第四章 ルリアの過去を明かす夜
雨は夜になっても止まなかった。
洞窟の奥で小さな焚き火を起こし、零とルリアはようやく一息ついていた。
外からは激しい雨音が絶え間なく響き、時折遠くで雷が光るたび、洞窟の壁が淡く照らされた。
零は鬼哭丸を傍らに立てかけ、火の番をしながらルリアの様子を窺っていた。
ルリアは零の羽織を体に巻き、岩壁に背を預けて座っている。
火の光が彼女の銀髪を優しく照らし、濡れたドレスがまだ体に張り付いたままだった。
羽織の前が少し開き、白い胸の膨らみと細い腰のラインが、炎の揺らめきに合わせて艶やかに浮かび上がっていた。
傷口は手当てのおかげで血が止まっていたが、痛みはまだ残っているようで、ルリアの息は時折浅く乱れていた。
零は低く言った。
「もう少し火を強くする。体を温めろ。
魔族の体は冷えると回復が遅いと聞いたことがある」
ルリアは小さく頷き、火を見つめながら答えた。
「零……ありがとう。
今日も、私を守ってくれて……本当に、零がいなかったら私はもう……」
零は火に薪をくべながら、静かに言った。
「礼はいい。侍として当然のことをしただけだ。
それより……お前の傷はまだ深い。
無理に話さなくてもいいが……もし話したければ、聞く」
ルリアは火の光に照らされた紅い瞳を、ゆっくりと零に向けた。
長い沈黙の後、彼女は小さな声で話し始めた。
「……私の名前はルリア・ヴァル・ノクティス。
魔王ヴァルガードの第七王女……末の娘よ。
母は人間の血を引く側室だったから、私は他の姉妹より角が小さくて、魔力も弱い……
だから、いつも『半端者』って言われて育ったの」
ルリアの指が、羽織の裾を弱々しく握りしめた。
零は黙って聞き続けていた。
「魔王城はとても大きくて冷たくて……
父である魔王は、私のことをほとんど見てくれなかった。
『役に立たない娘』だって。
でも、母だけはいつも優しかった。
人間の血を引く母は、魔族の宮廷でとても苦しんでいたけど……
私にだけは『あなたは特別だ』って、毎晩桜の話をしてくれたの。
この世界にも、遠い昔に桜の木がたくさんあった時代があったって……」
ルリアの声が少し震えた。
零の視線が自然とルリアの胸元に落ち、火の光に照らされた白い肌の曲線を捉えてしまった。
(……今はそんなことを考えている場合じゃない……)
ルリアは続けた。
「三年前……聖王国連合が大規模な侵攻を仕掛けてきた。
魔王城は炎に包まれ、母は私を守るために自ら囮になって……
私は逃げることができたけど、母は……母は……」
ルリアの紅い瞳に涙が浮かんだ。
彼女は体を少し前へ傾け、零のほうへ寄りかかってきた。
羽織がずれ、濡れたドレス越しに柔らかな胸の膨らみが零の視界に大きく入る。
ルリアの細い肩が震え、甘く熱い吐息が零の首筋にかかった。
零は無意識に手を伸ばし、ルリアの背中を優しく支えた。
その瞬間、ルリアの体が零の胸に軽く押しつけられた。
柔らかな感触と、雨の冷たさとは違う体温が、零の体に染み込んでくる。
「零……怖かった……
一人で逃げて、森の中で倒れて……
そこに零が現れて……
私、零のことを最初は人間の敵だと思ったのに……
零の背中はとても広くて、温かくて……
零の匂いがして……安心したの……」
ルリアの指が零の黒い羽織を掴み、ゆっくりと握りしめた。
零の胸に熱いものが込み上げ、侍としての理性と、抑えきれない衝動が激しくせめぎ合った。
(……この子はまだ傷ついている。守るだけだ。それ以上を望んではならない……
だが、この身体の柔らかさ、この吐息……俺の心をどうしようもなく乱す……)
零は低く、しかし優しい声で言った。
「もう一人じゃない。
俺がいる。お前を守ると決めた以上、絶対に守り抜く。
母上の仇も……いつか一緒に討つ日が来るかもしれない。
だが今は、生き延びることだけを考えろ」
ルリアは零の胸に顔を埋めるように体を寄せ、甘く掠れた声で囁いた。
「零……私、零のそばにいたい……
零が戦う姿を見て、零の指に触れられて……
心臓がとても速くなるの……
これは……痛みのせいだけじゃないよね……?」
その言葉に、零の鼓動が大きく跳ねた。
ルリアの銀髪が零の首筋をくすぐり、柔らかな胸が零の胸板に押しつけられる。
ドレス越しに感じるルリアの体温と、微かな震えが、零の理性の糸を危うく引きちぎりそうだった。
零はルリアの肩をそっと押さえ、わずかに距離を取った。
しかし指先はまだルリアの肌に触れたままだった。
「ルリア……お前はまだ傷が癒えていない。
今は休め。
俺はここにいる。お前が寝るまで、ずっと見張っている」
ルリアは潤んだ紅い瞳で零を見つめ、唇をわずかに開いた。
「零……一つだけ、約束して……
もし私が眠ったら……絶対に離れないで……
零の温もりが欲しい……」
零は静かに頷いた。
「約束する。
俺は侍だ。一度約束したら、絶対に破らない」
ルリアはようやく安心したように目を閉じ、零の胸に体を預けたまま、浅い寝息を立て始めた。
零はルリアの銀髪を優しく撫で、火の番を続けながら内心で激しく葛藤していた。
(この子は魔王の娘……俺は人間……
それでも、守りたいと思う。
この柔らかな身体、この甘い吐息、この瞳……
俺は本当に、ただ守るだけでいられるのか……?)
洞窟の外では雨がまだ激しく降り続いていた。
火の揺らめきが、二人の影を長く壁に映し出している。
ルリアの過去を聞いた夜、零とルリアの間には、
これまで以上に熱く、静かな何かが生まれ始めていた。
零は鬼哭丸の柄に軽く手を置きながら、
これからの逃避行が、ただの逃げではない何かに変わっていく予感を、
静かに胸に抱いていた。
ルリアの寝顔は穏やかで、しかし唇の端には、
わずかな微笑みが浮かんでいた。
この夜が、二人の関係を大きく変える夜になることを、
まだ二人は知らなかった。




