カーライル公爵が守りたいもの。その4
『実の妹に厳しくないか。ですって?私はあんな出来損ないを妹だなんて思いたくないです。私の頼みを聞いて下さらなければ、私がアナスタシア自らこの城から出て行きたくなるよう仕向けてやります。脅しではないですよ。私はやると決めたら、どんな手を使っても、やり遂げます。さあ、どちらが良いですか?』
・・・これはレオンハルト殿下がアナスタシア殿下をシュナイダー君に近付けないよう両陛下に頼んだ際の発言だ。
両陛下から相談された時は耳を疑った。
『信じられん』
謁見の間から出たアンバー公爵が呟いた。それから、振り返って、俺を見ると、『実の妹を出来損ないだと?何かの間違いだろう。いや、分かっておる。だが、信じたくないんだ』
・・・アンバー公爵はレオンハルト殿下のことも本当の孫のように思っている。
レオンハルト殿下もアンバー公爵にとても懐いていて、親にも話せない悩みを打ち明けていたのでは・・・と、俺は思っていた。
だが、そうではなかったようだ。
『貴方のお孫さんを思うあまり出た言葉だと思います。ですから、悪意はないはずです。レオンハルト殿下は人を思いやることが出来る方です。今はシュナイダー君のことがあって、アナスタシア殿下を思いやることが出来ないだけで、時間が経てば、元の兄妹に戻れるはずです』
アンバー公爵の衝撃を和らげたいと思い、俺はそう言ったのだが・・・。
俺自身、時間が解決してくれる・・・とは思えなかった。
「うーん。難しい問題だな」
スタンディッシュが唸るように言った。
「レオンハルト殿下は自分だけでなく、他人にも清廉さを求めるところがある。アナスタシア殿下はレオンハルト殿下の思う王族の在り方ではないと判断されたのではないだろうか」
「だが、まだアナスタシア殿下は4歳だぞ」
「レオンハルト殿下は兄君であるジャスティン殿下以外は五大公爵の誰かと一緒に居ることが多いから、余計にアナスタシア殿下の子供っぽさが我慢ならないんじゃないかな。シュナイダー君も年の割に落ち着いているし、騎士団団長の息子はレオンハルト殿下の前だと、どうした?って、言ってやりたいくらい堅苦しいし・・・だから、子供らしい子供に縁がないんだよ。レオンハルト殿下にとって、アナスタシア殿下は理解不能の生き物なんじゃないかな?」
「じゃあ、アナスタシア殿下を妹だと受け入れること自体、拒絶しているのかな?」
「・・・もしかしたら、あのことも原因かもしれない。ジャスティン殿下が皆の前でアナスタシア殿下を庇って、レオンハルト殿下を叱ったことがあったんだ。レオンハルト殿下はこの国の国王と王妃であるご両親に甘えてはいけないと思っている。・・・いや、元々、両陛下は甘える対象ではないのかもしれない。甘えられるのはジャスティン殿下だけだったんだ。そして、ジャスティン殿下は兄君と言うだけでなく、将来の国王として、忠誠を誓うべき相手でもある。レオンハルト殿下にとって、ジャスティン殿下は絶対的な存在なんだ。そんな兄が自分ではなく、妹の肩を持ってしまった・・・アナスタシア殿下の方を選んだと思い、余計に憎くなったのかもしれない」
『レオ!いい加減にしないか!妹に優しく出来ない人間は好きではない!』
・・・以前、ジャスティン殿下には何があっても、レオンハルト殿下の味方でいてくれと頼んでいた。
何故、約束を守って下さらなかったんだ。
何故、あんな風にレオンハルト殿下だけを責めたんだ。
あの言葉がきっかけで孤独感を強めてしまったのではないだろうか。
レオンハルト殿下は周りが思う程、強くはない。なのに・・・。
俺は舌打ちしたくなるのを堪えた。
今更、ジャスティン殿下だけを責めても仕方がない。
ジャスティン殿下にとってはどちらも大事な弟と妹だ。
女の子で、レオンハルト殿下より年下のアナスタシア殿下の肩を持つのは当然のことだったかもしれない。
「んー。じゃあ、ジャスティン殿下から離れてみるのも一つの手かもしれないな。あ、シュナイダー君がアンバー公爵家を離れたみたいに城から離れてみるとか?しかし、王子が城を離れるとなるとそれ相応の理由がいるな」
「城を離れるのはいい考えかもしれないが、一体、どこに身を寄せれば・・・」
俺はそう言って、ふと、座り込んだまましばらく経っても動こうとしないキャスに『キャス!だらしないよ!キャスはそれでも公爵令嬢なんだから、ちゃんとしなよ!』と、叱っているリバーを見た。
・・・まだリバーもレオンハルト殿下も交流の場に出られる5歳にはなっていないが、二人を会わせてみようか。
リバーは笑顔が若干おかしい時もあるが、外で駆けずり回る方が好きだったり、悪戯好きだったりとレオンハルト殿下やシュナイダー君と比べるとずっと子供らしい。
そして、ちょっとやそっとのことでは物怖じしないし、間違いは間違いだとはっきり言える子だ。
リバーなら、レオンハルト殿下と対等な関係になれるかもしれない。今、レオンハルト殿下にはそんな人間が必要なはずだ。
俺とデヴァレル殿下では、結局、築くことが出来なかった良き友と言う関係をリバーなら、レオンハルト殿下と築けるかもしれない。
早速、その考えをスタンディッシュに話してみると、
「いいんじゃない?あ、リバー君はこの領地の子供達とも遊んでるんだよね?レオンハルト殿下も一緒に遊ばせてみたらいいんじゃないかな?なかなか出来る経験じゃないだろう?世の中には色んな子供がいるのだと知る機会にも、協調性を学ばせる機会にもなるはずだ」
「ただ、この家だけでは国王陛下がなあ・・・レオンハルト殿下に取り入ろうとしていると思われると面倒だな」
「カサンドラちゃんをレオンハルト殿下の妃にしたいと目論んでいると疑われたら、もっと面倒なことになるぞ」
俺はスタンディッシュを指差して、
「それだ」
スタンディッシュは自分を指差して、
「何が?」
「レオンハルト殿下が城を離れる正当な理由だよ。婚約者選びをさせればいい。候補にカサンドラを入れればいいんだ。そうすれば、この家に何度来たって構わないだろう?この家以外にも娘だけではなく、息子がいる家を選んで、交流をしてもらえばいい。友人はいくらいたって困らない」
スタンディッシュはぽかんとして、
「おい。気は確かか?娘を溺愛している君が婚約者候補にカサンドラちゃんを入れるだって?それにあのレオンハルト殿下が婚約者を選びたいなんて思う訳がない」
「いや。レオンハルト殿下は俺が嫌がることをあえてやって、楽しむような非常に可愛らしくないところがある。俺がカサンドラを候補に入れることを大反対していると噂を流せば、必ず、話に乗って来るはずだ。レオンハルト殿下は元々、次期五大公爵であるリバーにもとても興味を持っている。こんな機会を逃すはずがない」
「しかし、国王陛下が認めるか?」
「認めてもらわねばならない。・・・このまま放って置くなんてことは、親として、許されないことだ」
「でもさ。マシューとフェリシア様のようにレオンハルト殿下とカサンドラちゃんが恋に落ちたらどうするの?」
俺は鼻で笑うと、
「それはない。レオンハルト殿下はリリアーナ様のような女性が理想だ。カサンドラは俺にとっては世界一の娘だが、幸運なことにレオンハルト殿下の理想とはまるで違う」
・・・俺は自分の計画にすっかり満足していて、
「・・・君だって、容姿や能力だけで伴侶を選んだ訳じゃないだろうに」
そのスタンディッシュの声は聞こえなかった。
その夜。
「キャス。今日のお客様の名前は覚えた?」
「はいっ!ら、ラムズフォード公爵家のサミュエル・したん、スタンディッシュ様でしっ!それで、小型犬さんみたいでした!」
それから、双子は交互にこれまで出会った人の名前と容姿の特徴をどんどん挙げていく。更に馬や犬までもだ。
一通り挙げ終えた双子は両手を『パン』と、音を立てながら合わせると、
「「やったー!」」
「・・・」
父様はとても暖かい気持ちになったぞ。また明日から頑張れそうだ。双子よ。ありがとう!
「二人とも、名前をちゃんと覚えて、偉いな」
と、俺が双子を褒めると、リバーはまた呆れたような視線を寄越して、
「お父様。貴族の人間が人の顔と名前を覚えるのは当然のことです。褒める程のことではありません。お父様は甘いですよ」
「す、すみません・・・」
俺なんか『向こうが自分を知っていれば、俺が覚える必要なんかない』なんて偉そうなことを言ってたのに・・・。昔の自分が恥ずかしいよ・・・。
俺が今更ながら、自分の言動を恥じ入っていると、
「お父様、どうしたんでしか?疲れたでしか?」
キャスが俺の傍に来た。「お父様は忙しい人でしから、心配でし」
俺は微笑むと、
「大丈夫。キャスのお陰で元気になったよ。ありがとう」
と、言って、キャスを抱きしめたが、
「ぎゃっ!」
キャスは悲鳴を上げた。父に抱きしめられただけで、何故、そんな声を上げるんだ?
多々気になるところもあったりするが、キャスは本当にいい子だ。
ほんの3ヶ月前のことだが、リバーが立入禁止にしていた湖に落ちて、高熱を出したことがあった。
キャスは頑としてリバーの部屋から出て行かず、ずっとリバーの手を握ってやっていた。
『リバー。大丈夫でしよ。お姉ちゃんがじっと傍にいるでしからね。絶対に良くなるでしからね。大丈夫でしよ』
リバーを励まし続けるキャスを見て、マリアンナは感動のあまり号泣していた。
しかし、リバーが完治すると、
『リバーはお馬鹿さんでし!お姉ちゃんが、お父様やお母様がこの家の皆さんがどれだけ心配したと思ってるでしか!一緒に行ったお友達も泣いてたんでしよ!二度と湖には行ってはダメでし!ダメなものはダメなんでしよっ!』
キャスは怒りながら、泣いていた。
これを見て、またマリアンナは号泣したが、リバーも目を赤くして、
『キャス・・・ううん。お姉様。ごめんなさい。もう二度と湖には行きません。お父様、お母様、ごめんなさい』
と、頭を下げたが、キャスも何故か頭を下げて、ごめんなさいと謝ると、
『リバーが熱を出している間、リバーの分のおやつもお姉ちゃんが一人で食べていたでし。リバーが心配だったけど、困ったことに食欲は落ちなかったんでし。・・・リバー。許してくれるでしか?』
これには皆が大笑いしてしまった。
多分、リバーがあまり気に病まないようにしてあげたいと言う思いからではないかと私は思った。掴み所がない子だから、断言は出来ないが。
そして、この一件がきっかけで、リバーのキャスに対する溺愛振りが酷く、い、いや、リバーは更にキャスが大好きになった。
キャスは人見知りで内気で『ども噛み病』持ちだ。それに普通の令嬢とはやや違う変わった行動をする時もある。サラ嬢みたいに何でも上手に出来るわけではない。五大公爵家の令嬢としては役立たずと言われても仕方ない攻撃魔法の特性がない娘だ。
それでも、キャスはどんな時でも人を思いやることが出来る子だ。人の心に寄り添うことが出来る子だ。
優しくて、暖かくて、一緒にいると不思議と心が安らぐ・・・そんな魅力を持つ自慢の娘だ。
レオンハルト殿下が屋敷に来られた際、キャスを紹介して、ランチを共にした後は、マリアンナの妹(成長して今では四姉妹の中で一番のしっかり者)にキャスを預けようかと思っていたが、キャスにもレオンハルト殿下と共に過ごしてもらおう。
キャスと一緒に居ることでレオンハルト殿下も安らぎを感じてくれるかもしれない。
本来の自分を取り戻してしてくれるかもしれない。
一国の王子として、自分にも他人にも厳しく妥協が出来ない部分をたまには休ませてあげたい。もう少し子供らしく過ごせるようにしてあげたい。
仲の良い双子と親しくなることで、自分の家族との関係を見直してくれるのではないだろうか。
俺の計画は上手く行ったかに思えた。
だが、俺は甘かったのだと思う。たくさんのことを見過ごしてしまっていたのだと思う。
そう簡単なことではなかったのだ。
レオンハルト殿下はアナスタシア殿下に対して、精神的虐待を繰り返していた。
自分の二面性をひた隠しにしていた。
レオンハルト殿下は皆を騙していたと言った。
もちろん、レオンハルト殿下がしたことは許されることではない。
だが、俺は騙されたなんて思わなかった。
幼い兄妹の苦しみに長い間気付いてやれなかったことがただただ悔しかった。ただただ情けなかった。
しかし・・・。
『私からキャスを奪うのか?!』
『絶対にキャスは離さない!離すものか!』
レオンハルト殿下のキャスに対する執着をキャスの父親として、恐ろしく感じた。
そう感じた自分を・・・何より恥じた。
常に五大公爵の一人であるカーライル公爵で有り続けなくてはならない俺が父親としての考えがまず先に出てしまった。・・・許されないことだった。
レオンハルト殿下が城を離れ、騎士団団長の父君の元へ行くと聞いた時は俺の恐れを感じ取られたのではないかと思った。
この俺がレオンハルト殿下がまた独りになることを選んでしまった原因を作ったのではないだろうか・・・。
俺は取り返しのつかない過ちを犯してしまったのではないだろうか・・・。
あの場にキャスを連れて来たことは間違いだとは思っていない。
俺や前アンバー公爵では過ちを認めさせることは出来ても、レオンハルト殿下を救うことは出来なかっただろう。
キャスでなければレオンハルト殿下を救えなかったはずだ。
だが、キャスに全てを知られたと知った時のレオンハルト殿下の絶望を思わせるような叫びは今でも耳に残っている。
俺はレオンハルト殿下に憎まれているのではないだろうか?
「めでたいことね」
フォルナン侯爵夫人がローズマリー・ヒューバートの調査報告書と特別に入手した姿絵をテーブルに置いた。
俺はフォルナン侯爵家の屋敷に来ていた。
「髪と瞳の色だけでなく、記録に残っているリリアーナ様に面影や背格好まで似ているわ。そんな娘が、レオンハルトと学園入学前から出会っていたなんて、運命的じゃないの。世のレディが喜びそうなお話ね」
「ええ。レオンハルト殿下の王太子就任前にローズマリー・ヒューバート嬢との婚約を発表出来ればと思っています」
「ふうん」
フォルナン侯爵夫人は何故か気怠げな声を出すと、「・・・で?私に何をしてもらいたいのかしら?」
鋭い目で俺を見た。
・・・ああ。姉妹揃って苦手だな。と、思いつつ、俺はやや身を乗り出すようにして、
「実は・・・」
と、俺が言いかけた時、フォルナン夫人は扇の先を俺に向けて、
「まさか、子爵令嬢を侯爵令嬢に仕立て上げて欲しいなんて言うんじゃないでしょうね?」
「まさか。ただある工作に協力していただきたいと思っております」
「工作?」
「フォルナン夫人は男爵令嬢だったクララ・ウィクシンと言う女性を覚えていますか?」
「クララ・・・ウィクシン・・・?男爵令嬢・・・」
「やや古いですが、姿絵です」
それから、フォルナン夫人は俺が出した姿絵を見つめたまま、記憶を辿り始めた。
そのまま1分が経とうとした時、フォルナン夫人はいきなり立ち上がって、
「思い出した!学園の庭の片隅で薬草を育てていた変わり者!そうそう!有名な女子生徒だったわよ!」
俺は拍手すると、
「素晴らしい記憶力ですね」
フォルナン夫人は眉を上げて、
「・・・馬鹿にしているの?」
「まさか。とんでもございません」
フォルナン夫人は優雅に腰掛けると、
「それで、このクララ・ウィクシンが何なのかしら?私とは学年が違うから、接点はなかったはずよ」
「接点があったことにして下さいませんか?クララ・ウィクシンの孫の名付け親になるくらい親しかったことに」
フォルナン夫人は目を丸くさせて、
「では、クララ・ウィクシンの孫がこのローズマリー・ヒューバートなの?」
俺はにっこり笑って、
「ご名答です」
「・・・ああ。なるほど。私はレオンハルトの名付け親ですものね」
「ええ。同じ名付け親を持つ子同士幼い頃から愛を育んでいたことにします。確かに子爵令嬢を侯爵令嬢にすることには出来ないが、実際、学園入学前から交流はあったわけですから、大した嘘ではない」
しかし、フォルナン夫人は鼻を鳴らして、
「私がこの娘の名付け親だなんてこと自体、大した嘘でしょう。・・・カーライル公爵。いい死に方をしないわよ」
俺は視線を落として、手の平を見たが、すぐにフォルナン夫人を真っ直ぐ見つめて、
「・・・ええ。覚悟はしていますよ」
死に方がどうなろうとも、地獄に堕ちようとも、レオンハルト殿下が望むようにしてやりたい。・・・どのみち、この手を血で汚してきた俺に天国など縁はない。
「それから、今、私とアンバーの息子がローズマリー嬢に何かと教えているところですが、もちろん、それでは不十分です。2年生に上がってからになりますが、私が直接妃教育を行いたいと思っています」
フォルナン夫人はゾッとしたように体を震わせて、
「まあ、気の毒に」
俺は笑いたくなるのを何とか堪えると、
「私が大体のことを教えた後、フォルナン夫人にローズマリー嬢に会っていただきたいのです」
「・・・それで、もし、私がローズマリー嬢を気に入れば、工作に荷担しろと言うことね?」
「・・・はい。そして、出来れば、ご主人と共にローズマリー嬢の後見になっていただいて、結婚の儀を迎える日までローズマリー嬢をこの屋敷で住まわせていただけたらとも思っています。私では教え切れなかった部分をフォルナン夫人には教えてあげて欲しいのです。王族としての心得は実際王族だった方しか教えられません」
「・・・」
フォルナン夫人は渋い顔をして黙り込んでいる。
俺は背筋を伸ばして、
「こんなことをお願いするのは大変心苦しく思っています。ですが、どうか協力をお願い出来ませんでしょうか。・・・レオンハルト殿下には一歩下がったところから、支えてくれるような女性が、安らぎを与えてくれる女性が相応しいと私は思っていました。そして、自分の弱さをさらけ出せることの出来る人間が必要なんです。レオンハルト殿下はローズマリー嬢と一緒にいると安らぐと言っていたそうです。私はレオンハルト殿下がそのような女性と出会ったことをとても嬉しく思っています。ですから、出来る限りのことをしてあげたいのです」
俺はそこまで話すと、立ち上がって、深々と頭を下げ、
「フォルナン侯爵夫人。いえ。コンスタンシア様。どうかお願いします。私にお力を貸して下さい」
「まあ!やめてちょうだい!カーライル公爵が頭を下げるなんて、槍が降るかもしれないわ!」
と、フォルナン夫人が叫んだ。
俺は顔を上げると、
「大袈裟ですよ」
フォルナン夫人はソファーを手で示して、
「ともかく、落ち着かないから、座ってちょうだい」
「・・・はい」
俺は大人しく座った。
フォルナン夫人は長い息を吐くと、
「分かりました。貴方がそこまで言うのなら、協力しましょう。他でもない名付け子のためですからね。・・・あの子には共に戦ってくれる仲間はいますが、精神的な支え、そして、慰めとなってくれる人間がいません。そんな人間がいたとして、レオンハルトの妃となるなら、これ以上、理想的なことはないでしょう」
俺は安堵の息を漏らすと、
「ありがとうございます!」
と、頭を下げたが、
「ただし、条件があります」
「条件?」
フォルナン夫人はゆっくり頷いてから、
「レオンハルトがローズマリー嬢を本当に愛していることが条件です」
俺はぽかんとして、
「はあ?」
思わず間抜けな声を上げてしまい、途端にフォルナン夫人に睨まれた。「も、申し訳ありません」
俺は慌てて頭を下げた。・・・くそ。これじゃあ、まるで子供に戻ったみたいではないか。勘弁してくれ。
フォルナン夫人はにっこり笑うと、
「私、何かおかしなことを言ったかしら?可愛い名付け子には愛のある結婚をしてもらいたいのよ。貴方もそう思うでしょう?」
「は、はあ・・・まあ、そうですが・・・」
王女だったフォルナン夫人の口から愛のある結婚なんて言葉が出るとは!「確かフォルナン夫人は・・・」
「私は恋愛結婚ではありませんよ。私の父はデヴァレルと同じで五大公爵嫌いで、それ以外の相手との結婚を望んでいましたからね。それに、貴方のお父様には幼い頃から決まった相手がいましたから、仕方なく、夫との結婚を決めたのよ。あ、もちろん、今は夫のことを愛してますけどね」
「はあ!?」
フォルナン夫人は少女のように頬を染めると、
「私の初恋の相手は貴方のお父様ですよ。前カーライル公爵に夢中にならない女性なんかいなかったのではないかしら?・・・双子は貴方や夫人よりも御祖父様に似ているわね。リバー・ロクサーヌに初めて会った時は驚きましたよ」
「・・・」
言われてみればそうかもしれない。
すると、フォルナン夫人は恥ずかしくなったのか、咳ばらいして、
「・・・ともかく、レオンハルトがローズマリー嬢を愛していると判断出来れば、条件を満たしたこととします。そして、その判断は貴方に任せます。言っておきますが、嘘やごまかしは私には通用しませんよ」
「・・・分かりました」
って、言ったって、あのレオンハルト殿下が女性に対する愛を語るところなんか想像出来ん!どうしたらいいんだ!?
俺が内心弱り切っていると、
「ですが、私と夫がローズマリー嬢の後見になったとしても、リリアーナ様と同じ色の瞳に髪だったとしても、全属性持ちだったとしても、子爵令嬢が王太子妃なんて、他の貴族から不満が出るんではなくて?」
「カーライル公爵が自分の娘を王太子妃にしたいがためにレオンハルト殿下とローズマリー嬢の結婚を反対していると知れば、必ず賛成に回るはずです。私にこれ以上、影響力を付けさせるくらいなら、子爵に擦り寄った方がましだと思うでしょう」
「確かに貴方の言う通りね。・・・でも、貴方が敵を作るだけでしょう。いいの?」
「元々、敵は多いのですから、少々増えてもどうってことはありません」
「まあ、私も心配はしてませんけどね」
フォルナン夫人はお茶を一口飲んでから、「・・・それにしても、貴方はレオンハルトやアナスタシアのために力を尽くしてくれるわね。・・・デヴァレルは感謝すらしないのに」
「感謝などしてもらう必要はありませんよ。父が生前良く言っていた『王族方を育てるのも正しい方向に導くのも五大公爵の役目』・・・私はそれを果たす努力をしているだけですから」
「以前、五大公爵には『役立たず』なんて言ってしまったけれど、貴方のお陰でレオンハルトとアナスタシアはごく普通の兄妹になれたのではないかしら。二人も感謝しているでしょう。もちろん、私も感謝しているわ」
「とんでもない」
・・・俺には感謝してもらう資格などない。
すると、フォルナン夫人がやや前のめりになり、
「ところで、自分の娘の将来はどう考えているの?まさか、誰にも嫁がせないなんて、本気ではないでしょう?」
「・・・」
何故、今、キャスのことを聞くんだ?
俺は訝りながらも、
「・・・アンバーの息子に嫁がせようと思っています。あくまで私の一存ですが」
「まあ」
フォルナン夫人は目を見張った。
「アナスタシア殿下には申し訳ありませんが・・・」
フォルナン夫人は肩をすくめて、
「そうなれば、さすがにあの子も諦めるでしょうね。デヴァレルも安心するでしょう。・・・まさか、そのために二人を結婚させるつもり?」
「違いますよ。・・・フェリシア、アンバー公爵夫人はシュナイダー君が笑うようになったのはカサンドラのお陰だと言ってくれています。私もそう思っています。私はシュナイダー君には負い目がありましたから・・・」
「贖罪のつもり?」
俺はゆっくり首を振ると、
「カサンドラを捧げて、罪の意識から逃れようなどとは思っていません。・・・カサンドラは自分に自信がない娘ですが、望まれ、必要とされることで、いくらでも変われるのではないかと思っています。・・・アンバー公爵家ならカサンドラの良いところを失うことなく、人間として、女性として、成長出来ると思います。シュナイダー君となら、幸せになれるはずです」
・・・と、言いながらも、既に悲しくなってきた。ああ。娘を持つ父親とは何と悲しい生き物なのだろう。
「・・・」
ところで、フォルナン夫人は何やら考え込んでいるようで何も言わない。
俺はそれを良しとして、
「本日はお時間をいただき、大変感謝しております。レオンハルト殿下とローズマリー嬢のこと、何卒、よろしくお願い致します。では、これで・・・」
と、締め括ろうとしたが、
「アンドレアス」
「な、何でしょう」
名前で呼ばれるなんて、何十年振りだ!?こ、怖っ!
「貴方、いやに慌てているように思うのだけど、私の気のせいかしら?・・・ある可能性から目を反らしているように思うのだけど、私の気のせいかしら?」
俺はローズマリー嬢が2年生になったら、妃教育を始めるつもりで、他の五大公爵と相談の上、執務の調整をしようとしていたが、リバーからある知らせが来た。
・・・ローズマリー嬢が王室付きの魔術師を目指すと決めたから、妃教育は待って欲しいと。
そして、後日、リバーと直接会った。
『でも、僕は全てを諦める必要はないと思うんだ。しばらく待ってくれないかな』
・・・その時のリバーを見て、リバーも俺と同じくある可能性から目を反らしているのではと思った。
更に数週間後、俺の元にまたリバーが訪ねて来て、
『シュナイダーはレオ様がローズマリー・ヒューバートを好きになることはないと言っていた。・・・僕もそう思うようになった』
リバーはローズマリー嬢をレオンハルト殿下の妃にすることを諦めていた。
なら、俺も諦めるしかないだろう。
フォルナン夫人は魔術師は別として、こうなることが分かっていたのではないだろうか。
だから、あんな条件を出したのではないだろうか。食えない人だな。
「カーライル。何をぼんやりしているんだ」
レオンハルト殿下の苛立ったような声で俺は我に返った。 「・・・申し訳ございません」
レオンハルト殿下は俺をじっと見つめて、
「年のせいか?」
誰のせいだと思ってるんだと俺は内心呟きつつも、
「では、日程はこれで決まりですね」
学園の長期休暇を利用して、レオンハルト殿下は諸国歴訪の旅に出ることになった。
そして、その旅には俺が同行することになっている。ラムズフォードとワイルブリッジが勝手に決めていた。
その旅の間に婚約について詳しく話をして、更にローズマリー嬢に対する気持ちを確認しようと思っていたが、もう必要がなくなった。
「何故、カーライルなんだ?兄上が良かったのに」
と、レオンハルト殿下は不満げに言った。
俺だって、不満だ!自分だけだと思わないでもらいたい!俺だって、行きたくないんだ!長期休暇だぞ!?俺の可愛い双子が我が家に帰っていると言うのに、何故、可愛くない殿下と旅をしなきゃいけないんだ!?おまけに一ヶ月もだぞ!?嫌だー!!行きたくないー!!!
そう叫びたくなるのを俺は堪えると、
「レオンハルト殿下は我が国の代表として、各国を訪問するわけですから、兄弟仲良く観光気分では困ります」
と、嫌みたらしく言ってやった。
レオンハルト殿下はムッとした顔になると、
「私と兄上はそんなことにはならない」
「そうですか。・・・どちらにしろ、ダンズレイ公爵にはまだ早いと思います」
「・・・?」
レオンハルト殿下は首を傾げて、「カーライル。機嫌が悪いな。年のせいか?」
「私はまだ38です」
すると、
「38は、十分、年じゃないか」
レオンハルト殿下はそう言って、鼻で笑った。
「!?」
な、何だと!?
俺は頭に来たせいか、
「レオンハルト殿下ではなく、カサンドラと一緒だったら、どんなに楽しかったことか」
と、思わず言っていた。
あ!しまった!
レオンハルト殿下の前でキャスの名前は出さないでいようと決めていたのに。
俺が内心慌てていると、
「キャスと旅行か・・・」
と、レオンハルト殿下が呟いた。
・・・何故、頬を染めているんですか?
・・・何故、目を輝かせているんですか?
・・・何故、口元が緩んでいるんですか?
何てことは俺は絶対に聞かない!!誰が聞くか!!!
・・・俺は今もある可能性から目を反らし続けている。
その後、俺は城内の訓練場に向かった。
「カーライル公爵」
ある魔術師が声を掛けて来た。愛想のいい笑顔を浮かべている。「訓練ですか?」
俺は一切笑みを浮かべず、
「ああ」
と、だけ答えた。
「でしたら、見学したいのですが、宜しいでしょうか?」
「いや」
俺は歩みを止めることなく、「飼い主に報告されるとまずいからな」
背後からハッと息を呑む音がした。
・・・国王陛下の犬が。俺が気付かないとでも思っているのか。
「いや、何も悪いと言っているわけではない。君は王室付きの魔術師として、職務を全うしているだけなのだから」
そう。私は五大公爵の味方です。そんな顔をして、こそこそ嗅ぎ回ることも職務のうちだ。
「・・・私も他の五大公爵も君にはとても期待しているよ」
俺はそう言うと、声高らかに笑いながら、その場を後にした。
ただ、この魔術師の精神が持つかについては、俺の知ったことではない。
40頭の黄金の竜が俺を取り囲んでいた。
俺が獲物を与えるのを今か今かと待ち構えている。
全て俺が作り出した竜だから、本来なら俺を殺す訳がない。
しかし、ある呪文を唱えれば、40頭の竜は俺を獲物だと認識する。
俺は迷いなく、ある呪文を唱えた。
途端に80の目が俺を捉らえ、俺を喰らおうと襲い掛って来た。
俺は身動き一つせず、静かに呪文を唱えた。
5頭の漆黒の竜が現れ、一瞬にして、全ての黄金の竜が跡形もなく消え去った。
俺は長く息を吐きながら、肩の力を抜き、そして、巨大な竜を見上げた。
・・・自分が作り出した竜だが、おっかないなと思う。黒い竜は非常に不気味だ。色を変えるか?
それから、黄金の竜は非常に眩しい。40頭なんて、目を長く開けてられないじゃないか。盲点だった。
まあ、色はもうどうでもいいとして、俺はやはり天才だな。世界最強に違いない。
国王陛下が何を企もうが知ったことではない。
他の貴族家の人間がいくら不満を持とうが知ったことではない。
俺は俺が守るべきものの為に生きて、そして、戦う。それだけだ。
俺は誰にも負けない。
自分の死が恐ろしい訳ではない。大事なものを守れなくなることが、何よりも恐ろしい。
だから、負けるわけにはいかない。何があろうとも。
しかし、何故だか胸騒ぎがする。
キャスとリバーの屈託のない笑顔を思い出してみても、胸騒ぎは治まらなかった。
これにて、カーライル公爵が主役の番外編は完結となります。
本編そっちのけで更新を続けさせていただきました。申し訳ございません。
本編しか興味のない方が多数だと承知してはおりますが、内容的にこのタイミングで全話を更新するしかないと思いました。
カーライル公爵はろくでなしで悪魔のような男ですが、妻と双子に対する愛情とレオ様に対する思いやりだけは疑わないでいただけたなら幸いです。
お付き合い下さり、ありがとうございます。