この世界の姫も女神様です
翌朝。
俺は昇り始めた太陽を窓越しに眺めていた。
こんなに早くから目覚ているなんていつ振りだろうか。もしかしたら、日曜朝のアニメを楽しみにしていた小学生の頃以来かもしれない。とにかく子どもの頃は起きるのが早かった。
だが最近の俺はといえば、専ら深夜アニメに移行してしまっている。昼夜逆転生活と言ってもいいかもしれない。そうなってしまったのも、きっと俺が大人になってしまったからだろう。
大人の時間まで夜更かしして起き、早朝の子どもの時間には寝ている。そんな子どものような大人。
うーん。不思議だ。
とまあ、そんなことよりも、だ。
この俺が真っ暗闇の中をせっせとランニングするおじいちゃんのように、早朝から起きているのにはきちんとした理由がある。
それはリマに一晩中狙われていたからだ。寝込みを何度も襲われ、キスを迫られていた。キスをされてしまったら契約解除となり元の世界へ強制送還されるため、俺は必死に逃げ惑った。おかげで一睡もできなかった。そして汗だくだ。
そのせいなのか、はたまた昨日のスライムとの戦闘のせいかなのかはわからないが、足腰と節々が痛い。俺はおじいちゃんになってしまったのかもしれない。
そういえば、契約について俺が新たに知ったことがある。
それは、『ペットが悪さをしたら、主人である召喚士も同様の罪に問われてしまう』という内容だ。
これにより、俺はリマの監視下に置かれることになった。つまり、ペットとしてリマにべったりできるということだ。ふひひ。キス以外のことを色々しまくってやろうかのう。
それともう一つ契約について知ったこととして、『契約の内容は二人だけの秘密にしておかなければならない』というものがあった。
契約内容--例えば、契約はキスをして行ったとか、もう一度キスしたら契約解除になるとか、そういった内容を秘密にしておかないといけないらしい。
もしバレたら、召喚士であるリマとペットである俺、その両方に何やら罰があるのだとか。
罰か、タライが頭上から落ちてくるとかそんなのだったら耐えられるけど、そんな生半可なものじゃないよなあ。
これはきっちりと守らねば。うん。
つまり整理すると、俺達が周囲に対して言えることは『俺達ペット契約しています』というその事実のみという訳だ。
それ以外の具体的な内容は一切言えないのだ。
俺が迎える異世界生活二日目。
本来ならこの日に元の世界へ還されることになっていただろう。だが契約中のため還されることはなくなった。
ふぅー。なんて清々しい朝なんだろうか。
「ナイトさん。朝になりましたね。早速ですけど朝ごはんにする? 朝風呂にする? それとも、ワ・タ・シ?」
俺と同じく一睡もしていないリマが何か言ってきた。キスをしようとこちらに唇を突き出している。ぷるんとしたみずみずしい唇だ。
朝食がてら今すぐにでもかぶりつきたいくらいだ。だが俺にはそれができない。
「汗かいたからとりあえず風呂に入らせてくれ。そしてそのあと朝ごはんを頼む」
「ちっ」
「リマさん? いま『ちっ』って言いましたよね!? はっきりと俺に聞こえるように『ちっ』って!」
「ちっ、うっせーな! 勝手に入ってこいよ。ほら、行けよ」
リマが風呂の場所を指さす。
リマさんはヤンキーですか?
キャラが百変化でもするのですか?
と言いたくなるのをなんとか堪えた俺は、早速朝風呂に入ることにした。
そそくさと洗面所で服を脱ぎ、ガラガラと戸を開け入室。
風呂場の内部はホワイトで整えられており、壁にはシャワーが備えられていた。浴槽からは湯気が立ち込めている。なんとなくおじいちゃんの家にある昔の日本の風呂を想像してしまった。
「シャンプー……シャンプー……。あっ、これかな」
風呂内にあった椅子に座った俺は、シャンプーではなく石鹸のようなモノを手に掴み、もさもさヘアーに擦りつける。たぶんこの世界にシャンプーはないのだろう。俺は髪をがしゃがしゃ泡立てて洗っていった。
そして目を閉じて瞑想。いや、妄想を始める。
毎日ここでリマが身体を洗っているんだよな……。この椅子に座って、この石鹸を使って……頭を……身体を……。
ぎゅふふふふ。
こういう想像をすることができるだけでも、異世界に召喚されて良かったと言わざるを得ない。
今の俺にはリマと一緒に風呂に入っている妄想までできそうだ。
『ナイトさん? 私のあられもない姿を見てください』
とか、
『ナイトさん? お背中お流しいたしますね?』
とか言ってそのまま風呂場でわちゃわちゃし始める俺とリマ。その後はうふふタイム開始だ。生まれたまま、ありのままの姿で大人の戯れを始めるのだ。
ひゅー! 生きてて良かったー! 元の世界では死んでるかもしれないけど!
……ん?
それにしても、妄想にしてはさっきからやけに声がリアルだったり、背中に何か当たっているような感覚がする。
なんかマシュマロみたいにやわらかくて、とろけそうな何かが当たっているような……。
気になった俺は静かに後ろを振り返る。すると……そこにいたのは……
「ナイトさん? 気持ちいいですか?」
気持ちいいかどうかを問いかけてくる水色の髪の乙女。
妄想じゃない。
これは正真正銘、本物のリマだ。
「っっえええええぇぇぇー!?!?」
「なに驚いているんですか?」
「いや、いやいやいや! 何で入ってきてるんですか?! てかリマさん!? 当たってる! 背中に! 当たってるよ!」
「ナイトさん? 当たってるんじゃなくて、当ててるんですよ? ということでキスしましょ」
……この子、本気だ。
本気で俺を消そうとしている。
俺を元の世界に還すために、色仕掛けで落とそうとしている。
目的のためならば手段は選ばない。そんな執念のようなものを感じる。
俺は終わる。色仕掛けに落ちたら間違いなく俺は終わる。絶対にキスをする。
そうなりゃ終焉、ジ・エンドだ。うふふな異世界生活もそこまでだ。
「そ、そんなに俺を消したいのか……?」
「ええ。変態はこの世界にとって脅威ですから。だから世界の変わりに私が変態を消します」
そう言うとリマはマシュマロを擦り付けてくる。
ヤバい、ガチだ。ガチで消される。
耐えろ! 俺! 絶えず耐えろ!
我慢タイムつららになってしまうがとにかく我慢だ!
一瞬のうふふのためにこれから起こり得るかもしれない全てのうふふを棒に振っていいのか?
否!
全てのうふふのために一瞬のうふふを捨てるんだ!
「うふふ。リマ、俺がこれしきで落ちてキスをするとでも思っていたか? 俺は変態だぞ? もっと凄いことをしないと! 俺は落とせんぞ!!」
「な、なんですって……?」
「そういうことだ! これにて失礼する!」
と言い、俺はそそくさと風呂場を出た。
いやー、危なかった。正直言って、理性崩壊寸前だった。
そしてまさか、リマが裸になってまで俺を消しにくるとは思わなかった。
「要注意だな」
俺は呟くと、いそいそと服を着て、
「あ、水で洗い流してなかった」
服を泡まみれにしたのであった。
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風呂を済ませた俺は、空腹を満たすために朝食を食べることにした。
今日のメニューはパンと野菜スープ、あと昨日の残りの肉だ。相変わらず何の肉かは分からない。しかしどの料理も美味しい。
「私は今から仕事に行きますけど、ナイトさんは今日何をする予定なんですか?」
今日の予定か……。
昨日は、一日限りのつもりで騎士体験しに行ったりしたけど、二日目以降の過ごし方は全く考えていなかった。何をしようか……。
「何もないようでしたら、とりあえず私とキスしときますか?」
「それは遠慮する」
即座に断りを入れた。
油断も隙もない。キスだけを狙ってきやがる。
「俺は、そうだな……。自宅警備員として家を守りつつ、リマの部屋を物色しようと--」
「ナイトさん? 今日も早速お仕置きされたいのですか?」
リマの眼光が鋭く光る。
それからすぐに、リマの右手が真っ赤に燃え、紅葉を散らせと轟き叫んでいるかのような幻を見てしまった。おお怖い怖い。
「近所でも散歩しようかと思ってる。色々見て周りたいし」
「それはいいですね! 今日は天気も良いし絶好の散歩日和ですよ、きっと」
そう言ったあとリマは、思い出した! というような表情を見せ、
「あ、そうだ! 今日はこれからお姫様が『神授の儀』へ向かわれる日でした。よかったらこれから一緒に見に行きませんか?」
と、俺を誘ってきた。
今のリマはあどけない女の子の表情だった。きっと今は俺を消すことなんて考えていないのだろう。これが本来のリマなのかもしれない。
そして俺は『姫』というワードにピクリと反応してしまう。
この世界の姫か、一度見ておきたいな。
「そうだな。ただ辺りをぶらつくのも何だし、姫を見に行こうかな。……で、その『神授の儀』ってのは何なんだ?」
聞き慣れないワードについて疑問を感じ尋ねてみる。
そしてリマから聞いた話によると、『神授の儀』というのは、姫が二十歳になって一人前になる際に執り行われる儀式のことらしい。
どんな内容の儀式なのかは不明とのことだが、これからその儀式をするために、姫はたった一人でこの街から出るとのこと。そして街から離れた場所にある塔へ向かい、その塔の中で儀式をする、という流れだそうだ。
つまり今日は、お姫様が儀式をする為に塔へと向かわれる日、という訳だな。
……ん?
「儀式をする塔には一人で行くって言ったが、危ないんじゃないのか? その、モンスターとか」
「大丈夫ですよ。これまで何も起きたことはありませんし、もしモンスターが現れてもお姫様は戦えます。少なくともナイトさんよりは」
うっ……痛いとこを突いてくるな……。
スライムよりも弱い俺が憎い!
「そういうもんなのか。なんか本当に平和って感じだな」
「何も起きない平和な日常。幸せなことです。……では、朝食も済ませたことですし、そろそろ行きましょうか」
--
俺とリマはローブを身に纏い、家を後にした。
そして姫が通るという道にやってきた。
道沿いには既に人集りができている。
みんな姫の姿を一目見ようと張り切っているようだ。
「ここです。この辺りにいたらお姫様が見れますよ」
「人が多くて……よく見えないな」
お祭りのような賑わいで、多くの人でごった返している。老若男女、様々だ。エルフやオーガといった、人間以外の種族も多くいる。
「お姫様が出歩く事なんて滅多にないですから、みんな楽しみなんでしょう……と言っているうちに、お姫様来ましたよ! ほら!」
……なんと言えば良いのだろう。
一瞬だけ、人の隙間から見えた姫だが、まさに神秘的な魅力を放っていた。
新雪のように真っ白な髪、すらりと伸びた手足。悠然と歩く後ろ姿。
元の世界にいた姫と似た何かを持っている気がした。
俺はこの姫を守らねばならない。
姫を一目見たときから、その思いだけが俺を一瞬で支配した。
「エレス姫ー!」
「エレス姫……ああ、エレス姫!」
姫を見に来た者達が所々で名前を口ずさむ。
あのお姫様、エレスって言うのか……。
俺は、エレス姫の騎士になるんだ……。
そして気がついた時には、姫の後を少し距離を空けるようにしながら、ゆっくりと跡を追っていたのであった。
「--さんっ! ナイトさんっ! 聞こえてますか?」
「……あ、ああ、リマか。俺は大丈夫だ」
無意識だった。俺はまたもや姫の美しさにやられてしまった。
もしかすると俺は姫属性に弱いのか?
というか、跡をつけるなんてストーカーそのものじゃないか。
……だが、俺は追わなければならない。
「んもう! 急にふらふらとお姫様の跡をつけて行くんだから、何事かと思いましたよ! あ、もしもーし、ナイトさん? 聞いてます? キスしますよ?」
「リマ。俺は、姫の跡をつける」
俺の予想外な言葉にリマは驚いたようだ。目をぱちくりしている。
「は? 何を言っているんですか? あ、さては私にお仕置きされたいんですね。だからそういう事を言う--」
「リマ、俺は本気だ。本気で跡を追う。追わなければならない気がするんだ」
突然のストーカー宣言を聞き、リマは怒ったようだ。真剣な目をしている。
「ナイトさん、いい加減にしてください。消しますよ?」
「消したければ消せばいいさ。だがたとえ消されようが俺は行く。何、心配はいらないさ。姫が神授の儀を終えたらちゃんと帰ってくる。それに、リマはこれから仕事だろ? さあ、仕事に行くんだ」
「これはお仕置きですね」
リマは右手を真っ赤に燃やしてきた。
だが俺の右手がすぐさまリマの手を抑えつけ、あえなく鎮火。
そうそう何度もビンタをくらう訳にはいかない。
「……もう知りません!」
ビンタ不発で終わったリマは、ぷんすかしながら俺と姫とは逆の方へと行ってしまった。随分と怒らせてしまったな……。
だが、俺はどうしても行かなければならない。すまない、リマ。
こうして、主人の元を離れたペットの壮大なストーカーが始まるのであった。