第10話 旅する理由
橋の村を旅立ってからも、二人の旅は続いた。
春が過ぎ。
夏が訪れ。
秋が実り。
冬が大地を白く染める。
季節は何度も巡り、そのたびにアイリスも少しずつ成長していった。
◇
最初に訪れた港町では、嵐によって桟橋が壊れていた。
漁船は海へ出られず、港には魚を積めない船が何隻も並んでいる。
「師匠、どうすればいいと思いますか?」
以前なら、すぐにそう尋ねていた。
けれど今は違う。
ゼノスの顔を横から覗くと、ゼノスは笑って肩をすくめた。
「さてな。」
アイリスは苦笑した。
「……ですよね。」
もう分かっている。
答えは聞いても返ってこない。
だから自分で考える。
壊れた木材を調べる。
潮の満ち引きを見る。
波の高さを測る。
船の大きさを確認する。
村人たちから話を聞き、必要な強度を計算する。
数日後。
新しい桟橋が完成すると、漁師たちは歓声を上げた。
「これでまた海へ出られる!」
魚を積み込む人々の笑顔を見ながら、アイリスも自然と微笑んでいた。
◇
夏。
二人は広い農村へ辿り着いた。
長く雨が降らず、畑はひび割れている。
作物は枯れ始め、人々の表情も暗かった。
アイリスは地図を広げ、周囲の地形を調べる。
近くには大きな川。
しかし村まで水が届いていない。
「水路ですね。」
誰に言われるでもなく呟く。
何日も村人と一緒に土を掘り、石を積み、流れを調整する。
魔法だけで終わらせない。
汗を流す。
泥だらけになる。
その姿を見ていた農夫が笑った。
「賢者様の弟子なのに、ずいぶん泥まみれだな。」
アイリスも笑う。
「魔法だけじゃ、畑は育ちませんから。」
数日後。
乾いた畑へ水が流れ込む。
子どもたちは裸足で走り回り、大人たちは歓声を上げた。
「水だ!」
「助かった!」
その笑顔を見ながら、ゼノスは何も言わず頷くだけだった。
◇
秋。
山間の村では、大きな土砂崩れが起きていた。
街道は塞がれ、人々は隣町へ行けない。
アイリスは崩れた岩を前に腕を組む。
「片付けるだけなら簡単。」
「でも……。」
ゼノスは黙って待つ。
しばらく考えたあと、アイリスは近くの木々を見渡した。
「また崩れます。」
「だったら?」
「支えを創ります。」
岩をどかすだけでは終わらない。
斜面そのものを補強する。
地盤を整える。
雨水の流れも変える。
数日かけて完成した新しい山道を見て、村人は驚いた。
「前より安全だ……。」
「すごい……。」
アイリスは嬉しそうに笑う。
ゼノスは小さく呟いた。
「ちゃんと考えるようになったな。」
その一言が、何より嬉しかった。
◇
旅は続く。
大きな町。
小さな村。
森。
山。
湖。
草原。
行く先々で困っている人がいる。
そして、そのたびにアイリスは立ち止まった。
話を聞く。
調べる。
考える。
創る。
魔法は、その一番最後だった。
いつしか、それが当たり前になっていた。
◇
橋の村を出たあとも、二人は世界を歩き続けた。
その旅は、誰かに目的地を決められたものではない。
困っている人がいる。
その噂を聞けば足を向ける。
必要がなくなれば、また歩き出す。
それだけだった。
そんな旅の日々の中にも、忘れられない思い出があった。
◇
春。
街道脇の草原では、一面の花が風に揺れていた。
昼食を終えたアイリスは、小さな花冠を編んでいる。
「何してんだ?」
「橋の村の子が教えてくれたんです。」
「へぇ。」
出来上がった花冠を見つめ、アイリスは少しだけ嬉しそうに笑う。
それを見たゼノスは、何も言わず寝転がった。
「師匠。」
「ん?」
「花冠、似合いません?」
「俺に聞くな。」
「……。」
「似合ってる。」
「もっと早く言ってください。」
ゼノスは豪快に笑う。
その笑い声につられ、アイリスも笑った。
◇
夏。
照りつける日差しの中、二人は川へ飛び込んでいた。
「冷たっ!」
アイリスが笑いながら水を掛ける。
「おい!」
ゼノスも負けじと水を跳ね返した。
子どもたちも混ざり、水しぶきが青空へ舞い上がる。
ひとしきり遊んだあと、魚を捕まえて焚き火で焼く。
「焦げてます。」
「焼けてりゃ食える。」
「師匠、それ毎回言いますよね。」
「毎回本当だからな。」
二人は顔を見合わせて笑った。
◇
秋。
山道を歩きながら、アイリスは木の実を拾っていた。
「師匠。」
「これ食べられます?」
「毒。」
「じゃあこれは?」
「それも毒。」
「これは?」
「……それは食える。」
「難しいですね。」
「だから覚えるんだ。」
知らないものは調べる。
分からないものは学ぶ。
それは魔法だけではない。
世界そのものを知ることだった。
◇
冬。
吹雪の夜。
二人は焚き火を囲んでいた。
火の粉が静かに夜空へ昇っていく。
「寒いですね。」
「冬だからな。」
「身も蓋もありません。」
「事実だ。」
アイリスは苦笑しながら毛布へくるまる。
しばらく沈黙が続いた。
火の音だけが静かに響く。
「……師匠。」
「ん?」
「どうして旅を続けてるんですか。」
ゼノスは火を見つめたまま答えなかった。
長い沈黙。
やがて薪がぱちりと音を立てる。
「困ってる奴がいる。」
静かな声だった。
「だから行く。」
それだけだった。
飾らない。
大げさでもない。
本当に、それだけなのだろう。
アイリスは火を見つめながら、小さく笑う。
「師匠らしいですね。」
「そうか?」
「はい。」
その背中を見ていると、自分もこんな魔法使いになりたいと思う。
誰かのために歩き続けられる人。
誰かを笑顔にできる人。
そんな人になりたい。
◇
旅を続けるたび、「帰っておいで」と言われる場所が増えていった。
橋の村。
港町。
農村。
山の村。
名前も知らない小さな集落。
旅立つ朝には、必ず誰かが見送りに来てくれる。
「また来てください。」
「待ってます。」
「今度は泊まっていって。」
その言葉を聞くたびに、アイリスは胸が温かくなった。
旅へ出る前、自分の帰る場所は孤児院しかなかった。
けれど今は違う。
世界中に、大切な場所が増えていく。
そのことが、何より嬉しかった。
◇
ある日の夕方。
長い坂道を登っている途中だった。
「ふぅ……。」
アイリスは小さく息をつく。
以前なら何ともなかった坂道なのに、今日は妙に足が重い。
「疲れたか?」
ゼノスが振り返る。
「少しだけです。」
笑って答える。
「今日は荷物が重かったですね。」
「そうか。」
ゼノスも深く気には留めなかった。
成長期だから。
旅が続いているから。
そう思っただけだった。
アイリス自身も、ただの疲れだと思っていた。
だから、その違和感は胸の奥へしまい込まれる。
◇
その日の夜。
焚き火の前で、アイリスは眠ってしまっていた。
本を開いたまま、小さく寝息を立てている。
「……ったく。」
ゼノスは苦笑しながら立ち上がる。
近くに置いてあった毛布をそっと肩へ掛けた。
本を閉じようとして、ページにびっしり書き込まれた文字が目に入る。
今日学んだこと。
改善点。
村人の話。
植物の特徴。
魔法陣の考察。
細かな字で隙間なく書かれていた。
「本当に勉強好きだな。」
小さく笑う。
眠る弟子の頭をぽんと軽く撫でると、ゼノスは再び焚き火の前へ腰を下ろした。
火を見つめながら、ふと思う。
(いい魔法使いになってきた。)
才能だけではない。
誰かを想い、考え続けられる魔法使い。
そんな弟子を誇らしく思った。
◇
翌日。
丘の上へ辿り着いた二人は、歩いてきた街道を振り返る。
夕焼けに染まる世界。
あちこちに、小さな町や村が見える。
あの一つひとつに、自分たちを迎えてくれる人がいる。
アイリスは静かに微笑んだ。
「もっと多くの人を助けたいです。」
ゼノスはその横顔を見つめる。
「そうか。」
それ以上は何も言わない。
けれど心の中では、そっと呟いていた。
(本当に、いい魔法使いになってきたな。)
夕焼けの街道を、二人は並んで歩き始める。
その先には、まだ見ぬ景色と、新しい出会いが待っていた。
――そして数か月後。
ゼノスはふと思い出したように口を開く。
「……たまには帰るか。」
「帰る?」
アイリスが首をかしげる。
ゼノスはにやりと笑った。
「お前の帰る場所だ。」
その一言に、アイリスの表情がぱっと明るくなる。
「……はい!」
気が付けば、旅へ出て二年以上が過ぎていた。
二人は懐かしい森を目指し、歩き出した。
数年ぶりの孤児院へ―。




