第4章
二人は悟のコミュータ ジミーに乗った。そしてジミーは音も静かに走り出した。咲のコミュータ、サラは誰も乗せずにジミーの後ろを付いて走った。
「ジミー、咲ちゃんだよ」
「初めまして、ジミーです。とは言ってもサラを通じて私は存じ上げていたのですが…… 悟さんにはここ3年くらいずっとお世話になっています」
「初めましてジミー、そしてありがとう。今日は渡辺君と引き合わせてくれて」
「どういたしまして。それでは30分間程の道のりですがゆっくりお過ごし下さい」
ジミーは口を閉じ静かになった。音楽も何もかからず防音の効いた車内に雑音もほとんどなく静寂の空間が二人を包んでいた。咲は涙が枯れたのか泣かずに悟の肩に頭をもたれかけ二人だけの時間に浸っているようだった。悟もこの静かな空間と時間に満たされたものを感じていた。ジミーが大通りから右に曲がり細い路地に入った。
「おい、ジミー、道が違うぞ。僕の家はまっすぐ進むんだよ」
「いいえ、こちらでいいんです」
「まっすぐ行くと工事とか何か障害があるの?」
「いや、これからお連れしなければならない場所があります」
「え? どこ?」
「後、数分です。お待ちください」
「ジミーが言うんだから間違いないんじゃない」咲が特に驚いた様子もなく悟に向かって言った。
「咲ちゃん、何か知っているの?」その悟の言葉に咲は何も答えなかった。しばらくしてジミーは大きなビルの前に停まった。そのビルは窓ガラスに灯りもついておらず薄暗い殺風景な黒い建物だった。
「悟さん、ここで降りて正面のドアをお入りください。待っている方がいます。咲さんもご一緒に」ジミーに言われるがままに悟は咲を連れ、ビルのガラス張りのドアを入った。その先には広いロビーがあり、中ほどに座っていた二人の中年の男女がこちらに振り向いた。
「悟!」二人が一緒に声を上げた。それはちょっと叫ぶような大きな声だった。
「父さん、母さん。なんでここに……」悟は二人の顔を見て声を上げた。
「待っていたのよ。さあ、上に上がりましょう」
「どうして?」
「事情は上で話すから。付いてきなさい」悟の父が二人を強引にエレベータに誘った。言われるがままに悟はエレベータに向かった。咲も何も言わずについていった。
「あ、紹介してなかったね。こちら、坂本咲さん。会社の同僚」悟は咲を紹介した。
「僕の両親」両親を咲にも紹介した。
「はじめまして、坂本咲です」
「いつも悟がお世話になっています。今日も来てくださりありがとうございます」悟の母が咲に向かって深く頭を下げて挨拶した。エレベータは8階で停まり、父親が皆を引き連れ廊下の突き当りの大きなドアを入った。ドアの向こうには中央に白いベッドがポツンとひとつある殺風景な広い部屋があった。片側の壁はガラス張りで、ベッド以外に医療器具のようなものが数点並んでいた。そして医療器具のそばに白衣を着た女性と男性が3名いた。
「ここは病院?」
「正式には病院ではないです。医療設備を備えた施設です」白衣を着た女性が答えた。
「悟、疲れただろう、休むためにもベッドに横になったらどうだ?」悟の父が諭すような言葉でいった。
「どういうこと? 説明してよ」
「ベッドに横になったら説明するよ」悟は父に言われるがままに靴を脱ぎベッドに横になった。ベッドの横に両親が並び、ちょっと間をおいて咲が立ち、悟を見つめていた。
「悟。今朝、ハナが教えてくれたんだ。今日、悟のところに行った方がいいって」父がしゃべりだした。ハナとは父母の家のAIコンシェルジュだった。
「どうして?」心当たりがない悟は父に訊いた。
「いいか、落ち着いて聴いてくれ。まあ、驚くなというのは無理かもしれないが、心を落ち着かせてほしい」
「なんなんだよ、じらさないでくれよ」悟は父の口調にイライラした。父はちょっとひきつったような表情をしていて、横にいる母も咲もこわばった顔つきをしていた。
「おまえは、もうすぐ死ぬ。後、10分も持たないだろう」あまりに意外な言葉を悟はすぐに飲み込めなかった。
「え? どういうこと?」
「悟、おまえは心臓の筋肉に異常があるんだ。そしてもうすぐ急性心筋梗塞になる。残念ながら現在の医療技術では治せないそうだ。予兆を発見できるが治療はできない」
「そんな……」
「毎日、おまえの身体状況を診断しているセンサが今朝、その予兆を発見した。そして発生時刻を予測した。それが10分後だ」
「じゃあ、ジミーも知っていたの?」
「そうだ。ジミーだけじゃない。AIネットワークを通じて会社などの関係者、友人にも伝わっている」
「そうか、それで会社は僕を早退させ、ジミーは懐かしい場所へ連れて行ってくれたんだ。咲ちゃんも知っていたんだね」母の隣に立つ咲ちゃんが泣きじゃくりながらうなづいた。
「おまえのお友達も皆来ているよ」父がそう言うとガラスの壁の向こう側に灯りがついた。そこには多くの人が並んでいた。会社の上司、同僚、学生時代の友人、皆、神妙な面持ちで悟を見つめていた。
「そんなあ、どうにかならないの? 嫌だよ、死ぬのは。まだたくさんやりたいことがあるんだあ」悟は大きな声で叫んだ。その声に合わせて周りの皆が泣き出した。
「悟さーん、いやだあ、行かないでえ」咲が悟の脚に抱き着きながら大声を上げた。その声は部屋中に響き渡り部屋を大きく揺さぶっていた。悟は身を起こしベッドを降りようとした。しかし父が悟の両肩をつかみそれを制した。
「動揺するのはわかるが、ここでゆっくり寝ていろ。それが一番いい」父に押し戻されて悟はベッドに横たわった。
「失礼します。器具をつけさせていただきます」白衣の女性が立ち上がって医療設備を運び手首や胸などにセンサを取り付けた。
「これで治るわけじゃないんだろ」悟が白衣の女性に訊いた。
「はい、残念ながら。心電の状況を確認するだけです」白衣の女性がうつむきながら言った。
「悟、なんでこんなことになるんだろうね。私達より先にいっちゃうなんて……」母が悟の両手を強く握りしめて言った。
「母さん、ありがとう。でも僕は母さんや父さんの子供として産まれて幸せだったよ」
「悟……」母は悟の手を更に強く握りしめて泣いた。
「悟さん……」咲が悟の顔を両手でなでながら泣いた。その時だった、悟の胸に電撃のような痛みが走った。あ、と悟は声を出したが胸の痛みはどんどん強くなり、頭の中にまあるい白い輪が広がっていった。そこに一瞬だったが父母の顔、咲の顔、友の顔が浮かび、思い出の風景が悟の心に広がった。さらにジミーの声が聞こえたと思うと心の中が真っ白になった。部屋の中とガラス壁の外に泣き声が大きく響いた。外では大きく低い狼の遠吠えのような音が響いた。ジミーが泣いているのだった。
了