番42:警備最終日
そして警備4日目、このお仕事も最終日です。
これまでトラブルらしいトラブルもなく、こんな簡単なお仕事が昇格試験でいいのか?と思うような内容でした。
唯一、トラブルらしいことと言えば、お客様の一人が持ち込んだ差し入れという名のお菓子に惚れ薬(と言っても効果はごく弱い物)が混ざっているのがわかり、そのお客様は以降、出入り禁止になったくらいでしょうか。そのお菓子はお店の決まり通りに受け取ってすぐには食べずに鑑定に回され、お客様が帰った後に発覚したのでこの時点では揉め事にはなっていません。
そのお客様を対応したお姉さんによると、お客様は少し前から通っていた中堅の商人ということでしたが、どうやらお金が続かなくなりそうだということで一服を盛ってお姉さんの身請けを狙ったのではないか、ということでした。時々、遊びのはずが嵌まりこんで無理なお金の使い方をしてトラブルを起こす、というお客様が出るのだそうです。なんというか……日本でもそう言う話を聞くこともありましたが、男性というのはどこの世界でも変わらないのかもしれません。
さて、今日は店内の巡回からです。巡回の時間まではまだあるのでゆっくりと……とその前にお花を摘みに行ってきます。
お花を摘み終えて警備室に戻る途中、入口の方が騒がしくなりました。どうやら団体のお客様のようです。珍しいですね。
ちなみに高級店を貴族や大きな商店の方が利用するのは、値段の面もありますが、値段相応に教育されたお姉さん達と、病気や妊娠といった、こういったお店特有の問題もあります。
高級店では病気に対する備えや予防といったことも考えられていますし、妊娠に対しても薬が使われて予防がされています。貴族や資産の大きな商人や身分のある人となると後継の問題が出てきます。いくら庶子とはいえ、子供が出来れば相続問題に発展することもあるのです。勿論、妊娠なんてすればお姉さんが働けなくなるということもありますが、お店としては妊娠しない、させないというスタンスを取っていることが大事なのです。つまりは妊娠しないという安心、仮に妊娠したとしても、お店が妊娠させないようにしているのですからお客様の子供では無いと保証するのです。お店は上質な女性と安心して遊べる環境を提供することで、高級店として成立しているということです。
という内容を働いているお姉さんから聞きました。
とりあえず、お客様が移動するまで目立たないように隠れておきます。お客様の数は5,6人のようで、入口でなにやら騒いでいます。漏れ聞こえる内容は、「お祝い」とか「一番の女性」と言った言葉が聞こえてきました。
ふむ、どうやら誰かをお祝いするためにこのお店に来て、このお店で一番のお姉さんを宛がってもらいたい、と要望しているようです。ちらっと見えた服装から、お客様の職業は騎士のようです。珍しいですね。とは言え、騎士の中には貴族出身者も多くいますし、上級騎士や近衛ともなるとお給料はかなり貰っているはずです。そういう人なら高級店に来るのもおかしくはありません。
しかし、お祝いとは言え高級店の、しかも一番のお姉さんを指名とは凄いですね。おそらく他の皆さんで出しあったのでしょうが、決して安い金額ではありません。それなのに……お祝いをされる人は慕われているのですね。
っと、どうやら話が付いたようです。一人を残して他の人はお店を出て行きました。その一人は案内されて待合室へと通されるようです。こちらへ向かって歩いて来ます。
お客様が通り過ぎるまで目立たないように隠れて待ちます。息をひそめていると、足音が近付いてくるのが聞こえます。隠れる、とは言っても廊下の角に潜んでいるだけですので、見ようと思えばお客様を見ることは可能です。
すぐ傍を案内の女の子が通り過ぎ、次いでお客様が通り過ぎようとしました。わたしは好奇心から、どんな人なのかをちらり、と見ました。そして、お客様の姿に息を飲みました。
「え……? 王子……?」
お客様の姿は、どう見ても王子でした。まさか、と思い瞬きしてみましたが、やはりそこにいたのは婚約者の姿です。
思わず呟いてしまった声が聞こえたのか、はたまたただの偶然なのかはわかりませんが、王子の顔がこちらを向きました。そして……その目が驚きに開かれ、口は小さく「どうして」と動きました。
お互い、まさか、の状況です。まさかこんな場所で会うとは、お互いに考えてもいませんでした。
とは言え、今の立場は王子はお客様で、わたしは依頼とはいえ、お店の従業員です。
「いらっしゃいませ、ごゆっくりどうぞ」
本来は裏方なのでお客様の前に出ることはありませんが、こうして出てしまった以上は挨拶はしておくべきだと思います。
頭を下げてそのまま王子の横を通り抜け、警備室へと足を向けます。
「ま、待ってくれ、サクラ!」
チッ、もうしばらく固まったままでいてくれれば良かったのに……。とはいえ、相手はお客様なので無視するわけにもいきません。仕方なく立ち止まり、王子の方へと向き直ります。
「こ、これはだな……」
言い訳ですか?いいんですよ、言い訳なんてしなくても。男性がこういったお店に通うのは仕方のないことだと分かっていますから。
「あの、お客様?」
案内役の子が訝しげに王子に問いかけました。
「そちらの方は警護の担当でお客様のお相手は受け付けておりませんので……」
どうやら、王子はわたしを指名しようと声をかけたと思われたようです。
「あ、いや、そう言うつもりでは無く、彼女とは知り合いで……すまないが、少しだけ話させて貰えないか?」
案内役の子は困ったようにわたしの方へと視線で問いかけてきました。本来は断るべきなのでしょうが、相手はお客様ですしわたしのことを知り合いだと言っているので困っているようです。どうやらわたしに判断を任せるつもりのようです。
「……少しだけなら大丈夫です。お話が終われば待合室の方へ案内しますので、貴女は戻ってもらって大丈夫ですよ」
これも一種のトラブルですからね。対応はさせてもらいますよ。
女の子がこちらを気にしつつも廊下の向こうへと消えたのを確認し、改めて王子へと顔を向けます。
「大体の事情は把握していますよ。騎士の方がお祝いだと言って王子を連れてきたのでしょう?」
そう言うと、王子はほっとしたような顔になります。
「そ、そうなんだ。私は断ったのだが、どうしてもと引っ張ってこられてだな。祝いと言われては無碍にも出来ずに……」
「そんなに必死にならなくてもいいですよ? 男性の生理についても知識はあります。男性がこういったお店に通うのも仕方のないことだと分かっていますから」
「いや、だから私は……」
「お祝いなんですよね? まさか、ここで帰るなんて言いませんよね? そんな事をすれば、せっかくお金を出してくださった皆様に悪いですものね?」
「う、いや、だからそれは……」
「せっかくなのですから、楽しんできてください」
「さ、サクラ……」
「話はそれだけですか? なら待合室へ案内しますので、ついてきて下さい」
そう言って歩き出そうとしたところで、王子から待ったの声がかかりました。
「い、いや、まだだ。サクラはどうしてここに? ここで何をしているんだ?」
まだ若干慌てている感じはしますが、先ほどよりも声が厳しい感じがします。
「わたしはギルドからの依頼で、このお店の警備を頼まれたんです。今日が4日目で、今日の警備が終われば依頼は終わりですね」
「警備?」
「ええ。4日間だけですが、警備の人手が足りないということで、ギルドからの指名依頼です。もういいですか? わたしも仕事がありますから、戻りたいのですが」
「う、わ、わかった」
なんだか苛々してきたので会話を切り上げ、王子を待合室まで案内しました。王子はまだ何か言いたそうな感じでしたが、これ以上顔を見ていると苛々が酷くなりそうでしたので無視して警備室へと戻りました。
「おう、遅かったな……ってどうしたんだ?」
部屋に入るなり、ゴードンさんが声をかけてきました。
「どこか変ですか?」
「ああ、眉間のとこ、皺が寄ってるぜ?」
ゴードンさんは自分の眉間をトントンと指で叩き、肩をすくめます。
「何かあったのか?」
「いえ、特には……。少し知り合いに会って話をしただけです」
「ほう、昨日に引き続き、今日もか。お嬢ちゃんの知り合いは元気な奴が多いんだな」
そう言えば、昨日も同じような会話をしましたね。
……うん、4日のお仕事期間のうちで2回もこんな場所で会うなんて、確かに凄い確率です。
「で、昨日はそんな皺なんて作っていなかったのに、今日は違うってことは、今日会った知り合いってのはお嬢ちゃんにとっては特別な奴なのか?」
むぅ、口調は軽いくせに、意外と細かいところに気がつきますね。
「そんなことありませんよ。ちょっと意外だっただけです」
そう、何でもありません。王子が娼館に通っていたところで、何とも思いません。そのお相手が魔乳のお姉さんだからって、何とも思わないはずです。
「……また眉間に皺が寄ってるぜ?」
何とも思わないはずなのに、苛々が止まりません。心がもやもやとします。
「まあいいけどよ。仕事さえきっちりとしてくれれば、文句は言わねぇよ。というか、巡回の時間だぜ?」
「え?」
言われて部屋を見れば、すでにマッスルさんの姿はありません。どうやら気付かなかっただけで、巡回へと向かったようです。
「頼むぜ? お嬢ちゃんにとっちゃ最終日なんだから、ミスなんてしてくれるなよ?」
言われなくても、分かっています。
パンパンッ
自分で頬をはたいて、気持ちを切り替えます。今はお仕事の時間です。ひとまず苛々は置いておきましょう。
「巡回に行ってきます」
ひらひらと手を振るゴードンさんを残し、警備室を後にしました。
結局、日が昇り始める時間になっても苛々は消えませんでした。ゴードンさんはなにやら分かった風な顔でにやにやとしていますし、マッスルさんは相変わらずです。ちなみにゴードンさんは、にやにや顔がむかついたので一発殴っときました。とは言っても、強化も何もなしで殴ったので全然ダメージはなさそうでしたが。
巡回以外の時間で色々考えてみましたが、どうやらこの苛々は嫉妬ではないか、という結論へと到達しました。そういった感情は初めてでしたので、把握するまで随分と掛かってしまいました。
で、苛々に名前がついたとして、それが消えるわけではありません。ということで、次は嫉妬の原因を考えてみます。
まず真っ先に思いつくのが王子とお店で会ったことです。ですがこれは、王子が特定の女性の相手をせずに、こういったお店で欲を発散していることは知っていました。前世の事と合わせて考えれば、特定の相手のいない男性がこういったお店に通うことは仕方ないというか、ある意味当然だというのは分かっていますので、そこで引っ掛かることはありません。それに今回はお祝いとして連れてこられたのですし……。
次に考えられるのは、王子の今日のお相手が魔乳のお姉さんだと言うことです。少なくとも、これまで王子が娼館へ通っていたと聞いても、どこか遠い話のように感じていたのは事実です。それが知っているお姉さんがお相手になったことで、実感が出てきたのかもしれません。
うーん、でも両方とも何か違うような……?でも間違ってもいない気も……。
あー、考えれば考えるだけもやもやします……!
「ん? どこへ行くんだ?」
「ちょっと気分転換に外を回ってきます」
「あー、まあ、いいんじゃないか?」
巡回の時間では無いですが、警備室には二人が残っているので問題は無いでしょう。朝の空気を吸ってくれば、少しは気が収まるかもしれませんしね。
そう思い、明るくなってきた外へと向かいます。
宵の喧噪はどこへやら、早朝の繁華街はひっそりとしていて、時折少数の騒いでいる人の声が聞こえる程度です。すでに灯りが無くても十分な明るさはありますが、お店の周囲にはまだ灯りがともっています。それがなんだか夜の賑やかさの名残のようで、寂しさが漂うのが不思議な感じがします。
夏とはいえ、この時間だと空気は涼しくて、苛々も若干ですが収まってきました。
「ん~……」
澄んだ、とまでは行きませんが、朝の空気を思いっきり吸い込み、気持ちを切り替えます。残る巡回は後1回、それが終わればこのお仕事も終了です。
「よしっ」
気合を入れ直し、残りの巡回を終わらせてお店の入口へと戻りましょう。
そう思って最後の角を曲がったところで、誰かにぶつかりそうになりました。
「きゃっ、ごめんなさい。まさか人がいるとは思わなくて……」
まさかこの時間に、こんな場所に他の人がいるとは思いませんでした。とは言え、不注意だったのは事実ですので慌てて謝罪します。
「いや、こちらこそすまない……ってサクラ?」
「え?」
いきなり名前を呼ばれたので、驚いて顔を上げました。
「え? あれ? 王子?」
そこにいたのは、今は一番会いたくない人でした。幾分ましになったとはいえ、まだもやもやも苛々も収まりきってはいません。なにより、まだ自分の中で消化できていないのです。
ですので、つい顔を背けてしまったのも仕方のないことだと思います。
「サクラ、私は……」
また言い訳ですか?別に怒っていませんよ?むしろ堂々としていてくれれば何でもない事だと割り切れるのに……。
王子の声と態度に、ましになっていた苛々がまた湧きあがってきます。さっさとお店に戻ろうと思ったところで、ふと一つの言葉を思い出しました。うん、この場に相応しい言葉です。と言うことで……。
「おはようございます。ゆうべはおたのしみでしたね」
某国民的ゲームの有名なセリフです。これほどこの場で相応しい言葉は無いでしょう。
その言葉を受けて、言葉も出ない様子の王子の姿に、湧きあがっていた苛々も収まった気がします。
そして固まっている王子の横を抜け、お店に戻りました。