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帝都コトガミ浪漫譚 勤労乙女は恋語る  作者: 道草家守
巻の四

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19/32

元は取るもの

 くだんの騒動の数日後、朱莉は宗形にカツレツの店に連れてきてもらっていた。

 こんがりときつね色に揚がった衣と、豚肉の脂の甘みが絶妙だ。


「悪かった」


 だがしかし男である上、軍人である宗形に頭を下げられて、朱莉は目を丸くしてフォークの手を止めた。

 なにせこの時代、男尊女卑が当たり前で、いくら男性が悪かろうと女性に謝るなんて非常識なこととすらされるのだ。

 さらに軍人は大尉である宗形は駅長や校長などよりも上の身分である。

 そんな男が公衆の面前で頭を下げてきたのだ。個室で誰も見ていないとはいえ驚きもする。

 しかし朱莉の隣に座っていた智人は憤然と鼻を鳴らした。


「当然でございます。朱莉様が身を挺して事を納めたから良かったものの、あの後も大変だったんですからね!」

「そうね、あなたの行き過ぎた介抱を説得するのがね」

「えっ!?」


 愕然とする智人に朱莉はすまし顔で水を一口飲んだ。

 とはいえ大変だったのも確かだ。鵺を退治した後、朱莉は立ち上がることができずに終始智人に抱えられていたし、その翌日も延々と全身筋肉痛に悩まされ、やむなく仕事を休まなければならなかったほど。

 さらに智人が嬉々として世話を焼こうとしてきたために、心労はかさむばかりという体たらく。最終的には真宵によって面会謝絶にしてもらったが。

 朱莉はフォークを置いて顔を上げている宗形に向き直った。

 わだかまりがないわけではないのだが、二枚目に突入していて心が安らかになっていたので、心はおだやかだ。


「もう良いです。ちゃんとお給料ふやしていただけましたし、とんかつおいしいので」


 帰ったら真宵が海軍で供されている肉じゃがというものを作ってくれているはずだ。奮発して牛肉を購入したからである。

 宗形に言いたい事はもうすべて言ってあるし、引きずっても仕方ない。

 これだけ誠実な対応をされれば、氷解するというと言うものだった。

 それを分かって頭を下げたのなら宗形は表の態度よりもずっと油断ならない男といえるだろうが、それに商事に勤めているときよりもずっと気分は悪くないのだ。


「ならもう言わんが……それにしても御作嬢、あの雨海になにをしたんだ」


 あっさりと顔を上げた宗形は、いつもの怠惰な態度に戻っていたが、その表情はなんともいえない困惑に彩られていた。


「なんの話ですか」

「雨海少尉は弁士として有名な家の出身で、一応は優秀なのだが弁士らしい仕事以外は嫌っていた。君を付けたのも部下がいれば多少はやる気を見せるかと思ってだったが、そうでもなかったようだな」


 やはり問題児を押しつけられていたか、と朱莉はむっとしたが、宗形の珍獣でも見るかのような視線のほうが気になった。


「……そういえば、雨海様はどうなさいましたか。私について苦情でもおっしゃっていましたか」


 あのあと雨海は黙々と鵺の後始末をして、朱莉達には追い払うように帰宅を命じたのだ。 

 故に朱莉は彼がどうしたのか全く知らないのだ。


「雨海少尉は自分の不手際の責任を取って謹慎中だ。いくら見習いと言えど、了解を取らずに他人の所有する言語りを語ることは礼儀に反する。その上鵺を取り逃がしかけたのだ。本来ならば降格処分だが、反省の色ありとされた。すべての責任は自分にあると自ら処罰を望んだからな」

「えっ」


 朱莉は本気で驚いた。朱莉が見た雨海は、恐ろしく矜持の高い男だった。

 独断専行として朱莉に責任をなすりつけることだってできたはずなのに、それをしなかったのが意外だったのだ。

 しかし宗形はさらに興味深そうに言ったのだ。


「しかもだぞ、君のことを良き弁士になると推薦していたほどだ。『言神をあのような形で語ることなど、俺には思いつかなかった』ってな。雨海のあれほどべた褒めの報告書を見たのは初めてで少々気味が悪かったほどだ」

「なんですって」


 思わぬことに朱莉が目を丸くする番だった。

 おかしげで複雑な色を浮かべる宗形に渋い顔を返すしかない。

 一応便宜上宗形に見習いと称されたが、朱莉はただ文庫社を間借りして住まわせてもらっているだけだ。そのような的外れな評価をされても困る。


「鬼神殺しについては口止めをさせてもらったがな。君、本気で弁士やってみるか」

「……冗談きついですよ」

「文庫社には本来、弁士の名前が付くものだからな。御作文庫、なんて悪くないと思うが」


 ひょうひょうと気楽に言う宗形に朱莉はむうと眉をひそめるが。


「朱莉様は弁士にはなりませんよ」


 柔らかくけれど断固とした口調で智人が言うのに、朱莉は思わず隣を見た。

 智人はいつもの微笑むような表情は全く変わらず、朱莉が見ていることに気づくと不思議そうに小首をかしげる。


「どうかしましたか? なにか違いましたか」

「いやその通り、だけど」


 日頃常に文庫社に引き留めようとする智人が朱莉の意思を尊重するとは思わなかったのだ。とはいえ、詳しく話して藪を突くようなまねをする気はないが。

 にこにこと微笑む智人と朱莉の間に漂う微妙な雰囲気をじっと見ていた宗形だったが、場の空気を変えるように、朱莉に言った。


「まあ、言神はいくら人によって作られたといっても神には違いがない。今回はうまくいったが何の修練もなしにやれば命に関わる。気をつけろよ」

「それ以前に2度とやりません」


 釘を刺された朱莉は、肩をすくめてみせる。あんな筋肉痛こりごりだ。

 そもそも勘助にも2度とごめんだと言われている。朱莉の体は鉛を背負っているようだったと言われて喜べるわけがない。


「それがいい。読んで楽しむだけで充分だ」


 朱莉が真顔で言えば、宗形は唇の端をつり上げたが、少し表情を引き締めた。

 たったそれだけで、真摯な空気に変わる。


「ところで言語りから鵺が顕現したとき、何か気になることはなかったか」

「なにか、って、私はそばにいたわけじゃありませんし。封じられた言語りがぼろぼろになっていたからじゃないんですか」

「それも一つ理由だった。が、言語りが封印不能になったのは、鵺が出現した後と考えられる」


 宗形が言わんとしていることが分かったらしい智人が眉をひそめた。


「つまり別の原因があると考えているんですか」

「ああ。聞けば封じていた本から邪気が実体化しかけたらしいじゃないか。他に何かなかったか。最近、邪気が実体化する騒ぎが多くてな。弁士達も特定に躍起になっているんだ」

「何かあったかしら」


 宗形にそう言われて、朱莉と智人は顔を見合わせる。


「邪気の出現前に何か雑音が響いていた気がいたしますが」

「え、私は聞こえなかったわよ」

「あったかな程度ですので、気のせいかも知れません」

「私はうちの会社の時計置いてたな、ぐらいしか覚えてないわ」


 言神の能力は人間よりも遙かに優れているのだ、もしかしたら聞き間違いではないかも知れない。

 智人と言い合った朱莉だったが、宗形が聞き返してきたのは朱莉に対してだった。


「うちの会社、というのは確か」

「隅又商事です。内部にレコードを組み込んだ大型の柱時計で、決まった時間に曲が流れるようにしたやつなんです。富裕層に人気な主力商品なんですよ」


 朱莉が営業に携わっているわけではないが、一応会社が扱っている商品は覚えていた。

 ちょうど同時期に流れたためによく覚えていたが、今は関係ないだろう。


「なる、ほどな」

「ところで宗形様、甘いものもいただきたいのですが」


 考え込むように腕を組んでいる宗形に朱莉が願えば、彼の顔は奇妙にゆがんだ。


「……まだ食べられるのか御作嬢」

「おいしいものを食べる機会は逃したくないので。とはいえお夕飯もあるのでアイスクリンあたりが良いです」

「良いですね、朱莉様。ぜひ僕もいただきたいです」

「……わかった。他に困っている事はないか」


 折れた宗形の問いかけに、朱莉は屋敷に置いてきたものを思い出して硬直する。

 その微妙な反応を見逃さなかった宗形が問いかけた。


「何かあるのか」

「語った言神が消えないって事ありますか」

「なんだ、智人以外にそんな面倒くさいことがあったか」


 興味深げに身を乗り出してくる宗形に朱莉は事情を話すことに集中していたために、智人がどういう顔をしていたかは知らなかったのだった。



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