咲き初める想い(6)
「シャイル様が……ですか?」
エーデルからの報告を受け、レアンはその場に硬直した。心臓が不快に鳴りだす。
「ついさっきな。起きる直前に夢の中に出てきて……なんか、お前に言付けだってよ。今すぐリウビア国に来いって」
「今すぐ?なんでそんな急に……」
ライゼの言葉に、エーデルも「さあな」と肩を竦めた。
「シャイル殿の所には、今はチドリ殿がいるのではなかったか?シャイル殿が、二人の状況を知っておらぬとは思わぬのだが……」
「だよなあ。なんで引き合わせるみたいなこと……」
「……恐らくシャイル様は、俺に機会をくれたのだと思います」
レアンが呟く。
「俺が、チドリ様に会える口実を……チドリ様と話せるように、配慮して下さったのでしょう」
「ああ……そういうことか」
カイトが得心顔で頷く。
レアンの体が震えた。
会いたいという気持ちと恐れとがぶつかる。昨晩の決心が虚勢に思えてきてしまった。浅く息をし、耳の奥に響く鼓動を鎮めようとする。手に冷や汗が滲んだ。
「……で?行くんだろ?」
エーデルが見据える。息が詰まり、返事が出来なかった。唇は動いても、言葉が紡げない。
「おいおい。昨日の言葉は嘘だったのかよ?今更怖気づいたってのか?」
「そ、そういうわけでは……」
「まあいきなり言われたらねえ。心の準備ってもんもあるし」
「フン!そんなもの、死ぬまで出来るわけないだろ。怖くたって行くしかねえんだ」
エーデルの杖の先端が、純白の光を帯びた。レアンの足元に、魔法陣が展開する。心臓が肋骨を激しく叩いた。
「あ、あの、ちょ、待っ……!!」
「うっせえ!ゴチャゴチャ言わずに行ってこい!!」
「頑張れよ!レアン!」
「また良い酒用意して待っててやるよ」
「うむ。気をつけてな」
「いってらしゃいませー!」
部屋の景色が回転し、体が宙に浮いた。
一方のリウビア国では、チドリが首を傾げていた。
朝、起きぬけにステラに腕を引っ張られ、「今日は気合入れるわよ!」と何やら意気込まれたまま、香油を垂らした湯に入れられたり髪を整えられたりと、身支度に追われたのだ。特に出かける予定も無かったはずなので、チドリは何事かと混乱するばかりである。
今はあてがわれた部屋で、ステラがああでもないこうでもないと服を散らかしている。イリオルス国でいつも着ているようなワンピースの形をした服で、裾や袖にちりめんに似た刺繍が施してある、簡素でありながら可愛らしいものだった。その刺繍の色合いや布の色を見て、ステラはうんうん唸っている。
「うぅん……これはちょっと派手ね。こっちは色が地味だし……うーん……」
「ス、ステラ……さっきからどうしたの?今日は何も予定無いはずじゃ……」
「私はね。あるのは貴方よ、チドリ」
「わ、私?何かあったっけ……」
「まあ今はいいわ。それよりも……ねえ、チドリはこの中ならどれを着たい?」
「え?ど、どうしたの急に」
「いいから選んで。たまにはチドリが着たいもの着た方がいいかと思って」
「うーん……じゃあ……」
眺めていると、薄水色に金糸と銀糸の刺繍をした一着が目に留まった。袖と裾に広がる刺繍は、金糸が可憐な花を、銀糸が流れるような蔦と葉を描いている。三色の色合いが脳裏の面影に重なり、胸が疼く。
「…………私、気持ち悪いかも……」
「え?何?」
「な、なんでもない!こ、これ!これにする!」
想い人の色をした服を着ると思うと急に罪悪感と羞恥が襲い、チドリの顔が赤くなったり青くなったりした。ステラがほっそりした顎に手を当てる。
「……うん。いいんじゃない?似合うと思うわ」
「そ、そう?」
乾いた笑い声を上げながら、チドリが袖を通した。暖かな陽光の中、刺繍が美しく光る。
「わぁ……綺麗……」
「よし、服は決まったわね。じゃあ次は……」
服の山を脇に退かし、ステラは色とりどりのリボンのようなものを取り出した。これもまた、鮮やかな布地に可愛らしく清雅な刺繍が見える。
「ステラ、これは……?」
「リウビア国の髪紐なんですって。端を長めに流すように結ぶのがいいみたい……うん、色はこれがいいわね」
ステラが選んだのは、青色に純白の刺繍が光るものだった。チドリの後ろに回り、長い髪を纏め始める。
「編み込みとかしてみたいけど、今日は簡単に結ぶだけの方がいいでしょうね……はい、出来た」
「あ、ありがとう……」
頭をそっと傾けると、幅のある髪紐が揺れた。ステラが満足そうに眺める。
「うん、ばっちりね。後は待つだけだわ」
「待つだけって……?」
「チドリや。着替えは終わったかえ」
襖が開き、シャイルが部屋に足を踏み入れた。チドリの姿を見て、紅唇を綻ばせる。
「おお、可愛らしいな。そなたによく似合うておる」
「あ、ありがとうございます。でもあの、何でこんな恰好を……?」
「そのことなのじゃがな。もうすぐ、天狼の王子がこちらに着くぞ」
頭が真っ白になった。
その場に凍りつくチドリに、シャイルが微笑む。
「チドリよ、あの王子と話をせい。そなたの想いの丈を伝え、打ち明ける機会じゃ。逃げぬと、妾達に約束したであろう?」
「……や、やく、約束、し、しました、けど、こ、こんな、早く……」
「そなたの決心が揺るがぬうちにと思うたのじゃ。それに、時期を遅めたとて、良いことはない。後悔したくないじゃろう?」
「……後悔は、したく、ないです、で、でも……」
「何じゃ?」
「……っき、緊張、して……!!」
チドリの声が震えた。青ざめ、涙目になるチドリに、シャイルとステラが吹き出す。
「落ち着いてなんて無理なのはわかってるけど、もう少し肩の力抜いたほうがいいわよ?今にも倒れそうじゃない」
「だだだ、だ、だって……!!」
「愛いのう」
二人がまるで幼い子にするように頭を撫でる。チドリの心臓は三つに増えたのではと思うほど、激しく脈打っていた。喉が引き攣って、息が出来ているのかわからなくなる。
気づけばシャイルに手を取られ、廊下に出ていた。
我に返り、激しく首を振る。
「拒んでも無駄じゃぞ。さ、おいで」
「観念しなさいチドリ!」
「え、あ、う、や、やだ、こ、心の、心の準備が」
「さ、この部屋に入るのじゃ」
連れて来られたのは、珠桜の部屋だった。
花はほとんど散りかけ、地面が薄紅に染まっている。ステラが部屋の前で「頑張ってね」と言い残し、去って行った。
チドリはシャイルに手を引かれるまま、珠桜の前に立った。
風に、また花びらが散る。
シャイルが、どこからか美しい杖を取り出した。銀色のそれは、どこか錫杖に似ている。
「妾の魔力の名は、朧夜であると以前言うたな」
「え?あ、は、はい」
「妾が得意とするのは幻術じゃ。人の記憶や夢を映し、泡沫の幻を見せる」
「幻、術……?」
「左様……今から、見せてやろう」
シャイルが、地面を杖で一度打ち鳴らした。
地面が波打ち、風が吹き荒れる。
杖の先に辺りの景色が吸い込まれ、濁流のように何かが溢れ出た。
思わず目を瞑る。
自分の体が四方から引っ張られるような感覚が襲った。
「もうよいぞ。目を開けてみよ」
恐る恐る瞼を開け――広がる光景に息を呑んだ。
部屋が消え、辺りは広大な花畑に変わっていた。雲一つない空の下に、色とりどりの花がどこまでも咲き乱れている。風が、花びらを運んだ。
「こ、ここは……?」
「そなたの心を映した幻術の世界じゃ。そなたの思うまま、感じるままに世界は色を変える」
風に乗った花びらが、鳥に姿を変えた。天高く飛び、霧散して何匹もの蝶に変わる。
まさしく幻想的な世界だった。チドリが目を輝かせ、感嘆の息を漏らす。
「でも、どうして私をここに?」
「……すぐにわかる」
シャイルの微笑に、チドリが首を傾げた時だった。
「……チドリ様……?」
振り向いた先に、レアンが立っていた。