喚されることだね。叶ったら死んでもいい」
「私は普通に今後のキャリアで成功することをお願いしました」
「とりあえずこの町が平穏になるように祈っといたぜ」
「平穏荒らしている側が何言ってるんですか」
呆れた目線でぺしんと形見が頭を叩く。王牙は「うぎゃぁぁぁああ!?」と叫んで、みっともなく倒れ伏した。どこかスーパーで駄々こねる子どもみたいだ。
「し、下竹……きゅ、救急車を……!」
「王牙が死んだ!? 人殺しだ!」
「遺産のパソコンは僕がもらっていいかな? あれ新型でしょ? 欲しかったんだ僕」
「お前ら切り替え早くない!?」
「はぁ。あのバカたちは放っておいて、行きますよ」
「う、うん……形見ちゃん、怪力だったんだね」
「桜!?」
だって王牙君、ものすごい迫真の顔してたし。あれが演技ならたいしたものである。
その後形見が必死に誤解を解こうとあたふたしていると、ひゅるるる、という途切れ途切れの笛のような音が聞こえてきた。そして上空から光が桜たちの顔を照らす。一泊遅れて振動を感じるほどの轟音が響いた。夜空を見上げると、そこには大輪の花が咲いていた。
「……花火」
「毎年の夏祭りで見るものとは迫力が違いますね。大きいです」
「百年に一度とあっちゃ、出し惜しみはしないってことか。屋台目当てで山を降りなくてセーフだったな」
そうポツリと言葉を漏らしていると、いつのまにか復活していた王牙が横に並んでくる。そして指を輪っかにして作った望遠鏡もどきを片目に押し当て、何やら感慨深そうに笑う。
「ハッ。これが見れただけで、大仕事した甲斐があったってもんだな」
「……王牙君?」
「なあ桜。祭り、楽しいか?」
「……うん! 王牙君と、みんなとこうやってはしゃいで、綺麗なものを見て、一生の思い出を作れて、私は幸せだよ!」
「……そうか。そう言ってくれると、こっちもありがたいってもんだ」
王牙は普段見せないような穏やかな笑みをしていた。
それを見ているとこちらも嬉しくなってしまい、自然と笑みを浮かべてしまう。
形見も、下竹も、倉伏も、この時ばかりは全員が夜空に輝く花火に魅了されていた。
この祭りの歴史に比べたら、桜たちの今日の思い出などあの花火のように短いものなのだろう。それでも、この輝きは本物だ。そしてそれさえ覚えていれば、思い出の中できっと花火は咲き続けてくれる。
――王牙君も、ずっと覚えていてくれたら嬉しいな。
そんなことを密かに思いながら、花火の終わりの時まで、彼女たちは夜空を眺め続けた。
♦
楽しかった時間はあっという間に過ぎ去っていく。
花火を見終えた王牙たちは境内を後にし、麓までの階段を降りていった。その途中途中で平らな道がいくつか設けられており、屋台はそう言った場所にずらりと設置されていた。それらを順繰りに巡り、適度に散財をしていると、いつのまにか異界に繋がっていた鳥居の前まで来ていた。後はもう駅までの道のりがあるだけだ。
全員が名残惜しさを感じながら、夜道を歩いていた。
「いやー食った食った。やっぱ祭りで食うジャンクフードは最高だな!」
「そんな涙流しながら言わないでくれよ気持ち悪い。素直にくじで大赤字こいてやけ食いしたって言えばいいのに」
「うっせえ! 店頭に激レアエロ本並べられたらやるしかねえだろうが! つーか三十回以上引いて全部五等以下って舐めてんのか! ティッシュこんなにいらねえよ!」
「いいじゃねえか。最悪唐揚げにしちまえば三時のおやつ代が浮くぞ?」
「食えるかこんなもん!」
下竹は自身のバッグを感情に任せて地面に叩きつけた。チャックが緩み、中から大量のティッシュが流れ出てくる。その光景が余計に彼の悲惨さを強調していた。
果敢にも爆死した下竹特攻隊長に敬礼。
それに比べて……。
「わーい! お菓子袋四つも当たっちゃった! これでしばらくお腹空かないよ!」
桜は両腕にぶら下げた菓子の詰め袋に大喜びしていた。本日一番の笑みである。
しかし王牙たちの、特に死んで三年くらい経って腐り果てたような下竹の目は、彼女の両腕で抱えられた巨大な箱に向けられていた。
「ゲーム機よりもそっちですか? どれだけ食い意地張ってるんですかあなたは」
「だってお腹空いたんだもん……」
「……あとでまた何か買ってあげますよ」
そう、恐ろしいことにこの少女は詐欺疑惑のある屋台のくじ引きで一等を引き当てたのだ。しかもたった五枚引きで。その成果は四等四つに一等一つ。どこぞの変態のくじ運とは比べ物にならないほどの豪運だ。日頃の行いが結果に出たに違いない。
そうやってバカ騒ぎしながら歩いていると、ようやく駅が見えてきた。
「あー楽しかった! 次があったらまた行きたいね!」
「次って、百年後か? 誰も息してないだろ」
「むー! そういうロマンのないことは言っちゃダメなんだよ! それくらい楽しかったってこと!」
「よかったですね桜。……危うくどこぞの頭が悪いくせに病気にもなる救いようのない人のせいで中止になるところでしたけど」
「頭悪いは余計だ。俺だって風邪ぐらい引くわ」
「バカのくせに風邪引くとか需要なくね? この四バカの面汚しめ」
「そーだよー。僕たちバカは風邪ひかないことが取り柄なんだから、バカ失格だよねー」
「お前らの人生失格させてやろうかコラ?」
隙あらば槍どころかミサイルで刺してくる。本当にこいつら友人か? まだ友情ごっこしかけてきている他校の不良スパイって言われたほうが説得力あるぞ。
とりあえずムカついたので二人は拳で地面に沈めておいた。それでもタケノコのようにしつこく下竹は復活してくる。
「んじゃさ! この後二次会とかどうよ!? カラオケとか行かね!?」
「……わりぃな。俺は今日はちょっと無理だ。らしくなく疲れちまってよ」
一瞬の逡巡のあと、王牙は曖昧な笑みを浮かべてそう答えた。
嘘ではない。それに、さすがにもう時間がない。
「私もです。今十時ですよ? 明日も学校があるというのに夜遊びはいけません」
「えー。そんな固いこと言うなよー」
「……私も、ちょっと行きたかったかも」
「ダメです。夜更かしは美容にも悪いんですよ。見せたい人がいるのなら、そこら辺しっかりしておきなさい」
「はーい……」
桜はよほど名残惜しいのか、しょんぼりとした顔を浮かべていた。普段わがまますら言えない家庭で育った彼女のことだし、王牙もなんとか付き合ってやりたいとは思う。……しかし、今回ばかりはどうしても無理だ。
「じゃ、俺はバイクあっちに停めてあるからもう行くわ。バカどもも明日遅刻すんなよ」
「……一番遅刻回数多いの君じゃなかったっけ?」
「あいつ自分だけはまともだと思ってるけど、ベクトル違うだけで普通に問題児だよな」
何か後ろで騒いでいる気がするが、無視だ無視。
王牙は祭り帰りの人の波に身を任せるように、一人夜の街を歩いた。何人もの人を追い越し、夜の風情も味わうことなく、ひたすら足を動かす。そうして人気のない路地裏に身を滑り込ませ、周りに人がいないことを確認。そこでようやく、今まで溜めていた何かを吐き出すように深いため息をついた。
「……もう大丈夫だ。解いていいぞ」
「……わかったわ」
路地裏の闇の奥から声が聞こえてくる。
そして次の瞬間、王牙の上着が弾け、元のズタボロな半裸に戻ると同時に、彼の体中から血が噴き出た。そのまま彼は糸が切れた人形のように、抵抗なく地面に倒れ伏す。そんな酷い状態の王牙を見下ろしながら、夜美が闇の奥から姿を現した。
「……あなた、本当にバカよ。いくら体をこっちで操作してるって言っても、全身の骨と臓器は潰れたままなのよ? それで数時間、はしゃぎ回るだなんて……!」
そう、龍魔との戦いのせいで、王牙の体は自力では歩行できないほどズタズタにされてしまっていた。そこで彼女が使用したのが、二つの陰陽術だ。
一つ目は隠形順式『傀儡駆動』。
本来は肉体の衰えた老人や骨折患者が、リハビリのために使う術。自身の体に霊力の糸をつなげて、操り人形のように体を強制的に動かすというもの。それを今回は夜美が王牙にかけることで、彼の体を操っていた。
そして二つ目が隠形始式『仮衣』。こちらは衣服の上に霊力を纏うことで、好きな衣装に変装できる。これのおかげで陰陽師たちは常に戦闘装束に身を包みながら、変装して周りに溶け込むことができるのだ。王牙が先ほどまで着ていた衣服もこれで誤魔化していたというわけだ。
その二つが解けた今、王牙の姿はまさに悲惨の一言に尽きた。力なく横たわる上半身全体は無数の青あざで腫れ上がっている。それがさらに大量の血とレーザーによる焦げで汚れており、無事な肌を探すことのほうが難しい。
そんな指一つ動かすだけで激痛が走る状態で、無理やり体を動かされ続けたのだ。さすがの王牙も精魂尽き果てたようだ。息も絶え絶えになりながら、何かを噛むように、ゆっくりと口を動かす。
「人間ってのは……っ、弱いもんでな……っ。一度妥協するとっ、そこからズルズル落ちていっちまう……っ。俺はそれがっ、怖ぇんだ……っ」
「……たしかに、そうなのかもね」
「だから俺は、たとえバカみたいでも意地を張り続けてやる……っ! 俺は、二度と、俺のために嘘はつか……ねえ……!」
それは朦朧とした意識の中で発した、王牙の心の底の本音だったのだろう。それっきり、彼は瞳を閉じて、ピクリとも動かなくなった。
夜美は呆れたようにため息をつきながら、王牙を背負う。高身長な上に細身ながらも筋肉質なその肉体は、百六十センチギリギリの身長しかない彼女にはズッシリと大きく、重たく感じた。それでも今の彼女にはこの大きな荷物を捨て置くという考えは微塵もなかった。
「お互い、不器用な生き方しかできなくて苦労しそうね。……でも、だからこそ私はあなたに絆されたのかもしれないわね」
本当にお互い不器用なものだ。
誰にも見られない路地裏の中で、夜美は呆れた笑みを浮かべる。そして夜の闇の奥――そこにある照明の光に向かって、一歩ずつ、歩みを進めていった。




