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青鈍の空・三

 喜助が、噂話を持ってきた。

 町で今流行っている怪談は、湯屋の子供達を怯えさせるには十分だったようで、女将である一太の母親に、遣いを言いつけられた子が、ひどく嫌がった。他の子供を行かそうとすれば、その子も嫌がる。一太も例外ではなかった。

 仕事にならないと、母親が愚痴を零したところに、千歳が居合わせた。訳を聞かれて、一太が答えると、彼は興味深そうに、怪談を強請(ねだ)った。


「ええと、それ、最近の話?」


 尋ねられて、喜助が頷いた。千歳に緊張しているのか、頬が紅潮している。


「そっか。面白いな、それ」


「そうですか?」


 喜助が、怪訝そうに首を傾げた。怖がらせる為に仕入れた話が不発に終わって、少し不愉快そうでもある。


「ああ。それじゃあ、女将さん、私がその遣いとやらに行きましょう」


「そんな、お客様にそんな事させられません」


 そうは言っているが、母親が僅かに嬉しそうにしているのに、一太は気がついた。彼女は、仕事が遅れる事を厭うのだ。


「一太を借ります。私は、帰りに少し町を案内してもらう。それならよろしいか?」


 女将は、少し逡巡する。


「……それなら、お願いしようかしら。いいかい、一太」


 聞かれて、一太は素直に頷いた。

 母に頼まれた遣いは、懇意にしている菓子屋から、茶菓子を仕入れるというものだった。今朝から、団体の客が入ったので、足りなくなった分を買い足すのだ。

 代金の入った袋を、一太の懐に入れる時、母親が囁いた。


「できるだけ、気に入られておくれ。そうしたら、婿の話もしやすくなるからさ」


 これには、一太は曖昧に笑うだけに留めた。なぜだか、見え透いた下心は、千歳には通じないと思ったからだ。

 千歳と連れ立って、町を歩いていると、すれ違う人達が、不思議そうに彼を見ているのに気がついた。成る程、そうだろう。

 彼は、とても綺麗なのだ。

 まるで、天女や、仙人のように。


「……さっきの話だけどさ」


 千歳が、不意に一太を見た。


「最近、流行り出した怪談なの?」


 一太は少し考えた。喜助は、とても人懐こくて、店の外にも知り合いが多い。いつも旬の噂話を持って帰っては、丁稚仲間達に話して聞かせている。

 今回の話も、おそらくは最近のものだろう。

 そう答えると、千歳は嬉しそうに笑った。

 それきり、特に何も言わずに、彼は菓子屋への道を進んでいく。長い間、湯屋に滞在しているからか、道には明るいらしい。

 思いの外、菓子屋には早くついて、一太は母親に頼まれたものを店主に伝えていく。

 その間、千歳は店内の菓子を、鼻唄交じりに眺めていた。


「千歳、終わった……」


「一太、一太、あれ見ろよ」


 菓子の入った包みを受け取って振り返ると、千歳が、店の入口から手招きしてきた。外に、何かを見つけたようだ。

 一太が覗いてみると、それは、飴屋だった。歳を取った男が、子供を集めて飴細工を披露している。

 熱い飴に食紅を混ぜて色を付け、串に刺して、鋏で切ったり、伸ばしたりする。捻りを加えたり、薄く伸ばしたりと、男の手は忙しく動いている。出来上がったのは、龍の細工だった。


「すごいな……」


 千歳が感嘆する。ふと、一太は気になって尋ねた。


「千歳とお兄さんは、どんな芸をするの?」


「ん?」


「旅芸人って、言ってたでしょ」


 千歳が、首を捻った。


「どんな芸をしようかな。旅芸人になったのは、最近だからな」


「え?」


 千歳が、含むように笑う。

 やはり不思議な人だ、と一太は思った。


 *


 その日も、やはり風が強かった。

 町で大工を営む男は、大きな仕事が終わって、意気揚々と町に繰り出していた。

 その男が、肩を抑えて、息も絶え絶えに店に帰ってきたのを見て、妻の女は驚いた。

 彼の肩には、血がべっとりと着いていた。


「喧嘩でもしたの?」


 女が呆れ顔で言うと、男は首を振った。歯の根も合わぬ程に震えている。


「ば、化け物が……」


「は?」


 それを皮切りにして、町に咆哮が響いた。


 *


「おー、やってるやってる」


 湯屋の客間の窓からは、逃げ惑う人々がよく見える。千歳は、笑い出しそうになるのを堪えて、肩を震わしている。


「あー、だめだめ。そんなとこに逃げ込んでも……」


 千歳の視線の先には、若い女がいた。

 路盤をかけて、女が逃げ込んだのは、湯屋から程近い茶屋だった。だが、彼女を追うモノは、戸を突き破って、茶屋に入っていった。騒々しく、悲鳴があがる。


「今日は、たくさん食えそうだぞ、庇牙」


 千歳が言うと、兄は口元に巻いた布を取った。布は、飢えが我慢できなくなると、平気で牙を出すので、千歳が巻いたものだった。

 だが、今は、何も耐える事はないのだ。

 本能のままに、食らえばいい。


「行ってこい」


 千歳が言うや否や、庇牙が、窓の桟に足をかけて、飛び出して行った。

 伊勢参りは、詰まる所、欲なのだ。欲を持った者が集まるのが、抜け参りの街道だ。

 欲に染まった魂は、鬼の好物だ。

 より汚れた魂は、鬼を成長させる。食えば食う程、鬼は強くなる。


「……いるのは小物ばかり、か」


 千歳は、残念そうに呟いた。


 *


 湯屋は、騒然としていた。

 大人達は、客に声を掛けて回っている。子供は一処に集められて、女達が見ていた。


「茶屋まで来たらしい……」


 そう言って、一太の父親が項垂れた。

 逃げても、助かる見込みはない。ここで、息を潜めてやり過ごせたら。そう思っていたが、どうやらそれも難しそうだ。


「ああ、こんな処にいた。これ、今日までの代金です」


 襖を開けて現れた千歳が、項垂れる父親に、銭を渡すのを見て、一太は息を飲んだ。

 彼は、今、ここを出るつもりなのだ。


「千歳、駄目だ。外は……」


 一太が、千歳の着物を掴むと、彼はやんわりと笑って、一太の手を優しく剥がした。


「うん。外には、化け物がいるんだろ。だから、出るんだ」


「え?」


「お前、すごいよ。俺の事、見抜いてた」


 何を言っているのだろう。

 一太は首を傾げる。

 部屋にいた誰かが、小さく悲鳴を挙げた。

 千歳の瞳が、真円に開かれている。


「人じゃないと、見抜いていた。天女とか仙とは、少し違うけど」


 千歳は、そう言って笑うと、静かに湯屋を後にした。残された者達は、魅せられたように固まって、動けなくなっている。

 あれは、人ではなかった。

 狐が化けたか、天仙が降りて来たか。

 何にしても。助かるのかも知れない、と。

 誰もが、そう思っていた。


 町には、凄惨な光景が広がっていた。

 食い散らかされた肉片が、其処彼処に落ちている。中には、まだ息のある者もいる。

 さて、あいつは何処へ行ったのか。千歳が首を巡らせると、茶屋の中から、血塗れの男が躍り出て来た。

 頭だけになった鬼を掴んで、嬉しそうに喜ぶソレは、禍々しい笑みを浮かべている。


「……理性、飛んでなきゃいーけどさぁ」


 千歳は、深く息を吐いた。

 庇牙は、手に持った頭を投げ捨てて、次の獲物を探す為に駆け出す。それを止めるように、千歳が叫んだ。


「庇牙、南だ。三匹いる」


 千歳には、町にいる鬼の数が解る。ただ、解るだけだ。彼には、鬼を滅するような力はないし、対抗する術もない。

 反対に、庇牙は鬼を食い殺す事は出来ても、鬼の気配は感じない。だから、二人で居なければいけないのだ。


「……やけに多い。それも、小物ばかり」


 千歳が、心底不快そうに眉を顰めた。


「群れ……違うな。使役されてるのか」


 下位の鬼には、知性がない。ただ、本能に任せて人を襲うだけだ。だから、本来食わなくてもいい血肉まで食む。しかし、上位の鬼は違う。明確な意図が無い限りは、人の魂だけを食らう。

 欲に塗れた魂に、恐怖が混じれば、その味が落ちるのを知っているのだ。


「いるな。何処かに」


 千歳が呟くと、庇牙は嬉しそうに鳴いた。

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