01.二人の夢
春の、とある昼下がり。庭には、二つの小さな影があった。
ひとつは短い黒髪に黒い瞳を持つ、十歳の少年のもの。もうひとつは肩より長いふんわりした金髪に、紫の瞳をした六歳の女の子だ。
少年の名は、ガージェス。自宅の庭で、彼は大きな本を広げていた。
彼の隣にいるのは、エルスティン。通りにいつも、パンのいい香りを漂わせているベーカリー「ふんわり」の娘だ。
二人は家が隣同士の幼なじみで、一緒にいるのはいつものこと。
興味津々で、二人はその本を覗き込んでいた。ガージェスが祖父の留守をいいことに、彼の部屋から持ち出したものである。
こっそり見るつもりなら部屋の中にいればいいのだが、春の陽気がとても心地よくて庭へ出たのだ。
濃い茶色の皮の装丁。表紙の中央には、金色の太陽のような模様が一つ。エルスティンの人差し指くらいの厚みがある背表紙。普段は見ることのない、大きくて固くて重い本。
一体、どんなことが書かれているのだろう。
期待に胸をふくらませていたのに……。
「もじ、よめないよ……」
すみれ色の瞳に困惑の表情を浮かべ、エルスティンはガージェスの顔を見た。
ガージェスの祖父ブライガは、魔法使いだ。そして、これは魔法使いの物。魔法書なのだ。
魔法書と聞いて、どんなのだろうとわくわくしながら見たものの、そこに書かれている文字はエルスティンの知っているものではなかった。
これは、魔法使い専用の文字。大人でも、一般の人には読めない文字なのだ。
魔法使いではないガージェスも、魔法書の文字なんて全く読めない。
「うん。勉強しないと、これは読めないんだ」
ガージェスは、あっさり答える。
これまでもブライガの持っている魔法書は何度も見ているので、読めないことは承知の上だ。
「えー、よめないのぉ?」
最近、だいぶ文字を覚えたので、エルスティンはガージェスの前で読み上げてみせるつもりだったのに。
「はは……ごめん。こういうものがあるんだって、見せたかったから」
エルスティンのふくれっ面を見て、ガージェスは笑ってごまかした。
「俺さ、大きくなったら魔法使いになるんだ」
「え、そうなの?」
これまで数え切れない程一緒に遊んできたが、ガージェスがそんなことを考えていたなんて、エルスティンは初めて聞いた。
「じゃあ、ガージェスもひをぼぉーってだしたり、おみずをびしゃーってだしたりするの?」
エルスティンの魔法使いに関する情報は、せいぜい絵本くらいだ。
ブライガがたまに子どもを喜ばせるための余興として、小さな火を出したり、風を起こして花や葉を踊らせて見せてくれたことは何度かある。
だが、本物の魔法を見たのはその程度。ブライガ以外の魔法使いには、見たことも会ったこともない。
幼いエルスティンにとって、魔法使いは大人が思う以上に別世界の存在だ。
「うん。魔法使いになったら、それくらいはできるようになるよ」
「すごーい」
自分では操れない自然を意のままにできるなんて、夢のようだ。しかし、魔法使いになれば夢ではなく、現実になる。
目の前にいるガージェスがそんなことをするようになるなんて、夢でも見たことがない。
この場合、ブライガという本物の魔法使いが近くにいる、という点については、エルスティンの頭から抜けている。
「でもさ、俺はじいちゃんみたいな、魔物を退治する魔法使いじゃなくて、道具を作ったりする魔法使いになりたいんだ」
「なぁに、それ?」
意味がよくわからず、エルスティンは首をかしげる。
「ほら、この魔法書にあるんだけど」
ガージェスが、本のページを指差す。
魔法書という未知のものなので、見るという点については楽しみにしていた。ただ、読めない魔法文字うんぬんの前に大人が読む本だとはわかっていたので、絵本のような面白さはエルスティンも期待はしていない。
だが、その本には文字だけでなく、ページをめくれば挿絵もたくさんあったのだ。
もっとも、それは単なる壺だったり、何に使うのかわからない珠だったり。ほとんどが、どこかで見たことがあるような道具類の絵だ。
順番に物ができていく絵があるが、作り方の説明だろう、とエルスティンは考えた。
「これは、魔法使いが作った、魔法使いが使う魔法の道具なんだ。これで普通の道具ではできないことや、自分の魔法だけではできないことができたりする。魔物を捕まえる道具だってあるんだ。それがあれば、自分の魔法をあまり使わないで、楽に捕まえられるんだって」
言いながら、ガージェスは縄や檻などの挿絵があるページを開き、エルスティンに見せた。
この時のエルスティンにはもちろんわからなかったが、ガージェスが持ち出していたのは「魔法道具について書かれた魔法書」だったのだ。
「この前、じいちゃんに教えてもらったんだ。こういうのがあれば、捕まえるのが難しい魔物だって捕まえられるって」
「すごーい。じぶんではつかまえられないネズミが、つかまえられるみたいなかんじね」
「え……まぁ、似たようなもの、かな」
一気にスケールダウンした感じだが、やることは似ている気がしたので、ガージェスはうなずいた。
「ガージェスは、ものをつくるのがすきだもんね」
紙で自分の家の模型を作ったり、庭に落ちている枝を拾い集めて船を作ったり。
船は残念ながら、浮かべようとして川の中へ沈んでしまったが、少なくとも見た目はちゃんとした物だった。
そういった工作しているガージェスを見て「将来は職人になりそうだ」と周囲の大人達はよく言う。
どうやらそれが「魔法使いの道具の職人」に目標が定まった、というところだ。
「まほうつかいのどうぐかぁ。それって、おもしろそう」
話を聞いているうちに、エルスティンも興味が出て来た。
魔法使いが使う道具となれば、ありきたりのものなんてありえない。
そうなると、読めもせず、面白そうでもなかった魔法書が、わくわくする冒険物語にも匹敵するような本に見えてくる。
「ガージェス、あたしもなれるかな、まほうつかいに」
魔法使いになる、と言うガージェス。自分も魔法使いになれれば、ずっと一緒にいられる。
内容をしっかり理解していないエルスティンだが、話を聞いているうちに「魔法使いになりたい」と思うようになってきた。
「勉強が大変だって。でも、がんばれば、なれるよ」
ガージェスは、笑顔を浮かべながらうなずいた。いつも以上にやんちゃそうな黒い瞳を、きらきらさせている。
「えっと……まほうつかいのべんきょうって、どこでするの?」
「ハーロネルトは知ってるだろ? 街の東端にある、魔法使い協会」
「うん。いったことはないけど」
「あそこで勉強して、ちゃんと一人前の魔法使いになったら、魔法使いの仕事ができるようになるんだ。じいちゃんが魔物退治へ行くのも、ハーロネルトからどこそこへ行ってくださいって、言って来るんだって」
魔法使いのための組織である、魔法使い協会。
世界中にあり、魔法使いを目指す者は協会の「修学部」で勉強する。認定試験を受けて、正規の魔法使いであると認められれば「職務部」に籍を移して仕事をするのだ。
独立ももちろん許されているが、協会に籍を置いた方が得られる仕事が多いので、魔法使いとして仕事をする人はほぼ、協会に所属している。
ここペルトムの国には協会が二カ所あり、そのうちの一つが幸いなことにこの街ロレアの東端にある。それが、ハーロネルトだ。
街の東端にあるのは「魔法使いが移動のために呼び出す魔獣を見て、怖がる一般の人々が少なく済むように」という配慮から。
それなら街の外に建てれば、と言われそうだが、魔物退治を依頼に来る人もいるので、街から離れてしまう訳にいかないからである。
……ということを、つたない言葉で説明されても、聞く側のエルスティンの理解が追い付かない。
とにかく、魔法使いになりたければ魔法使い協会ハーロネルトに入る、という部分だけは何とかわかった……気がする。
「あたし、なる。まほうつかいになるわ」
幼なじみの夢を聞いたその日、エルスティンの夢も決まった。





