ACTion 40 『伝えたい思い』
またひとり、『アズウェル』へと客が消えていた。灯された赤いホロ看板へ吸い寄せられるように、白夜の彼方から現れ出でた客たちは出迎えるボーイへ上着と靴を預けると、次から次にエアシャワーブースへ潜り込んでゆく。
詰まるところみな噂しか知らずにいた。ゆえに抱くのは、極Yのトニック同様、映像と伝聞がくどいほど刷り込み植えつけた「感動」への期待だ。想像も及ばぬその実感に胸ときめかせると、誰もが『アズウェル』へ足を運んでいた。
個室は、すでにその半分が埋まっている。演奏が始まるまでのひと時を、いつも以上に弾む会話と多彩な料理で満喫していた。
間を行き交うボーイたちは、普段ならクロークで預かる靴や上着もまた各個室へと届けている。キャパシティーオーバーが原因のこのひと手間は、間違いなくボーイたちを忙殺しているはずだったが、彼らにそんな様子は微塵もない。かつては八つ星レストランに選ばれた、これも実力というわけか。あくまでも優雅とフロアを行き交っていた。
花はやはりポップの店が卸したものらしい。エアシャワーブースを出たところ、壁際の最も大きな生花の前には、デミのふれこみによりダークなドレスに身を包み訪れたポップの、熱心に眺める姿があった。そんな彼女へもボーイはウェルカムドリンクを差し出し、受け取ったポップの目に厨房から出てきたデミの姿はとまる。デミも目ざとくポップを見つけたなら、駆け寄りいつも以上の熱弁は披露されていた。
かたや離れた場所で立ち話に興じているのは、赤い『アーツェ』の民族衣装を着た楽団長のエンシュアだ。袋を手に、打ち合わせと称して行ったセッションの余韻もそののままと、個室の知り合いたちと鼻溜を揺らしている。
振り上げたその手が、すれ違うボーイとぶつかりかけた。だとして知っていたかのようにかわすボーイは器用で、そのさいおどけたように首さえ傾げている。仕草は周囲からも笑みを引き出すと、また活気へ一色添えていた。
老いも若きも『デフ6』も、偶然この惑星を訪れた『デフ6』以外の種族もだ。誰もは稀有なる瞬間に『アズウェル』へ集っていた。そうして持ち合わせた期待は大きな渦を巻くと夢さながらの、しかしながら揺るぎないひとつの像を作り上げ、今やこうして『アズウェル』を包み込んでいる。この先おそらく、言語に理論は必要なくなるはずだった。ゆえにどこから誰が何を携え訪れようと、振りかざしさえしなければ、揺るがぬ像に組み入ることができる。
エンシュアとのニアミスをやり過ごして厨房へ向かうボーイは、通りすがりにアルトとライオンの個室から、空いたグラスを回収した。
だがふたりはアルトの告白に黙り込んだままだ。
こうして周囲が騒ぎ立てれば騒ぎ立てるほど、ライオンはまだ自分に運は残っているだろうかと考えていた。動じずアルトは壁へ背をもたせかけると、腕組したまま目を閉じている。それが何かを待っているように見えたなら、なおさらライオンは不穏な空気を感じずにおれなくなっていた。
知らず、グラスを引き上げたボーイの背は厨房へ消える。
奥でネオンは出番を待っていた。
残念ながらこうしたイベントが初めての『アズウェル』に気の利いた楽屋はない。『デフ6』用の小さなロッカーが並ぶ従業員の更衣室でベンチに腰掛けていた。
傍らでは先ほどデミが残していった賄いの皿がまだ湯気を上げている。加工惑星である『Op・1』の多種族料理がベースとなったそれは、『ヒト』も楽しめるクリームシチューによく似た一品だった。だがネオは手をつけていない。かつてない緊張が、そんな気分にさせてくれはしなかった。
思えばこれまで盲目なまでに音色を溺愛するログジャンキーしか相手にしていない。受け入れられるのは当然で、しかしながら今日はまるで相手が違っていた。
隣接する厨房からは、あおってフル回転の悲鳴が聞こえてくる。様子はフロアの盛況ぶりを伝え、並ぶ好奇の目をネオンに想像させた。
晒され、満足させるだけの演奏はできるのか。
不安が無尽蔵に吹き出してくる。
あったはずの自信など冗談のように消え去って、たまらず首から提げた楽器ごとヒザを抱えた。息を殺して小さくなり、続かず体を揺すってみる。だがそれは最初の一音さえ選び出せそうにないほどぎこちないリズムを刻み、最悪だ、言葉は胸のうちにもれていた。
あざ笑って時間は迫る。
厨房のけたたましさだけがコト切れそうなほどにテンションを上げ、デミに相談しようか、ネオンは考えた。いや、それこそ混乱させるに違いないと、ふたをする。ままに、低く鈍いところをぐるぐる思考は回り続けた。これが八方塞がりなのだと痛感したところで、ふと気づく。当然だ。これまで満足してもらえるようになんて演奏しようと思ったことがあったろうか。繰り返してきた演奏はいつも降り注ぐまま、閃く心のままに、だった。だのにいまさらやり方を変えようなんて、出来るはずがないと思う。そして出来るはずのない事をしようなど、混乱して当然だった。
心のままに。
より、ありのままに。
思い出せば、ネオンの中で塞いでいた何かは弾ける。衝撃は、たちまち視界を新しい色に塗り替えた。その色に、初めて降り注ぐ閃きの根源とつながったような心持ちを得て息をのむ。なぜ演奏できるのか。忘れ去った過去に何があったというのか。不思議と恐れは感じない。つながったその先を、ネオンはのぞき込んでゆく。広がる湖面は、音色を降らせる空を蒼く映して水面を張り詰めていた。
厨房の怒号はいまだ鳴りやむ気配にない。
だが今となってはそれも上滑りするばかりだ。
ネオンは抱えていたヒザをほどく。床へそうっと足を下ろしていった。
呼び止めてノックは鳴ると、その時を知らせてデミは現れる。
『おねぇちゃん。出番だよ』
顔へとネオンはうなずき返していた。




