表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白銀の猫と創生の魔女  作者: 金林明莉
第二章 師弟
PR
14/15

第6話 師弟になる日


 翌朝。

 澄み切った秋空が孤児院の屋根を照らしていた。

 窓を開けると、ひんやりとした朝の風が部屋へ流れ込む。

 今日から、新しい人生が始まる。

 そう思うと、不思議と胸は穏やかだった。

 昨日まで胸を締め付けていた迷いは、もうない。

 寂しさはある。

 それでも、自分で選んだ道だから。

 アイリスは大きく息を吸い込み、小さく微笑んだ。

     ◇

 食堂へ入ると、香ばしいパンの香りが広がっていた。

 台所ではマリアが朝食の支度を進め、子どもたちは眠そうな目をこすりながら席へ集まり始めている。

 その一方で、部屋の隅では、大きな荷物を肩に掛けたゼノスが腕を組んで立っていた。

 旅支度はすでに終わっているようだった。

 アイリスに気付くと、にやりと笑う。

「よう、弟子。」

 その呼び方に、アイリスは思わず頬を赤らめた。

「……おはようございます。」

 一拍置いて、小さく続ける。

「師匠。」

 口にした瞬間、自分でも少し照れくさくなる。

 まだ慣れない響きだった。

 ゼノスは腹の底から笑った。

「はっはっは!」

「その呼び方も、そのうち板についてくる。」

 アイリスもつられて笑う。

 昨日までは「ゼノスさん」だった人が、今日からは師匠。

 たった一日で呼び方が変わっただけなのに、二人の関係は大きく変わった気がした。

     ◇

 朝食の前。

「ちょっと来い。」

 ゼノスが庭へ歩き出す。

 アイリスは素直について行いた。

 朝露に濡れた芝生が陽の光を受けて輝いている。

 誰もいない庭の真ん中で、ゼノスは立ち止まった。

「旅に出る前に、一つだけ約束しとく。」

 先ほどまでの笑顔とは違う。

 賢者としてではなく、師としての真剣な眼差しだった。

 アイリスは姿勢を正す。

「はい。」

 ゼノスはゆっくりと言葉を選ぶように話し始めた。

「魔法だけ強くなっても意味はねぇ。」

 アイリスは静かに耳を傾ける。

「強ぇ魔法なんざ、世の中にはいくらでもある。」

「だが、人を幸せにできねぇ魔法なら、そんな力は何の価値もねぇ。」

 その言葉は、森で出会った日から変わらないゼノスの信念だった。

「俺がお前に教えるのは魔法だけじゃねぇ。」

 一歩近付き、真っ直ぐアイリスを見る。

「人として強くなれ。」

「俺は魔法じゃなく、お前自身を育てる。」

 その言葉が胸へ深く落ちていく。

 才能を育てたいのではない。

 自分という人間を育てたい。

 そう言ってくれた人だった。

 だから、自分はこの人について行こうと決めたのだ。

 アイリスは自然と背筋を伸ばす。

「はい。」

「よろしくお願いします、師匠。」

 深く頭を下げた。

 一瞬の静寂。

 次の瞬間。

 ぽん、と大きな手が頭へ乗る。

「固ぇな。」

 ゼノスは苦笑した。

「弟子なんだから、もっと肩の力抜け。」

「はい……。」

「返事も固ぇ。」

「……はい。」

「まだ固ぇ。」

 アイリスは思わず吹き出した。

「ふふっ。」

「難しいです。」

「慣れりゃいい。」

 ゼノスも笑う。

「俺も師匠なんて初めてだからな。」

「えっ?」

 アイリスは目を丸くした。

「師匠も初めてなんですか?」

「当たり前だ。」

「弟子なんざ、お前が初めてだ。」

 そう言って豪快に笑う。

 思わずアイリスも笑ってしまう。

(そうか。)

(私だけじゃないんだ。)

 自分が初めて弟子になるように。

 ゼノスにとっても、自分は初めて育てる弟子なのだ。

 少しだけ肩の力が抜けた気がした。

「よし。」

 ゼノスは満足そうに頷く。

「それじゃ、朝飯食って、元気よく出発するか。」

「はい!」

 今度の返事は、自然と明るく響いた。

 二人は並んで食堂へ戻っていく。

 秋の朝日が、その背中を優しく照らしていた。

     ◇

 朝食を終えると、旅立ちの話を聞きつけた子どもたちが次々と集まってきた。

「アイリスお姉ちゃん!」

「これ、あげる!」

 一人の男の子が、小さな折り紙を差し出す。

 少しいびつな形だったが、一生懸命折ったことがすぐに分かった。

「ありがとう。」

 アイリスは両手で大切に受け取る。

「これはね!」

「お花!」

 女の子は庭で摘んだ小さな野花を束ねていた。

「とってもきれい。」

「大事にするね。」

 別の子は、木の実を糸でつないだ小さなお守りを首から外して差し出した。

「これね!」

「ぼくのおまもり!」

「アイリスお姉ちゃんが持って!」

「えっ。」

 一瞬ためらう。

「でも、大切なものでしょ?」

「うん!」

「だからあげる!」

 その真っ直ぐな笑顔に、断ることはできなかった。

「ありがとう。」

「すごく嬉しい。」

 一人ひとりが、自分にできる精一杯の贈り物を持ってきてくれる。

 拙い字で書かれた手紙。

 花。

 絵。

 木の実。

 どれも高価なものではない。

 けれど、どんな宝石より温かかった。

 アイリスは一つひとつ受け取り、その子の名前を呼びながらお礼を伝えていく。

「ありがとう、ルカ。」

「ありがとう、ミア。」

「ありがとう、ユノ。」

 その度に子どもたちは照れくさそうに笑った。

 その様子を少し離れた場所から見ていたゼノスは、腕を組んだまま静かに目を細める。

(いい場所だ。)

(だから、あいつはあんな真っ直ぐ育ったんだな。)

 ふと、一人の小さな女の子がアイリスの服の裾をぎゅっと掴んだ。

「……ねぇ。」

「うん?」

「帰ってくる?」

 その一言で、辺りが静かになる。

 他の子どもたちも、不安そうな顔でアイリスを見上げていた。

 昨日は笑って送り出そうとしていた。

 けれど、本当に今日別れるのだと実感したのだろう。

 寂しさを隠しきれなくなっていた。

 アイリスはゆっくりとしゃがみ込み、一人ひとりと目を合わせる。

 そして、優しく微笑んだ。

「うん。」

「必ず帰ってくる。」

「約束。」

 小さな女の子が、おずおずと小指を差し出す。

「ゆびきり……。」

 アイリスは笑顔で自分の小指を絡めた。

「約束。」

「ゆびきりげんまん。」

 その姿を見ていた子どもたちも次々と集まってくる。

「ぼくも!」

「わたしも!」

 気が付けば、小さな手が何本も差し出されていた。

 アイリスは一人残らず指切りを交わしていく。

「約束。」

「絶対帰ってくるね。」

「うん!」

「待ってる!」

「いっぱい魔法覚えてきて!」

「すごい魔法使いになってね!」

 元気いっぱいの声が重なる。

 胸がいっぱいになる。

 寂しい。

 離れたくない。

 そんな気持ちは、きっとみんな同じだった。

 それでも誰も、「行かないで」とは言わなかった。

 夢へ向かう自分を、笑顔で送り出そうとしてくれている。

 その優しさが、何より嬉しかった。

     ◇

「アイリス。」

 マリアが静かに声を掛ける。

「少し、こちらへ。」

 アイリスは頷き、マリアの後について庭の花壇へ向かった。

 色とりどりの花が秋風に揺れている。

 マリアはポケットから、小さな布袋を取り出した。

「これを。」

「……お守りですか?」

「ええ。」

 優しく微笑む。

「あなたが幼い頃、高い熱を出したことを覚えていますか。」

 アイリスは少し考えてから、小さく首を傾げた。

「小さすぎて、あまり……。」

「そうですよね。」

 マリアは懐かしそうに笑う。

「その時も、このお守りをあなたの枕元へ置いていました。」

「どうか元気になりますように、と願いを込めて。」

 アイリスはそっと布袋を受け取る。

 小さな袋は、長い年月を経た柔らかな手触りだった。

 大切に使われてきたことが伝わってくる。

「院長先生……。」

     ◇

 アイリスは、お守りを胸の前でそっと握りしめた。

 布越しに伝わる温もりは、不思議と安心する温かさだった。

「辛い時。」

 マリアが静かに口を開く。

「苦しい時。」

「迷った時。」

「このお守りを見てください。」

 アイリスは小さく頷く。

「そして思い出してください。」

 優しい微笑みを浮かべながら、マリアは続けた。

「ここは、あなたの帰る場所です。」

「いつでも、帰ってきていいのですよ。」

「私も、みんなも。」

「あなたが帰ってくる日を、ずっと待っています。」

 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に込み上げていたものが、とうとう溢れ出した。

「……院長先生。」

 涙が頬を伝う。

「今まで、本当にありがとうございました。」

 何度も言いたかった言葉だった。

 けれど、口にすると本当に別れが来てしまう気がして、言えずにいた。

 マリアは何も言わず、そっとアイリスを抱きしめた。

 幼い頃から何度もそうしてくれたように。

 泣いた日も。

 嬉しかった日も。

 怖かった日も。

 いつだって、この腕の中は温かかった。

「あなたは、私の自慢の娘です。」

 耳元で囁かれたその一言に、アイリスは堪えていた涙を止めることができなかった。

「……はい。」

 小さく返事をするのが精一杯だった。

     ◇

 やがて、旅立ちの時が来る。

 孤児院の門の前には、子どもたちが並んでいた。

 アイリスはみんなの顔を一人ずつ見つめる。

 笑っている子。

 泣いている子。

 必死に涙を堪えている子。

 どの顔も、大切な家族だった。

 アイリスはゆっくりと頭を下げる。

「今まで、本当にありがとうございました。」

「立派な魔法使いになって、またみんなに会いに帰ってきます。」

 子どもたちから元気な声が返ってくる。

「待ってるー!」

「約束だからね!」

「絶対帰ってきて!」

 アイリスは涙を拭き、精一杯笑った。

「うん。」

「約束。」

 ゼノスはその様子を静かに見届けると、ふとマリアを振り返った。

「安心しろ。」

「弟子は必ず、一人前にして返す。」

 マリアは穏やかに微笑み、静かに頭を下げる。

「……お願いします。」

「どうか、あの子をよろしくお願いいたします。」

 ゼノスは照れくさそうに鼻を鳴らした。

「任せとけ。」

「……行くぞ。」

「はい。」

 二人はゆっくりと歩き始めた。

 誰も引き止めない。

 みんな笑顔で手を振っている。

 その笑顔が、何よりの応援だった。

 マリアは静かに二人を見送り、小さく胸の前で手を組んだ。

(どうか、お二人ともご無事で。)

     ◇

 森へ入る。

 見慣れた小道。

 聞き慣れた鳥のさえずり。

 木漏れ日。

 土の匂い。

 何度も歩いたこの道も、今日だけは少し違って見えた。

 やがて、大きな樫の木が姿を現す。

 アイリスは自然と足を止めた。

 ゆっくりと樫の木へ歩み寄る。

 そして、そっと幹へ触れた。

(ソル。)

 静かに目を閉じる。

(行ってくるね。)

 返事はない。

 けれど、その瞬間。

 さらり、と風が吹き抜けた。

 枝葉が優しく揺れ、木漏れ日が踊る。

 まるで――。

(いってらっしゃい。)

 そう言われたような気がした。

 アイリスは小さく微笑む。

「行ってきます。」

 今度は声に出して呟いた。

 もう振り返らない。

 ゼノスが少し先で立ち止まり、振り返る。

「置いてくぞ、弟子。」

 その声に、アイリスは笑って駆け寄った。

「待ってください、師匠。」

 ゼノスは豪快に笑う。

「はっはっは!」

「それでいい!」

 二人は肩を並べて歩き始める。

 孤児院という帰る場所。

 ソルとの大切な思い出。

 新たな師との出会い。


 そのすべてを胸に、少女は未来へ向かって歩き出す。

 秋風が二人の背中を静かに押していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ