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白銀の猫と創生の魔女  作者: 金林明莉
第二章 師弟
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第10話 旅する理由

 橋の村を旅立ってからも、二人の旅は続いた。

 春が過ぎ。

 夏が訪れ。

 秋が実り。

 冬が大地を白く染める。

 季節は何度も巡り、そのたびにアイリスも少しずつ成長していった。

     ◇

 最初に訪れた港町では、嵐によって桟橋が壊れていた。

 漁船は海へ出られず、港には魚を積めない船が何隻も並んでいる。

「師匠、どうすればいいと思いますか?」

 以前なら、すぐにそう尋ねていた。

 けれど今は違う。

 ゼノスの顔を横から覗くと、ゼノスは笑って肩をすくめた。

「さてな。」

 アイリスは苦笑した。

「……ですよね。」

 もう分かっている。

 答えは聞いても返ってこない。

 だから自分で考える。

 壊れた木材を調べる。

 潮の満ち引きを見る。

 波の高さを測る。

 船の大きさを確認する。

 村人たちから話を聞き、必要な強度を計算する。

 数日後。

 新しい桟橋が完成すると、漁師たちは歓声を上げた。

「これでまた海へ出られる!」

 魚を積み込む人々の笑顔を見ながら、アイリスも自然と微笑んでいた。

     ◇

 夏。

 二人は広い農村へ辿り着いた。

 長く雨が降らず、畑はひび割れている。

 作物は枯れ始め、人々の表情も暗かった。

 アイリスは地図を広げ、周囲の地形を調べる。

 近くには大きな川。

 しかし村まで水が届いていない。

「水路ですね。」

 誰に言われるでもなく呟く。

 何日も村人と一緒に土を掘り、石を積み、流れを調整する。

 魔法だけで終わらせない。

 汗を流す。

 泥だらけになる。

 その姿を見ていた農夫が笑った。

「賢者様の弟子なのに、ずいぶん泥まみれだな。」

 アイリスも笑う。

「魔法だけじゃ、畑は育ちませんから。」

 数日後。

 乾いた畑へ水が流れ込む。

 子どもたちは裸足で走り回り、大人たちは歓声を上げた。

「水だ!」

「助かった!」

 その笑顔を見ながら、ゼノスは何も言わず頷くだけだった。

     ◇

 秋。

 山間の村では、大きな土砂崩れが起きていた。

 街道は塞がれ、人々は隣町へ行けない。

 アイリスは崩れた岩を前に腕を組む。

「片付けるだけなら簡単。」

「でも……。」

 ゼノスは黙って待つ。

 しばらく考えたあと、アイリスは近くの木々を見渡した。

「また崩れます。」

「だったら?」

「支えを創ります。」

 岩をどかすだけでは終わらない。

 斜面そのものを補強する。

 地盤を整える。

 雨水の流れも変える。

 数日かけて完成した新しい山道を見て、村人は驚いた。

「前より安全だ……。」

「すごい……。」

 アイリスは嬉しそうに笑う。

 ゼノスは小さく呟いた。

「ちゃんと考えるようになったな。」

 その一言が、何より嬉しかった。

     ◇

 旅は続く。

 大きな町。

 小さな村。

 森。

 山。

 湖。

 草原。

 行く先々で困っている人がいる。

 そして、そのたびにアイリスは立ち止まった。

 話を聞く。

 調べる。

 考える。

 創る。

 魔法は、その一番最後だった。

 いつしか、それが当たり前になっていた。

     ◇

 橋の村を出たあとも、二人は世界を歩き続けた。

 その旅は、誰かに目的地を決められたものではない。

 困っている人がいる。

 その噂を聞けば足を向ける。

 必要がなくなれば、また歩き出す。

 それだけだった。

 

 そんな旅の日々の中にも、忘れられない思い出があった。

     ◇

 春。

 街道脇の草原では、一面の花が風に揺れていた。

 昼食を終えたアイリスは、小さな花冠を編んでいる。

「何してんだ?」

「橋の村の子が教えてくれたんです。」

「へぇ。」

 出来上がった花冠を見つめ、アイリスは少しだけ嬉しそうに笑う。

 それを見たゼノスは、何も言わず寝転がった。

「師匠。」

「ん?」

「花冠、似合いません?」

「俺に聞くな。」

「……。」

「似合ってる。」

「もっと早く言ってください。」

 ゼノスは豪快に笑う。

 その笑い声につられ、アイリスも笑った。

     ◇

 夏。

 照りつける日差しの中、二人は川へ飛び込んでいた。

「冷たっ!」

 アイリスが笑いながら水を掛ける。

「おい!」

 ゼノスも負けじと水を跳ね返した。

 子どもたちも混ざり、水しぶきが青空へ舞い上がる。

 ひとしきり遊んだあと、魚を捕まえて焚き火で焼く。

「焦げてます。」

「焼けてりゃ食える。」

「師匠、それ毎回言いますよね。」

「毎回本当だからな。」

 二人は顔を見合わせて笑った。

     ◇

 秋。

 山道を歩きながら、アイリスは木の実を拾っていた。

「師匠。」

「これ食べられます?」

「毒。」

「じゃあこれは?」

「それも毒。」

「これは?」

「……それは食える。」

「難しいですね。」

「だから覚えるんだ。」

 知らないものは調べる。

 分からないものは学ぶ。

 それは魔法だけではない。

 世界そのものを知ることだった。

     ◇

 冬。

 吹雪の夜。

 二人は焚き火を囲んでいた。

 火の粉が静かに夜空へ昇っていく。

「寒いですね。」

「冬だからな。」

「身も蓋もありません。」

「事実だ。」

 アイリスは苦笑しながら毛布へくるまる。

 しばらく沈黙が続いた。

 火の音だけが静かに響く。

「……師匠。」

「ん?」

「どうして旅を続けてるんですか。」

 ゼノスは火を見つめたまま答えなかった。

 長い沈黙。

 やがて薪がぱちりと音を立てる。

「困ってる奴がいる。」

 静かな声だった。

「だから行く。」

 それだけだった。

 飾らない。

 大げさでもない。

 本当に、それだけなのだろう。

 アイリスは火を見つめながら、小さく笑う。

「師匠らしいですね。」

「そうか?」

「はい。」

 その背中を見ていると、自分もこんな魔法使いになりたいと思う。

 誰かのために歩き続けられる人。

 誰かを笑顔にできる人。

 そんな人になりたい。

     ◇

 旅を続けるたび、「帰っておいで」と言われる場所が増えていった。

 橋の村。

 港町。

 農村。

 山の村。

 名前も知らない小さな集落。

 旅立つ朝には、必ず誰かが見送りに来てくれる。

「また来てください。」

「待ってます。」

「今度は泊まっていって。」

 その言葉を聞くたびに、アイリスは胸が温かくなった。

 旅へ出る前、自分の帰る場所は孤児院しかなかった。

 けれど今は違う。

 世界中に、大切な場所が増えていく。

 そのことが、何より嬉しかった。

     ◇

 ある日の夕方。

 長い坂道を登っている途中だった。

「ふぅ……。」

 アイリスは小さく息をつく。

 以前なら何ともなかった坂道なのに、今日は妙に足が重い。

「疲れたか?」

 ゼノスが振り返る。

「少しだけです。」

 笑って答える。

「今日は荷物が重かったですね。」

「そうか。」

 ゼノスも深く気には留めなかった。

 成長期だから。

 旅が続いているから。

 そう思っただけだった。

 アイリス自身も、ただの疲れだと思っていた。

 だから、その違和感は胸の奥へしまい込まれる。

     ◇

 その日の夜。

 焚き火の前で、アイリスは眠ってしまっていた。

 本を開いたまま、小さく寝息を立てている。

「……ったく。」

 ゼノスは苦笑しながら立ち上がる。

 近くに置いてあった毛布をそっと肩へ掛けた。

 本を閉じようとして、ページにびっしり書き込まれた文字が目に入る。

 今日学んだこと。

 改善点。

 村人の話。

 植物の特徴。

 魔法陣の考察。

 細かな字で隙間なく書かれていた。

「本当に勉強好きだな。」

 小さく笑う。

 眠る弟子の頭をぽんと軽く撫でると、ゼノスは再び焚き火の前へ腰を下ろした。

 火を見つめながら、ふと思う。

(いい魔法使いになってきた。)

 才能だけではない。

 誰かを想い、考え続けられる魔法使い。

 そんな弟子を誇らしく思った。

     ◇

 翌日。

 丘の上へ辿り着いた二人は、歩いてきた街道を振り返る。

 夕焼けに染まる世界。

 あちこちに、小さな町や村が見える。

 あの一つひとつに、自分たちを迎えてくれる人がいる。

 アイリスは静かに微笑んだ。

「もっと多くの人を助けたいです。」

 ゼノスはその横顔を見つめる。

「そうか。」

 それ以上は何も言わない。

 けれど心の中では、そっと呟いていた。

(本当に、いい魔法使いになってきたな。)

 夕焼けの街道を、二人は並んで歩き始める。

 その先には、まだ見ぬ景色と、新しい出会いが待っていた。

 ――そして数か月後。

 ゼノスはふと思い出したように口を開く。

「……たまには帰るか。」

「帰る?」

 アイリスが首をかしげる。

 ゼノスはにやりと笑った。

「お前の帰る場所だ。」

 その一言に、アイリスの表情がぱっと明るくなる。

「……はい!」

 気が付けば、旅へ出て二年以上が過ぎていた。

 二人は懐かしい森を目指し、歩き出した。

 数年ぶりの孤児院へ―。


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