番外編 涙の理由
もう涙など出ない程泣いたと思っていたのに、願い虚しく溢れてくる液体を無為に流しながら膝を抱える。
イヴの前で涙するという失態を犯さなかった自分を褒めてやりたい。
しかも落ち込んでいる異世界から来た女の元へ行ってやるようにと背中まで押してやったのだから我ながら笑える。
諦めたくは無かったけれど、諦めるしかなかった。
村の女には手を出さないと決めているイヴに積極的に迫っても無駄で、結局はその決意を覆させるだけの魅力が自分になかったのだと無力感に押し潰される。
初めて会った時、イヴは銀色の髪に紫の瞳をした綺麗な男の子だった。
まるで作り物めいた顔が初めて見る人族の女の子供であるローラを見て驚き、次に困ったように俯いたのを覚えている。
竜族は雄しか生まれない。
里では同じ年頃と言えば雄ばかりで、女は伴侶のいる大人の女ばかりだったから恥ずかしかったのだろう。
母であるクララはイヴを「可愛いわね」と絶賛し、イヴの母であるタバサに将来はうちのローラとくっつけましょうよと声を弾ませていた。
その頃にはもうませていた子供だったので、将来はイヴのお嫁さんになるのだと漠然と思っていたのだから今思えば恥ずかしい勘違い女だ。
タバサがその時にどんな顔をしていたのかをちゃんと見ていれば、イヴとの間に沢山の障害がある事に気づけただろう。
でもローラは新しくやって来た可愛い男の子を連れ回してみんなに見せびらかしたかった。
だから手を繋いで強引に村を歩き回り、羨望の眼差しを向けてくる村の女の子達に心の中でほくそ笑んだ。
遊びの誘いに森の小屋へと行くと居留守を使われたり、家の仕事が忙しいからと断られたが諦めずに毎日通い続けた。
迷惑そうな顔も、美しい顔を歪めて拒絶する姿もローラには新鮮で面白かったからだ。
村長の娘であるローラには女の子も男の子もそんな顔を向けることは無く、いつも笑顔で当たり障りないことを言ったり、機嫌を取ることばかりしていた。
面と向かって「それはおかしい」「いやだ」と言ってくれるイヴがローラの中で特別な存在になるのも仕方が無いことだったと思う。
将来はイヴのお嫁さんになるの。
そんな夢を戯れに父であるバダムに言った時、初めて見るような恐ろしい表情で「それだけは許さん!」と怒鳴られた。
その勢いのまま家を出て行ったのでびっくりしたまま固まっていると、母がそこでやっとイヴの種族について教えてくれたのだ。
そしてバダムはきっとこれからイヴと遊ぶことを禁じるだろうとも。
悲しくてあの時も泣いた。
母の手作りの人形を抱き締めながら布団に包まってしくしく泣いたのだ。
いつもみたいに声を上げてわんわん泣かなかったのは、泣き叫んだ所で父が折れることも今回ばかりは無いのだとどこかで解っていたのだろう。
実際次の日いつものように遊びに行こうとしたら「イヴと遊ぶことは許さん」と厳しい顔で言い渡され、それでも森の小屋まで走って行ったらタバサに「ごめんね、ローラちゃん」とやんわりと追い帰されたので、昨日あの後バダムはわざわざタバサの所まで行き話をしたのだと気づいた。
そこまでするほどイヴのお嫁さんになるという願いは父の中で受け入れがたい物だったのだとまた泣いて、誰も聞いてないのを良いことに今度ばかりはわんわん声を上げた。
それ以降あんなに泣いたことは無かったから。
イヴへの叶わぬ想いを思って泣くことはあっても、直ぐに涙は枯れていたのに。
「……女々しくていやになる」
両手で顔を覆って嗚咽を堪えていると、草を掻き分けて近づいて来る足音と「やっぱりここにいた」というどこか力の抜ける声がかけられた。
虫の鳴く音と熱気の籠った風の吹くローラのいる場所は、家の裏手にある備蓄用倉庫の影だ。
村長の家には不意の災害や天災で食料難が起こった際に対応できるように、村人が二週間食い繋げるだけの備蓄がしてある。
その倉庫には普段は誰も必要が無いので近づかず、ローラはそれを利用して辛いとき悲しい時はそこで物思いに耽ったり、人知れず泣いたりしていた。
そして何故かここに居る時に必ずと言っていいほど現れる男。
「グリッド……」
忌々しい思いを込めて名前を呼ぶと、その柔和な顔に締りの無い笑顔を浮かべて右隣りへと腰を下ろす。
「本当にローラは変わらないね」
「余計な御世話だわ」
膝の上に両腕を乗せて更にその上に額を乗せる。
泣いている所を誰にも見られないようにとここを選んでいるのに、グリッドは弱っているローラを見つけるのが上手い。
涙を堪えてこの場所に駆けこんだら先にグリッドが待ち伏せていたということもあったのだから驚きよりも気味が悪く、いつでもどこでもこの男はローラを見ているのだと思うと恐ろしかった。
「おれに見られたくなかったら部屋で泣けばいいのに」
「……それはなんだか負けたような気がするの」
「勝ち負けの問題?まあ、ローラらしいけど」
辺りはすっかり暗くなっている。人気の無い暗い場所で男と二人きりで居るのだと意識はしても、グリッドに対して危機感を抱くことは難しい。
構えた所も男臭さも無いグリッドは村の女子から好感度は高かったが、交際相手や結婚相手としての需要は低かった。
優しさは頼りなさに、笑顔は軟弱さとして取られてしまう。
村で唯一の薬草師の息子として仕事をしているグリッドには力強さは無くても知識と技術はあるし、村人全てが世話になる薬草師はそれなりに発言権もあるのだから人気の低さはとても妥当とは思えない。
「あんたは損してるのよ」
「なにが?」
自覚の無いグリッドは困ったように笑う。
顔を上げなくてもどんな顔をしているか解るぐらいに、その声は覇気がない。
「良いわよ……もう。どうでも」
正当に評価されていないことをローラが憤っても仕方が無い。
本人が気にしていないのならば、わざわざ忠告してやるべきことでもないのだから。
ため息を落として涙を拭うとローラはゆっくりと立ち上がる。
その手首をやんわりとグリッドが掴む。
少し汗ばんでいて、意外と男っぽい掌。
視線をちらりと向けると眉を下げて気弱な顔で微笑んだ。
「おれは待ってるから、ずっと」
「待つ必要は無いわ」
「あるさ。これから村には沢山の恋人が生まれて、やがては婚姻する人たちが多くなるよ。ようやく夢から覚めて、現実を歩き出す。だからね」
おれは待つんだ。
ずっと。
ローラが長い間イヴに片思いしていたことを村の若者は知っている。
傷心の隙をついて言い寄ってくる男や、逆に腫れ物に触るように扱われるかもしれない。
どっちにしても気分の良い物ではなかった。
いずれは誰かと婚姻を結んで子供を産まなくてはいけないが、今はまだそんな気分になれないのに。
そんなことを言っていれば行き遅れてしまう。
いっそ父へのあてつけに独身を貫いてやろうかとも思うが、一生をたった独りで生きて行く孤独を思えばそれも寂しい。
「どうかしてるんじゃないの?」
「そうかも」
強く引くとグリッドの手は簡単に離れた。
それがなんだか歯がゆくて。
「おやすみ、ローラ」
「おやすみなさい。グリッド」
ここで泣いていれば彼が来てくれると知っているから、この場所で涙を流すのだと解っている自分もどうかしているのだろう。
簡単に次の恋ができるようなら苦労はしない。
目が覚めて次に見る夢はどうか幸せな結末になりますようにと願っても、きっと罰は当たらないはずだ。
それでもしばらくはまだ。
彼を想って泣かせて欲しい。
これにてセロ村舞台の物語を完結とさせていただきます。
また幸せになれなかった竜族の方たちがおり、構想はありますが需要と機会があればまたその時に別の物語として書かせていただきたいと思います。
どちらかというと勢い重視の思いつき作品でした。
その点あちこち綻びがあり、読んでくださった方に不可解な点が沢山あったかと思います。
そんな未熟な私の作品を読んでくださりありがとうございました。
また別の新しい世界でお会いできる時がございましたら、その時また。




