42.手首の主
「まさかこんな事になるなんてな……」
朝日が降り注ぐ中庭で鑑識が忙しく動き回っている。足元のアスファルトには生々しく血の跡が飛び散っており凄惨そのものだ。
飛び降り自殺をした初瀬教授、シートをかけられたその遺体を前に思わず零れた言葉に自分自身で眉をひそめる。たかが大学だ。だが、国家機密でも扱うかの如く口の堅い職員、そして上からの圧力……警察庁長官だけでなく政治家まで出てきたのだ。自分ごときではどうにも……いや、これは言い訳だ。何もできなかった自分への言い訳だ。
初瀬の教授室にあったPCの画面には自分が沼田医師を見殺しにし、かつての同級生であった小山と佐倉を殺したのも自分であると書かれていた。そして、これがその証であると言わんばかりに机の上に置かれていたのはミイラ化した佐倉医師の右手首、これを初瀬が自分で所持していたのかと思うと精神を疑うレベルだ。いや、医師でありながら友人二人を手にかけ、何食わぬ顔をして患者を救う事が自分の使命と謳っていたこの男、その精神がまともであるはずがない。
自責の念に堪えかねて自殺するようなメンタルなら、とっくに初瀬は死んでいるはずだ。不可解すぎる今回の事件、そして……1号館から出てきた右手首はいったい誰のものだと言う話になる。
「何なんだこの大学は……」
自分の無力さにも腹が立つ、そう思いながら強くこぶしを握り締める。
「気を付けてください刑事さん。この大学では心に闇のある人間は魔に付け込まれますよ」
突然聞こえた声に振り返れば、白衣の前を開け、ポケットに手を突っ込みながら、初瀬の遺体を眺めている小柄な女が後ろに立っていた。
いつの間に!?驚いて思わず一瞬息が止まるが、立ち入り禁止のエリアに何故?しかし、誰も気にしている様子がない。遺体の確認は初瀬と関わりのあるこの大学では行えない。ゆえに、医師であったとしても入れるわけにはいかない。所属を見るため名札を見れば「桜井与野」と書かれている。
「申し訳ありませんが、警察の者以外立ち入り禁止なんですよ桜井先生……お引き取りを……」
そう言いながら手で外に出るよう促そうとすれば、ゆっくりとこちらを見上げるその女医がにこりと笑いかける。
「私の手首……なるべく早く1号館に返してくださいね」
「えっ……」
驚きの言葉と、一瞬の瞬きの間に女医の姿が忽然と消えていた。
今……何がっ……
「三郷さん!」
突然名前を呼ばれて思わず肩がびくりと揺れる。
「三郷さん!大丈夫ですか!?さっきから一人で何ブツブツ言ってるんですか?怖いですよ。もしかして栄養偏りすぎて遂に脳やられちゃいました?」
軽口を叩きながら此方に歩いてきた小林の方を、ギギギっと油切れの人形のように首を向ける。
「お前、今……ここに……白衣姿の女を見なかったか……」
「えっ……ちょっ、何言ってるんですか。三郷さん一人でしたよ……。
急に後ろ振り向いて身振り手振りしながらブツブツ言いだしたから、頭おかしくなったのかと思って声かけたんですよ……白衣の人なんていませんでしたよ……今、朝ですよ……やっ、やめてくださいよ笑えない冗談…………。えっ……マジで見たんですか……」
小林の言葉にコクリと頷く。
「見たし話した……。
私の手首、なるべく早く返してくださいね。って言われた……」
その瞬間、己の体を守るように二の腕を抱えて、青い顔をした刑事二人がブルリと震えあがった。




