別グループのストーカー?
非常事態を告げるベルのように、悲鳴が辺りに響き渡る。
俺達以外に声を発することのできる人物は彼女しか考えられない。
「姫っ!」
俺は立ち上がり、颯爽と姫の元へ駆け出した。
俺ともあろうことか、ドキドキの治療行為に夢中になり過ぎてしまって姫の行方を忘れてしまっていた。不覚だ。
治療行為も失敗に終わるし散々だ。
「姫の他にも誰かいます!」
俺とリマの視線の先には、じわりじわりと距離を詰められる姫と、ゆったりと姫に詰め寄る灰色のローブを着た二人組、そして二人組が乗ってきたと思われる馬車が見えた。
この辺りの地域は特に平和じゃなかったのか?
モンスターではない二人組の襲撃という事態に、これまでにない不安が募る。
「姫から離れろ!」
俺はこれまでの人生の中でも出したことのないような声量を振りかざし叫んだ。
「貴方達は……」
姫が俺とリマに問いかける。
「俺達は偶然ここを通りかかった者です。それよりも姫、後ろへ」
姫を守るように俺らの後ろへ下げる。
「おいお前ら、邪魔だからあっちへ行きな」
二人組のうちの一人、茶色の短髪から生える犬のような獣耳を持った、屈強そうな男が低い声で発した。獣人族とかそういった種族なのかもしれない。
そしてもう一人、長い黒髪の女は杖を左手に持っている。こっちは人間のようだ。淫靡な印象を受ける。
それに対しこちらは丸腰の俺と、あの女と同じく杖を携えたリマ。こちらの方が少し分が悪いか。
「邪魔なのはあなた達の方です!」
リマが負けじと言い返す。
「仕事の邪魔をするって言うんなら、始末するしかねぇなあ」
獣耳男は、腰の辺りからすっと短剣を抜き出した。剣先が俺の方へと突きつけられる。
杖女の方はただ黙って獣耳男の言動を追っている様子だ。
鋭く尖った剣先が俺に向けられたのを見た瞬間、元の世界で俺と姫が刺された時のことを鮮明に思い出してしまった。
あの時は姫に向けられていた殺意を俺がどうにかして守ろうとしていた。その時でさえガタガタと震えていたというのに、今回は明らかに俺に向けての殺意がある。
すると、カチカチ、カチカチ、という何とも奇妙な音が一定の速い速度でひっきりなしに聞こえてきた。まるで壊れたオモチャが、電池が切れるまで延々と鳴り続けるかというような、なんとも耳障りなカチカチ音。
誰かいるのか? 子どもか? 子連れの旅人か? 子どもが何かをカチカチ鳴らしながら俺達を助けに来てくれたのか?
辺りを見回した。しかし誰もいない。
いるのは、獲物をじっくりといたぶるのを楽しもうとする獣耳男の愉悦に浸った目。それと、冷静にこちらを見つめる杖女の目だ。この二人が出している音じゃない。
隣を見ると、リマは杖を両手でぎゅっと握りしめていた。恐らくリマでもない。
ではこの音の正体は何なんだ?
獣耳男が近づくにつれて、その音は大きさを増し、音を変える。カチカチからガチガチへと変わった音は、次第に綺麗さとリズムを失い、気味の悪い不揃いな濁音へと変貌していた。
そうだ。声だ。声を出して気色悪い音をかき消すんだ。声で威圧して、奴を遠ざけるんだ。
そう思いついた俺は、声を出そうとした。
そして、その時気づいた。
俺の歯がガチガチと壊れるくらいに震え、大きな音を出していたことに。
俺は震えていた。
歯も、膝も、手も、心も。
身体中で震えていた。
「大丈夫だ。オレは剣の腕には自信がある。一瞬で楽にしてやるからよ」
獣耳男がこちらに歩み寄ってくる。距離が次第に近づき、死への足音が迫ってくる。
またあの痛みを味わいたくない。もう怖いのは嫌だ。もう怖いのは--
そして、足音が俺の前で止まった。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い--
「すっいませんでしたーーッ! 何でもします! だから命だけは! どうか許してくださいッ!!」
気がついた時には、俺は深々と渾身の土下座を披露し、許しの言葉を放っていた。戦いから逃れるためのこの言葉は、なぜか俺の口からすっと現れた。
「は? こいつ助けに来ておいて何言ってんの?」
獣耳男が俺を嘲笑う。
そして貧弱な身体を容易く蹴飛ばした。
土下座は無様に失敗してしまった。
俺は地面を転げながら軽く数メートルは吹っ飛び、全身を擦りむいた。
腹を蹴られたせいで呼吸ができない。口の中に鉄の味が広がる。苦しい。
そして死への恐怖がまたもや俺を襲う。震えが止まらない。もうあの痛み、苦しみ、全てを思い出したくない。
「我の前に姿を現せ! 風の精霊シルフ!」
リマは奴らに抵抗しようと高らかに召喚術を唱えた。しかし、何かが出てくる気配はなかった。
奴らと戦える唯一の望みであった召喚術も呆気なく不発に終わったのだ。
「ぎゃははは! この女ときたら、召喚に失敗しやがった! こりゃあ傑作だ!」
獣耳男の不愉快な笑い声が響く。
俺のことはどうでもいいが、さっきの発言はリマに対する明らかな侮辱だ! 謝れ!
という言葉が頭の中に浮かぶも、それを言うだけの勇気が出てこない。口から外へと発することができない。何度も口の中で言葉が反芻してしまう。
「お嬢ちゃん。召喚ってのはね、こうするものなのよ」
獣耳男の隣にいた杖女がやっと口を開く。
そして、呪文も唱えず召喚に成功する。
翠を纏った鳥のような姿が俺達の目の前に現れた。羽らしきものを優雅に羽ばたかせている。
「この召喚獣はね、『ケツァルコアトル』って言うの。丁度お嬢ちゃんが召喚しようとしていた『シルフ』の上位の召喚獣ってところかしら」
「あ、あああ、ああっ……」
それを見るやいなや、リマは涙を浮かべガタガタ震えながら後ずさりしてしまった。
明らかに実力が違いすぎる。
命乞いしかできない俺と、召喚に失敗したリマ。
それに比べ、短剣を携えた見るからに屈強そうな獣耳男と、いとも簡単に召喚に成功した杖女。
このままでは殺される。
「ワタシ、汚れるのがキライなの。だから、ワタシの代わりにこの『ケツァルコアトル』が貴方達を切り刻んで差し上げますわ」
杖女の発言が終わると、ケツァルコアトルの周囲から視覚化できるほどの風が渦巻き始めた。
ごうごうと、びゅうびゅうと音を立てて、だんだんと、強く、疾く、風が勢力を増していく。
やがて周りの草木が切り刻まれ、宙を舞い始めた。
そして、俺もリマはそれを震えながら見ることしかできなかった。
もう終わりだ。
そう思ったその時--
「お止めなさい! この二人を傷つけると言うのなら、代わりに私が犠牲になります」
姫は震える様子もなく、二人組に対し言葉を発した。
「姫が犠牲になられては困るわ。それでは姫を連れてこいとの命令が達成できなくなるもの」
杖女が呟く。
二人組は姫を傷つけることはしないようだ。すると、目の前から翠の召喚獣が消え、風がピタリと止んだ。それとともに獣耳男も短剣を鞘に収める。
「姫のお陰で命拾いしたな」
獣耳男が見下しながらこちらに吐きかけるように呟き、踵を返した。
「では、姫。大人しくこちらへ」
杖女の言葉を合図に、姫はゆっくりと歩みを進めだした。だが、その前にこちらを一度振り向き俺をじっと見たあと、すぐさま奴らの方を振り返り、
「ちょっと待って! 最後に少しだけ私を助けようとした男性と話をしたいの」
「話って何の話なんだあ?」
「大した話じゃないわ。だからお願い、少しだけ時間をくれないかしら」
「……三分だけ待ってやる」
獣耳男はローブのポケットから懐中時計のような物を取り出し、それを確認したあと姫に告げた。
三分。そう言ったあと獣耳男は、黙ってローブの内ポケットから時計のような物を取り出し、じっと見だした。天空の城にいるどこぞの大佐みたいだ。
そんな大佐の元を離れた姫が、コツコツと音を立てながら俺に近づく。
そして姫は俺の腕を掴み、リマとも距離を開けるように引っ張っていった。俺と姫の二人だけでこっそりと話すつもりらしい。
そして他のみんなに背を向け、
「ねえ? どうして私のことを後ろからずっとつけてたの?」
姫の顔は真剣そのものだった。
姫にバレてた。まさか、怒られるのか?
このタイミングでストーカーしてたことを怒られるのか?
嘘は言えない。俺は腹を括り、
「姫が魔物に襲われたりしないか心配で跡を追ってしまいました。……いや、姫に見とれてしまい、ついつい跡を追ってしまいました、の方が正しいかもしれません。いずれにせよ、こっそりとつけてしまい申し訳ございませんでした。罰があれば何でもお受け致します」
「そう……。では、これを受け取って」
「ぐううっ!?」
それは突然だった。見間違いでもなかった。
姫は、胸の辺りから謎の光を取り出し、俺の胸内に入れた。すっと入れたのだ。
俺の胸内に光が入る瞬間、焼けるような痛みが一瞬伴った。
しかし、あの光は一体……?
「これも受け取って」
「こ、これは?」
「今の光についての説明書です」
姫は、ポケットに入る程度の小さな巻物--説明書を俺に渡した。
「今のままではどう足掻いても、奴らには適わない。この状況を脱却できない。だから、貴方に光を託します。……他の誰にもさっきの光のことは言わないでね。これは私と、私を守るために追ってくれた貴方との秘密の約束よ」
姫はそう言うと、俺にウインクをして、
「もういいわ。三分も取ってくれてありがとう」
獣耳男に声をかけた。
そして奴らの元へと一人歩いて行ってしまった。
さっきの光は何だったんだ? 分からない。なぜ姫が俺に光を託したのかも分からない。
だが、確実に分かっていることがある。それは、このままだと姫が連れ去られてしまうということだ。
俺はこのままでいいのか? このまま姫に守られたままでいいのか?
奴らは姫に気を取られている。今なら奴らに一発ぶちかませるかもしれない。背後から襲えば勝算もあるかもしれない。
動け、動け、動け!俺の足!
しかし、自分自身を何度も奮い立たせるも足が動かない。
なぜ動かない? なぜ動けない? なぜ?
そうだ。怖いんだ。怖さが勇気を凌駕しているんだ。
そして、姫は奴らの馬車に乗せられ、走り去ってしまった。この草原に初めから存在しなかったかのように。
夕暮れの草原に静かに冷たい風が吹き付け始めた。
俺は、姫に守られてしまった。
そして俺は、またも姫を守ることができなかった。
俺の希望が、輝きが、目の前から消えてしまった。
「ナイトさん……」
「リマ、帰るぞ」
目的を失った俺達は、日が沈みゆく草原を後にするのであった。




