第三話
長い赤絨毯の先には豪華な玉座。
緻密な意匠のタペストリが飾られた石の壁に純金の燭台。壁の脇にはぴかぴかに磨き上げられた重厚な甲冑が左右対に飾られている。それは人の世の宮殿に負けぬ贅沢の海。
城内を一頻り見回り外の森を確認した後、案内された玉座の間は豪奢な城の中でも一際絢爛に――かけられるだけの手がかけられた『王の居場所』だった。
「では暫しごゆるりと。私、少しだけ失礼させて頂きますわ」
そう断って深々と頭を下げリズが辞したのが暫く前。玉座の傍らに用意された樫のテーブルには、艶のある磨かれた鉛のカップと上等のボルドー・ワインが置かれていた。
何処かくすんだ枯れた赤。コルクの色からして中々の年代モノである。
酒は呑めない口では無いようだ。「無聊の御慰めになりますように」とリズが用意したそれは、事の他俺に満足感を与えていた。流石に長く『死人』で居ただけの事はある。十年振りに――文字通り、五臓六腑に染み渡る味わいは殆ど感動と言っても差し支え無い。
さて、と。一人玉座に座り考える。
未だ分かった事は少ないが時間潰しを兼ねて最初から整理する事にした。
まずこの俺――ディルク・フォン・レイス・エッフェンベルグは吸血鬼――千の配下を統べるその王であるという。姿見で確認した外見年齢は二十代後半から三十程度。柄は余り良くは無い。ウェーブがかった癖のある長い赤毛に金色の瞳。長身痩躯といって良い体つきだろう。
尤も今日まで十年眠ったばかり。吸血鬼の外見年齢は、余り意味は無いのだろうが。
次にこの場所。宝石の名を持つこの城は、トランシルヴァニア、北に西カルパティア山脈を臨む深い森の中にあるらしい。城外に広がる暗く鬱蒼とした深い森は先程の案内で目にしたばかりだ。その全周は十数キロにも及び人里から数キロ辺りまで伸びていると言う。
厳密にこの城がどの辺りにあるのかは知れ無いが、十字軍への言及から考えても地理的にはオスマントルコに程近い、ハンガリー王国の辺境辺りといった所だろう。考えてみれば、俺やリズの名の響きもドイツ王国辺りで良く聞くそれであるように思える。土地柄移民が多いのだからそれも道理。
俺は更にこれまでの事を考える。
リズの話に拠れば吸血鬼はこの城と森を拠点に長くその周囲――人間の領域を侵食してきたらしい。吸血鬼の食事は、常に他の生物だ。それは人間も同じなのだが……この場合の問題は、そこに『特別な知的生命体』――人間自体が含まれる事だろう。
或る生物が唯在る事が他の生物に害を為す事は自然界にも決して少なくない。雑食の人間等は、その極致とも言えるのだが……なまじ知恵をつければ傲慢になるのは当然だ。
人間は食物連鎖に自分達の上がある事を決して許すまい。
結果、当然の戦いが引き起こされ十年前の不覚に繋がる――と。
……分かっている事と言えばこの程度か。
「……ふむ」
これ等は殆どがリズから齎された情報だが一応辻褄は合っている。
とは言え……正直な所を言えば温度差が否めない部分もある。例えばリズは人間を目の敵にする口振りだったが、今の所俺には余り実感が無い。当然『殺された当時の事』を思い出せば変わるのかも知れないが現状では憎悪する動機とするにも希薄過ぎる。
空けたカップを手にとって『なみなみと』ワインを注ぎ直す。恐らくは、吸血鬼が獲物である人間に特別な興味を示す余地は少なかろうが、彼等の文化は吸血鬼にも必需であるらしい。それはあのリズがこうして俺にワインを用意したり、城に美術品を飾り付けている事からも察せられた。
人間と吸血鬼は近い。全く別の存在でありながら、その在り様は何処か近いのだ。但し永きを享楽的に――怠惰に生きる種は余り創造に向いては居ないのかも知れない。
……まぁ、吸血鬼が人間の文化を重宝する事それ自体がいちいち餌だ家畜だと見下す割には中々都合の良い話だとは思うのだが。敢えて吸血鬼らしい考え方をするならば『搾取される奴隷はその主の嗜好に尽くすべきである』といった所だろう。
「……ま、今だけなら良いんだけどよ」
肩を竦めた自分に気付き思わず一人ごちる。
リズは「再生した身体に馴染めば問題無い」と言った。
別段人間に恨みも感じないが人を喰らうのが我が身であると言うならば殊更に否定する理由も無い。確かに総体で見れば幸いにして今の所大きな問題は無いと言えるだろうが――
「ディルク様」
――と、そこまで考えた所で重い音を立てて玉座の間の扉が開いた。
「眷属共がここに。御目文字叶いますならば……宜しいでしょうか?」
恭しいその声の主はすっかり見慣れたリズである。
「構わねぇよ。……退屈してたトコだ。何より――少しでも早く本来を取り戻したいし、な」
「畏まりましたわ。ではここに」
玉座にしずしずと歩み寄りリズは深く頭を下げた。
そのまま玉座の横に回り俺の傍らに立つ。
「貴方達、いらっしゃいなさいな」
俺に対するモノとはまるで違う威厳の声。リズの言葉を受け、扉の向こうから『眷属』が次々と現れる。その何れもに生気は無く代わりに幽鬼が如き鬼気を放っていた。
吸血鬼の勢力拡張は文字通りの連鎖で鼠算である。吸血鬼は吸血行為と力の行使でその同胞を増やす。下位の吸血鬼は、上位の吸血鬼の牙――今日、ここに居る連中はリズの牙か――で増え、その吸血鬼自身が更に自身の子を増やしていく……と言う寸法だ。
尤も眷属を増やす事は力を切り取り分け与える事。力無き存在にそれは叶うまいが。
親子、上下には強制的な命令権は無いが、現実的には大抵の場合がそうなる。親と子の実力差は特殊な例外を除けば酷く大きく、自らの存在を分の悪い賭けに賭さねば刃向かう事等叶わない。つまり鼠算に増えた吸血鬼はその始まりに従う形で社会を形成する事が常である。
当然と言うべきか――流石にその辺りの知識はきちんとある。
「中々壮観だな」
沈思黙考を辞めもう一度目前に視線をやり直す。素直な感想が口から漏れた。
眷属共の老若男女は様々で、武官の姿をした者、執事然とした者、料理人の姿をした者もある。彼等は人間の頃の経歴と素養に従い、この城に仕えているのだろう。それは一番効率的だし自然である。これだけの眷属を作ったリズは実際大した大物だ。
幾らも経たない間に広い玉座の間に百に近い従者達が揃っていた。絨毯を踏まず左右に分かれて整然と並んだ彼等は一様に口元を固く引き締め、身を低くして玉座に向けて傅いていた。
……まぁ、悪い気分では無い。
「有象無象共は城の外に置いてありますわ」
小さく微笑んだリズは、言う。
「絨毯を汚してしまいますもの」
彼女が言うのは『出来損ない』と称されるグール達。碌な知性も力も持たぬ彼等は、力及ばぬ吸血鬼が作る眷属の『失敗品』である。
大勢があると言うにも関わらず玉座の間は水を打ったような静けさに包まれていた。 まるでこの場で発言を息をする事が許されているのは俺とリズだけのようにも思えた。調和の取れた一同は石像のように動かない。その全身に畏怖を貼り付け俺とリズのやり取りを聞いている。
「眷属を代表して改めてお慶びを申し上げますわ」
リズが微笑む。
「ああ。中々どうして、大したモンだ」
素直な賛辞が口をついた。
「王と持ち上げるだけの事はある。お前の努力が知れるよ、リズ」
「勿体無い御言葉に御座いますわ」
幻想めいて美しい少女は俺の言葉に、にっこりと破顔した。
「此の世の全て――全て御望みの侭に。貴方様のモノに御座いますわ。
どうか御遠慮無く。どうぞお好きなだけ。彼等を、私を使われませ。それこそが我等の望み。私の幸福そのものなのですから――」
うっとりと酔う声はまるで背筋を舐め上げるかのような甘い囁き。言い知れぬ多幸感を湛えた女の表情と陶然とした声色に理性が蕩ける。
「使う、か」
「ええ、使われませ」
再三の繰り返しになるがリズは美しい。頷く少女の熱っぽい眼差しに血が沸いた。
「ならば」
「――――」
その手を乱暴に引き、玉座の方に引き寄せる。細い首筋と僅かに覗く白い肌を一目見て起こった衝動は目覚めた俺の『食欲』なのだろう。
「例えば、お前でも?」
「まあ……」
目を丸くして驚いたような顔をしたリズの頤を持ち上げる。
十年ぶりのそれはやはり簡単には度し難い。一度火がつけばその燃焼は実に早く。王ならばこの程度の不埒許されない訳もあるまいと幾らか身勝手に考えた。
「気に入らねぇか?」
「いえ。私で無聊の慰めになりますならば。
如何様にでも――御望みの侭に。どうぞお好きなだけ使われませ」
姿と不相応に艶やかに笑んだリズは軽く挑発でもするかのように唇を舐めた。あの赤い瞳が濡れている。服従を是とする彼女がそんな風にするのはあくまで『愉しみ』の為なのだろう。
「愛でて戴けるならば、私、駒でも玩具でも構いませんわ」
幼い美貌が挑戦的に笑む。リズの調子が少し変わった。
それでもう一つ分かる。俺はこういう女を力で組み敷くのが好きらしい。
……つくづく出来た女である。自覚していなかった悪趣味までも理解してくれていようとは。
だが実に残念ながらそのやり取りは第三者の声によって中断した。
「報告します!」
声の主――玉座の間に新たに現れた青年の姿をした眷属に俺は視線を向ける。
「森に人間が迷い込んだようです!」
「人数は?」
問う。邪魔が入ったからか『空腹』が一層酷くなった気がした。
「……は。二名です。若い男女です。
城から東に歩いて二時間余り。身なりからして恐らくは旅人かと思うのですが……」
見張りの報告は手早く的確だった。尤もリズの言う『喜ばしい日』に呼ばれず雑用を押し付けられる位なのだから下位の眷属なのだろう。余り力は感じない。
何にせよ女は好都合だ。男連れでは吸血鬼の好む処女地までは期待出来ないかも知れ無いが。
「……酷い御方」
傍らのリズがぽつりと呟き退屈そうに唇を尖らせた。責める調子では無いが自身から興味が離れた事を心なしか拗ねているような顔である。
「如何いたしましょうか?」
その姿をくつくつと笑う俺に構わず見張りは言葉を続ける。
「リーゼロッテ様」
その名が響いたまさに瞬間。彼の頭は石榴のように割れていた。
作成は2008年頃。
基本的に趣味全開ですが、宜しければお楽しみ下さいませ。




