ウホッ!筋肉男とガリ男!
これまでに聞いたことの無いような爆音だった。
その音とともに家全体がガタガタと揺れた。山積みされていた本はバサバサと音を立て、羽をもがれた鳥のように床へとなだれ落ちていく。床に積もっていたほこりは粉雪のごとく宙を舞った。
これまでの平穏な日々が崩れていく、そのような気がした。嫌な予感しかしない。心がざわつく。
「ん?」
俺は崩れた本の山から一冊の本を見つけた。
『筋肉と筋肉の狂乱〜ウホウホ男大全集〜』
すげえタイトルだ。
ってこれはまさか……?
「み、見ないでくださいっ!」
リマが慌てて俺からブツを奪い取った。
俺にはわかる。あの本はある特定の女子御用達アイテムだということが。
「リマってまさか、腐女--?」
「あああっ! 死んで消え去りたいっ!!」
おい、リマ。
簡単に死んで消え去りたいなんて言葉、早速口にしやがって。ついさっきの俺の感動を返せ。
とまでは流石に言えない。だが、まさかリマが腐女子だったとは……。驚きだ。
リマは今にも死にそうな、絶望といった表情をしている。
でも確かに、さっき俺に説教してたときに受けだの攻めだの言ってたような気もする。あれは心の中からついつい飛び出したリマの腐の一部分だったのかもしれないな。
しょうがない。変態のこの俺が、いっちょ先輩として励ましてやるか。
「リマ。オープンにしていこうぜ。恥ずかしがることじゃないさ。変態の俺が保証する」
「私を変態みたいに言わないでくださいっ!」
「え? 変態だよ? どう見ても変態だよ? やっぱり類は友を呼んだんだな」
「こ、この本を読んでて何が悪いんですか! 男と男の絡みが好きで何が悪いんですか! 男同士で高め合う姿を想像して何が悪いんですかっ! それと私は変態なんかじゃないですっ!!」
リマはまくし立てると、踵を返しドアを開けた。リビングのほうへ逃げるつもりだ。
「ま、待てリマ! そっちの方は--」
そっちの方はダメだ! 爆音がしてただろうが!
と言う前にドアが閉じられ遮られた。
俺も慌ててドアを開けて部屋を出る。
リビングに移り玄関を見たところ、玄関のドアが派手に吹き飛んで潰れていた。そして玄関があったであろう入口辺りに一人の男が立っている。
まだ俺が見た事のない男。体格は大柄で手にはゴツゴツとした棍棒が握られている。
目の前の男は明らかにヤバい。闇夜に照らされた男からは、そう感じるには充分ともいえる迫力が溢れ出ていた。
「ぐふふ。水色の髪の女、見いつけた」
「な、何ですかあなたは!」
「俺か? 俺は用があってここへ来た。ぐふふ」
「どうやら客人じゃないようだな。何の用で来た」
「ヘタレ男も見いつけた。ぐふふ」
大柄の男が濁ったような声で呟く。
『ヘタレ男』と言ったということは、少なくとも俺が弱いことを知っているらしい。
「お前、誰の差し金だ?」
俺には誰の差し金か心当たりがあるものの、念の為に聞いてみる。俺の特徴を知っていて、俺を襲ってくるような輩を送り出したのは、奴らしかいないはずだ。
「ぐふふ。貴様は馬鹿か。わざわざ誰の差し金かを教えてやる訳がないだろうが。俺はただ、命乞いしかできない貴様と召喚のできない召喚士を殺しに来た。それだけだ。ぐふぐふ」
その情報だけで充分だ。やはり奴らの差し金だ。きちんと始末しにくる辺りは流石だと褒めるべきか。
「リマ。お前は奥の部屋に隠れてろ。いいな」
俺がリマに伝える。
リマは頷いたあと、奥の部屋へと消えていった。
「女を隠してお前だけ戦おうってか? 弱いくせにヒーローを気取りやがって。……まあいい。召喚士の女は後でじっくりと……べろんべろん。ぐふふふふふ。探し出して始末するとしよう。まずはお前からだ!」
俺は咄嗟に後ろへ跳躍し男の攻撃を間一髪で回避。
右から左へと一閃された棍棒は、動線上にあった椅子やテーブルを破壊音を伴いながら巻き込み薙ぎ倒した。テーブルの上の料理は床へと落下し、食器類が粉々に砕ける。
「俺はこっちだ。狙いが甘いんじゃないのか」
「震えながら何言ってやがる」
俺はやはり死を目の前にすると恐怖心からかどうしても震えてしまうようだ。膝が笑っている。
だがこのまま震えていたら今度こそ確実に終わりだ。
足は、動く。そうだ、俺は戦える。
騎士の試験の時に借りたままだった物干し竿が俺の背後に見え、瞬時に掴む。頼りない武器だがこれで棍棒野郎を倒すしかない。
ちらりと窓に映った自分の表情を見てみる。
うん。我ながらいい目をしている。恐怖に怯えていない目だ。そして口角を上げて笑う。そう、俺はやれる。やれるんだ!
「この震えは怖いからじゃない、武者震いだ」
「ガタガタうるせぇ! 震えねぇようにすぐに静かにしてやるよ! 俺の棍棒でな!」
男が上から下へと勢いよく棍棒を振りかざし、床に地割れのような衝撃を与えた。ぼっこりと抉れた床が破壊の凄さを物語っている。直撃したら大惨事だろう。
ただ、速度は俺の方が上回っているため躱すことは容易だ。前回の攻撃に続き今回も背後に華麗にバックステップ。難なく回避してみせた。
「棍棒野郎、お前はパワーばかりでスピードは全然の能無しのようだな」
「貴様はちょこまかと逃げ回るだけの能無しのようだがな」
「逃げるが勝ちという言葉を知らないのか? 能無し棍棒野郎」
実際、俺は逃げ回ることしかできない非力な男だ。だってしょうがないじゃないか。怖いんだもの。騎士レベルゼロのニートなんだもの。
それにそもそも、棍棒相手に物干し竿で対峙できるとは思えない。棍棒の攻撃を物干し竿で受けたその瞬間に破壊されるのがオチだ。なのでしばらくは回避と防御に専念するしかない。
ただスキあらばこちらからも攻撃を仕掛けたい。
が、なかなか予断を許さない状況が続く。
棍棒野郎の動きが遅いお陰でなんとか回避はできているが、回避するのにも体力がいる。いつまで俺のスタミナが持つかは分からない。
また棍棒野郎の攻撃が来る。だが遅い。上から下へと棍棒が振り下ろされるのがはっきりと目視できる。こんなの幼稚園児だって見切れ--
と思った瞬間、俺は壁に背中から激突。
「かっ……は……!」
乱れた体勢と呼吸を整えることはできず、そのまま壁を背に、ズルズルと床までずり落ちてしまった。
な、何が起きたんだ?
確かに俺は躱したはず。
なのに、ドカンッ!!
という床の破壊音とともに吹き飛ばされた。
背中から壁に強く打ちつけられたせいで呼吸ができない。それに背中も痛い。選手生命の危機になったらどうするつもりだよ棍棒野郎。
どうにか痛みを堪え呼吸を整えた俺は、断固たる決意で立ち上がろうとした。だが、予想以上にダメージが大きかったのか脚がいうことを効かない。脚にきたボクサーみたいにふらふらとなってしまっている。
「ぐふふふ。ヒーロー気取りは爆発だ。俺の棍棒でお前の能無し脳みそも鮮やかに爆発だ」
「へ、へえ……。そりゃあ大層な血みどろアートになるんだろうな。リア充と芸術は爆発だ! ってか」
つい強がって挑発するような事を言ってしまったが、このままではマズい。あっという間に俺の死が訪れてしまう。
俺の足取りがふらふらなうちに、奴がのっそりと死の間際を楽しむかのように詰め寄ってくる。
一歩一歩、確実に歩み寄ってくる。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。
死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない!
「く、来るなっ! 俺はまだ死にたくない! 俺の人生を歩むって決めたばかりなんだっ! ああもうっ! 俺の死亡フラグなんか折れちまえよ!」
「ぐふふふ。やっと怯えた顔になったな。これでこそ殺し甲斐があるってもんだ」
こ、殺し甲斐? 怯えた顔?
俺はどうにか壁伝いに立ち上がり、窓に反射する自分を見てみた。そこには先程の自信に溢れた俺ではなく、諦めを覚悟したかのような黒い瞳の俺がいた。
こんな筈ではない。こんな筈では……。
自分自身へ問いかける。しかし何も変わらない。
変わらないのは何でだ? 受け身だからか?
どうして俺の瞳には光が宿っていないんだ?
……ひ、光?
そうだ、姫!
「じゃあな。能無し」
光明を見つけたその時、窓に反射した世界から奴の低い声が鼓膜を伝わった。
そして、ぶうん! と棍棒が俺の脳天目掛けて振り下ろされ、空気を裂く音が聞こえた直前--
アイズバック!!!
微かに灯った己の瞳を見ながら、心の中で、大声で叫んだ。




