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帝都コトガミ浪漫譚 勤労乙女は恋語る  作者: 道草家守
巻の五

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22/32

寝不足は禁物

ここから少々暗めのお話に入ります。

苦手な方は11日までためていただくことをお勧めします。

 朱莉はあくびをかみ殺しつつなんとか午後の仕事を乗り切った。

 なんとか間違いは出さなかったものの、能率が格段に落ちているのを感じていた。


「うう、寝たい。でも寝れない……」


 路面電車の中で眠れれば一番なのだが、あの満員で座ることなどできないからどうしようもない。

 智人たちには気づかれていないとは思うものの、そろそろなんとかしなければならないと感じていた。

 が、明確な原因がわかっていないから仕方がない。

 夢見が悪いらしいというのはわかるのだが、どんな夢なのか覚えていないのだ。どうしようもない。

 ただこれが鵺退治をしてからだというのは明確だった。


「とりあえず、寝るまで起きてないと……いやちがった、帰るまでは起きてないと、だ」


 そろそろ本気で怪しいなと思っていれば、背後の社員の声が響いてきた。


「雷獣騒ぎ、これからどうなるかね」

「弁士が頼りないからなぁ。10年前みたくはならないと信じたいが」


 朱莉の心のどこかが、凍り付いた。

 振り向かない方がいい、そう考えているにもかかわらず、体は勝手にそちらを向く。


 そこでは男性社員二人が、のんきに語っていた。


「10年前ってあれか。なんとか村ってところで起きた神魔災害」

「そうそれ! 読んだ雑誌に載っていてな。村はほぼ全滅したんだろう? 明慈時代最悪の被害だって当時は書き立てられたな」

「あれはもうすごかったなー。というかもうちょっと前じゃなかったか? 12年とか3年とか」


 日に日に声高になっていく彼らの口さがない話に朱莉の耳は集中してしまう。


「詳しい日づけなんて覚えてないが、弁士たちがたったひと柱の怪異に手こずって甚大な被害を出したんだろ。焚書派の過激派まで関わってたって話も聞いたぜ」

「そもそも怪異も迷惑だよな。もう新しい世だってのに暴れ出しやがって。おとなしく封じられれば村も無事だったのに」


 ばん、と大きな音が響いて朱莉はふと我に返る。

 気がつけば、手のひらがじんじんと痛かった。ああそうか、自分が机をたたいた音だったかといまさら思い至る。

 だが、驚いた顔をしている男たちへ向けてなぜか言葉は滑り出した。


「神々にとって本に封じられるのは、閉じ込められるのと変わらないんです。だから、そんな風に言うのは違うんじゃないですか」

「なんだ、急に」


 寝不足のせいか頭がぼうとして、自分が何を言っているのかよくわからない。だが朱莉は喉の奥からせり上がるような衝動を抑えられなかった。


「神様が語られることが幸せだなんて誰が決めたんですか」


 そう叫ぶように言い放って、朱莉は我に返った。

 眼前の男性社員たちはもちろん、周囲にいる社員まで驚いたように朱莉をみている。

 しまった、と思った朱莉だったが言葉は返ってこない。そう、語った物語と同じように。

 自分にできることと言えば、頭を下げることだけだ。


「申し訳ありません。ぶしつけなことを申しました。忘れてください」

「あ、ああ……」


 驚く男性社員たちが呆然としている間に、朱莉は早々に自分の荷物をつかんで立ち去った。

 こみ上げてくる吐き気を胸のあたりをつかむことで押さえる。衿が崩れるがかまうことはできなかった。

 丸山が硝子のような瞳で見つめているのを、青ざめた朱莉は気づかなかった。


 早く帰りたい。帰っておいしいご飯を食べよう。気持ち悪いけれども、そうすればきっと少しはましな気分になれる。お風呂にも入ろう。銭湯に行かずともあったかいお風呂に入れるのは贅沢だ。


「御作君、ちょっと」


 朱莉が廊下を足早歩いていると呼び止められた。

 さすがに無視するわけにはいかず振り返れば総務部の人間だった。

 見覚えがある。寮が全焼したときに駆けつけた社員だ。

 角張ったような体を揺らして近づいてきた社員は、無造作に持っていた資料を渡す。


「君にはいらないかもしれないが、めどがたったんで一応知らせるよ」


 ああ、一応仕事はしてくれたのか。と朱莉はぼんやりと思った。




 *



「お帰りなさいませ、朱莉様」


 朱莉が文庫社に帰宅すると、当然のように智人のにこやかな笑顔に迎えられた。

 ほ、と朱莉の心のどこかが緩むのを感じる。


「ただ、いま」

「はい! 荷物をいただきますね。今日の夕食は真宵が丁寧にこしらえたポトフですよ。西洋の野菜煮込みだそうです」


 野菜煮込みと聞いて、ぐうと朱莉のおなかが鳴った。

 ちゃんとおなかがすくなら、まだ大丈夫だ。

 クスクスと笑う朱莉に、智人が当惑した表情になる。


「どうかなさいましたか、朱莉様」

「ん?何が? それよりもおなかすいた! ご飯食べたいわ」

「はい、かしこましました、が」

「真宵ちゃーん! 勘助ー! ただいまー!」


 ブーツを脱いだ朱莉が居間に行けば、勘助が長いすに寝そべって酒をたしなんでいて、朱莉に気づくとぞんざいに手を振った。


「おう嬢ちゃん、先に一杯やってるぜ」

「いつもやってるの間違いじゃないの」


 すると、虚空から真宵が現れて酒瓶を取り上げる。


「勘助はいつも飲んでる」

「さっきは手伝ってやっただろ」

「ちょっとだけだもん」


 ぷうと、ほほを膨らませる真宵に勘助は平然としている。

 朱莉は最近は帰ってくるたびに繰り広げられるこの応酬にくすくすと笑った。

 じっくり、目に焼き付ける。この光景が当たり前になっていた。暖かい光景だった。

 まるで家族みたいに幸せだった。

 だが好きだからこそ、自分がそばに居てはいけない。

 ふ、と真宵が小首をかしげて朱莉に問いかけてくる。


「主さん、ご飯できてるよ。たべる?」

「うん、おなかすいた」

「俺にもくれ」

「……はたらかざるもの食うべからずなの」


 寝そべっていた勘助も声を上げれば真宵がじと目をむけるのに、朱莉はつい吹き出してしまった。




 ポトフは西洋の煮物だけあり醤油の味はしなかったが、鶏のだしが聞いていて朱莉の心をほっこりと温めてくれた。


「西洋の煮物だというが、飯にも合うもんだな」

「言えてる」


 勘助と朱莉が言い合いながら食べていれば、智人が神妙な顔で聞いてきた。


「朱莉様はこのような味もお好きですか」

「知ってるでしょ。私はおいしくて食べられれば幸せよ」

「なるほど。ポトフ、作れるようになりましょう」


 智人がまじめな顔で言うのをおかしく思っていた朱莉はじい、と真宵が見つめてくるのに気がついた。


「どうしたの、真宵ちゃん」

「主さん、なにかあった? 食べる量が少ない」

「……そういえばそうだな。いつもはおかわりする頃じゃないか」


 勘助にまで指摘された朱莉はきょとんと自分の皿を見下ろした。

 どんぶりに盛られたポトフはまだ半分残っているし、ご飯も少々残っている。

 確かにいつもならもういっぱいおかわりする気になっているところだったが、朱莉は首を横に振った。


「んー今日はいいや。それよりもみんな聞いて。今日総務部から連絡があって新しい寮が手配できたらしいの」


 朱莉が言えば、真宵と勘助の顔が驚きに染まった。

 だが勘助はすぐに納得の色を浮かべた。


「そういうことか」


 つぶやいた言葉の意味は朱莉にはわからなかったが、その前に真宵が動揺のまなざしで朱莉をみる。


「行っちゃうの?」

「うん。あくまで期間限定って約束だったからね」


 これ以上居たらますます情が移ってしまうから潮時だろう。

 事前に話して居たとはいえ、衝撃だったのだろう。真宵は泣きそうに顔をゆがめて消えてしまった。

 彼女の来歴から考えれば衝撃を受けるのもわかる。かわいそうなことをしてしまったとも思う。だが朱莉は弁士ではないのだからこれが一番いいだろう。

 朱莉がまた一口スープを飲んでいれば、勘助が猪口を置いていた。


「ずいぶん快適に過ごしていたように思うが、それでも離れるのか」


 勘助の人を食ったような表情はなりを潜めており、幾分表情も引き締められていた。

 だが朱莉には覆すわけにはいかないのだ。


「ここは居心地よかったし、管理業って言っても住むだけだったし楽っていっちゃ楽だったわ。それにあなたたちが気にくわない訳じゃないのよ。智人はあれだけど」

「それはまあ、呼び出したのが嬢ちゃんだから何だが。……智人はあれだがな」

「そこで意見一致させないでくださいません……?」


 智人が少し情けない表情になっていたが、朱莉と勘助はそちらにはかまわなかった。


「まあ、嬢ちゃんは生きてる人間だ。俺らが引き留める訳にゃいかねえが。なにが原因だったか位は教えてくれてもいいんじゃないかね。じゃないと真宵は納得しなさそうだ」

「それは」


 勘助に問いに答えようとして、朱莉は言葉に詰まった。

 屋敷の住み心地が悪かったわけではない。物語に関しては近づかなければよい話だったし、今の二足のわらじは少ししんどいが、それも許容範囲のように思える。

 言神たちも残念だったりやっかいだったりした部分はあったが彼ら自体が悪いわけではなかった。

 なのに、これからも関わっていくと考えた瞬間、ぞわ、と背筋に感じる怖気があるのだ。

 これから先も少なからず不可抗力でこの神々たちを語らなければならない機会があるだろう。朱莉がいくら気を付けていてもきっと。

 朱莉はこれをずっと嫌悪だと思っていたけれど、真宵や勘助そして智人のことを悪く思ったりはしていない。

 もしかして、朱莉が忌避しているのは物語ではなく限りなく空想に近い逸話を語ることと、その延長線上に居る言神が恐ろしいのではないか。


「いや、まさかそんな」

「どうかしたか」


 勘助の問いに朱莉ははっとして頭を振った。

 今は眼前のことに集中すべきだ。


「ううん、何でもない。私は弁士見習いですらないから、文庫社の管理人は不自然だからね。ねえ智人、宗形様に連絡を取りたいんだけどお願いできるかしら」


 ごまかすために朱莉が智人を向けば、彼はいつもと変わらず丁寧に頭を下げた。


「ええかしこまりました、明日僕が行って参りましょう。お許し願えますか」

「う、うん」


 朱莉は面食らいながらもうなずいたがすこし違和感をおぼえた。

 今の今まで忘れていたが、智人は朱莉がこの社を離れると言っても何ら異論は唱えなかった。

 初っぱなにご主人様になってほしいと言ったあげく、強引に文庫社の管理人へ引き込んだにも関わらず、である。

 はじめから期間限定の契約として交わしていたとはいえ、このあっさりとした反応は朱莉の胸にもやりとしたものを残した。

 とはいえ藪をつついて蛇を出すことはないか、と考えた朱莉はそれ以上突っ込まないことにして立ち上がる。だが、今日調べたことを思い出しもう一度智人を向いた。


「そうだ、宗形様にほかに聞きたいことが……」


 あって、という朱莉の声は形にならなかった。

 ふ、と目の前が真っ暗になった。足下が崩れるような感覚に平行感覚を失う。

 お腹の底から中身がせり上がってくるものだけは、全力でこらえた。


「嬢ちゃん!?」


 勘助の声が響く中、朱莉は智人に抱き留められた。


「ああ、ごめん、智人。ありがとう」

「朱莉様、失礼します」


 朱莉が離れようとすれば智人に引き留められ、首筋に手袋に包まれた手が当てられる。

 革手袋はいつからつけているんだっけと朱莉がぼんやりと考えていれば、智人が眉をひそめた。


「朱莉様、体が熱いようですが」

「え。あーうん。そういえば暑いかな」


 指摘されて、朱莉は自分の体が熱いことに気がついた。

 そういえば、あんまり頭が回ってないのはそのせいか。

 驚いた勘助がとがめるような声音で言う。


「嬢ちゃん、体調が悪いんなら言えよ。体壊しちまったらどうしようもないんだな」

「その、今気づいたから。寝ればたぶん大丈夫だし」


 勘助の声音にこちらを案じる色があるのに朱莉は少し戸惑った。いつも自分一人だったからあまり気づかわれるということがなかったのだ。

 仕事に行かなければ生きていけないこともあり、多少の無理を押し通すのが当たり前になっていたのもある。

 今回のこれは寝不足が響いてしまったのだろう。自覚すると急に体が重くなってきた。とりあえず、これは眠ればなんとかなるはずだ。医者にかかるほどのことでもないし、ただの風邪くらいなら家で寝て治すのが普通だ。明日も仕事があるからましな体調に戻せるといいのだが。


「失礼いたします」


 参ったなあと思いつつも朱莉はふらふらとする体のまま歩こうとしたとたん、智人に抱え上げられていた。

 ぼんやりとしていれば、眉を潜めた智人の不機嫌そうな表情で見下ろされていた。


「部屋まで運びます。お仕事もお休みになられてください」

「いや、でも仕事が……」

「お願いいたします」


 言いつのる智人の揺れるまなざしに朱莉は声をしぼませる。

 びっくりした、というのが一つ。懇願が泣きそうに思えたというのが一つ。

 うまく働いてくれない頭のまま、朱莉は智人に抱きかかえられて運ばれたのだった。


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