ACTion 36 『交差する場所 3』
『駄目じゃの、こりゃ。にっちもさっちも使えんわい』
砂塵の山に立てたハンドライトも燃料切れが間近だ。不規則に点滅して、額の汗を拭うサスを不安定に照らている。
復旧に取りかかってはみたものの『F7』へ侵入するなり攻撃を受けた機器は全てダウンしたきりだった。しかしながらあの座標に間違いがなければ、『ラウア』語カウンターの検索データをチェックした相手は今、信じがたいことににこの地を訪れているという。理由こそ臭気マーカーを吹きかけたように、アルトを追いかけてのことだとすれば閉鎖されているハズの基地から行われた不正アクセスを確かめんと、乗り込んでくるのも時間の問題だと思えてならなかった。
『今度は椅子も持ち込まんといかんの』
これ以上を諦めサスは、額を拭った手で床を押しやる。よっこらせ、と言わんばかり立ち上がった。長らく同じ姿勢を取り続けたせいだ。疼く腰をなだめすかし、機材を吐き出し頼りなく潰れたバックパックを手に取る。中から携帯電話を取り出した。
収穫として満足のゆく内容ではないうえ、面と向かって伝えておきたい気持ちはあったが、こればかりは相手の動きが予想以上に早かったと割り切るしかないだろう。アルトの船へリコールする。呼び出し音が切れることをしばし待つが、当のアルトが通信に出る気配はない。
ちらり、サスは時計へ視線を落とす。
時刻はすでに夕方を示していた。
『演奏へ向かいおったか?』
すでに『アーツェ』を発っていたなら船にいるハズで、この時刻に向かう場所があるとすればデミに聞いたそこしか思いつかない。疑いつつもサスは、くどいほど粘ってアルトが通信に出るのを待った。
と、聞こえてきたのは微かな物音だ。しかも捉えたのは携帯電話を押し当てていない方の耳ときている。反響に反響を重ねた音はすぐにも砂を噛んで動きにくくなったこの建物のドアだとサスへ閃かせ、携帯電話を握り締めたままでサスは振り返っていた。
言い表すに「けたたましい」という言葉は当てはまらない。そのとき『アズウェル』は至って冷静な活気に包み込まれていた。
体に付着した砂塵を吹き飛ばすべくエアシャワーブースを抜け出しネオンは、抱えた稀なるイベントの準備にそうして奔走する店内を見回してゆく。壁際に並べられた個室は、淡いハトロン紙のような壁で間仕切られていた。上へ浮かぶエメラルドグリーンの文字が、聞いていたとおりと全て予約済であることを知らせている。だからそれだけでは足りないと現在、間仕切りを取り払った浮島のような個室もまたフロア中央にセッティングされつつあった。
飾り付けの花だろう。傍らでは見知らぬ『デフ6』が小さなアレンジメントや身の丈程もある観葉植物の仕込みに精を出している。きっと花の仕入先はポップの店で間違いなかった。眺めておれば店内は急に暗くなる。驚き目をしばたたかせたのも束の間た。やがてゆっくり息を吹き返してゆく明かりに個室はぼんやりと浮かび上がり、手元の料理が見える程度の明るさで固定される。
ボーイたちがおっつけ、追加して設えた個室の配置を確認していた。遅れを取らぬよう厨房もまた動きを激しくている。ぶつかる食器の音はネオンの耳にけたたましく響き、混じって威勢のいい現地語もまた聞こえていた。
厨房から、のぞき窓がついた観音扉を押し開けてボーイが出てくる。抱えていたメニュー端末を清算カウンターへストックすると、予約リストのチェックを始めていた。
「これはまた豪勢なところへ招待されたものだな」
ライオンだ。最後にエアシャワーブースを抜け出すや否や、この風景に口を開く。
ちなみにアルトとライオンとサスは、デミのはからいで今回、特別に招待席が用意されているらしい。
『何?』
『ヒト』語だったため聞き取れなかったデミがライオンへと鼻溜を揺すっていた。その顔へライオンは造語で言いなおす。
『立派な店なので驚いた』
『当然だよ。だって、アズウェルは前に八つ星レストランに選ばれたことだってあったんだよ。田舎だけれど町の自慢の場所なんだ』
『それはおみそれした』
デミはそれこそ鼻高々と鼻溜を膨らませ、敬意を表すライオンは頭を下げる。目にして照れたように体を揺すったデミは、その顔を今度はネオンへと向けた。
『おねえちゃん、どう? ぼくたちが来たお昼間とは違うでしょ?』
『……すごい』
釘付けのままでネオンは返す。
我を取り戻すとデミを見下ろした。
『違う場所みたい』
『データベースで調べたら昔のフロアはこんな感じだった、って見つけたんだ。こういうのライブハウス、って言うんだって! で、おねぇちゃんの立つ舞台は、ここだよ』
教えて足元を指差す。店内前方、エアシャワーブースを出てカウンター前を横切った、厨房入り口との中間地点だ。
『向こうから照明が当たるよう取りつけたからね。それから、えっと、招待席はどこだっけ?』
立ち位置を確認したネオンはうなずき返し、セッティングの終わったフロアをデミは爪先立ってまでして見回す。なら気づいたらしい。ボーイがチェック中の予約リストを置いて、現地語で何事か呼びかけた。指で、向かって左壁面後方の個室を示してみせる。どうやら招待席はそこらしい。見定めたライオンが歩き出した。急ぎ駆け寄ってきた別のボーイが個室までを案内し、その後ろからアルトも、そこにいたのかと思うほどつまらなさげな面持ちでついてゆく。
辿り着いた個室は、ライオンたちが腰掛けるにも丁度の高さでセッティングされていた。遠慮なく上がり込めば、ボーイがエメラルドグリーンの文字映像へ手をかざす。文字は消えて代わりにノスタルジックなオレンジのライトは灯ると、ふたりの手元をぼんやり照らした。
軽く一礼したボーイがきびすを返す。
腰を下ろしたふたりへ見える? とデミが大きく手を振っていた。アルトは返事すらしそうにないのだから、あぐらをかいたライオンが代わにそんなデミへ手を振り返す。
『それにしても楽団はどうしたんだろ。先に入ってて、って言ったのに』
様子に満足したデミが鼻溜を振ったその時だった。エアシャワーブースのドアはスライドして、とたんぱぁっと表情を明るくさせたデミは現地語で何やら鼻溜を振ると駆け出してゆく。
つられてネオンも体をひねっていた。そこに見知った顔があるのを見つける。『アーツェ砂の民資料館』だったか。あれやこれやと資料館の解説をしてくれた館長は、朱色も鮮やかな貫頭衣の民族衣装をまとうと手に謎めいたズタ袋を提げ立っていた。のみならず同じいでたちの『デフ6』たちは次々と店へ入って来る。
「楽団って……」
言葉は思わずネオンの口からもれていた。
ネオンに気付いて館長も急ぎ歩み寄ってくる。かと思えばネオンの手を握りしめ、息せき切ったように現地語をまくし立てた。だが何を言っているのかネオンにはさっぱり分からない。勢いに逃げ腰となればデミが間に入っていた。
デミの通訳によるとどうやら、この小さな民族楽団がアナログ楽器と競演できるなど光栄かつ喜ばしいことだ、と言っているらかった。
『資料館の館長が楽団の団長で驚いた?』
館長の熱い歓迎から解放されたネオンへ、デミがいたずらげと笑いかける。
『聞いてない』
肩をすくめてネオンは返し、してやったりとデミは順序が逆になった互いの自己紹介をすませた。
『館長で楽団長のエンシュア』
「ぼくの命の恩人、アナログ楽器を演奏するネオン」
改め互いはそこで握手を交わす。それだけで全てが理解できるのは、不思議としか言いようがない。だがネオンは握ったエンシュアの手に、何ら根拠もないまま全てがうまくゆくだろうことを確かと感じ取っていた。
『アーツェの民族楽器はどんな音?』
その安心感が早くもネオンにそう言わせる。
ならエンシュアは、団員たちを呼び集めた。団員は八名だ。店内に、すぐにも整列した団員たちの民族衣装が鮮やかな朱いラインを引く。その列に乱れがないことを確かめたエンシュアは、やおら手をため気味に振り上げてみせた。
合わせて団員達が握っていたズタ袋を鼻溜へかぶせる。動きは素早く、様子に予約をチェックしていたボーイも顔を上げていた。
瞬間、団員たちの鼻溜はマリのように大きく膨らみ、吸い込んだ息をこれでもかとかぶせた袋へ吹き込む。袋は一気に翼にも似た形へ弓なりと膨らんでいた。そこから唇を振るわせた時に出るようなブルルルル、と言う音を鳴り響かせる。
絡め取ってエンシュアが、上げていた手を素早く振りおろした。呼応して団員たちは翼の先を空へ突き上げる。息もぴったりに首を振ると、翼の先端を回転させた。どうやらそこには小さな穴があいているらしい。通して音は鳴ると、始まった回転に極端な遠近を伴いうねり始める。
ままに数回転。
やがて申しあわせたように団員たちは一歩、互いの間隔を押し広げた。今度はそれぞれが違った動きで翼を回転させる。支えていた手を離して袋を振り回す者もいれば、自分自身が回転する者。八の字を描いて優雅にリズムをとるものがいれば、うなずくように激しく頭を振る者もいる。単一だったうねりはおかげで分散すると、押し寄せる波のごとく幾重にも重なり響きを厚く、熱く繰り出した。
そこにメロディーはない。ただ追いかけ、たたみ掛け合い、それぞれにそれぞれの主張を続ける響きがあるだけだ。その響きが激しくなればステップを踏む団員たちの動きも激しさを増し、やがてこれがダンスであるのか音楽であるのかをあいまいとさせてゆく。
光景に、ネオンは目を見張っていた。
そんなネオンを誘うかのように、それまでかしこまっていたボーイが手を打ち始める。聞えて振り返れば、朗らかな笑みを携えたボーイとネオンの目は合っていた。その瞳に誘われるまま、ネオンも体を揺らしてみる。
なるほど、乗ってみれば分かることはあった。この響きには五拍子と三拍子を交互に繰り返すリズムがある。乗って耳をそばだてると、ブンブンと唸っているだけのように聞こえた音程にも、微妙なピッチがあることに気付いていた。
至極繊細なメロディーと、複雑に繰り返されるリズムのポリフォニー。
ならば、と楽団の奮闘ぶりを目に焼きつけネオンは、まぶたを閉じる。考えながら感じつつ、繰り返す音の底へ、紡ぎ出される音の彼方へ、ありったけの集中力で潜り込んでいった。潜り込んで胸元にぶら下がる楽器を体へ引きつける。そっとくわえたマウスピースを固定したなら、今ここに横たわるモノを乱さぬよう、深く静かに息を吸いこんでいった。
吹き込み放つ最初一音に、探る必要などありはしない。
それはいつも、どこからともなく降ってくる。
当たり、とばかりネオンはまぶたを開いた。
己が十本の指をひと思いと、楽器の上で走らせる。




