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カウントダウン

ただ!いちゃいちゃしているだけ!です!

 アシュレイが学園を卒業してもう一月も経った。

 早々に結婚については発表を終え、今は式の準備で休む暇もない。ので、少なくとも五日間はアシュレイに会えていない。私と彼では式までにしなくてはいけないことが違うし、加えてアシュレイは仕事についても研修中だ。しばらくはお父様の秘書として働くらしい。本当は、お父様はすぐに後を継がせるつもりだったそうだけど、まだ学ぶことを学んでからにさせてほしいとアシュレイが言ったから。

 ドレスを合わせながら、こんなことをしていていいのか不安になる。

 家庭のために働くのは男の仕事で、女の仕事は家を守り、時に夫を癒すものだ。と我が家の男性陣は言うけれど、なんだかなあと……。せめて家事くらいすれば主婦やってます!という気分になれるのに、それも侍女がやってしまうし。


「私って、白が似合わないわね…」


 鏡を見ながらポツリとこぼす。

 やっぱりセシルの顔はキツめだから、黒とか、もしくは赤や青の原色の方が似合うと思う。白とか、ピンクや、黄色とか、淡い色はあまり似合わない。

 ドレスを持つ侍女の一人が言う。


「ですが花嫁は白と決まっていますから」

「いくら似合わなくても仕方ありません」

「そうですわ。似合わなくても」


頬がひくっとなってしまった。


「貴女たちのそういう遠慮のないところ嫌いじゃないのよ?でも少しは歯に衣着せましょうね」


少しくらいね、フォローしてもいいと思うのよ。


「冗談ですわ。どれもよくお似合いです」


クスクス笑った侍女たちは、また新しいドレスを次々見繕う。これがいい。でもやっぱりこれも。でもあれもいいし。と。

 だんだんそれぞれのドレスの違いがわからなくなってきた。

 そのうち、仕事をアシュレイに任せたお父様まで参戦してきて、いくつか私の希望だけ言い残してこっそり抜けた。あれじゃあキリがないから。


 自分がなることはないと思っていたけれど、どの女性も避けては通れないのかもしれない。多分、所謂、マリッジブルー。

 結婚して、今更何かが大きく変わることもない。いままでずっと一緒にいたし、生活の中でお互いのズレについて新たに発覚することもないだろう。愛しているし、愛されている自信もある。

 正直、何が不安なのか具体的にはわからない。

 前世のことを思うと女性が結婚する年齢としては二十五くらいが丁度いいかな、という感覚があるし、『結婚』という響きに怖気づいたのもある。結婚の失敗例が身近にあったわけではないけれど、逆にうまくいった例が多すぎてああなれるとは思えない。お父様とお母様、お話だけ聞いたアシュレイのご両親、カミラ含み、卒業してすぐに結婚なさった先輩も少なくないけれど、円満なところばかり。

 あんな穏やかな夫婦になれる気がしない。


「お嬢様」

「……」

「セシル」

「なに?どうしたの?」


 アシュレイが書斎からひょっこりと顔を出した。廊下を進む足を止めると、アシュレイは言いづらそうに視線を床に落とした後、私と目を合わさずに訪ねて来た。


「旦那様がどちらにいらっしゃるか知りませんか?」

「ドレスを見ているわ。向こうで」

「……そうですか」


だったらどうして私は抜けてきているのかと目で言っている。


「どうしたの?なにかあった?」


訊かれる前に訊いてみると、アシュレイは眉間にググッと皺を寄せて少し顔を引っ込めた。


「大したことはありません。失礼します」

「え、あ」


 止める間もなくドアは閉められて、もう開くことはなかった。




***




 疲れているなあと、思っても口には出せない。アシュレイが気にするのがわかっているから。

 食事中も、ずっと上の空。廊下を歩いていても、珍しく背中を丸めて溜息をついていたり。アシュレイにしては珍しいこと尽くしで、私だけでなく屋敷中の人が心配している。

 どうしたのかと部屋に行こうか迷ったけれど、こういう時はそっとしておいてほしいのかもしれない、と悶々としていたらアシュレイの方から私の部屋に来た。


「どうしたの?こんな遅くに。あ、別に遅くに来ていけないって言っているんじゃないのよ?」


首だけで会話の返事をしていたアシュレイは、一分くらい、突っ立って、ぼーっと私と目を合わせていた。

 それをやめると、下唇を噛んでギュッと私を抱きしめてくる。


「少し、疲れていて……」


一言つぶやいて、また黙ってぎゅうぎゅう抱きしめてくる。

 うん。疲れているのは知っているんだけど、どうしてだかわからない。一日中走り回ったって、数日徹夜したって平気にしているアシュレイがこんな風にわかりやすく疲れているのは初めてだ。

 もしかして病気だったり……。

 一気に血の気が引いて、体を引いてアシュレイの顔を見る。


「どこか悪いの?」

「なぜ?どこも。健康体ですよ」


うっすら笑ったアシュレイは私の頬を撫でて、目を瞑った。


「お仕事、大変なの?」

「ええ。少し……」


一つ溜息をついて、困った風に笑う。


「何も、貴女に愚痴を言うつもりではないんです。ただ、しばらくゆっくり話せなかったから、貴女の声を聞きたくなったんです。たくさん」


なんとなく、気持ちはわかる。疲れているとき、悲しいことがあったとき、アシュレイと話したくなる。愚痴を言うためじゃなくて、楽しい話をして、それだけで元気をもらえるから。

 だけどそういう時って、少なくとも私は、


「少し、じゃないのよね…?」


限界が近い時の、最後の薬にしている。どうしても、どうしても辛くて仕方ない時だけ、アシュレイに気づかれないように沢山甘えて、沢山元気をもらう。


「ちょっと待っていてね。お茶を頼んでくるから、貴方は座っていて?」


 子供の頃からあるちっちゃなテーブルをはさむ二つの椅子のうち一つを指さすと、アシュレイはそこに座って、私のことも引っ張って向かいに座らせた。


「貴女が傍にいてくれるだけでいい」


 手を握られたままなので立てず、とりあえず頷く。


「もっと顔をよく見せてください、セシル…」


開いている方の手で、頬や唇をなぞられる。夜のせいもあって、背徳感のせいで背中がゾクゾクとした。

 そっと微笑んでいるアシュレイも、いつもとは違った憂いを帯びていて、余計に普通でいられない。


「好きです。…好きだよ、僕の大切な人」


おでこにキスをされて、恥ずかしくなって俯くと、アシュレイの笑い声が聞こえた。


「貴女の傍にいるためなら、僕はどんなこともできます。貴女が愛してくれたら、僕は誰よりも強くなれる。……けど」


 穏やかな笑みは崩さないままに、アシュレイの口調がだんだんと自嘲っぽくなる。


「僕は貴女が思っているよりもずっとずっと、くだらない人間で。貴女を手に入れるためなら何を失ってもいいし、貴女に愛されるならどんなに汚い人間になってもいいと思っていたのに、おかしい。貴女を追っているときはただ必死だった。それが今は、ひたすらに怖い。手元にいる貴女が、僕から離れていくのが怖くてたまらない」


あくまで声だけが、悲しそうに震えていく。


「今まで、仕事をするのに迷いなんてありませんでした。僕は従者として淡々と仕事をこなして、僕がミスを犯しても罰せられるのは僕自身だけでした。けど今は…これからは…僕の過ちはオールディントン家のものとみなされます」

「そうね」

「貴女の父上が、僕の育ての親が、長い年月をかけ築き上げたものを一瞬で壊してしまうかもしれない」

「ええ」

「貴女の人生までも、台無しにするかもしれない」

「まあ、ねえ」


 笑っているのが、逆に痛々しく見える。

 私とアシュレイは違う人間だから、全部をそっくり理解はできないけれど。プレッシャーを感じた時に心にかかる負担が大きいのはわかる。

 一瞬高校入試やバイトの面接を連想したけれど、比べるのもおこがましいのですぐにやめた。

 自分自身を蔑ろにしてばかりのアシュレイには、プレッシャーを感じるのはひょっとすると初めてだったのかもしれない。それも、家一つを没落させるかもしれないなんていきなり大きすぎるプレッシャーだ。


「それは、疲れるわね」


 一つの仕事をするにも心臓がうるさくなって、汗が出て、手が震えて。そんな状態なら疲れないわけがない。

 私が結婚について悩んでいる間に、アシュレイはもっと大きなものを抱えていた。


「ふふっ」


 私のせいで、アシュレイがここまで思い悩んでいた。その事実だけで、マリッジブルーなんてなんのことだかわからなくなる。

 口元を抑えて笑うと、アシュレイはぎょっとした後、恨めしそうに私を睨んだ。


「真面目に話していたつもりですが」

「ごめ……、ふふふ…っ、可愛い…」

「怒りますよ」


 私の頬をつねるアシュレイは割と本気で怒っているようで、いつにも増して怖い。


「どんなことがあってもね、貴方はお父様にとって家族なの。失敗したって貴方を嫌いになったりしないわ。それにね、私の人生はとてもとても明るいの。貴方が、元気で、笑って、私の傍にいてくれたら、私は何があっても幸せ」


お返しに、アシュレイの額にキスをすると、口をパクパクさせたアシュレイは、結局言葉が出せないようで俯いた。

 眉間の皺は濃くなったけれど、大人みたいに険しい表情ではなくていじけた子供のような顔。


「ちょっと、考えすぎ。この先ずぅっと、何があっても私は貴方をはなしてあげない。だから安心してお仕事をすればいいの。田舎の小さなおうちで、皆で暮らすのだってきっと楽しいもの」

「お嬢様はお気楽すぎます」

「お嬢様?」

「セシルは考えが足りません」


 だけど、と呟いたアシュレイは立ち上がって、私をベッドに引っ張りながらどんどん子供みたいな笑顔になった。

 それから二人でベッドに倒れこむと体が沈み込んで、起き上がるのが億劫になる。


「だけど、元気になった」

「それはなによりだわ」


 お互いに抱きしめ合って、クスクス笑う。重いものがとれたならいいけど。


「セシル…、顔をあげて。キスをしよう」


言われた通りにすると、触れるだけのキスを一度された。

 瞬きしていると、アシュレイは悪戯っぽい笑みで首を傾げた。


「不満そうですね」

「そんなことないけど…」


 思ったよりあっさりしていたので安心したというか。


「駄目ですよ。この時間にこれ以上したら、抑えられません」


頬ずりをしてくるアシュレイの肌は相変わらずすべすべで嫌になる。


「式の夜までは我慢しますから」

「そう」

「旦那様は早く孫が欲しいそうなので式以降は我慢しませんが」

「……そう」

「最低五人は欲しいですね」

「何がとは訊かないけど」


 怒るな自分。アシュレイがこんなに思い切りしっかり笑顔を見せるなんてかなり低い頻度。この笑顔を壊せないくらいアシュレイの子供っぽい可愛い表情に飢えている。


「可哀想なセシル。プロポーズは、もう少しだけ待っていてください」


 プロポーズという単語に驚いて顔をあげた。

 とんとん拍子で夫婦になって、プロポーズなんて、聞けるとは思っていなかったから。プロポーズへの憧れを諦めていたのに。


「まだ、いい文句が思いついていないんです」

「そ…う…なの…」


 赤くなるのを気にしながら、首をかしげる。


「可哀想って?」

「男運が壊滅的にありませんから」

「そうなの?」

「貴女は、貴女のことを好きになりすぎておかしくなった男を選んだんです。正直僕は、また嫉妬で貴女を傷つけてしまうかもわかりません」

「じゃあ同じ意味で、貴方も可哀想なアシュレイなのね」


 結婚式にはどれくらいの人が来るだろう。ドレスももっと色々見て悩もう。お料理の話し合いもしないと。

 結婚への不安が全て消えたわけではないけれど、きっと大丈夫。

 式までに、彼が私にしてくれるプロポーズが残りの不安も取り払ってくれることだろう。


 プロポーズも敬語かしら。それとも、感情が抑えられなくなったときみたく敬語が抜けるのかしら。失敗して、舌をかんじゃうならそれもそれで可愛くて素敵。なんて、想像しながら。


 式までのカウントダウンは今日も進んでいく。


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