第二話
衣装を持てと命じると彼女はすぐに準備を万端に整えた。
態々着替えの手伝いまで買って出た事には些か辟易したが……美しい少女を従える事自体は決して悪い気分では無い。彼女が傅き付き従う事を望むならばそれはそれで構わないと思い直す。
「ふむ……」
裏地に赤を配した漆黒のマントを翻す。流石に上等の品と言うだけはあった。袖を通した衣装は些か仰々しくはあったが採寸までもが完璧でなかなかどうして悪くない。
「お似合いですわ、ディルク様」
馬子にも衣装。姿見の中のディルク・フォン・レイス・エッフェンベルグは、満更でも無く実に『それらしい』と言える仕上がりになっていた。
「……悪くは無いか」
「ええ」
「一端の貴族には見えるだろ?」
「ええ。とても。とても、良くお似合いですわ」
姿見越しにリズが微笑む。
「悪しき魂を姿見は拒む――何て言うモンだが……」
「人間の戯言でしょう? 彼等の俗説等、案外当てにならないモノでしてよ」
「違いない」
互いの笑みが重なる。
そもそも書籍や伝承等にあるおどろおどろしい化け物、伝え聞く悪鬼共とこのリズの姿は全く結び付かないのだ。怜悧にして可憐と言えるその姿は人を苦も無く魅了する事さえ出来るだろう。それだけで直接見聞きせぬ話というモノが随分といい加減だという証左にはなる。
「この後は宜しければ城内外を御案内いたしましょう。
慣れ親しんだエッフェンベルグを御覧になれば、御気も少しは晴れる事でしょうし」
ややあってリズがそんな風に切り出してきた。
「それもいいかも知れねぇな」
着替えを終え人心地ついた頃には、身体も随分と馴染んでいた。当初あった違和感は徐々に消え、全身の力が特別な賦活を受けたかのように蘇っている。
「特に予定も目的も無いし、な」
むしろ俺からすればそれを探したい位だ。何せ外の森の名はこの俺の姓を冠していると言う位だ。馴染んだ場所を見て回れば思い出す事もあるかと俺はリズの提案を了承した。
……これだけの城だ。たとえ得る物が無くとも見て回る価値位はあるだろうし。
促されて最初の部屋を出て長廊をゆっくりと進む。
「……立派なモンだ。お前はいちいち気が利いてる」
見上げた天井は高く、チリ一つ無い床は磨かれた石で出来ていた。各所には高価そうな調度品が飾られており、その全てに完璧な手入れが行き届いていた。
「お褒めに預かり光栄ですわ」
案内をすると言ったリズは無作為に進む俺に対して一歩引いたようにその少し後を歩いている。あくまで俺のしたいようにさせ、必要があれば応えるというのが彼女の基本的なスタンスであるらしい。
「宝石はディルク様の城。貴方様に相応しくありますようにと――」
贅の極みは確かに王の居場所らしい。
……この俺に相応しいかどうかは知らないが。
「悪くない趣味だ」
壁際の白い大理石の彫像を撫で呟く。
厳密な価値までは分かりかねたが、それが大した芸術品である事は分かっていた。
「だが、どうにも……な」
「……?」
唯、その目利きを何処で覚えたか知れないのが――気に入らない。
「……こういう事は、良くある事なのかよ?」
「……と、申しますと?」
歯切れの悪い俺の言葉にリズが少し怪訝そうな顔をした。
「眠りから覚めた――再生を果たした吸血鬼が不完全な状態で覚醒を迎える事だ。
当然、今回の俺で言えば……記憶が欠損した状態である事になるが」
確かに立派な城だ。思った通り眺める程度の価値はあった。しかしそれでも自分の棲家であるという実感は無い。不安定な感覚は不快……とまでは言わないにしても苛立ちを覚えるに十分だ。
この調子がずっと続くかと思えば流石に滅入る。
……いや、その前に新たに慣れて気にならなくなる可能性も無いでは無いが。
「……そう珍しいケースではありませんわ」
リズは少しだけ思案し間を置いてからそう言った。
「先に私は深手と申し上げましたが……
ディルク様の受けた傷は人なる身の呼ぶ死そのものですの。
二百の敵と相対し、百より上の首を刎ねた貴方様は最後には四十九の剣で貫かれました。その上、敵が外法に御身を灼き裂かれる事となったのですから、それはもう」
「ぞっとしない話だな」
俺が求めている事を察してかリズは言葉を選ばなかった。
……まぁ確かにこの場合はその方が幾らかは有り難いが。
「ふふ、人間にとってはまさに最大のマレフィキウムですわね。
人なる身と異なり、吸血鬼にとって『単純な死』は最期足り得ませんの。
死よりの帰還――再生を果たす事を我々は復活と呼びます。高位の吸血鬼は然るべき儀式を経て、魔力を蓄えれば復活を果たす事は決して不可能では御座いませんの。
……従者の一人が魔術に長けておりまして。つつがなく術を執り行えた事は僥倖でしたわ。
ディルク様程の御方ならば……復活は必ず成ると思っておりましたから」
「ああ、成る程……」
リズの言葉を切っ掛けにして抜け落ちていた知識が蘇る。
吸血鬼の最大にして最強の異能はその不死性にこそある。
逆にその吸血鬼に『単純でない死』を与え、終焉させる魔術、儀式も存在する。それが吸血鬼の言う最期、即ち滅びである。復活は兎も角終焉――その術自体はこの俺も知っている。
「ですが――復活が完全な復元となるかどうかは少し別の話」
リズは軽く俺の様子を窺い、そこで一旦言葉を切ってから続ける。
「復活は魔術で真似事をするならば禁呪の反魂。
この身に備わった力とは言え、そう容易い業では有り得ませんの。力の弱い吸血鬼ならば、復活の失敗も御座います。魔力が戻らない事も御座いましょう。ディルク様の場合は記憶面に混乱が見られる様子ですが……逆に言えばそれだけですの。比較的軽微な問題と言えると思いますわ」
「軽微と言うかよ……」
「……まぁ、あくまで相対的なお話として。
私の経験談になりますけれど、ディルク様ならばそう心配する必要も無いかと思いますわ。再生した身体に魂が馴染めば、おいおい記憶の方も追いつかれるかと」
「……んじゃあ……今の所は我慢する他ねぇか」
記憶が無い程度で良かった……と他人に言われても素直に頷き難い所はあるが。
確かにこの短時間で随分と調子が戻ってきた。本調子に無くとも自分に大きな力がある事は良く分かるし、リズがそう言うからにはそういうモノなのだろう。
治ると言うならば幸いだ。記憶が無いと言うのはどうにも落ち着かないしやり辛い。
例えばこうして話をするリズの事にしてもだ。俺が俺の実感として彼女を従者と認識するのと彼女から言われてそう認識するのでは意味合いが異なる。
それは少なくとも『軽微』とだけ言って切り捨てられる些細な問題では無い。
自己認識と他者認識――その双方が合致して初めて事実は事実と成り真実と成る。
別にこの献身的なリズが従者である事に不満がある訳では無いが……
たかが気分の問題と言う勿れ。
拠り所の薄さは静謐としたこの静けさ、石造りの城の冷たさに倍する不安だった。
「儀式の責任者として完全な御復活とならなかった不手際にお詫びを申し上げますわ」
「……いや。それに関しては御苦労だったと言っておくぜ」
恐縮するリズを制する。
生死等という究極の摂理に逆らう大魔術ならば結構な重労働だろう。
吸血鬼の復活が血に塗れぬ筈はない。短期で多くを『狩れ』ばそれだけ敵の目にもついただろうに。多大なリスクを伴う奇跡を完成した魔女は少しも貢献を誇る様子が無い。
「何て寛大な御言葉。……私、痛み入りますわ」
それ所か俺の言葉に心底安堵した様子でそんな風にさえ言う。それは半ば予想通りの反応だったが、同時に俺を呆れさせた。記憶を失う前のこの俺はコイツをこれだけ支配するだけの傲慢さを持っていたとでも言うのだろうか?
だとするならば、或る意味尊敬もする。この俺は確かに実に王に相応しい王だったのだろう。
「しかし……静かな城だな」
詮無い皮肉な考えを仕舞い込んで辺りを見渡した。
静か……先にも言ったが、良く考えれば幾ら異形の棲家とて全く誰の気配すら無いのは普通では無い。これだけの城を維持するには、当然多くの手が要る筈だ。
「復活の儀式だっけ? 従者が居ると言ってたじゃねぇか。
お前以外の眷属とやらは何処へ消えた? まさか例の戦い以来、全滅したままだとでも言うのか?」
「……御恥ずかしながら」
ふと気付いて問い掛けるとリズは少しだけ照れたように告げてきた。
「私、ディルク様御復活の日を誰にも邪魔をされたくはありませんでしたの。
私は眷属共に今日この『宝石』に在る事を禁じたのです」
口振りはまるではにかむ乙女のようだった。
「健気……と言えばいいのかねぇ。それは」
「ディルク様に問題が無ければ、そう受け取って頂ければ幸いですわ」
苦笑い混じりに告げると此れ迄よりは幾らか砕けた調子でリズが笑う。
「……そんないいモンでもねぇだろ、俺何ざ」
かなり本音だ。
「御冗談を」
だがリズは珍しく俺の言葉を一蹴する。
その朱の双眸に自信と歓喜を滲ませながら高らかに宣言した。
「御望みならばこれより眷属共を呼びましょう。玉座にて是非彼等に御言葉を。
今宵は十年待ち侘びた復活祭。そうエッフェンベルグ新生の日なのですから――」
吸血鬼はロマンなのです。