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8.再び温室へ

「すっごく伸びてるんです……すっごく」


ネフライトは分かりやすく肩を落とし、深くため息をついた。淹れたてのコーヒーを一口飲み再びため息をつく。


午後の授業も終わった放課後、ネフライトの研究室へ呼ばれた。


研究室の扉を開けた瞬間、鼻をつくのは薬草と薬品が混ざり合った独特の匂いだった。


部屋の奥には大きな窓があり、午後の柔らかな光が差し込んでいる。だがその光も、天井近くまで積み上げられた本棚や、無数に並べられた薬瓶の影によって淡く霞んでいた。


壁一面の棚には、乾燥させた薬草が吊るされ、ラベルの貼られたガラス瓶がずらりと並んでいる。


窓際にはいくつかの鉢植えが置かれており、見たこともない形の植物が静かに葉を揺らしている。中には、まるで生き物のように微かに動く蔓もあり、無意識に距離を取った。


その雑然とした空間の中で、ただ一人整然としているのがネフライト本人だった。整えられた机の向こうで、湯気の立つコーヒーを飲んでいる。


「参りました。まさかあんなことになるなんて……」

「昨日の実験でユーリの光魔法が暴走したって話だろ。学園中で噂になってるぞ」


昼食の際、ダンケからユーリが治癒室にいる理由を聞いた。温室での実験中に魔法が暴走し、魔力切れを起こして倒れたらしい。


魔力切れ――いわば貧血みたいなものだが、下手をすれば命に関わる。


その為、大切な光魔法様は大事をとって今日一日治癒室で休んでいるということらしかった。

そして倒れるまで暴走した結果、温室の植物を異常に成長させてしまった。


「学園長やブランドン先生からもお叱りを受けましたよ……ユーリ君を危ない目に合わせただけでなく、大切な温室の植物たちをダメにしかけたんですから」

「まぁ、監督不行届きだな。クビになりゃいいのに」

「……本気で言ってます?」


じとりとネフライトに睨まれる。優しい言葉でもかけて欲しかったのだろうか。

生憎、敵にかける言葉はない。


「そんなことより、早く課題よこせ」


この研究室に来たのは、昨日のサボりと鏡の件を黙っておいてもらうためだ。

さっさと受け取って帰りたい。


「その件なんですが、課題としてロイ君には育ちすぎた温室の植物たちを片付けてほしいんです」


バン!と机を思い切り叩く。


「何で俺がお前らの尻拭いしなきゃなんねぇんだよ!」

「他の課題は用意していたんですがね。あれを早く片付けろと周りがうるさくて……。それに、サボりの罰が片付けなんてそれっぽいでしょう?」


ネフライトは落ち着いた様子でコーヒーを飲みながら説明を始めるが、納得がいかない。


「参加した奴らでやれよ!」

「そうは言っても……。ルーカス王子に雑用を命じられませんし、ユーリ君はお休み。カイト君には用事があるからと断られました」

「じゃあ先生お一人でやればいいんじゃないですかぁ?」


煽る様な俺の言葉に、ネフライトは肩をすくめ、机の上の紙束を指で弾いた。


「私はこの始末書を書き終えたあと、改めてブランドン先生に怒られなければいけません。それに私、こう見えて意外と忙しいんですよ?」


お前が忙しいのは、そこの棚に隠してある隠し通路から抜け出してスパイ活動してるからだろうがよ!

とは、腹が立っても言えないのが悔しい。


「だからって関係ないやつにやらせるかよ普通、絶対やだね。クビになれ」

「どうしても……?」

「嫌だ」

「仕方ありませんね…」


ネフライトは見たこともない分厚い本をドンっと目の前の机に置く。


「では。本来の課題です。この本を読んで五百枚のレポートを書いてきてください」

「ご、500枚だと?!正気か……?!」

「そうです。こちらの本はかの有名な魔術師が書いた貴重な文献でして、読んで理解していただければ薬学、魔導学の歴史、魔術の基礎まで丸っとわかる素晴らしいものです。勉強不足のロイ君にはぴったりだと思いましてね」


ネフライトのメガネが怪しく光る。

コイツ……。


「きったねぇぞ……。お前これ絶対嫌がらせだろ!」

「そんなことはありません。本の内容を考えれば、五百枚なんて少ない方ですよ。

さぁ。長いレポートを書くか、温室を綺麗にするか。どちらにしますか?」

「……っ!」


悔しいが、レポート五百枚は多すぎる。それに比べて、草取りならおそらく今日一日で終わる。結局俺は、温室へと再び向かうことになった。


「まぁまぁ、温室全部ではなく一部ですから。そんなに広くはありませんしすぐに終わりますよ」


そう言ったネフライトの顔面をぶん殴ってやりたい。

およそ五メートル四方の花壇いっぱいに、背丈を超える草が密集している。まるで小さなジャングルだ。


「……ぜんぶ燃やしていいか?」


俺は手のひらに火球を作り出す。


「ダメです!こら!」


ネフライトが声を荒げて止めるので火球を消した。


「貴重な薬草もあるんです。それに、わかってると思うけど君はあまり魔力のコントロールが得意ではないでしょう?」

「……」


入学の初め。初めての実習でのことだった。

数メートル先に置かれた的に作り出した魔法を当てるだけの授業。魔力の制御とコントロールがどれだけ出来るかを見るものだった。


それぞれの生徒が自分の得意な魔法を打ち込む中、俺が放った火球は的を大きく外れただけではなく、途中で巨大化し爆発しそうになった。


その場にいたブランドン先生によって爆発する前に火球は封じられ消されたが、一歩間違えれば惨事になっていただろう。

もちろん、暴走させるつもりはなかった。


むしろ華麗に的に当ててアピールするつもりだったのに、危ない奴だと生徒たちから余計に距離をおかれるようになった。


それから魔法の実習授業はどれも上手くいかず、恥を晒したくない俺はサボるようになった。


「大丈夫。これから学園で学べばいいんです」


俺の様子に、ネフライトが優しく声をかける。


「……フッ。確かに、名家アルティナ家の出来損ないが、少しはまともになるか」

「ロイ君……」

「それで、燃やすのがダメなら俺は具体的にどうしたらいいんだ?」


ネフライトは何か言いたそうだったが、言葉を遮った俺の態度を見てやめたようだ。


「ユーリ君の光魔法で育った薬草ですから、研究対象になります。そちらには触らず、まずは雑草を取り除いて焼却炉で燃やしてもらいます。しっかり根まで抜いてくださいね」

「どれも同じ草にしか見えねぇけど」

「まぁ、君ならそう言うと思って、これをどうぞ」


そう言って差し出された本には、いくつか付箋がされていた。


「付箋のついている薬草だけですので、それを見ながらお勉強がてら頑張ってください」


パラパラと本をめくる。種類は少なく、イラストも付いていて見やすい。

それから細かい作業内容を聞き、道具を渡された。


「用事を済ませたらまた戻ってきますので、それまでお願いしますね」


渡された手袋をはめ、鎌を手にする姿は以前の俺からは考えられないほどダサくて滑稽だ。


ネフライトもそう思うのか、ふふふと微笑ましく笑っている。


「人のこと笑ってないでさっさと行け」

「君は、随分と丸くなりましたね」

「……いつまでもワガママ坊ちゃんやってたら、お友達の1人もできないだろ」


へっと人を小馬鹿にした顔を向ける。

もちろん本気でそんなことは思ってない。真面目に答える気がないだけだ。それはネフライトにも伝わっているはずだ。


「なら、私とお友達になりませんか?」


ネフライトの言葉に思わず吹き出す。


「はぁ?教師と生徒だろ」

「そんなものは肩書きに過ぎません……。あなたと私は、もっと深く分かり合える()()だと、私は思っています」


いつのまにか近づいてきたネフライトの右手が俺の胸を指さす。


「あなたの胸の内にもあるでしょう。欲してやまない願い、欲望。口が裂けても言えない思いに蓋をしたとて、渦巻いてあなたを苦しめている」


指差していた手が、そのまま頬へ滑る。

研究室で嗅いだ薬品と花の香りが、鼻を掠める。


「その苦しみを、分かってあげられるのはきっと私だけですよ」


まただ。

また、絡みつくような声で囁いてくる。


ロイの欲望とはなんだろう。

家族からの愛か、孤独からの解放か、それとも……。

俺の脳裏に、ある男が掠める。


持っていた鎌を、ネフライトの手首に近づける。


「……先生。手が無くなる前に早く行ってください」

「ふふ、冗談がお上手になりましたね」


パッと俺から離れる。


「仲良くしましょう。そしたらいつか、あなたを変えた秘密を教えてくださいね」


そう言って、温室から出ていった。


俺は鎌を持つ手の力を緩める。油断できない相手だ。

まだ利用価値のある生徒として見られている以上、しばらくは関わりを避けられない。

……下手に距離を取れば、逆に食いつかれるかもしれない。


「とりあえずこれを終わらすか」


目の前の成長しきった草花たちを前に袖を捲り、気合を入れた。

ーーーのはいいが、開始早々くじけそうだ。


背丈以上に伸びた草の量もだが、それ以上に面倒なのが、いちいち本を見て薬草と雑草を見分けなきゃならないことだ。

おまけに棘があるだの、触るとかぶれるだの。気を使わされて、地味に神経を削られる。


「くっそ。ほんとに全部燃やしてやろうか」


雑草を鎌で切り、根から引き抜いて一輪車に放り投げ焼却炉まで何度も往復する。体力的にも意外ときつい。

本当に面倒な仕事を押し付けられた。

というか、一人でやる仕事じゃないだろ。


「あの……俺も手伝っていいかな?」


やる気をなくしていると、不意に後ろから声をかけられ、誰かと思い振り返った。


「なっ!ユーリ!?」


ユーリ•イグナス。

この世界での俺の天敵が、申し訳なさそうに立っていた。


淡い桜色の髪がふわりと揺れる。毛先は少しだけ跳ねていて、触れれば簡単に崩れてしまいそうなほど柔らかく見えた。


視線が合う。


宝石みたいだ、と思った。


エメラルドグリーンの瞳。

光を含んで、透明で、底が見えないくせに濁りがない。

目を惹かれる、とはこのことか。情けないことに、ユーリが言葉を発するまで動けずにいた。


「ロイが、俺の失敗した後を片付けてくれてるって聞いて……手伝いに来たんだ」


ユーリのそばには、当たり前にカイトがいる。来ると言って聞かなかったんだろう。仕方なくきたと顔に書いてある。


「こいつがこんなことしてるってことは、なんかやらかした罰なんだよ。やらしとけって」

「カイト!文句があるなら来なくていいって言っただろ!」

「文句はある。お前はまだ休んでなきゃダメだ」

「もう大丈夫だよ。ガキ扱いすんな」


ガキ扱いというか、姫扱いされてることに気がついていない。

どうする。一応、敵意がないことを示すのにフレンドリーにしとくか?いや、キモイだろ。


「……手伝うなら勝手にしろ。予備の鎌と手袋はそっちにある」


場所だけ指で示し、ユーリたちから距離をとる。

完全に油断していた。今になって動揺で心臓がバクバクしてきた。


ちらりと向こうの様子を伺う。


二人とも、手袋をつけ作業を始めようとしていた。

なんだこの展開。どうなってるんだ。


「……っ!」


俺はとあるイベントを思い出した。



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