32.手首の捜索2
扉が一時停止して再び開いた瞬間乗り込むと、階段の方からダダダッと駆け降りてくる音がする。
しまったぁ!?気付かれた!!?
慌ててエレベーターの6階を押して閉まる扉を連打する。もはや、パニック映画か何かのようだ。
「はぁ……助かった。」
そう言って行き先階のボタン横の壁にもたれ掛かれば、奥にいた白衣の男性は
「僕は心停止するかと思いましたよ……」
と、天井を仰ぐように大きく深呼吸をしている。
「スミマセン、と言うか私も驚きましたよ……なんで地下1階なんかに……」
「1階のボタンを押したつもりだったんですけど、そういう貴方は……」
「同じです……。
考え事しながら1階のボタン押したらB1押してたみたいで、すぐさま戻ろうとしたんですけどエレベーターが上に行っちゃうし、階段は規制線がベタベタに貼られて上がれないし、上に警察の人いるし上がってったらあらぬ疑いをかけられそうだし……はぁ……」
「それは……災難でしたね……」
「はい……。
あっ、スミマセン慌てて6階押しちゃいました」
「あぁ、気にしないでください。
自販機寄って医局に帰ろうと思ってたんで、6階にも確かありましたよね」
「私も自販機に行こうかと思ってたんです。
確かに、今は出れないけど屋上の出入り口に2台ありましたね。
まだあったかな……」
考えつつ、チラリと男性の方を見る。医局と言うからには医師なのだろう。見た目は30代くらいの、身長はそこまで高くない。短い黒髪がエレベーターの光に照らされて、髪質の良さを物語るエンジェルリングが浮かび上がっている。羨ましい!!
ふと、名札を見れば
消化器外科 医師 清水と書かれている。
おぉーっと!?消化器外科さんですか!?とは言え、無粋過ぎてあの話題を振れるわけもない。話を聞きたいのは山々だけど……。
そんなことを考えているうちに、6階の扉が開き2人してヨレヨレとエレベーターを降りて廊下の突き当たりを見れば、幸いにも自販機はまだあった。
「良かった。
自販機まだありました」
「ちょっと一息ついてから戻りますか……」
「ですね……」
2人してため息をつきながら、私はロイヤルミルクティーのペットボトルを、清水先生はブラックの缶コーヒーを購入して一口飲むと「はぁ……」っと2人して、再度ため息をついた。
「あのっ……このような事をお願いするのは気が引けるんですが、みっともなく叫んだ事は他言無用でお願いできたらと……」
視線を明後日の方に逃しながら清水が言いづらそうに口を開いた言葉に、先ほどのエレベーターの絶叫と動揺が思い起こされる。
「それはお互い様と言いますか、私も叫びましたし……なりふり構わずエレベーターに乗り込みましたし……」
「確かに、アレはパニック映画を彷彿とさせる状況、エレベーターのくだりを見る度に今日の事がフラッシュバックしそうだな……」
「んぐっ……ほんと、スミマセン……」
「今更ですけど、消化器外科の清水と言います。」
「あっ、こちらこそ
生化学研究室の桜井と申します。」
「生化学研究室って事は、牧先生が教授ですか?」
「あれ、ご存知なんですか?」
「僕が学生の時はまだ講師でしたけどね。
過去問通用しない先生だったんで、試験の時は辛かったな……」
「あぁー、学生さん過去問作成に注ぐ熱意すごいですよね」
「他の分野はわかりませんが、医学部の定期試験の範囲は広大ですから、頼りたくもなります」
そんな取り止めもない話をしていると、少し遠いがタンタンタンと誰かが階段登ってくる音がする。何の気なしに見た先ほど乗ってきたエレベーターも、3階、4階と上昇してくる。もしかして、地下の騒ぎを調べにきたり?飲み切らないミルクティーのキャップを閉めると、白衣のポケットに押し込む。撤退の様子を悟ったのか、清水先生も缶コーヒーを飲み干す。
「そろそろ私は失礼します。
先生も早く撤退した方が良いですよ」
ゴミ箱へ向かう清水に挨拶をすると、なんで?と言う顔をしながらも「分かりました」と言って清水が軽く会釈するのを見届けると、そそくさと階段を駆け降りた。
一息ついたし、医局に戻るか……。事務に書類届けに来ただけなのに、とんでもない目にあった。そんな事を清水が考えながら缶をゴミ箱に捨てて振り返ると同時に、エレベーターのドアが開いて50代位のスーツ姿の男が出てくる。
6階は会議室や多目的室として、50人ほどが座れる広さの教室が数部屋ある。何か会議でもあるんだろうか?と、呑気に考えていると、階段からも自分とさして年齢の変わらなさそうな男が上がってくる。どうにもうちの大学の関係者っぽくない……不審に思ったが捜査に入ってる警察か……と、すぐさま思い当たる。
「お疲れ様です先生、私、刑事の曽根と申しまして、ちょっとお話よろしいでしょうか?」
階段から登ってきた若い男が、警察手帳を見せながらこちらへ歩み寄ってくる。先ほどの「早めに撤退」の意味をようやく理解する。おそらく、地下1階であげた悲鳴の件だろうな……桜井さん気付いてたなら言ってくれよ……。
「あぁー、はい。
何でしょうか?」
「先生、緊張されてますか?」
50代くらいの白髪混じりの男が、皮肉るような顔をしてこちらに問う。
「油を売っているのを見つかったので、気まずい気持ちでいっぱいなだけですよ……」
「あはは、イヤイヤ、外科の先生がお忙しい事は医療に疎い僕らでも想像に難く有りませんから。ただ、先ほど地下1階にいらっしゃりましたか?と、お聞きしたいだけですので」
「あぁ、やっぱり聞こえてましたか……。
みっともない悲鳴をあげてしまいましてお恥ずかしい……。
2階の人事課に書類を届けて1階に戻ろうとしたんですが、地下1階のボタンを押し間違えまして、開いたら真っ暗だし、地下は例の心霊スポットだしで、驚いて思わず叫んでしまいました。」
「ほらー、前田さんやっぱりそうじゃないですか、やましいことしようとする人間がでかい声上げるわけ無いですよ」
「まぁー、そうなんだが……。
申し訳ありません先生、なんだか妙に引っかかりまして……」
その言葉に、桜井の存在が過ぎる。大した事ではないと無意識に庇ったが、既に階段で刑事と会って彼女も話を聞かれているかもしれない。辻褄が合わないか……と、焦るが
「署に戻りますよ前田さん。先生もご協力ありがとうございました。」
そう言って、曽根が頭を下げると「うーん」っと唸っている前田の背を押して、エレベーターへと戻っていく、この2人は沼田先生の担当刑事とは別だが、何かその後の話を聞けるかもしれない。と、咄嗟に思い呼び止める。
「あの……刑事さん、沼田先生の事件で進展はありましたか?
僕みたいな一介の人間に話せる事は少ないとは思うのですが……。」
そう問えば、前田がこちらを振り返る。まるで何かを探るような目に一瞬ドキリとするが、やましいことなんて何もない。堂々と、前田の目を見据える。
「……残念ながら我々は担当ではありませんので、詳しい進捗状況は分かりかねます。
また先生方にも聴取をお願いするかもしれませんので、その際はよろしくお願いいたします。」
「こちらこそ、引き続きよろしくお願いいたします。」
そう言って頭を下げると曽根が軽く会釈をして、やって来たエレベーターに前田を押し込んで去っていった。すっかり日が落ちて暗くなった外を眺める。
「沼田先生……」
小さく呟いた言葉は、冷気を纏い始めた廊下へと静かに消えていった。




