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帝都コトガミ浪漫譚 勤労乙女は恋語る  作者: 道草家守
巻の七

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31/32

結び直すかなおさないか


 その翌日、退院することになった朱莉が準備をしてさあ出よう、と引き戸を開けたら大きな荷物がいた。

 下を見れば、膝を抱えて座り込む智人だ。

 彼の髪色は黄金ではなく朱莉が見慣れた黒に戻っている。服装もいつもの三つ揃えの洋装だったにもかかわらず、膝を抱える姿は大変違和感があった。

 正直看護婦に見つかって追い出されなかったのが奇跡のような不審さだ。

 慌てて立ち上がる智人を、朱莉はいぶかしげに見上げてやれば、彼はしどろもどろになりながら言った。


「その、宗形に封印をほどかれて迎えにいけと言われまして」


 昨日、宗形が迎えに行くではなく迎えをよこすと言ったのはこういう意味かと朱莉は納得する。

 しかし智人にいつもの勢いはなくどうして良いかわからないのは、所在なさげにたたずむ姿で察せられた。


「で、その宗形さんは?」

「”1年分は働いたから後は適当にやってくれ”と僕を下ろした後去って行きました。一応帰宅の路銀は渡されておりますが」

「まあ、ここそんなに遠くないからいいけど。はい、もって」


 たしかに最近の宗形は配慮が行き届きすぎている。むしろ迎えに来ない方が謎の安心感があった。そんなことを考えつつ、さてと朱莉はまとめた荷物を智人にわたして歩き出した。

 ごく自然に朱莉の荷物を持った智人が戸惑っている間に、朱莉はすたすたと病院を後にする。だが路面電車に向かう道すがら、耐え切れなくなった様子の智人に呼び止められた。


「あの! 朱莉様っこれからどうされるのですか」

「うん? とりあえず路面電車に乗ってそれからは徒歩かしら。文庫社で真宵ちゃん達はどうしてるかしら」

「文庫社に帰るのですか!?」

「ええ、帰るつもりだったけど。どうするんだと思ってたの」

「その、宗形をたよるのかと。そもそも僕がなぜ封印を解かれたかもよくわかっていなくて……」


 たった二ヶ月のつきあいだが、心底困惑しているのは珍しかろう。少し頼りなさそうに瞳を揺らす智人は少々愉快に朱莉は思った。

 智人と顔を合わせるのもあの倉庫の時以来で、実は朱莉もどうしようかと思っていたのだが、この殊勝さは逆に朱莉の心を冷静にさせていた。


「ねえ、聞きたいのだけど。私の寮が燃えたとき、どうしてあそこにいたの? ずいぶんタイミングが良かったけど」


 てくてくと歩きながら朱莉が聞けば、智人は大変後ろめたそうな顔になった。

 ほう、これは何かあるなとじっと見つめていれば、智人は白状した。


「その、根尾からあなたが帝都に就職することを聞きまして、いてもたってもいられず……様子を見に行っていたところで居合わせました」

「見に行っていた、というのはつまり私を何度も見に来ていたのね。はいそこ土下座しようとしない!」


 智人の言葉に関しては一切気を抜かなくなった朱莉がすかさず制止すれば、まさに膝をつこうとしていた智人は中腰のまま止まった。顔は案の定情けなくゆがめられている。


「だって朱莉様、絶対怒ります」

「要するに付きまといをしていたってことでしょう。もしかして私が帝都に来る前も……?」

「いえ誓って帝都にいらっしゃってからです!」


 それでもだいぶ犯罪めいているが、と朱莉が蛇蝎のごときまなざしを向ければ、智人は若干うれしそうに頬を朱に染めかけたものの慌てて訴えてきた。


「そもそもあなたの前に出る気はなかったのです。僕が消えるまで見守り続けるだけのつもりで……でも、欲が出てしまったのです」


 僕は鬼ですから。と智人はまつげを伏せた。

 変わらないことを喜ぶようでも、その概念を憎んでいるかのようにも見えた。


「今までどうやって過ごしてたの。根尾さんとどういう関係。あれからどうしてずっと顕現し続けていたの」


 朱莉が倉庫にいたときには詳しく聞けなかったことを口にしてみれば、疑問はせききったようにあふれてくる。

 平静でも何でもなかった朱莉が複雑な思いで見上げれば、智人はゆるりと瞬いた。


「ええ、そうですね。あの日あのとき何が起きていたのかから話しましょうか。あの日根尾は、あなたの村にあった首塚の鬼を回収に来ていました。そして僕という鬼と話すことができたあなたの語りを利用して、僕を言語りに移そうとしました」


 ああやはり、朱莉の語りのせいで智人は封じられることになったのだと、朱莉の心はずくりと痛む。

 だが、智人は切なげに目を細めて朱莉を見つめ返した。


「そのような顔をしないでください。僕が選んだことなんですから。あの日弁士のほかにも僕の封印をほどこうとする勢力がいました。ですがあなたの語る”鬼さん”でいたかった僕は、根尾の綴る言語りを選び、あなたの言葉で顕現することを選んだんです」


 根尾も話してくれなかった事実に朱莉が衝撃を受けていれば、ぐ、と、素手の拳を握った智人の顔に悔恨がにじむ。


「そしてあなたを守れなかった僕が、もう一度あなたを守り直すためにこの12年過ごしていたのはお話ししたとおりです。あの騒動の後、僕は根尾と取引をしてあの文庫社で過ごすことになりました」

「どんな取引だったの?」

「見逃す代わりに、人間をやってみろと。ぼくにとって渡りに船でしかなかったのですが」


 ずいぶん曖昧な言葉に朱莉が面食らっていれば、胸に手を当てた智人は照れくさそうに微笑んだ。


「あなたにもらったこの形は胸がとても痛みます。僕は鬼です。今まで自由に心のままに奪い蹂躙し悪逆の限りを尽くし、首を落とされました。そのことを反省するどころか、恨む心しか残っていなかった僕に、あなたは新たな形をくれた。鬼であった頃では考えられなかった変化です。それを与えてくれたあなたに、できるならば何かしてやりたかった」


 だから12年、言神として文庫社で過ごしたんです。と語る智人は朱莉の記憶にわずかに残る”鬼さん”とは違うようでいて雰囲気が同じだった。


「私が、ほとんど覚えていなくても?」

「それで僕の想いがなくなるわけじゃありません」


 真摯な表情で言いつのる智人の言葉が朱莉の胸に染み渡り、たまらず目を閉じた。

 あの日、あの村ですべてを失っていたと思っていたけれど、こうして残っているものもあったのだ。


「ですが、僕は鬼です。鬼の言語りがどのような扱いを受けるか、この12年で学びました。うかつにあなたに接触すれば弁士の世界に巻き込むことになる。でもだからこそ、朱莉様と寮で再び巡り会ったときにはもう消滅寸前で、ちょうどいいと思ったんです。役に立つのなら、ここしかないと」

「ねえ、ちょっと思ったのだけど。あのとき自分が鬼だと主張して私を弁士にさせようとは思わなかったの」


 そうすれば智人は消えずにすみ、朱莉のそばに堂々と居られただろうに。と朱莉が言えば智人は首を横に振った。


「僕は朱莉様には良き読者で居てほしかったんです。弁士などではなく僕らまつろわぬ者を心のままに受け止め、大事に住まわせてくださるような」


 良き読者、と口にした智人の、いっそ甘やかなまでの声音に朱莉は面食らう。

 単語はよくわからないのに、帯びる熱が感じられてなぜか朱莉の胸は不自然に跳ねた。


「なに、それ」

「言神だけでなく、神魔もまた人の認識に存在を左右されます。恐怖でも何でも。注目されればされるほど変化する。僕は、僕を語ってくれたあなたの瞳の輝きに。物語を心の底から楽しむあなたの言の葉に僕は心を動かされたんです。あなたになら覚えていてもらいたい。いえ僕という存在をありのまま受け入れてほしいと願いました」


 熱っぽいまなざしで告げた智人は、ただ少し苦笑に代わる。


「だから宗形にたのんで、朱莉様を管理人に引き込みました。宗形にはだいぶ渋られましたが……」


 そこは少し宗形に聞いていた。身元引受人をしてくれていた根尾は朱莉が帝都に来たとたん、弟子だった宗形にそれとなく面倒を見るよう頼んでいたのだという。そして彼女が望まない限りは、弁士にも言神にも関わらせないように。と。

 それは智人と根尾の約束からくるものだったらしい。

 智人のそれは自分本位で、でも彼なりに朱莉を想い守ろうとした結果の行動なのだ。


「鬼の言語りは消滅しなければなりません。あまりに強いものですから。ましてや僕を語った朱莉様は確実に利用されます」

「そんなところまで気を回して……?」

「だって僕は鬼ですよ? 人の業は知り尽くしていますから」


 朗らかに毒のしたたるような言葉を漏らす智人に朱莉は吐息をもらした。

 物腰柔らかに振る舞おうとこの青年は間違いなく鬼なのだ。

 昨日、宗形に鬼についてはさんざん聞いていた。

 古ければ古いほど。逸話が多ければ多いほど。人々に周知されていればされるほど、定義された言神は強く補強される。

 妖狐や天狗、竜と並ぶほどその歴史は古い鬼は、ひとたび言語りに封じられればそのあまりの霊威に禁書扱い……つまりは生涯表に出ることなく封じ続けられる。なぜならば未熟な弁士が誤って語るだけで封印がほどけてしまうこともあるからだ。

 裏を返せばそれほどに強い言神となる。

 だからこそ、鬼の言神に主として認められ、完全に制御することのできる者がいれば、弁士協会は何があっても引き入れようとするだろうとも。


「だからこそ、こうして残って途方に暮れてもいるんです」


 智人が不安でいながらも期待に胸を高鳴らせているように、眉をひそめて朱莉を見つめた。


「朱莉様は僕に消えてほしくないと言いました。僕もできるならば朱莉様とともに居たい。ですが僕が存在したままで居ることは……」

「あ、そのことだけど。私正式な弁士を目指すことになったから」


 言いよどんでいた智人がその美貌を驚愕に染めてあんぐりと口を開けた。


「え」

「鬼のことは隠すけど、あなたは私の言語りになるわよ。弁士の資格をとれたらあの文庫社も私のものになるんだって。これから忙しくなるわねえ」

「まって、待ってください! いいんですか朱莉様はそれで!」

「いやまあ、隅又商事にはもう居られないしね」


 あんなことがあったのだし、幹部連中が総入れ替えになると言われても、隅又商事からは離職するのが一番だろう。

 何せ朱莉は弁士に関してど素人もいいところなのだ。普通は幼少の頃から積み重ねる知識を短期間で身につけなければならないのだから時間はいくらあっても足りない。

 勉強は嫌いではないからやりがいはあるが、と朱莉は思いつつ朱莉が振り回していれば智人に止められた。


「弁士になるということは、これから一生物語に関わってゆくということになるんですよ? そしてもう二度と一般人に戻る選択肢はなくなります。鬼を従えるというのはそういうことです! あなたの負担になるのは耐えられませんっ。それとも僕を再封印して使わないのですか?」

「え、じゃあ私の言神やめるの?」

「嫌ですが!!!」


 間髪入れずに即答した智人に思わず吹き出した朱莉は、泣きそうな顔をしている智人に言って見せた。


「いまでも物語や語ることを苦手に思う気持ちはあるけどね。やっと物語をもう一度楽しめるようになったのよ。きっかけになったあなたの存在を否定したくないわ」


 朱莉にもう一度、物語に関わってみようと思わせてくれた言神は、朱莉が一番強くてかっこいいと思った鬼だった。一度は失ったと思った存在と再び巡り会えたのだ。もう失いたくなかった。


 朱莉は少し気恥ずかしくなりつつも、動揺する智人を落ち着かせようと手を伸ばす。


「だからさ、智人。引き入れたからには最後まで私のこと守ってよね。鬼の気まぐれ発揮しないでよ」


 これは朱莉が選んだことだ。鬼という存在がどう言うものか知っている朱莉はだからもし気まぐれを発揮されて見捨てられたとしても朱莉は後悔しないだろう。

 それでもしばらくは思い出に浸らせてほしいと思いつつ、冗談めかして言えば、智人は朱莉の手を取ると、そっと頬に寄せた。


「あなたが選んだのであれば、僕は生涯あなただけの鬼で居ましょう。あなたが朽ち果てるときはともに滅びを。あなた以外の言の葉で存在することはありません」

「いや重いわ」

「おや、鬼は執念深いことでも有名なんですよ? だから朱莉様。覚悟していてくださいね」


 うっとりとした智人の弧を描く唇から鋭い牙が覗いた。その艶に朱莉はぞくりと肌が粟立つのを覚えてもう引き返せないことを知る。

 とりあえず明言することは避けて朱莉は智人から手を取り戻した。


「というか、あの頃とずいぶん口調ちがわない? もうちょっと偉そうだった気がするんだけど」


 朱莉が気づいてからずっと気になっていたことを訊ねれば、うきうきとしていた智人は上機嫌で振り向いた。


「だって言神というものは語り主と主従であるものですし、お役に立つことを考えれば使用人であることが一番しっくりくるでしょう?」

「いや全然わからないのだけど。性格まで違うような……?」


 今だに彼と過ごしていた頃の記憶は曖昧だが、なんとなく邪険に扱われていたような気がする。普通にあのままでも対話はできただろうに、そう曲解してしまったのも言神らしいと言えばらしいのだろうか。朱莉が頭をひねっていれば、智人はすうと身を乗り出した。


「朱莉様の語りに影響されている部分もありますが、僕は気に入ったものはとことん懐に入れて大事にするタイプの鬼だったんです。朱莉様が望むのでしたら、以前の口調に戻しますが?」


 目を細めて迫る智人は朱莉は不自然に跳ねる鼓動に戸惑った。ただなんとなく深く突っ込んではいけないような気がしてさりげなく視線を外した。


「もう聞き慣れちゃったからいいわよ」

「はい、かしこまりました。では帰りましょう。朱莉様」

「……うん。真宵ちゃん許してくれるといいな」


 思いっきり話をそらしたにもかかわらず、にこにこと微笑む智人に朱莉は食えなさを感じつつも、帰るという言葉にうれしさを覚えていたのだった。



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