世界の創世、アタシの自由
おっさんは何者かによって操られていたのかもしれない。
いつからなのだろう。一体いつから操られていたのだろうか。
召喚された時から? アタシと出会った時から? 蜘蛛に糸を絡められた時から? アタシが勇者と言った時から?
おっさんはブロンザの長剣を身体に受けると、真っ赤な血しぶきを上げながら、ぷっつりと糸が切れたかのように地面へと崩れ落ちた。
まるで傀儡師が突然消えた操り人形のようだった。
絡められた糸が寸断されたおっさんは、地面に倒れている。身体が動くことはない。
自分で身体を動かせず、不自由になったはずなのに、様々なしがらみから解放され自由になったように見えた。
自由になりすぎて、これから天へと旅立つのかもしれない。おっさんは馬鹿だから、すぐに高い所へと行きたがる。
おっさんの身体はだんだんと白くなっていく。真っ赤な液体を流しながら、だんだんと。確実に。
人は簡単に死なないと思っていた。
だって、アタシが生きてきてから一度も身内が死んだことがないのだから。
これまで生きてきた中で唯一死んだことがあるのは、シエルの家族だけだ。
シエルだけは、アタシに死を教えてくれる存在だった。
アタシは、シエルだけはその死から守らないといけないと思っていた。
少なからず薬学を勉強し、力になろうともした。
そんなシエルは例の病気を発症していないようで、すごく安心したことはまだ記憶に新しい。
これでアタシの周りには、死はまとわりつかないと、そう思っていたのに。
アタシのせいだ。
アタシのせいで、おっさんが死んだ。
アタシがおっさんのことを勇者と言ってしまったから、おっさんはその気になってしまった。勇者となったおっさんが男同士の戦いなんていう世界を創り出してしまった。
そしてアタシは、その世界を破壊することなく、ただ傍観していただけだった。だから、おっさんはその世界に唯一存在するもう一人の男によって殺された。
だから、おっさんは死んだ。
アタシは、おっさんという人形をこの世界の片隅から眺め、操る傀儡師だった。
「これで一人片付け完了っと。まだあと十刻あるし、もう二、三人いっとくかあ」
男同士の世界から抜け出したブロンザの声が、アタシの耳に入ってくる。
こんな声は、聞きたくない。
こんな世界も、見たくない。
何もかもを、感じたくない。
アタシは耳を塞ぎ、目を閉じ、その場にしゃがみこんで、感覚を遮断した。そこにはアタシだけの隔離された世界が広がっていた。
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
音もない、光もない、時の流れも感じない。沈黙だけが流れている。
自由とは、沈黙以外何もないことなのかもしれない。
アタシだけが存在しているアタシだけの世界で、アタシはそう感じていた。
アタシはシエルとともに自由になるために、そして外の世界の情報を知るために屋敷を出た。それなのに今のアタシは情報を遮断し、外の世界からアタシだけの世界に移り、そして自由を感じている。
自由とは、外部の人やモノによってもたらされるものではなくて、内部にいるアタシ自身によって生み出されるものなのかもしれない。
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
いつまでも続く沈黙。
何も聞こえることはない、孤独の世界。
アタシはこの世界に声を生み出すことにした。だが、声は出なかった。沈黙が声を圧殺した。
言葉自体は、自由だと思う。
「シエル」
アタシの大好きなこの言葉を口にして、アタシの世界に生み出そうと思ったのに、それができなかった。
喉が渇いて声が出なかったとか、そういうことではない。ただ、声が出なかった。たった一言、三文字の言葉を発することができなかった。
シエルという言葉は私の世界には入り込めない。外の世界で生きる言葉らしい。
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
あれからどのくらいの時間が経ったのだろう。もう十分間経って、ブロンザは消えてしまったのだろうか。それとも数秒程度しか経っていないのだろうか。
なんにせよ、この世界では分からない。
今のアタシは自由だ。
沈黙という点を除けば、本当の無の世界となる。アタシが自由にできる世界になる。
しかし、アタシの世界は確かに自由なのだけれど、この先どこに行けばいいか分からない。
目的地もないこの世界では、あてもなく彷徨うことしかできない。
何もないのだから、当たり前なのかもしれないけれど。
目を凝らして遠くを見ても、何もない。耳を澄ましても、何も聞こえない。そんな何もない真っ白な世界をアタシは彷徨っている。
次第に不安が押し寄せてきた。アタシはこの世界で独り彷徨い、誰にも見つかることのないまま、死にゆくのかもしれない。
「シエル」
もう一度、アタシの大好きな言葉を口にした。次は助けを求めるように。
でも、やはり声にすることはできなかった。シエルという言葉は沈黙によって殺されてしまう。
そうか。言葉は相手に届けるものなんだ。だから独りの世界に言葉は不要なんだ。だから口にしようとしても、世界によって殺されてしまうんだ。
……だったら。もう口も閉じて構わないよね。
そして、アタシは言葉を失った。
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
アタシの世界に移ってからどのくらい経ったのだろうか。何もないはずのこの世界に、どこからか懐かしい香りがしてきた。
外の世界では、耳、目、口からの情報を遮断しただけだった。だから、鼻からの情報がアタシの世界に入り込んできている。そういうことなのかもしれない。
でもさすがに鼻を塞ぐことはできない。
鼻を塞ぐと、息ができなくなって死んでしまう。アタシは死にたくない。生きていたい。
鼻だけが、外の世界とアタシの世界を繋ぐ、たった一つの拠点だった。
その拠点から、甘く、優しく、やわらかく、懐かしい香りが漏れ出て、アタシの世界を包み込んでいく。
アタシはこの香りを知っている。アタシを落ち着かせ、素直な気持ちにさせてくれる香り。アタシが大好きな香り。
アタシの世界は、この香りを底なしに受け入れる容量は持ち合わせていなかった。
大好きなやさしい香りが溢れんばかりに充満し、アタシが創り出した沈黙の世界にひびが入る。そして、音を立てることもなく、いともたやすく壊されてしまった。
アタシは耳を塞いでいた手をはずし、目をそっと開ける。
アタシが拒絶した外の世界。そこで待っていたのは--シエルだった。
シエルが小さく縮こまったアタシを抱きしめていた。
「シエル……?」
口を開けてその名を呼ぶ。
「サーチャ。僕がついてる。だから--」
シエルはその先を言わない。だけどその代わりに、強く優しく、抱きしめてくれた。
その途端、やさしい香りがアタシを包み込んだ。この香りは、アタシの世界を壊してくれた香りだ。
外の世界でも、先ほど壊されたアタシの世界でも、アタシはこれまでシエルに何度助けられてきただろう。
次第にシエルに対する想いが溢れてきた。今のアタシには、この感情を胸の内に留めさせることはできそうにない。
周りを見渡すと、またも真っ白い世界が広がっていた。
でも、今度は独りじゃない。今はアタシとシエルの、二人だけの世界が広がっている。
今のアタシなら、素直になれる。
アタシは想いを伝えるため、口を開こうとした。その時だった--
「おい」
外の世界から低く鳴り響く、抑揚のない声。
その温かみのない凍りきった声によって、アタシとシエルの世界は容易く壊されてしまった。
声の主は--ブロンザだった。
「二人には悪いが、ここで死んでくれや。仲良くあの世へ行きな」
そう言うと、ブロンザは長剣を天へと掲げ、何のためらいもなくアタシ達へと振るった。
その日、二度目の血しぶきが舞い上がった。




