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帝都コトガミ浪漫譚 勤労乙女は恋語る  作者: 道草家守
巻の六

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27/32

言神「夜行智人」



 とにかく化け物となってしまった雷獣が動き出すためになんとかしなければならない。

 動き出したら最後、朱莉は紫電によって焼かれるだろう。

 走りだす朱莉に、丸山はおかしげな笑い声を上げた。


「逃げ切れるとでも思ってるの? この音のおかげで私はただ命令するだけでこれを操れるのよ。さあ、雷獣! 御作さんを殺して!」


 丸山の声が紫電のはじける音に紛れて聞こえた。

 やはり朱莉が隅又商事の音楽時計が気になったのは間違いではなかったというわけだが、まったくうれしくなかった。


 おおかた、音楽時計で言神を暴走させておくことで言神や弁士への信頼感を失墜させ、そこで自分たちで神魔に対処できる手段として『物語り』を売り出す気だったか。

 なんともたちの悪く悪趣味な売り出し方だった。

 その生け贄になろうとしている朱莉はますます惨めだ。

 だがそれでも逃げなければならない。朱莉はまだ生きていたいし、こんなところで命を失うのなんてばからしい。

 だがこれは会社ぐるみの犯行だ。外に出たとしてどれくらい味方が、そもそも味方がいるかもわからない。


 ぎり、と朱莉が唇をかみしめたとたん、肌がぴりぴりとする感触がした。

 静電気を強くしたような感触。

 出入り口に向かおうとした朱莉を阻むように、ざんと雷獣が立ちはだかっていた。

 光は風よりも早い。

 朱莉は追い抜かれたことすら気づかなかった。

 濁った金に変わった瞳に理性はなく、ただただ朱莉に敵意を宿している。

 話が通じないのはありありとわかっていた。それでもなんとかできないかと朱莉は頭を回転させるが、どうしようもなく袋小路だ。


「さあやって! 雷獣!」


 丸山の声と同時に雷獣は身をよじって咆吼をあげると、全身から紫電がふくれあがる。

 ああ、これはだめだな、と朱莉はどこか冷静に考えてしまっていた。

 こんなことになるなら文庫社の管理人を続けていればよかったのだろうか。だが仕事をやめることなどできなかった。ならばこれは避けられぬことだったのだろう。


 せめて雷獣を元に戻してやりたかったが、声はきっと届かない。


 とっさに顔をかばった朱莉は目を閉じる。火事の時に失う命だったと思えば、あきらめられるだろうか。


 紫電がはじける音の中に、異質な破壊音が混じった。

 いつまでたっても体に衝撃が来ないことを朱莉は不思議に思っていれば、影がかかっていた。

 紫電で真昼のように明るかったから、眼前に誰かがたったのだとよくわかった。

 朱莉は目を開けて絶句する。


 突進してきたのであろう雷獣を受け止めていたのは、黒髪の秀麗なここにはいないはずの青年。夜行智人がいた。


「智人、なんで!?」


 朱莉が限界まで目を見開いていれば、いつかのように雷獣を投げ飛ばすとこちらを振り向く。

 しかしその腕は焼けただれていた。黒髪のままと言うことは智人はまだ本来の力を発揮できていないと言うことだ。いくらただの人よりも丈夫とはいえ、雷電そのものである雷獣を生身で受け止めればただではすまないのは当然だった。

 にも関わらず、智人は全く気にしていない風で微笑んだ。


「朱莉様。おけがはありませんか」

「あなたの方が重傷でしょ!?」

「ああよかった。本当に。今度は間に合った」

「だから、あなたがっ!」


 朱莉が状況も忘れて言いつのれば、智人はゆるゆるとほほえんだまま、いつもと変わらぬ声音で言った。


「あなたのことはお守りすると決めておりましたので。今度こそは何があっても」


 最後の言葉とともに智人が振り返ったとたん、再び襲いかかろうとしていた雷獣が飛び退いていた。

 まるで智人を恐れたかのように。


 一種異様な光景に朱莉は目を見開く。

 智人はもはや満身創痍のはずにもかかわらず、雷獣は彼を警戒していた。

 その光景に驚いた丸山もまた、理解が追いついていないようだった。


「どうしてその人は言、神? どうしてこんなところにいるの!?」

「もちろん僕は朱莉様の従者、下僕でございますから危険にはせ参じるのは当然で」

「馬鹿こんなところで冗談言うんじゃないの!」


 朱莉が突っ込めば、智人は不本意そうな顔をした。本当にこいつはけが人だろうか。


「いえ本当なのですが、方法というのであれば倉庫の入り口をぶち抜きました」

「表には社員がいるはずなのにっ」

「眠っていただきましたが?」


 当然のごとく告げる智人に、丸山と朱莉は倉庫の入り口を見れば、扉は見事にひと一人が通れるくらいにひしゃげられており、その奥に倒れている人影がいた。


 丸山の口ぶりからしてそとから鍵をかけられ、見張りの社員がいたのだろう。

 それがすべて智人に突破されたことが信じられないらしい。

 身体能力に任せたのだろうとは思いつつ、朱莉も目を疑っていた。ただの補助言神であるはずの智人がなぜそこまで戦うことができるのか。


 朱莉が見上げていれば、智人は、肩に背負っていた本鞄から、飴色の言語りを朱莉に丁寧に渡した。


「どうぞ、これが終わるまで僕の本を開いていてください。火事の時と同じように。あなたのことは絶対にお守りいたしますから」

「智人、何をするの」


 その声音に不穏な気配を感じた朱莉の問いかけに智人は答えず。ただ柔らかく。だが泣きそうに歪めてほほえんだ。


「朱莉様。とても、とても楽しい日々でした。おさらばです」


 そして朱莉に本を握らせた智人は、手を添えて本を開かせる。


 とたん、頁から金の文字が伸び上がり、朱莉から離れた智人を包み込んだ。


 朱莉は、火事の時とは違う、荒々しい金の本流の中で、智人の姿が変貌していくのをつぶさに見る。

 体がぐんぐん膨張し、手足指からは鋭い爪が伸びる。黒だった髪は黄金の輝きを放ち、何より一番はその額から、二本の角がまがまがしく生えていくことだった。

 現れた存在に朱莉と丸山は絶句した。


 それはこの和国に住んでいるのであれば、誰しもが聞いたことのある存在だった。

 数多くの昔話で悪役とされ、いにしえの都では暴虐を尽くしあまたの嘆きと怒りと悲しみを振りまく悪逆非道でありながらあまりの暴威に神としてまつられた荒魂(あらみたま)


「鬼……」


 声が震えていることで、朱莉は自分が震えていることに気がついた。

 美しくもまがまがしく、それ故におぞましい気配を放つその一体の鬼は、眼前にいるだけで原始的な恐怖を覚える。

 こわい、恐ろしい。今すぐこの場から逃げ出したい。

 そんな思考に支配された朱莉は、ずり、と一歩後ずさり。自分が持っている物を思い出した。

 そうだ、この言神は。

 朱莉に背を向けていた金の鬼が、ふ、とこちらを振り向いた。

 その石榴のような赤い瞳と目が合った朱莉は、がんっと頭が殴られたような心地がした。


 息が止まりそうな衝撃に朱莉が絶句している間に、なんとか我に返った丸山がハードカバーを握り直していた。


「有名なお話ほど言神って強いんだって聞いたわ。私でも知ってる鬼を出せる御作さんは、やっぱりすごいね。でも私にはこれがあるものっ」


 顔を歪めた丸山は、乱暴に物語りの頁をめくった。


「雷獣! あの言神を壊して!」


 丸山の震える声での命令とともに、雷獣は咆吼をあげて金の鬼へと紫電を降り注がせる。

 だが金の鬼は無造作に腕を振るった。

 それだけでおびただしい紫電の勢いは衰え四散する。


「……え」


 丸山のきょとんとした表情の中、金の鬼が地を蹴った。

 強靱な腕が振るわれたことすら気づかず、雷獣が音楽時計を巻き込み吹っ飛んでいくのを朱莉は見送った。

 雷獣は壁に足をついて勢いを殺していたが、鬼の追撃はやまない。

 たちまち激しい応酬になるのを丸山はおろおろしながら見ている。たとえ雷獣に力を使わせられても、戦闘の玄人ではないのだ。手を出しあぐねるのも当然だ。

 雷獣も拮抗しているがそれも時間の問題だろう。それくらい金の鬼は圧倒的だった。


 このままなら負けるかもしれない。丸山がそう思っているのは明白だったが。

 金の鬼が再び拳を振りかぶった。間違いなく雷獣に痛打を与える軌道だったが、なぜか空振りに終わる。

 代わりに雷獣の牙が金の鬼の体に突き立てられる。

 すぐに鬼は雷獣を振り払ったものの、その片腕と牙が金の粒子となって霧散していっていた。その明らかに消滅を示唆するそれに気づいたのだろう、丸山があざけりの笑みを浮かべる。


「なあんだ、その言神もう消滅しかけじゃない。物語りも最後はそんな風に崩れて消えていくのよ。本もぼろぼろになって二度と戻らないの。いつから読み直してないの?」

「よみ、直すも何も」


 朱莉は一度も智人を読んだことなどない。混乱している朱莉に丸山は不思議そうな表情を浮かべた。


「何言ってるの? 御作さんが持って顕現しているんなら、御作さんが語ったに決まってるじゃない」


 残念ね。御作さんと戦って私のほうが強いって思えたかもしれなかったのに。

 そんな風に言う丸山の言葉が朱莉の耳には入ってこなかった。


 言語りを語ったことなんて、勘助の一度きり。それも語るとも言えないような史実をなぞっただけのものだったはず。

 しかし、あの鬼の石榴の瞳を見た瞬間、頭を揺さぶるような衝撃が厳然と主張する。

 本当にそうかと。いいや、一度だけあった。何度も夢で見たじゃないか。

 朱莉はあの金の鬼を知っている。


 朱莉は衝動のままに手元の飴色の言語りに目を落とした。

 読まなければいけない。

 ここに朱莉に関わるすべてのことが書いてあるはずなのだから。

 あの鬼をこのまま消滅させてはいけないのだ。


「崩壊が進んじゃったら、意味ないのになぁ」


 丸山の声もすでに朱莉には聞こえていなかった。

 冒頭、頁をめくる。鬼にすでに押しとどめる力がないのか、あっけなく頁はめくれた。

 流麗な万年筆で書かれている文字に見覚えがあったがそこに綴られる話に集中した。


 ”これなる神魔は、古より古今東西暴威を振りまきし鬼神、名を失い首のみとなりてなお、その怨念果てることなく封じられし鬼神の一柱その一端、黄金鬼の逸話なり。我名付けしは夜行智人。しかし村の幼子に呼ばれし名は「鬼さん」”


 ”長き年月経て幼子に出会いしかの神魔。荒ぶりし力は健在なれど我見聞きし事柄と相違あり。故に黄金鬼の逸話とともに幼子が語りし逸話を並記す”


 村が壊滅した日、何かと争っていた鬼の一柱。そして幼い朱莉があこがれ慕い。語ってしまった友達。朱莉はこう、呼んでいた。


「鬼、さん」


 眼前で雷獣を相手取る金の鬼が、体を震わせた。


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