ステージ1 ヒーローデビュー②
そこは、規模こそ小さくなっていたが、マンガやアニメによく出てくるような軍隊の司令室と、これまたマンガやアニメによく出てくるような近未来の研究所を合わせたようになっていた。一番奥の、壁一面に広がる大型モニターと、その手前の電子機器を備えたデスクが司令室の雰囲気を、手前にある三台の、人ひとりが入れるようなカプセルとそれに連なる装置が、近未来研究所の雰囲気を担当している。まるでSFマンガの世界に飛び込んでしまったかのようだ。僕は異様な光景に目を見張った。
「いったい……何の……?」
立ちすくんでいる僕を残し、相川さんが中に入っていく。
「これはね、簡単に言えば、マンガとかアニメとかのバーチャル世界を体験できる装置。ただ、遊びの域を超えたような代物だけど……」
「バーチャル世界……」
僕はその雰囲気に吸い寄せられるように、その空間に足を踏み入れた。
「うん」相川さんが中央のカプセルへ歩み寄っていく。「このカプセルに入ると、仮想現実の世界に行けて、そこには様々な敵が出てくるの。プレイヤーは、その敵に合ったヒーローに変身して敵を倒す。その様子は、入る前に設定すれば、外にいる人にもあのモニターで見ることができる」
相川さんが前方の大型モニターを指し示した。
「へえ、すごいじゃん」ようやく頭が追いついてきた僕は、感嘆し、左端のカプセルをのぞいてみた。「こんなもの、今の科学技術で実現できるんだあ。発表したら反響すごいんじゃないかな」
僕は心からの賛辞を述べた。
「発表なんかしないわよっ」
「ひっ……」
相川さんの剣幕に、僕の心拍数は一気に上昇した。せっかくさっき微笑まで引き出せたのに、何か悪いことを言ってしまったんだろうか……。
怯える僕の目を見た相川さんは、気恥ずかしそうに目を逸らした。
「ご、ごめん……。この装置は兄にしか分からないところも多いし、意識を仮想現実に送るっていう倫理的問題もあるから、発表されることはない」
「あ、そ、そっか……そうだよね。はは、よ……よくあるもんねえ、あっち行ったまま戻ってこない……って…………え? ま、まさか?」
相川さんの表情が曇ったのを見て、僕の頭にまさかの展開がよぎる。
「え……もしかして、お兄さん……が? ……ん?」
相川さんの後ろにあるカプセルの中に誰か人が入っているような……しかも、そのカプセルだけ一際多くの線が出ていてなんだか物々しい。
相川さんは唇を一回強く噛みしめると、そのとんでもないことを口にした。
「そう、あの中にいるのがわたしの兄なの。もう二ヶ月もバーチャルの世界に行ったきり、戻ってこないの……」
「えっ、二ヶ月!? 平気なの?」
「平気じゃないよ。適切な手順を踏まないで外に出すと深刻な意識障害が起こるみたい。だから、芝浜の技術者と医療関係者が苦労して、とりあえずシステム内にいながら兄の生命を維持できるようにしてあるの」
相川さんが冷たい(少し悲しさも入っているだろうか?)目で、カプセルの中を見つめた。
僕もゆっくりと近づき、中をのぞいてみた。裸の上半身しか見えなかったけど、頭には多くのコードが接続された装置を被っていて、体は心電図の検査をする時の線つきの吸盤が、胸を中心にいくつかついていた。また、それとは別に腕から出ているチューブも二本あった。液体が動いていってるところを見ると、これが後付けされた生命維持装置の一部なんだろうか。穏やかな顔だ。まるで眠っているよう。鼻筋が通ってるところや、口の大きさ形なんかは相川さんにそっくりだ。
僕はおそるおそる尋ねてみた。
「……な、なんで戻ってこられないの? 装置の故障?」
相川さんは静かに首を振った。
「じゃなくての。短い書き置きがあったんだけど、このまま死んだら、装置ごと処分してくれってあったわ」
「え!? 何で!?」
僕は思わず大声を出してしまった。
「詳しくは分からないけど、兄はずっと英才教育が嫌だったみたい。わたしからしたら、目をかけられているのはうらやましかったんだけど……」
涙? だが、次の瞬間にはそんな痕跡は消えていた。
「……そんな、な、なんとか無事に出す手段は……?」
相川さんはようやくカプセルから僕に視線を移した。
「さっきも言ったように、このシステムは、兄の個人的欲求のためだけに造られた物。だから、外部からの終了手段は設けてないの。中から出るには、仮想空間でイグジットボタンというものを押さないとだめ。つまり、中の兄に、外に出るという意思がないとだめなの」
「でも……出る手段を作ってたってことは……い、いずれ出るつもりなんじゃ…………て、もう二ヶ月も経ってるけど」
相川さんが力なく首を振った。
「兄はシステムのマニュアルも残してくれたわ。たぶん、自分を追って中に入った時、その人がちゃんと出られるようにだと思う。イグジットボタンも自分のために作ったんじゃないと思う…………で、でも……」
相川さんの肩がわなわなと震えだした。
「もう戻るつもりがなかったら、わざわざ他の人が入れるようにしなければいいと思わない!? なのにそうしたってことは、説得の余地はあると思うの! 兄はきっとわたし達家族が呼びに来るのを待っているのよ!」
今度は見間違いじゃない。相川さんが泣いている。お兄さんのことが好きで、心配で、お兄さんの声なき叫びに心を揺り動かされているんだ。助けてあげたい。こんな僕に出来ることだったら、それこそ何でもやってあげたい。不謹慎にも、今なら肩に手を置けるだろうかと考えてしまった僕は、そんな自分を力の限り滅殺し、決意表明をした。
「あ……ぼ、僕に出来ることだったら何でもや、やるよ! い、一緒に……お兄さんを連れ戻そっ」
一緒に……素晴らしい響きだ。顔が熱くなってきた。
相川さんは両手で一生懸命涙を拭くと、小さく頷いた。
「あ、ありがとう……」
「い、いや……」
たった五文字の言葉にここまでのぼせられてしまうは……相川さんなら確実に言葉だけで僕を殺せる。
「そ、それで……僕は何をしたら……?」
「う、うん、こっち来て……」相川さんは奥の司令室っぽい方へと歩き出した。「仮想空間には七つのステージがあるの。兄がいるのはその七番目のステージ」
大型モニターの前にあるデスクのコンピューターディスプレイには、七つの枠が映しだされ、それぞれに数字が振り分けられていた。相川さんが指差す七番目の枠には赤い光点が灯っていた。七個中七番目ということは最終ステージということなんだろうか。
「それぞれのステージには、ランダムで実際のアニメやマンガの敵が出てきて、プレイヤーがキャラクターを入力すると、変身が出来て、敵と闘えるようになるの。間違ったキャラクターに変身しても闘えるけど、そのキャラクターではまず勝てないようになっているみたい」
「へえ……」
(お、おもしろそう……)
ヒーロー命の僕に、これ以上興味を引くゲームがあるだろうか? それにしても……、
「でも、ほ、方法が分かってるなら……何でもっと早く誰かに頼まなかったの?」
その問いに、相川さんは悔しそうな顔をした。
「この仮想世界の内容は口止めされているから。生命維持装置を取り付ける時も、仮想世界の内容は教えなかったくらいだもん」
「え、何で?」
「世間体よ。自分の息子で自分の会社の後継者が、こんな下らない世界に入って戻ってこないなんて、父にしたら口が裂けても言えないの」
「下らない……」
(まあ、大企業の社長にとってはマンガやアニメなんてそんなもんか……)
「あ、ごめん……」
僕の消沈を察し相川さんが顔を上げた。
「ううん、いいんだ。別に相川さんが言ったわけじゃないじゃん」
僕はなんとか笑ってみせたけど、相川さんは僕と目が合うとさっと目を伏せてしまった。相川さん、君はけっこう分かりやすい子なのね。
「あ、相川さんもあまり好きじゃないんだ……」
「…………別に、人の趣味に文句をつけるつもりはないけれど、あまり得意じゃない……ごめん」
「いやっ、いいんだよ! それこそ好き嫌いは人それぞれだから。はは……」
僕のフォローにも、相川さんの表情は冴えなかった。
「……ごめん、田中君の前でこんなこと言うのも失礼なんだけど、本当言うと、すごく軽く見てた。アニメやマンガっていうのは、せいぜい小学生ぐらいまでの物だと思っていたから。でも……だから罰が当たったのかもね。兄を助けられるのは自分だけしかいないって思って猛勉強してるんだけど、そういう軽蔑的な気持ちがあるからか……名前を暗記するだけなのに全然覚えられないんだよね……」
相川さんが自嘲気味に苦笑した。
なんだ……。肩の力が少しだけ抜けた。
「それは当然だよ」
「え……?」
相川さんが驚いたような眼差しをこっちに向けた。僕はそれに怯むことなく、自信を持って答えた。
「ただ名前だけを覚えようとしても覚えられないよ。マンガやアニメは、実際に見て、その魅力に触れて自然と覚えるもんだから。相川さんもちゃんと最初から物語を見れば、自然と覚えられるよ」
「そう……かな?」
相川さんがきょとんとする。僕はとっさに語ってしまったことが急に恥ずかしくなってしまった。
「あ……た、たぶんだけど……」
「……うん。…………ぷっ、くく……」
!? 笑った!? しかも微笑なんていうあやふやなもんじゃない! これは楽しい雰囲気の時に出る笑いだ! な、何が起こった!? 次元位相がずれ、別の世界の別の相川さんが登場したか? それとも相川さんと一緒にいすぎて脳がイカれ、現実を都合良くねじ曲げだしたか? だとしたら、このままいったらぼ、僕は……相川さんと……
「ごめんね」
相川さんの声で、僕は妄想説を採用しようとしていた脳内会議から現実に引き戻された。相川さんとあんなことやこんなことができるならたとえ妄想でもバカッ、やましい気持ちを捨てろ僕!
「ど、どうしたの……?」
「はは……田中君がそんなに語る人だとは思わなかったから。ギャップがツボにはまっちゃった。目もどこかキラキラしてたし……くく、ごめん」
相川さん……あなたは言葉だけじゃなく、笑っている姿だけでも僕を殺せるよ。自律神経失調して小便だだもれしたら、きみのせいだからね……。
心の中で遺言を残すと、僕は必死に自らの蘇生活動を行った。どうやら間に合ったらしい、一カ所に集中していた血が正常に循環し始める。
「あ、ご、ごめん、変だよね……自重します……」
「ううん、むしろちょっとヒーロー物? に興味出た。兄のことを理解するためにも、そのつど解説してもらえたら嬉しい」
パンッ!
頭に花が咲いた。理由は分からない、でもとにかく僕の頭には、目に見えない色とりどりの花が確かに咲いたのだ。一体今日は何回昇天すれば許してもらえるのだろう。いや、許してくれなくていいです。神さま、仏様、相川様、どんどん僕を昇天させて下さい。
「ま、任せて……。それで……僕はどうすれば?」
「あ、うん。えっと……敵が現れたら、それに対応するヒーローをこのパッドで入力して。コードは……」
相川さんが鞄からあの厚い手帳を取り出した。
「この中にあるから、分からなければ、ちょっと大変だと思うけど……索引で調べて入力をお願い。プレイヤー自身が中で入力することもできるんだけど、まだ全然覚えられてないから……」
「うん、それは別に……てことは、相川さんが中に入って敵と闘うの?」
「そうだよ?」
「平気?」
「別にやられても、実際に怪我するわけじゃないから」
「でも……」
僕は何気なくカプセルに目をやった。したら鼻血が出た。鼻血って本当に出るんだ……。
「あ……あの……」僕は鼻血を必死にすすりながら、上下かみ合わない顎をカタカタ鳴らしながら質問する。「お、お兄さん……じょじょじょ、じょ、上半しし身、は、はだ裸、だったけど……あれあれあれって…………カナラズ?」
相川さんが恥ずかしそうに、気持ち上目遣い、眉頭やや上げ、頬をうっすら赤くさせて応える。
「み、見ないでよ……」
僕の膝は抜け、よろけた。反則だ。そこまでしなくても僕を殺せるというのに。そんなにダメ押しをしたいのか?
「ホント見ないでよ!」
「いやっ!」
相川さんの目が見開かれる。
「あ、いや……今のいやは今の言葉に対して言ったんじゃなく…………その……あ、外と中って会話できるの?」
「え…………う、うん、そのマイクで……」
相川さんがディスプレイの手前に設置されているマイクを呆然と指差す。
(よし、じゃあ問題ない)
「なら、僕が中に入ります! 僕がお兄さんのいるステージまで行くから、そしたら、相川さんが説得して!」
ただでさえ大きい相川さんの目が、今日一番の大きさに見開かれる。
「え………………え、いや、ダメ……ダメだよ! そこまではさせられない!」相川さんが全力で断る。「わたしは何回か入って無事に帰ってきてるけど、だからって次も無事帰れるとは限らない! システムにちょっとでも異常が起きたら、二度と帰ってこられない可能性もあるんだから」
「う……」
二度と帰れない……それはきつい……怖い……でも、でも、でも、でも……。
「うちの問題で、田中君がそんなことになったら……わたし、どうしていいか……」
う……。あ、ありがとう。で、でも……。
「や、やっぱり僕が入る!」
「えっ……」
「ひ、ヒーローは……………………そういうもの! ぼ、僕の方こそ、相川さんが戻ってこられないなんてことになったら……もう……生きていけない……」
「え…………そ……」
「そ、それ以上何も言わないで!」
決心を鈍らせないようにととっさに放った言葉は、言い方も、それに付随するポーズも、恐ろしくオネエ風になってしまった。しかし、僕は相川さんが受け入れてくれるまで、そのポーズを取り続けた。
やがて相川さんが根負けしてくれた。
「あ、ありがとう…………分かった、もし何かあっても絶対に助けるから」
「は、はい、その時はお願いします!」
そうして僕は、カプセルの前に立った。右をちらりと見ると、デスクに向かいスタンバっている相川さんの華奢な背中が見えた。
それにしても……。僕は手渡されたセットアップマニュアに目を落とした。
(全裸になるとは…………む、まずい血が変なとこへっ!)
僕は慌ててガルウイング調の上蓋を持ち上げ、なだれ込むようにカプセルの中に入った。
(相川さん、こんな底辺のゴミ人間に、裸を見られるリスクまで負って臨むその覚悟、しっかり僕が引き受けるよ)
決意新たに僕は準備を始めた。ステージ操作は相川さんが外でやってくれるから、入ったら、あとは戦うだけだ。僕は、中で脱いだ服を外に放り出し、マニュアル通りに器具を体につけ、最後にマニュアルを放り出し、蓋を閉め中の起動ボタンを押した。




