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枢軸型録通信販売  作者: 敵機直上急降下
枢軸型録通信販売 in 1945年4月7日

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一変する世界

一変する世界


 大本営は突如現れた枢軸型録通信販売を使い、戦時標準船TL型油槽船にニトログリセリンを搭載し、連合国軍に落としていった。

 米機動部隊を始めとする連合国艦隊は壊滅し、B-29爆撃機による空襲も止めることに成功した。


 国内は不足していた戦略物資などが揃い、日本は急速に態勢を立て直していった。


 そして大本営は、次なるTL爆弾の目標を選定しつつ、沖縄、硫黄島のみならず、マリアナ諸島の奪還も検討していくのだった。


 1945年4月後半。太平洋の連合国軍基地にTL爆弾が投下された。

 民間人の居住が確認されている地域には、ニトログリセリンの量を減らし威力を抑えて投下し、連合国軍に打撃を与えていった。マリアナ諸島にも、駄目押しとばかりに再び投下を行っていった。


 米潜水艦対策も整い始め、残存艦艇による沖縄の米上陸部隊への砲爆撃も行われた。

 沖縄の米上陸部隊は既に大損害を被っており、降伏勧告を行っている段階にきていた。


 米潜水艦の活動を抑えたことで、フィリピンへの増援と補給も届き、威力を抑えたTL爆弾も併用し、フィリピンの米軍を追い詰めていった。

 中国大陸も、国民政府や共産党の指導者をニトログリセリンで満たしたドラム缶を落として排除し、型録で購入した潤沢な兵器・弾薬・燃料で戦線を押し上げていった。


 5月に入る頃には、大本営はTL爆弾の使用を太平洋以外にも拡大していた。

 大本営は、知りうる限りの交戦国の軍事拠点にTL爆弾を投下していった。TL爆弾の使用は現地時間の夜間に限定され、民間人への被害を避けるため威力も抑えられていた。その攻撃は、フランスやドイツ本土の米英軍にも及んでいた。


「ドイツより米英軍への攻撃の感謝と、ソ連軍へも攻撃をして欲しいと懇願がきています」


「ソ連軍への攻撃は、まだ政府が決断できていないからな。もうしばらく耐えてもらわなければならない」


「ドイツがもう少し早く、我々を信じて米英軍の情報を伝えてきていたら、今頃はソ連軍も攻撃できていたかもしれませんね」


 TL爆弾の投下は、米英濠中などの日本が知りうるあらゆる軍事拠点が目標であり、米英濠中は大混乱に陥っていた。

 当然、米英の本土も対象であり、大本営は確認のしようがないが、米英は急速に軍事力を低下させたと予想した。


 日本がTL爆弾を交戦国のあらゆる軍事拠点に落とした事で、影響はヨーロッパ戦線にも及び、ドイツが無条件降伏をした後、ソ連軍がフランスを目指し進軍を開始したのだった。


「結局、ドイツは間に合いませんでしたね」


「ああ、残念だ…。しかし、ソ連が即座に米英と対立するとはな。よほど米英は弱体化しているとみえる」


 日本のTL爆弾攻撃により、各地の軍事拠点を破壊されていた米英は、日本に休戦を申し入れてきたのだった。



■



 米英を始めとする連合国軍は、1945年4月以降大混乱に陥っていた。


 沖縄に展開していた米機動部隊の壊滅に始まり、マリアナ諸島の飛行場や沖縄近海の連合国艦隊までもが壊滅したのだった。

 強烈な閃光ときのこ状の巨大な雲が観測され、マンハッタン計画で開発中の原子爆弾を日本が完成させ、使用したものと考えられた。


 しかしながらその攻撃は太平洋上の連合国軍基地に次々と行われ、日本にそれほどの原子爆弾の製造能力があるとも思えなかった。

 また仮に、それほどの原子爆弾を用いたにしても、投下するための運搬方法などが不明であった。


 日本軍の攻撃は米英本土やフランス・ドイツにも及び、航空機による攻撃とは思えない範囲に及んでいた。

 ドイツの用いたV2ロケットの射程を延ばしたものが仮に存在したとしても、命中率が異常に高過ぎたのである。


 さらに問題は続き、ソ連がナチス残党が未だ残っていると称して西進を開始し、米英と交戦状態に陥ったのである。

 日本軍の攻撃により打撃を受けていた米英軍に、これをまともに止める手立てはなく、米英軍占領下のドイツはおろかフランスまでもがソ連軍の手に落ちようとしていた。


 もはや猶予はなく、米英は日本に休戦を申し出た。

 そして、講和の条件として、ソ連への参戦を求め、日本の要求を最大限呑むことになったのである。


 日本の原子爆弾のような兵器による攻撃は、主に軍事拠点に行われてきたが、日本が3月に受けたB-29による東京爆撃の報復を行う恐れもあり、講和交渉は急ぎ進められていった。


 日本の原子爆弾のような攻撃は、放射能が検知されず、別物である可能性が出てきた。

 だからといって結果は変わらず、米英は日本にソ連への参戦を条件に、それ以外は大幅に譲歩して講和が成立したのであった。



■



 米英は中華民国を無視する形で、日本と講和を締結した。もっとも、国民政府や中国共産党の指導者は既になく、日本陸軍と新国民政府は混乱する中国を急速に手中に収めていっていたのである。

 日本は占領されていた委任統治領や、日本軍が一度占領した島嶼を取り戻し、完全占領には至っていなかったニューギニア島をも手に入れた。経済制裁の解除、満州国の承認、新国民政府の承認、大東亜共栄圏で独立した国々の承認なども取り付けた。ただし、ソ連への宣戦布告が条件だったのである。


 日ソ中立条約は既にソ連が一方的に不延長を通告してきていたが、まだ条約は有効であるため、日本はソ連に対し最後通牒といえる、無理難題を突きつけた。

 それは、1939年9月のドイツによるポーランド侵攻以前の領土へ、ソ連が戻ることであった。


 日本はTL爆弾により米英を弱体化させたが、そのせいでソ連がドイツとフランスまでもを押さえようとしていた。

 このままでは型録が使えなくなった段階で、ソ連は手が付けられないほど強大になる可能性があり、型録が使える内に力を削ぐか叩いておくことにしたのだった。


 ソ連も日本のTL爆弾の情報を得ているはずであり、これで戦争終結と考えていた者達もいたが、ソ連は引かなかったのである。

 ソ連は多大な犠牲を払い東部戦線を戦い抜いていた。そのためここで引いてしまうと、最高国防委員会は求心力を失い、政変が起きてしまうため、引くに引けなかったのではないかと考えられた。


 5月下旬、日本はソ連に対し宣戦布告を行った。

 同時に軍事施設周辺からの民間人の退避を呼びかけ、6月に入りTL爆弾による攻撃を開始した。


 大本営の知りうる極東ソ連軍の軍事施設やソ連太平洋艦隊をTL爆弾で攻撃し、米英からもたらされるソ連軍情報に基づきTL爆弾攻撃を行っていった。

 おそらく地下壕に避難しているであろうソ連の指導者には、ニトログリセリン入りのドラム缶が複数個落とされ、強力な指導者を失ったソ連を混乱させた。


 日本軍は北樺太やバイカル湖以東の占領に乗り出し、TL爆弾と連携しながら軍を進めていった。

 米英から日本に伝えられたフランス・ドイツのソ連軍拠点は次々と壊滅し、残存ソ連兵は米英に降伏していき、ソ連軍は東欧から撤退していった。


 7月に新たなソ連指導者の下で、日米英とソ連の間で講和が成立したのだった。


 日本は新たに北樺太と沿海州を手に入れ、満州国は領土を拡大し日ソの緩衝国となった。

 さらに、長らく続いた支那事変も解決し、戦争はようやく終結したのだった。



 日本は型録が使える猶予が迫っているため購入を急ぎ、国内の整備を急速に進めるため兵の復員を進めていった。


 米英は日本が新たな戦略兵器を手にしたと勘違いをしていたが、日本もそれを否定することはなかった。

 ただ、原子爆弾の早期開発と、世界のあらゆる地点を攻撃可能な、ドイツのV2号ロケットの拡大版のような兵器開発を進めていった。



 1945年8月初旬、日本は型録が使える内に、TL爆弾の公開実験を行った。


 各国の要人や報道陣を集めて行われたそれは、直前まで実験の場所を公開しておらず、参加者達は複数の零式輸送機に乗り込み、日本の東方海上へと飛び立った。

 そこは日本本土から1500kmほども離れた海域であり、この実験のために周囲数百kmは船舶が入り込んでいないことが入念に確認されていた。


 そして、実験参加者を乗せた複数の零式輸送機が観測地点に到達し、10発のニトログリセリン満載のTL爆弾が同時に投下され、各国の要人や報道陣はその閃光と衝撃波を体感し、その後に巨大なきのこ雲を確認したのであった。

 もちろん安全は確保されており、まかり間違っても各国の要人に害が及ばないように配慮されていた。


 その後、参加者達は日本本土に帰還し、天皇陛下も記録映像を御覧になるにいたり、御言葉を述べられた。


「かかる強大なる威力の兵器は、容易く用いるべきにあらずと思う」


 その御言葉に日本軍関係者及び政府要人は恐懼し、各国要人にも陛下のお言葉が伝えられ、報道陣が世界に報じる事になったのであった。

 日本は陛下の大御心を尊重するとして、以降のTL爆弾の安易な使用を行わないと宣言した。


 この陛下の異例の御発言は、日本にとって僥倖であった。

 1945年8月15日で型録は使えなくなり、当然TL爆弾も使えなくなるからである。


 日本がTL爆弾を使用しなくなる明確な理由が、思いがけずできたのであった。


 世界では、日本が通常兵器の如き気軽さで新型爆弾を用いた事で、かつて連合国軍の軍事施設があった場所はほぼ全て破壊されていた。

 日本が知り得なかった場所は難を逃れ、復旧が進んでいる所は再建されてはいたが、多くの場所が破壊されたままであった。


 世界が日本に対し恐怖の念を抱いているところに天皇による発言があり、日本が新型爆弾の安易な使用を行わないと宣言したのである。

 これにより、世界における天皇の権威はさらに高まり、天皇ひいては日本と友好関係を結ぼうとする国々が増えたのだった。


 日本は孤立から脱却し、大東亜共栄圏のみならず、諸外国と友好関係を築いていったのであった。



 戦後日本は、欧米に遅れている分野を追いつけ追い越せと奮闘し、世界が日本を畏怖している間に急速に経済成長もしていった。

 また、増えた領土が受け皿となり、人口も増え続けていった。


 米英ソが核武装し、日本の脅威が徐々に薄れる頃、日本もまた核武装し大陸間弾道弾を配備していた。

 世界は日本が使用した謎の戦略兵器の正体を掴めぬまま、核兵器による相互確証破壊の状況に移行し、大規模な戦争が起きない状態が続いていった。


 日本では戦後に支那事変と対米英開戦を反省し、大きく方針転換をしていた。

 大東亜共栄圏の国々には兵器の譲渡と引き換えに利権だけを得て、火種となりうる軍事的負担の多い租界などは持たず、中華民国へも返還し利権に変えていた。


 大東亜戦争でギリギリまで追い詰められた事から、総括され、統帥権の独立が見直されていった。

 しかしこれは急激に行えば強烈な反発を招くため、軍の規模が十分に縮小し、統制が取れている段階で行われていった。


 日本は満洲国以外とは直接国境を接する国はなくなり、軍事的負担を極力減らせており、その身軽さと利権の恩恵から経済発展を遂げていった。

 日本の国内総生産はアメリカに次ぐものとなっており、今なお緩やかに発展を続けている自主独立した大国なのであった。

お読みいただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
結局TL爆弾とは何だったのか、数十年後の世界でノストラダムスめいたオカルト陰謀論が蔓延しそうですね・・・ いや、掛け値なしにオカルトの産物だったとはだれも見抜けないでしょうけど
東京は焼かれたけど思ったより穏当な終わり方だった。8月に核戦争起きるかと思ったけど。
最終章が思ってたよりも平穏に終わった。米英ソの主要都市も吹っ飛ぶかと思ってました。
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