新しい世界、初めての経験
蜘蛛との戦闘から二日後、アタシ達はついに森の出口へと辿り着いた。
久し振りにアタシを照らしつける直射日光が、暗い迷路から脱出し出口へと辿り着いたことを実感させる。
「やっと抜け出せたね! サーチャ!」
シエルは少年らしいはつらつとした声で私に話しかけたあと、開放感いっぱいといった様子でぐーんと背伸び。登り始めた太陽を掴むかのように両手を空に伸ばした。
その時、ゆるやかに吹きつけた一陣の風。
それは、あたり一面に敷き詰められた緑色の絨毯を靡かせ、ふんわりと舞う綿毛とともに、シエルの開放的な声を心地良さそうに連れ去っていった。
その綿毛が飛び去った先に見えたのは、ドルチェ王国へと続く黄土色の街道。地平線の彼方までうねりを見せている黄土色のそれは、アタシの冒険心をくすぐり続ける果てのない光景だった。
山岳地帯で育ったアタシには眩しすぎるくらいの広大で綿密な世界。この光景は、見た者の心までもを澄み渡らせるような、そんな不思議な魔力を持っているような気がした。
「湿った空気感や森のかび臭さもない、晴れ晴れとした気分ね」
「そうだね。久々に、外だーっ! って気分がするよ。まあ、森の中も外ではあるんだけどね」
アタシが言ったことに対してリマが答える。
鬱陶しいくらいに見続けていた茶色の森を心のどこかで不満に思っていたのだけれど、それはリマも同じだったようだ。
「サーチャ。世界って、こんなに広いんだね」
「そうね。今までは誰かが記した古びた本だとか、人から聞いた話の中でしか世界を実感できなかったけど、いまアタシ達は真新しい世界を、自分の目で、耳で、肌で実感してる。凄いことよね」
アタシにも、そしてシエルにも、この世界は輝いて見えているのだと思う。
アタシ、旅をしているんだ……。
つい最近も感じたことだけど、今回はまた違う感覚。誰しもを平等に包み込むこの世界のおおらかさに、心から圧倒されているような感覚だった。
「みんな、私を出口まで導いてくれてありがとう。私一人だけではきっと迷い続けて野垂れ死んでいたことだろう。心から感謝する」
アイラが深々と頭を下げ、礼を述べた。
「アイラ、こちらこそよ。森では魔物から守ってもらったり、話し相手にもなってもらったわね。本当に助かったし楽しかったわ。ありがとう」
アタシもアイラに応えるように、感謝を伝えた。アイラには本当に世話になった。
下手したら大切な人が、大切な仲間が、蜘蛛にやられてたかもしれないから。
「ところで、私達これからドルチェ王国へと向かう予定なんですけど、もしよかったら一緒に行きませんか?」
リマが誘いの言葉をアイラに伝えた。
「む、そうか。それならドルチェ王国まで共に行こう。私も仲間達の元へ早く戻らないといけないしな」
「よーし、アイラの為にも急いでドルチェ王国に向かうとするか。それとあったかい宿屋に泊まる為にも。ということで行くぞー」
アイラの合意を得たところで、もうすぐで糸による簀巻き状態から解放されるであろうおっさんの号令が入った。そして、
「本当はあったかい宿屋に泊まるという後者の方が本音ですよね」
というリマのツッコミも見事に決まったところで、アタシ達は早速ドルチェ王国へと向かうことにした。
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空の真上に日が昇った頃、アタシ達はドルチェ王国に到着した。初めての他国。アタシは胸を躍らせた。
城下町の入口からぐるりと辺りを見渡す。
端から端まで整備された石畳が綺麗に並べられている。
その整備された道の上では、様々な種族が様々な色の服を着て、歩いたり走ったり行き交いながら喧騒を奏でていた。
ずらりと並ぶ建物も、アタシの屋敷と同じかそれ以上の高さを誇るものばかりだ。
まだ入口に立ったばかりなのに、アタシが育った村が何十個も入るくらいの広さがあることを感じ取れた。
「街も、人も、建物も、何もかも桁違いね」
「うん。これがドルチェ王国なんだね。凄すぎて訳がわからないや」
「……ねえ? 村を出てよかったと思う?」
「僕はよかったと思ってるよ。こうやって新しい世界に触れられる機会なんてそうそうないからね」
「アタシもよ。村を出てよかった」
シエルと互いに感想を述べ合う。
初めての街。アタシ達が見たことのない新しい日常。この街では、村とは流れる時間が違うんじゃないかと思わせるほどに、せわしなく人やモノが流れていた。
「ではみんな、私は仲間達と合流するために城へ戻る。みんなの旅の無事を祈っているよ。今日まで本当にありがとう」
「こちらこそよ、元気でね」
アタシはアイラと別れの言葉を交わした。そしてアイラはにっこりと微笑み、颯爽と街の中へ消えていってしまった。
「素敵な騎士さんでしたね。ナイトさんの何倍も」
「俺は騎士であって騎士ではないような、そんな騎士だからな。あのような本物の騎士と比べちゃあいかんよ」
「意味わかんないのよ、おっさん」
本当におっさんの言ったことの意味はわからなかったけど、アイラが立派な騎士であると言いたいんだなということは汲み取れた。
……アイラ。またいつか、機会があれば会って話したいな。
「よし! じゃあ街を冒険するとしますか!」
おっさんが意気込んで目を輝かせ始めた。
冒険か……。悪くはないわね。
それから街の中をしばらくの間練り歩いたアタシ達は、街角にある一つのお店に立ち寄ることになった。
お店の看板には『ドルチェ王国へやってきた俺はソフトクリーム屋を始めることにした』と書いてある。どうやらコレがお店の名前らしい。
察するに他所の国の人がここドルチェ王国にやって来て経営しているお店のようだけど、ソフトクリームって一体何なのかしら。
「この世界でソフトクリームが食えるとはな。どれ、いっちょ買ってみるか」
「ちょっとおっさん、ソフトクリームって何よ」
ソフトクリームのことを知っているらしいおっさんに聞いてみた。
「なんだ、サーチャはソフトクリームを知らないのか? まああの村にはそういうのなさそうだもんな。田舎育ちだからしょうがないか」
「田舎で悪かったわね、田舎で。異世界のおっさん」
「そんなふてくされんなよ。それよりこの世界でも各地で食文化とか違うんだな。ソフトクリームは全世界、いや、全異世界共通の食べ物だと思ってたんだが。まあ、どんなもんかは食べてみれば分かるさ」
おっさんはそう言うと、ニッと白い歯を見せる。
なんかもったいぶった言い方で返されたわね。こうなったらアタシも買って確かめるしかないか。
そしてアタシはとりあえずチョコ味というのを買ってみることにした。
またアタシの後に続いてリマとシエルも購入。どうやらシエルはバニラ味というのを選んだらしい。
そして間もなくして、お店のおじさんからソフトクリームと呼ばれる食べ物を受け取った。
どれどれ。
茶色くてなんだか蛇のようにとぐろを巻いたものがコーンって呼ばれてたものの上に乗っかっているわね。
それにコーンから少しだけ冷気が伝わってくる。氷の魔法でも使ってあるのかしら。匂いはほとんどしないわね。
見た目と匂いを確かめたアタシは、次に味を確かめることにした。
口をちょびっとだけ開けてとぐろの上部から恐る恐る噛みつこうとしたその瞬間、
「ソフトクリームはだな、自分で食べるものじゃなくて、他の人に食べてもらうものなんだ。それと、食べるときは噛むんじゃなくて舐めとっていくんだ」
おっさんがみんなに説明を始める。
それを聞いたリマが、
「他の人に食べてもらうもの、ってどういう意味なんですか?」
おっさんに尋ねる。
おっさんは未だにぐるぐる巻きの簀巻き状態となったままだが、手首より先は自由に動くため、その手にソフトクリームを持っている。その器用に持ったソフトクリームを見せながら、
「俺のコレをリマが舐める。そういうことだ」
「それ本当ですか?」
「本当だとも! 俺が嘘を付いているように見えるか?」
じとっとした目でおっさんを見るリマに対し、おっさんはいつになく真剣な眼差しでリマを見ていた。どうやら本当みたい。
でも他の人に食べてもらうなんて、変な食べ方をするわね。これがソフトクリームの正しい食べ方なのかしら。
まあ、でも確かに他の人から食べさせてもらった方が美味しいような気がする。
アタシが熱を出して寝込んでいた時、ママが寝る間も惜しんでずっと看病してくれてたっけ。それでスプーンで掬ったごはんをアタシにやさしく食べさせてくれて……。あの時のごはん美味しかったなぁ。
と、アタシが物思いに更けていたところ、
「ああっ、このいい天気のせいでソフトクリームがもう溶けそうだ! リマ、早く! 早く俺のを舐めるんだ!」
おっさんの急かす声が聞こえてきた。
リマはそれにしぶしぶ応じ、おっさんの腰元にかがみ込む。そして口にかかりそうになっていた髪を手でかきあげて、おっさんのソフトクリームを今にも舐めようとしていた。
すると、
「ソフトクリームが食べられるなんて最高かよ!」
と、アタシ達の後にソフトクリームを買った戦士の格好の青年が、はつらつとした笑顔を見せながらソフトクリームを舐めとっている姿が飛び込んできた。
どこからどう見ても他の人に食べてもらう様子はない。それどころか自分で食べている。ってことは……。
アタシはもう一度おっさんを見てみた。
明らかにおっさんは表情が曇っていた。
「ナイトさん? 他の人に食べてもらうものってさっき言いましたよね? 嘘だったんですか? 私のことを舐めてたんですか? 舐めてたんですね? キスして舐め回しますよ?」
「リマ、落ち着いてくれ。その、なんだ、クールに行こうぜ。ソフトクリームだけに」
「もう許しませんっ!」
リマがおっさんを追いかけ回し始めた。
逃げる簀巻きのおっさんと追いかけるリマ。いつもの二人だ。
そして危うくアタシも引っかかるところだった。あのおっさん、真面目な顔をして平気で嘘をつくから、ほんと油断ならないわね。
そんなおっさんとリマのやり取りを見終わったアタシは、手に持ったソフトクリームを舌先でちょこっとだけ舐めてみた。
あ、美味しい。
見た目の怪しさからは想像できないくらいの甘さね。なんだか身体がとろけちゃいそう。
あと、思ってたよりも冷たくて舌がひりひりする。
あ、アイツはこの初めての味をどう思っているのかな?
気になった私は、横目でちらりとシエルを見た。
そんなシエルは、舌先をちろちろさせながら白いソフトクリームを舐めていた。
無邪気な少年のように、ちろちろ、ちろちろ、と舐めている。
青い目をきらきらと輝かせ、白い髪をさらさらとなびかせながら、赤い舌でちろちろと舐めとっている。その姿にいつの間にかアタシは目が離せなくなっていた。
その姿をつい、ちらちら、ちらちら、と見てしまう。
そしてアタシの視線を感じたのか、シエルが気付いてしまった。
「どうしたの? あ、もしかしてコレを食べたいの?」
シエルがバニラ味をアタシに差し出してくる。
「ち、違うわよっ! その、アンタに見と--」
ここまで言って気づいた。
アンタに見とれて目が離せなくなっていたなんて恥ずかしくて言える訳ないじゃない!
ど、どどど、どうしよう……!
えーい! もうこうなったら……!
「こほんっ!」
アタシは大きく咳払いをして、
「まあ、そうよ。アタシもその味を食べたいなと思ってたの。だ、だから、アタシにそれを食べさせなさいっ! そしてその代わりに、アンタはアタシのを食べること! いいわねっ!」
お、思い切って言ってしまった……。
もう後戻りはできない。
「え、僕は別に大丈--」
「だめよ! アタシだけアンタのを食べたらアンタの分がなくなっちゃうじゃない! だからアンタはアタシのを食べることっ!」
「そ、そこまで言うのなら……。わかったよ」
そして、シエルとアタシのソフトクリームを交換。
さっきまでアイツが舐めていたそれを目の当たりにする。見たところ、先端の方が溶け始めていた。
もうやるしかない!
アタシは、それを舌先で綺麗に舐め始めた。
上から下へ、そして下から上へ。また横から横へ這うように。丁寧に、慎重に、溶けだしたものが零れないように、舌を沿わせて舐めとっていった。
肝心の味については、チョコ味と同じで甘ったるくて痺れるような不思議な味がした。そんな不思議な味だけど、美味しいと感じた。
こんなに美味しいと感じるのは、未知の食べ物だから? それともシエルが食べたものだから?
シエルも、アタシがさっきまで舐めていたものを舐めている。ちろちろと巧みに舌を使いながら。
それから、お互い無言で全てを舐め尽くした。
冷たいそれを全部舐めとったあとも、恥ずかしさで火照った身体は一向に冷えそうになかった。
シエルも心なしか耳が赤いような気がする。赤……。綺麗な赤だったなあ。アイツの舌。
って、アタシは何を考えてるのよっ!
落ち着け、アタシ!
そんな妄想をひとしきり暴走させ、そして、冷静になったアタシは今やったことを振り返ってみる。
アタシ、間接キスしちゃったんだ……。しかもシエルと……。
初めての味とシエルとの初めての間接キスを経験し、ちょっとだけ大人になれたような、そんな気がした。




