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帝都コトガミ浪漫譚 勤労乙女は恋語る  作者: 道草家守
巻の六

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28/32

語りなおすのならば



 朱莉が頁をめくるたびに怒濤のように記憶がなだれ込んでくる。

 すべてではない。だが森の中でまつられていた首塚のそばで遊ぶ幼い自分と、岩の下から聞こえる声のやりとりが蘇った。


 ”鬼さんこちら、手の鳴る方へ!”

 ”……我は行けん。首だけだからな”

 ”鬼さんのからだはどんなのだったの”

 ”わすれたよ、とうの昔のことだからな”

 ”じゃあきっと、鬼さんの体はこんな感じだったのよ!”


 ぐっと、こみ上げてくる吐き気に朱莉はその場にうずくまった。

 ああ、そうだ。そうだった。

 村の外れには、鬼を封じたという首塚があって。近隣の村では神として奉られていた。朱莉は幼い頃から一人で遊ぶのが習い性になっていて、その大きく苔むした首塚を見つけた朱莉は、ある日そこから響く声を聞いたのだ。


 ”我の首の上に乗って楽しいか”


 と。


 首塚という概念すら知らなかった朱莉は、そのしゃべる岩にはしゃぎ回り、自分だけの秘密にして毎日のように首塚へ遊びに行くようになった。

 それが村の神であると知った後も朱莉は「鬼さん」と会うことをやめず、一方的に友と呼び彼の言葉から彼の姿を想像するようになった。

 声から、雰囲気から、そして彼の話す逸話から。

 彼の話は朱莉にはおとぎ話のように聞こえたけれど、本当か嘘かはどちらでもよかった。

 ただ想像するだけで楽しかったから。「鬼さん」に聞かせるだけで満足だった。

 それが、愚かな行為だと知らずに。


 朱莉が最後の頁まで読み終えた瞬間、轟音と猛烈な土煙が巻きおこる。朱莉が顔をかばえば金の鬼がそばの音楽時計にたたきつけられるところだった。

 しかし、雷獣もまた痛打を与えられたようですぐには動けない。


「っ!」


 のろりと体を起こした鬼は、すでに右腕を崩壊させている。朱莉が言語りを読み通してもなお崩壊が止まらないのなら、もう顕現自体が限界に達しているのだろう。

 にもかかわらず、朱莉にほろ苦く表情をゆがめて見せた。


「読まれるまえに消えるつもりだったのですが。うまくはいかないものですね」


 どう答えていいかわからず良いかわからず見返すだけの朱莉に、鬼は何でもないことのように言う声は穏やかで、朱莉は混乱した。


「なんで、私を守るの。恨んでないの。私はあなたを、語ってしまったのに」


 あのとき朱莉は首塚の鬼を言語りに移しに来たという弁士に、鬼の逸話を聞かせてくれと頼まれた。

 ”言語りに移す”という行為がどんなものか知らなかった朱莉は、村に伝わる逸話ではなく、朱莉の知る鬼さんについて語り聞かせてしまったのだ。

 村の外の人間ならばいいだろうと。朱莉から見た鬼は首だけになって閉じ込められるほど悪い鬼に見えなかったから、それを誰かに知ってほしかったのだ。

 鬼を封じに来た弁士に逸話を話すことが、どういうことか知りもせず。

 外に出ることを「鬼さん」は望んでいなかったにもかかわらず。


「あなたは言語りに封じられて、二度と自由になれなくなった。あそこで朽ちていくことを望んでいたのに、私がうかつにしゃべったから!」


 眼前の存在の恐ろしさを一時だけ忘れて朱莉が悲鳴のように叫べば、鬼は困ったように手を伸ばそうとする。だがその爪の鋭さを思い出し下ろした。


「泣かないでください。これは僕が選んだことです。あなたを守るにはこれが一番だったんです。でも村は壊滅して、あなたに傷を負わせてしまった。だからもう一度出会えた今、僕はあなたにめでたしめでたしを届けることにしました」


 何を言っているか、朱莉は本気で意味がわからなかったが、鬼は大まじめだった。


「もう朱莉様には僕が奪ってしまった家族のかわりに真宵と勘助がいます。なくなってしまった村の代わりに文庫社があります。僕を語ってくれた心は……ちょっと無理でしたが。最後は僕が消えれば完璧です。鬼は幕引きには倒されるのが常道ですからね。村を壊した鬼にはなかなかお似合いです」

「そのために、12年……!?」

「ええ、気合いで顕現するのもそろそろ終わりですね」


 姿の恐ろしさと、声の柔らかさのあまりの違いに朱莉は涙が頬を伝った。

 この鬼が何を考えて今まで行動してきたのか悟ってしまったからだ。朱莉とほとんど変わらないことを考えて、だが覚えていたからこそ挽回しようとしていたのだ。

 穴埋めになるはずがないのに。似たものを用意すればよいはずだと本気でそう思って画策して。

 ああ、本当に人あらざる者なのだ。朱莉は体の半分を失っているのに、透き通った笑みを浮かべる眼前の鬼のいびつさが恐ろしかった。

 けれど朱莉が後悔しているのと同じくらいこの鬼もまた後悔を抱えて存在していたのだ。

 朱莉の心に絶望以外の形容しがたい思いがわき起こる。


「もう、僕にはあなたに触れることはできませんが。後もう少しだけおつきあいください」

「……あんた、前に私がいないと寂しいって言ったわよね。それ嘘だったの」

「いえ、十割本心ですが」


 不思議そうに、だが間髪入れずに答える鬼に、朱莉は感情を爆発させた。


「なら鬼らしく意地でもしがみつきなさいよばか! 私が友達になった鬼は超強くてかっこいいって言ったでしょ! 会いたくて面と向かって話してみたくて弁士に話しちゃうくらい自慢の友達が! どうして消えてめでたしめでたしになるなんて思うのよ!」


 その赤い目を見開く鬼を、朱莉は震えながらにらみあげた。

 こらえきれなかった涙が、ぼたぼたと言語りに落ちていく。

 体が震えるのは怒りのためだ。この言神の身勝手さと、全く気付かなかった己に対して。

 12年前、たった一つだけ失っていなかったものを見つけたのに、このまま見送ることなんてできるはずがない。

 そのとき、朱莉はすべての覚悟を決めた。これから起きることも、これからの運命もすべて。女は度胸。そういう言葉をどこかで見かけた。 


「だからこうしてやるわ」

「朱莉様!?」


 朱莉は宣言するなり、ぱたりと本を閉じた。

 赤い目をまん丸に見開く鬼から、一気に金の粒子が消えていく。


「御作さん、自分から武器を捨てるなん、て……?」


 そして、間髪入れず朱莉が言語りを再び開いたことで、あざ笑う丸山の声がしぼむ。

 頭をめまぐるしく回転させながら、朱莉は大きく息を吸う。


 消滅しかかっているものが直せるかは知らない。だが言神は語りなおせるものだとは知っている。ならばもう一度語って形を作り直せばいいのだ。


 はじめの語りはただ自分の願望だけを押しつけたつたない物だった。きっと弁士の腕がよかったから十年以上も顕現し続けられたのだろう。でも今このときだけ、存在させるくらいであれば、朱莉の語りでもできるはずだ。

 そして朱莉は知っている。


「あなたはどうしようもなく恐ろしい。その角もその牙もその爪もこの世の悪意や恐怖を詰め込んだ存在よ。腕のひと凪ぎで簡単に命も村も奪える。だけどこの二ヶ月、空気読めなくて、かなりうざくてでも一生懸命で助けられた。いままで感じたそれも間違ってない!」


 どちらも彼の本質だった。朱莉はどちらも語らねばならなかったのだ。

 もう一度やり直すならば。

 朱莉は眼前の、今にも消え果てそうな鬼をにらみつけて声を張り上げた。


「”これなるは森羅万象の影に潜みし奇しき者、傲慢に悪徳悪行の限りを尽くし、首のみとなれど呪詛と恨みを吐き続けし鬼なり! されど人の子を友とし、不器用に心を砕き幸福を願いし心も持ち合わせり!”」


 朱莉にとって、彼はそういう存在だった。

 恐ろしい鬼の側面と、人の想いなどまるっと無視する傍若無人さと、にもかかわらず与えようとする心を併せ持った言神。


 朱莉はそんな彼にいらだち、同時にそばにいてほしい存在として消滅を拒む存在なのだ。


「”定義されしは鬼神、名を夜行智人!”」


 これで何も起きないのであれば、朱莉はこの場で死んでも良い。

 これで暴走するのであれば、殺されてもいい。

 なぜなら自分とは違う存在を語るのだ、それくらいの気概を持たなければだめだろうと、朱莉はごく自然に考えていた。


 だが、朱莉の覚悟が固まる前に、手元の言語りが燃えるような熱を持つ。

 そして金と朱の奔流が頁からあふれ出した。


 襲いかかろうとしていた雷獣も目を見開く丸山もかき消すような奔流は、すぐに朱莉の眼前へ人の形をとる。

 先ほどとは違いすらりとした体躯は、朱莉が夜行智人と認識していた秀麗な青年そのものだった。


 ただ女物と見間違うような絢爛な着物をまとい、それに負けぬ黄金の髪がざあと背中を覆い尽くす。なによりその額から一対の角が天をつくように伸びているのは異形の証である。

 切れ長の目に彩られるのは鮮やかな石榴の瞳。

 まさに朱莉が思い描いていた通りの、妖しさと美しさと豪奢さが同居した鬼神と称すべき存在がそこにいた。


 朱莉は緊張のせいか体の重みを感じながらもまっすぐ呼びかける。


「智人」


 すとこちらを向いた智人の能面のような表情が、一気に泣き顔に崩れ去った。


「朱莉さま、なんで語り直してしまったんですかあ! これで僕は消えてめでたしめでたしになるはずでしたのに!」


 秀麗な顔を歪めて本気でべそをかく眼前の鬼は二ヶ月過ごした智人そのもので、朱莉はどっと安堵を感じながら、本を構え直した。

 薄い書物にもかかわらず、異様に重く感じられた。


「話も文句もいくらでも聞くから、私のお願いを……」


 朱莉の声をかき消すようにぼーんぼーんと時計の鐘が鳴り響く。見れば、無事だった音楽時計を操作する丸山がいた。

 ひょこりと顔を覗かせた丸山は童女のような笑みを浮かべていた。


「あはは、御作さんはすごいなあ。すごいからしょうがないね。もっとあれを強くするくらいじゃないとだめだね」


 朱莉は青ざめる。あの西洋音楽が雷獣が理性を失う原因なのは明白だ。

 今理性を失っている中、再び聞かされたらどうなるか。

 あの不安定な西洋音楽が鳴り響いたとたん、雷獣がびくん、と跳ねた。


「さあ雷獣! 力をたくさんあげるから……」


 丸山が声を張り上げようとしたとき、苦しげに身をよじっていた雷獣の体躯が膨張し、あふれた紫電が四方へとほとばしった。

 智人に引き寄せられたとたん、朱莉のいたところを紫電が焼いた。

 轟音が響くと、雷獣が倉庫の壁に体当たりをしていた。


「雷獣!? 止まって! 止まりなさいっ!」


 驚いた丸山が何度も呼ぶが、雷獣は全く反応せず、むしろいっそう興奮したように飛び回っている。

 暴走状態である雷獣に様子でのたうち回るように駆け回る雷獣の紫電で、砕けた音楽時計から火が巻きおこっていた。


 このままここにいては危険なのは明白だ。

 智人が開けた倉庫の扉から逃げることはできるが。


「智人、雷獣止めるわよ」


 朱莉が一歩踏み出せば、智人は戸惑ったように石榴の瞳を瞬いた。


「あの言神は無理に歪められていますから放っておいてもまもなく自壊します」

「あのねえ、ゆがんで消えそうになったあなたを戻した私なのよ? 今目の前で消えようとしてるのに放っておけるわけないでしょ」

「じゃああの娘殺しますか!」

「それもいらない。次言ったらめちゃくちゃ敬語使うわ」

「そんなあ」


 しゅんとしているが言っていることはとんでもない。

 智人はものすごく物騒な方向に思考が飛んでいるのは気のせいではないだろう。

 朱莉が定義し直したというのもあるだろうがおそらく、智人はこれが本性なのだ。

 それもすべて受け止めると決めたのだ。朱莉はぐっと見上げた。 


「それともできないのかしら」

「……いいえ。今の僕ならあの娘一人ひねり潰せますしあの奇妙な言神も討ち果たすことができますとも。ですからあの言神を止めるくらい」


 にっこりとほほえむ鬼智人の口元から鋭い牙が覗いたと思ったとたん跳躍した。


「造作もないことです、よ!」


 先ほどの数倍軽やかに、鬼智人は雷獣へと肉薄した。


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