35.歯車
「桜井君、最近君はちゃんと仕事をしているのかな?」
実験のスケジュールを立てるため、ノートとカレンダーとにらめっこしている私の隣の席に、柳教授がやってきて隣の椅子に座ると同時に大変失礼な一言を投げかけた。
「え゛ぇー!?失礼ですね!ちゃんと仕事してますよ!」
「ふむ、君の仕事は一つじゃないはずだが?
細胞培養だけが君の仕事じゃないだろう。実験やペーパーワーク、君には重要なタスクが他にもあるはずだが?」
「うぐっ……ちゃ、ちゃんと他の仕事も万遍なくやってます!!
物事をうまく回すには色々と大変でして、ちょっと偏ってるかもしれないですけど!
ちゃんとペーパーワークも、管理とか、その他諸々……やってますが……ご存知の通り私にも限界がありますので、苦情は理事の方にぃ……」
小さくなっていく語尾に合わせるように、柳教授の目も細められていく
「……スミマセンデシタ」
柳教授に向かって深々と頭を下げると、教授が「はぁ~」と珍しく深いため息をつく
「しっかり頼むよ桜井君、君の手腕にかかっているんだからね。
最近の若者は権利の主張ばかりで、責務を果たさず成果も出ない。
古参の君が頼りなんだ」
私もまだ若者……気持ちは……。という言葉を飲み込み
「ハイ……」
と、小さく返事をすることしかできなかった。
「桜井君への小言はこれくらいにして、先ほど知り合いから聞いたんだけれど、2号館で出た白骨化した遺体は過去に失踪した女医の物で間違いないと大学側に話があったそうだ。まぁ、皆わかっていた事だろうけどね。1号館で出た手首に関しては……まぁ、鑑定に入るまでに時間がかかるだろうね。」
「1号館の手首はさておき、全然関係ない白骨化遺体出てきたら大事ですし、美味しいネタに食いつくマスコミに大学から圧力がさぞやかかる事でしょうね」
「ハハハッ!ブラックジョークかい?桜井君!」
「違いますがっ!?」
その日の夜
「タイムコースとるのめんどっ……」
桜井与野と書かれたノートを引き出しに放り込んで乱暴に閉める。デスクで作業をしていたのだが、時計を見れば23時を過ぎたところ。「やっと終わったわー」と、椅子にのけ反るように背を預ける。見上げた天井は薄っすらとシミができていて汚い。
「はぁ、疲れた……」
そんな独り言をつぶやいてため息を吐く、自分で実験計画を立てたくせにと自分で自分を罵る。やる気がみなぎって実験計画を立てていたあの時の自分はアホだったのだ。3時間置きに細胞の写真撮影を行い12時間分まで撮影し、あとは24時間後なのだが、朝は柳教授と話をしていたせいで開始時間が10時になってしまったのだ。
つまり、22時に細胞の撮影の必要があり今の今まで作業をしていた。まぁ、深夜3時とかまで残って作業じゃないだけましと言えばまし……はぁ……お金のある研究室だったら、自動で設定した時間に写真を撮ってくれる装置があるのに……うちの研究室が貧乏なせいで、悲しきかなアナログ方式だ。どれだけ嘆いても何も変わらないのだから仕方ない。再びため息をついた。
「ンガッ!?」
ぐらりと椅子から落ちそうになり、変な声をあげて慌てて体勢を立て直す。ヤバイ!一瞬寝てた!?のけ反って寝ていたのか、背骨と首が痛い。
「あぁーーー、もう!!早く帰っ……2時?
いやいやー、時計が壊れてるんだってー」
痛む首をさすり独り言を言いながら、机の時計から壁掛け時計に目を移すと
「2時……」
やっちまった。
目を閉じて思わず……いや!!ダメだろ!!ここで寝るなよ私!!もうどうにもならん……。と、諦めてトイレでも行こうと研究室から出れば流石に、何処の部屋も電気が消えて研究室や研究者たちの居室は真っ暗だ。時々泊まり込みで研究する者もいるが、今日は人っ子一人いないようだ。
やけにシンと静まり返った廊下に思わず身震いして慌ててトイレへと向かった。トイレから出てそのまま、お茶室に向かう。もうこうなったら、罪深き深夜のカップラーメンを食べて気分をあげようじゃないか。おなか減ったし!そんなことを思いながら、お茶室に備蓄してあるカップラーメンのデカ盛り味噌を箱からごそごそ取り出して、やかんに水を入れてお湯の準備をする。
ガスコンロの火をつけると、ガスの臭いが漂ったため窓を開けようと窓辺に近寄れば、少し離れた中庭の白い電灯の下に白衣を着た人が、俯いてベンチに座っている。電灯の白い光で白衣が青白く見えて、ホラー映像でありそうだ。こんな時間に居るということは当直中だろうか?寝もしないで中庭に?なんで?
髪の短さと背格好から、男性のように見える。距離がありすぎて、顔まではわからない。白衣の下も暗い色のスクラブだろうか?程度しか認識できない。
微動だにせずずっと俯いている様子の医師、その姿に何となく思い当たるものがあった。まぁ……大学の風紀を乱してくれるなよ、仕事が増えるのはゴメンだ。やれやれだぜ、とアメリカ人のようなオーバーリアクションで両手を広げ首を振る。私はそう言うのとっくに断ち切ってるんでね。と言い訳をしながら、コンロの方に視線を移せば、お湯が沸騰している音が響き始めた。
カップラーメンの蓋を開け、かやくを中に入れて、やかんのお湯をカップへと注ぐ。ふと頭に思い浮かぶ柳教授の言葉
「最近君はちゃんと仕事をしているのかな?」
してないわけじゃない。私のできる事には限界がある。ため息をついて、やかんをコンロに戻す。
はぁ~~と、長いため息をついてシンクに寄りかかっていると突然
コンコンコン
と廊下側の扉がノックされ、あまりに驚きすぎてシンクから手が外れてよろけてしまった。
こっここここんな時間にななな何っ!!!!?誰っ!!!?
足音を忍ばせながら、強ばる体に鞭打って壁際から廊下側の扉を覗き見る。
薄っすらと白い影が見える。
白衣?何処かの研究室の人か?
どうしよう!?と思っていると、再度コンコンコンと扉が軽くノックされる。
幽霊の訪問……いやいや、まさかそんな……と、思いながら「はい……」と小さく返事をして扉へと歩み寄り、大きく息を吸って、意を決してゆっくりと扉を開けると、血の気のない青白い手、そしてその顔を見た瞬間。
あぁ……思い出した……。
と、すべてを察したのだった。




