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3-7 陽だまりの電気街【ザラメ砂糖三代記】  作者: maki_senokouji


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第4話 潜入捜査の成果

 マンションの部屋に帰り着き、重厚なドアが閉まった瞬間、サーバーの排熱の温かさと、無機質な電子音に二人は包まれました。

 邦明はコートを壁にかけ、まだ何か言葉を探しているような複雑な表情で、まさ子に向き直りました。そんな彼に向かって、まさ子はいつも通りの、ゆるふわな笑顔を浮かべ、エプロンを手に取りながら言いました。

 「叔父さま、そんなに難しいお顔をなさらなくても大丈夫ですよ。まさ子、あのお店でのアルバイトは、もう致しませんから」

 「……あ、ああ。そうなのか」

 あまりにもあっさりと告げられた撤退の宣言に、邦明は拍子抜けしたような声を上げました。まさ子はエプロンの紐を背中で器用に結びながら、少しだけ小首をかしげて微笑みました。

 「はい。あんなに短いスカートを穿いて、たくさんのお客様の前に立つのは、やっぱりまさ子には難しそうですし。それにね、叔父さま……詩織ちゃんのところと違って、まさ子のお家にはメイドさんはいませんから、そういうお屋敷の作法や、お給仕のお勉強をすれば、いつもお仕事で疲れている叔父さまに喜んでいただけるかなって、ちょっとだけ思ったりもしていたのですけど。でも、あの格好ではお勉強にもなりませんし」

 まさ子はパタパタとキッチンへ歩き、お茶を淹れる準備を始めました。その小さな背中を見つめながら、邦明は胸が締め付けられるような愛おしさを感じていました。彼女の行動には、いつだって自分を喜ばせたいという、一途な気持ちが隠されているのです。

 「それに、最初はね、詩織ちゃんがメイドさんのアルバイトをするって言い出したのです。でも、詩織ちゃんが 『まさ子には当然、あんな格好は無理だよね』なんていう前提でお話をするものですから……まさ子、少しだけ悔しくなってしまったのです。やっぱり、まさ子には無理でしたけれど」

 お湯の沸く静かな音が響く中、まさ子はカップをトレイに並べ、のほほんと振り返りました。その瞳には、親友に対するささやかな対抗心と、それ以上に、叔父さまを独占できたことへの満足感が、きらきらと輝いていました。


 しかし、まさ子の「潜入捜査」の本番は、ここからでした。お茶の入ったカップを邦明の前のテーブルに置くと、まさ子はソファのすぐ隣にトントンと座り込み、その距離をいつもよりぐっと詰めてきました。

 「でも、叔父さま」

 まさ子の声のトーンが、ほんの少しだけ低くなりました。地のままで「ふわゆる」な笑顔を浮かべてはいるものの、その瞳の奥にある圧力は、一族の血を引く者にふさわしい、逃げ場のない鋭さを孕んでいるように見えます。

 「叔父さまは、あのお店の女将様と、ずいぶん親しいようでしたが……そんなに昔から、あのようなお店に通ってらっしゃるのですか? まさ子はてっきり、叔父さまはメイド趣味みたいなものは全然ないというか、どちらかといえばお嫌いなのだと思っていましたのに」

 「いや、あれは違うんだ、まさ子」

 邦明は、背中に冷たい汗が流れるのを感じました。普段の世界トップクラスのサイバー攻撃を前にしても動じない彼の脳細胞が、姪の素朴な尋問を前にして、完全に防戦一方に追い込まれていました。

 「俺自身は、本当にそういう趣味は一切ないんだ。ただ、あそこの女将はこの街のアンダーグラウンドな情報網のハブになっていてね。仕事上の付き合いというか、情報収集のルートとして、どうしても数ヶ月に一回は顔を出して義理を通さなければならない人脈の店なんだよ。天地神明に誓って、萌えとかメイドとか、そういう目的で行っているわけじゃないんだ」

 必死に論理的な言い訳を並べ立てる邦明。しかし、まさ子は彼の言葉の矛盾を突くようなことはせず、ただじっと、その「ふわゆる」な圧力を伴った瞳で、叔父さまの顔を見つめ続けました。

 「ふうん……。お仕事の、お付き合い、ですか」

 「本当だ」

 「では、叔父さまは、まさ子のあの格好を見ても、なんとも思わなかったのですか? 趣味ではないのですから、ただのお仕事の延長線として、ふうん、と思われただけなのですね?」

 まさ子のその質問は、邦明にとって、最も触れられたくない、けれど最も核心的な部分を突くものでした。なんとも思わないはずがありません。あの姿を見た瞬間、彼の理性は木っ端微塵に吹き飛び、今でも心臓の奥が痛いほどに脈打っているのです。

 まさ子はにじり、とさらに距離を詰め、邦明のシャツの袖をきゅっと掴みました。そして邦明の目をまっすぐ見て、逃げ道を完全に塞ぐように、のほほんと囁きます。

 「叔父さま。まさ子のあの格好、本当は、どう思われましたか?」

 沈黙が部屋を満たしました。邦明は、自分の理性が完全に降伏の白旗を上げているのを自覚しました。ここで叔父としての建前を取り繕うことは、この少女の捨て身の問いかけに対して、あまりにも不誠実であると、彼の男としての本能が告げていたのです。

 「……とびっきり」

 邦明は顔を背け、片手で額を覆いながら、消え入りそうな声で呟きました。

 「……え? 叔父さま、よく聞こえませんでした」

 まさ子がさらに顔を近づけてきます。邦明は観念したように息を吐き、彼女の瞳をまっすぐに見つめ直して、そして決定的な言葉を口にせざるを得ませんでした。

 「……まさ子のあの格好、とびっきり、可愛らしかった。だから、もう二度と、他の男の前では着ないでくれ」

 その言葉を聞いた瞬間、まさ子の顔に、この世の何よりも甘く、そして深い充足感に満ちた、完璧な笑顔が咲きこぼれました。

 「はい、分かりました。叔父さま。叔父さまがそう言ってくださるのなら、まさ子があのような格好を他の方に見せるようなことは今後ありません」

 「ああ、そうしてくれ」

 「まさ子は今、とっても幸せです」


 この事件から数日後、駿河台のマンションに、一つの小包が届きました。差出人は「リトルキャット」の女将でした。

 箱を開けてみると、中には美しい文字の丁寧な手紙と共に、まさ子の体型に合わせて新しく仕立て直された、あの店特製の最高級のメイド衣装が一式、美しく畳まれて入っていました。手紙には『一万年に一人の逸材へ。よかったらお使いください。気が向いたら、いつでもこれでお店に遊びに来てね』と、女将の消えきらない未練がこれでもかと書き連ねられていました。

 まさ子はその衣装を広げ、ふにと首をかしげました。

(お店で着るのは無理ですけれど……お家で着て叔父さまにお見せするのは構いませんよね)

 それからというもの、邦明の仕事が深夜に及ぶことが分かっている夜、まさ子は時折、その特製衣装に身を包み、彼が帰宅するのを部屋の中で静かに待ってみるようになったのです。

 ガチャリ、と深夜のドアが開きます。疲れ果てて帰宅した邦明がリビングへ一歩足を踏み入れた瞬間、目の前に広がっていたのは、剥き出しの排熱に照らされた、あの秋葉原の夜よりもさらに完璧に体にフィットしたメイド姿のまさ子の出迎えでした。

 「お帰りなさいませ、叔父さま。お風呂にしますか? それとも、お夕飯にしますか?」

 まさ子はのほほんと微笑み、フリルの裾を少しだけ持ち上げて、お行儀よくお辞儀をしてみせました。

 その瞬間、邦明はドアのノブを握ったまま、全身の血液が沸騰するような衝撃を受け、完全にその場にフリーズしてしまいました。部屋のプライベートな空間で見るその姿の爆発力は、公衆の面前でのそれとは比較にならないほどの破壊力を持っていました。

 首筋から胸元への眩しい皮膚の白さ。高校二年生とは思えない可憐さと、自分が邦明を誘惑していることすら自覚していそうにない、無垢でぽやぽやとしたオーラ。

 邦明は、喉の渇きを覚えながら、自らの理性の全リソースを総動員して、その場に釘付けになっていました。

 しかし、まさ子はそんな邦明の様子を見て、いつも首をかしげるばかりでした。

(叔父さま、また固まってしまいました。これは喜んでくださっているのでしょうか……?)

 まさ子には、叔父さまのその反応の真意が、いまいちよく分かっていなかったのです。

 その見た目のあまりの爆発力と、溢れ出す可憐さに、今すぐその場で彼女を押し倒し、すべてを剥ぎ取って自分のものにしてしまいたくなるのを、理性を総動員して、血を吐くような思いでグッと堪えているのだという事実。視覚の刺激が、そのままダイレクトに、リビドーにリンクしてしまう男という生き物の生々しい生理までは、高校生の、どこまでも純粋なまさ子には、まだどうしても理解しきれない未知の領域なのでした。

 それでも、叔父さまが自分のために必死に何かを堪え、自分だけを見つめてくれている。

 その奇妙な沈黙の時間すらも、まさ子にとっては、この上なく愛おしい、ほんわかとした、この頃の二人の陽だまりのような日常なのでした。


(陽だまりの電気街 了)

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